第72話 ハイベル戦略研究所にて
あ~、やっと帰り着いたぞ、楽しい我が家。
セーラは懐かしそうに自室のドアの前に立った。
戦研の寮に戻るのはひと月振り。それでも懐かしさが込み上げてくるのは、短期間に死ぬような体験を山のように積み上げたからだ。
所長の命令でクルシア共和国へ向かうときは、遠隔透視で敵情を探るだけという話だったのに、乗った漁船が沈没したために特殊部隊と行動を共にする羽目に……。お陰で一生分のスリルと恐怖を味わった。
まっ、終わってみれば結構楽しい思い出だけど、それも生還できたからの話で。できれば二度と戦場には出たくないというのが本音だ。
所長のハイベル教授にはきつく文句を言っておかなきゃ。わたしは超能力の大切な試験体なんだから、もう少し大切に扱えってね。
「ただいま」
ドアを開けて元気よく叫んだ。
取り合えず机上の両親の写真にご挨拶。パパの元を離れて一年。今回の一件を知ったら、顔を真っ青にしてわたしを引き取りに来るに違いない。
ア~、ふかふかベットたまらんなぁ~。作戦中は偽装漁船の中ではハンモック、上陸してからは野宿と、身体が休まる間がなかった。でもそんな苦痛の日々ともお別れ。このまま眠ってしまいたい心境だけど、時刻はまだ夕方の五時。就眠するのは欲求不満の胃袋を満足させてからでも遅くはない。その前にシャワーを浴びて二週間分の疲れを取らなきゃ。また明日から単調な日々が始まるのだから。
五分後、浴室でシャワ―を浴びていると、不意にドアをノックする音がした。
「ハイ、どなた?」
そう言いながら浴室から顔を出した。
「オオッ、我が友は無事か!」
同僚のシンシアだ。
「ハーイ、セーラ。元気してる?」
同僚のモニカだ。
二人共、わたしと同期生で同い歳の大親友だ。もちろん超能力者の資質を備えている。
「待ってて。いま着替えるから」
着替え終わってドアを開けると、シンシアがいきなり飛び付いてきた。
「聞いたわよ、武勇伝。凄いじゃない!」
「これを見て」
モニカが手にした夕刊を広げた。
「新聞も今回の作戦を絶賛しているわ。わたしたちも鼻高々。所長も喜んでたし。ようやく次年度の予算が確保できるってね」
なになに、アムリア軍特殊部隊、人質全員の救出に成功。見事ハイジャック機を奪還して祖国へ凱旋。
(以下、統合作戦本部の発表概略)
どれどれ、どこかにわたしの写真が載っていないかな。
目を皿のように細めて紙面を眺めていると……、あった、あった! 写真の片隅に。でも疲れ切った顔をして、これじゃ美少女が台無しだ。どう見ても救出された人質の一人だ。正直、あまり嬉しくない。
わたしの不満顔を見て、シンシアが言った。
「そうでもないって。結構可愛く映ってるわ。そう落ち込まないで」
「そうそう」
モニカも相槌を打った。
「きっと人質の家族は感謝しているはずよ。だから元気を出して」
ハイハイ、わかりました。その優しい言葉を胸に、明日からは清く正しく生きてまいります。
でも今はお腹が減って、減って……。清く正しくどころじゃない。
わたしは二人に提案した。
「ねえ、今から食事に行かない?」
「それ、賛成」
モニカが賛成した。
「実はわたしたちもあなたを食事に誘おうと思って」
「そこでたっぷりと武勇伝を聞かせてもらうわ」
シンシアが笑った。
「ついでに失敗談もね」
「じゃあ、決まりね」
そうだ、大切なこと忘れてた。今月はまだ官費の支給を受けていなかった。受給日は作戦中にとうに過ぎてしまった。財布の中身が心許ない。やっぱファーストフード店が分相応か。残念。
「で、どこへ行く?」とモニカ。
「フライドチキン。それともハンバーガー?」
「ハンバーガー」とわたし。お小遣いがないので選択肢は二択。なんて哀れな。
「今夜はセーラの意見を尊重するわ」とモニカ。やはり友も金欠病に喘いでいるらしい。
「それじゃ五番街のハンバーガーショップ」
シンシアが皆の意見を取りまとめた。
と突然、ドアの外で声がした。
「相変わらず貧しい食生活ね」
誰? 一瞬、モニカとシンシアが顔を見合わせた。でもわたしには声の主がすぐにわかった。
立ち上がってドアを開けると、やはりいた。アイリーン大尉だ。
紺色のスーツをきちんと着こなして、軍人というよりはどこぞの社長秘書みたいだ。思わずコニーさんを思い出した。
全員、サッと挙礼で応える。アイリーン大尉がわたしを見た。
「あなたを食事に誘おうと思って来たんだけど、どうやらグッドタイミングみたいね」
そう言って笑った。
シンシアとモニカが色めき立った。もちろんわたしも。だって美味しい食事にありつける予感がしたから。そんなこと超能力者じゃなくてもわかる?
「モニカ、シンシア。あなたたちも招待するわ」
アイリーン大尉が戸口に寄りかかって二人を見た。
「さあ、支度して。五番街のステーキハウスに繰り出すわよ」
「やったあ!」
モニカが指を鳴らして叫んだ。
「アイリーン大尉、太っ腹ぁ!」
シンシアも賞賛を惜しまない。
「特別手当が支給されたのよ。それでね」
耳元でアイリーン大尉が声を潜めた。
「聞いてませんよ。そんなこと」
憤慨して呟いた。
「わたしだって作戦に参加したのに……」
「残念だけど、あなたは予備役扱いだから特別手当は支給されないのよ」
アイリーン大尉がわたしの肩を抱き寄せて同情の意を示した。
「その分、奢ってあげるから。食べたいものを好きなだけ注文なさい」
「ハイ、ありがとうございます」
わたしの機嫌も少し直った。
「さあ、今夜は無礼講よ。みんなで楽しく過ごしましょう」
アイリーン大尉、今回の作戦では大変お世話になりました。
感謝と愛情を込めて、わたしは彼女に抱き付いた。




