第73話 イーストポイント陸軍士官学校にて
ハァ~、やれやれだぜぃ。やっとこさ、士官学校にご到着っと。
クリスはタクシーから降りると、夕陽に染まる校舎を仰ぎ見た。
懐かしいねえ~、たったひと月しか離れていねえのに……。
傍らのリンも同様の感慨に浸ってるみてえだ。ジーッと校舎なんか見つめて涙ぐんでやがる。
まあ、仕方ねえか。俺ら、命懸けで戦ってきたんだから。もしかしたら二度と仲間のツラ拝めねえんじゃねえかと、そんなつれえ戦いを強いられてきたんだから。何度も殺されかけたし、何人も殺っちまったし。戦死しても不思議じゃねえし、祟られても不思議じゃねえ。ほんと、二十一歳の乙女にゃ過酷な経験だぜ。
ヘへッ、ちいとばかり高ぶっちまった。まっ、秀一郎には借りを返せたし、当分の間、スリルとは無縁の地味な生活を送って……。
ヘクション!
クソッ、夕暮れの風が身に染みるぜ。風邪ひかねえうちに兵舎に戻らなきゃな。
「おい、リン。行くぞ」
「うん」
リンが涙を拭いて頷いた。
身分証を提示して検問所を通過した。校庭に人影がねえのは今が冬休みだから。
今頃、仲間たちは郷里で楽しくやっているに違いねえ。俺ら、ほんと貧乏くじ引いちまったみてえだ。
一抹の寂しさを抱えながら、懐かしき校舎の玄関までトボトボ歩いた。
寮に戻る前に教官に帰着の報告をしなきゃならねえ。明日とは言えねえところが軍人の辛れえところ。
ふと玄関先で足を止めた。廊下の両側に居並ぶ仲間の姿が目に入った。その数ざっと五十名は下らねえ。
こりゃ一体……。訳もわからずリンと顔を見合わせた。
「よう、無事でなにより」
同期生のカール・ハインツが玄関のドアを開いて俺らを迎え入れた。
同期生のポール・ハーマンが号令をかける。
「我ら士官学校の名誉、クリスとリンに……」
総員の眼差しが一斉に俺らに注がれた。
「総員、頭、右!」
全員が挙礼で俺らを迎い入れた。
「よせやい、照れるじゃねえか」
恥ずかしくてつい笑っちまったぜ。
「みんな、ありがと」
リンが涙を浮かべて答礼した。
総員の列が崩れて俺らの周りで輪を作った。皆が口々に俺らの活躍を称賛する。
全員が俺っちとリンがスワンに加わったことを知っていた。それは同期生でも知りえねえ機密事項のはずだ。
もちろん新聞発表もその辺は伏せてある。その辺のことをハインツを捕まえて問い質した。
「よう、一つ聞かせろよ。なんで俺らが人質救出作戦に参加したことを知っている?」
カールがバツ悪そうに頭を掻いた。
「それが……。盗聴器を仕掛けたんだ。廊下で擦れ違ったときに、おまえの服の袖に……」
思わずカールの胸倉を掴んだ。
「な、なんだと! てめえ、俺っちのプライベートに何をした?」
「いや、おまえらが教官室に呼び出されたって聞いたもんだから」
カールが両手を合わせて拝み倒した。
「あの演習、誰が考えてもおかしかったろ? だから教官たちの真意を知りたいと思って。いや、すまん」
リンが俺っちの肩を叩いた。
「まあ、いいじゃないの。カールも謝ってんだから。それにみんなもこうして集まってくれたんだし」
「チッ、仕方ねえな」
カールの肩に腕を回すと小声で恫喝した。
「いいか、今度そんな真似をしてみろ。おめえの命はねえからな」
「ハハッ、わかってるって」
カールの苦笑い。額に冷や汗浮かべてやがる。
俺っちとリンの前にハーマンが立った。
「どうだ、これから街へ繰り出すのは? 二人にためにディスコホールを借り切ったんだ。もし疲れてなければ……」
「もちろんでぇ!」
同意一発。そんなもん聞くまでもねえ。
「よう、リン、おめえも……」
リンの野郎、ボケーとした顔して何かを見つめてやがる。その視線を辿ってゆくと、ありゃ、その先にいたのは鬼のマイケル・ホックス教官だった。
辺りは水を打ったように静まり返った。チッ、場の雰囲気が盛り下がっちまったぜ。
マジいな、玄関先で騒いでたんで怒って出てきやがった。
取り合えず謝っちまおうか。士官学校の歴史に残る手柄を立てたんだから、そう厳しく叱るとも思えねえし。
「スイマセン、教官」
刹那、誰かが俺っちを突き飛ばした。
教官に走り寄る影。リンだ。
「教官!」
そう叫んで、教官の胸に飛び込みやがった。
オ~、士官学校の歴史に残る自爆行為! 戦場丸抱えのPTSDが爆発しやがったか。
相手は鬼と呼ばれた教官だ。風紀には殊の外厳しい。誰もが殴られると思った。俺っちもそう思った。恐らくリン自身もそう思ったはずだ。でもフオックス教官は殴らなかった。リンの震える両肩に手を置いて、
「バカだな、泣くやつがあるか」
リンの野郎が顔を上げた。涙で濡れたみっともねえ顔にーーどうして?ーーと疑問符を張り付けてやがる。
殴られなかったのがよっぽど不満らしいや。フォックス教官はその疑問符に答えなかった。リンの顔を切れ長の瞳でジッと見つめると、
「どうだ、宿題の答えは見つかったか?」
宿題? なんだ、そりゃ? 俺っちは聞いてねえぞ。
リンも首を横に振っただけ。そして何かに気付こうと必死に俯き加減に心中を弄った。
「一つだけ……」
リンが不安げな面持ちで顔を上げた。
「自分の身を守れない人を命懸けで守ること」
リンはその回答に自信が持てねえようだ。
でもよ、それが俺ら軍人の本分だろ? 何を今更。
「そうか……」
教官がほほ笑んだ。ひえ~、あの人のドヤ顔、初めて見たぜ。どうやらリンの回答に満足したみてえだ。
「では残りの宿題は士官学校に残って探し続けるがいい。おまえにそれが出来るか?」
リンの顔がパッと輝いた。
「出来ます! いえ、出来るように努力します」
「よし、以上だ」
教官は踵を返すと肩越しにリンを顧みた。
「冬休みはまだ一週間ほど残っている。郷里で楽しんでこい」
そう言い残して廊下の奥へ消えた。
リンが挙礼でその背中を見送った。俺っちも遅ればせながらリンの野郎に右習えした。
廊下の奥に教官の靴音が消えると、ハーマンが我に返って叫んだ。
「よし、これから街へ繰り出すぞ!」
その場にいた総員が歓呼で賛意を示した。
「よう、リン」
傍らのリンに尋ねた。
「教官の言ってた宿題って……」
「ええと……、もう忘れちゃった」
リンの野郎、笑って誤魔化しやがった。
別に隠すこともねえだろうに。
まっ、そんなことどうでもいいや。今夜は命の洗濯、二人とも生きて帰れたんだから存分に楽しまなきゃな。




