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第06話 救世主来たれり! 陸軍士官のおねえ様

 ウソ、ウソ、ウソ、ウソ、ウソ……。

 言い間違い、聞き間違い、勘違い、人違い……。

 頭の中が混乱して、どう対処していいのかわからない。

 落ち着くのよ、コニー。そうよ、まずは真実を確かめなくちゃ。

 

「……あの、秀一郎さん」


  声が震えてる。もしあの人が真実だと認めたら……。


「今の話、本当ですか?」


 言ってから思わず目を閉じた。

 正直、答えを聞くのが怖かった。お願いだから嘘だと言って。


「コニー、まさか君はテロリストの言うことを信じるのかい?」


 あっ……。あの人の優しい囁きが、わたしの迷妄を一瞬で吹き飛ばした。

 なぜ、わたしはあの人を安易に疑ったのか。

 そうよ、テロリストの言うことなんて信じるものか! 特にあの嫌味な女の言うことなんか。

 きっとわたしをお嬢様だと思ってからかったんだ。

(クソ、クソ、クソ)


「秀一郎さん!」


 あの人の胸に飛びついた。


「コニー!」


 秀一郎さんのたくましい腕が、わたしを力強く抱きしめてくれた。

 どう? これがわたしたちの愛の絆よ。

 こうなりゃ、さっきの復讐だ。あの女に思う存分見せつけてやれ。


「ハーン、なるほどねえ。さすがは社交界きってのプレイボーイだ。ネンネを騙すのなんてわけないか」


 彼女、いきなり長い人差し指を、あの人の太腿に突き付けた。

 

「なんだ、失礼じゃないか!」


 秀一郎さんが怒鳴るのもお構いなし。

 彼女の人差し指がツツツーと、あの人の太腿をなぞってゆく。

 

「確かここだっけか? 銃創(じゅうそう)があったはずだけど」


 銃創って確か銃弾の傷痕のこと。

 なぜ、そんな傷痕が? なぜ、テロリストが知っているの?

 

 再び湧き上がる暗雲。

 嫉妬に狂った女の戯言(ざれごと)とは思うけど、やはりあの人に確かめずにはいられなかった。


「あの、銃創のこと、嘘ですよね?」

「……ああ、いい加減な作り話だ」


 秀一郎さんの目線がわたしから逸れた。まさか……。

 

「へぇー、あんた、太股の銃創のこと、知らなかったんだ?」


 ハハハッ……。

 紫礼装が勝ち誇ったように笑った。


「あんたたち、まだだったんだ? 婚約までしておきながら。こうなると身持ちが堅いのも善し悪しだね。なるほど、お坊ちゃんが浮気に走るのも無理ないわ」

「秀一郎さんは浮気なんかしません」

「へぇー、そうかい。それじゃ、ついでにもう一つ、面白いこと教えてやるよ」

「いえ、もう結構です」


 こんな下品な話、付き合ってなんかいられない。ほんと、耳を塞ぎたいくらい。


「まあまあ、そう言わずにさ。この際、どちらが嘘をついてるか、ハッキリさせた方がいいんじゃない?」


 彼女、嫌らしい目で秀一郎さんを透かし見ると、


「彼、お尻に青い痣があるんだ。蒙古斑(もうこはん)ってやつ? 新婚初夜に大笑いしないように、今のうちに教えといてあげる」


 刹那、秀一郎さんが自分のお尻を両手で押さえた。


 なんなの、あの妙な条件反射?


 疑惑は深まっていくばかり。

 こうなったら自分の眼で真実を確かめるしかない。


「あの、秀一郎さん。恥ずかしいでしょうが、少し我慢してください」

「なにをする気だ?」

「あの、失礼します!」


 言いざま、一気にスラックスのベルトを引っこ抜く!

 

「おい、止めたまえ!」


 嫌がるあの人を押さえつけて、一気にスラックスを引き下ろしてみると、


「ア~! ひどい! この浮気者!」


 あの女の指摘通り、秀一郎さんの太腿には銃創の痕が。

 

「偶然だ、偶然……」


 有無を言わさず、今度は一気にブリーフを引きずり下ろす。


「アッ、いや~ん!」


 秀一郎さんの変な悲鳴は無視して臀部(でんぶ)を確認すると、


「じゃあ、これはなんですか!」


 確かにあった。あの女の指摘した通り、お尻に青い痣が。

 

「これも偶然だ! なんらかの方法で事前に調べたんだ!」


 秀一郎さん、スラックスを引き上げると、怒りの眼差しをあの女に向けた。


「ぼくになんの恨みがあるんだ? 人を貶めるような虚偽ばかり……」

「あんたが浮気でもしなきゃ、さすがにお尻の蒙古斑(もうこはん)まではわからないと思うけど。確かひと月くらい前だったかねえ。このお坊ちゃんに添い寝してあげたのは……」

「ひと月前ですって~!」


 彼女には煽られっぱなし。嫉妬の大波が胸の中で荒れ狂う。

 いけないと思いつつも、自分の感情を抑えることができない。

 

「わたしという女がありながら、なんであんな女なんかと!」

「落ち着け、落ち着くんだ!」


 秀一郎さんの手が肩に触れた。なんて汚らわしい。

 紫礼装が楽し気に口を挟んだ。


「二人の間にヒビ入れちゃって。でもよかったじゃない。結婚前に相手の好ましからぬ素行がわかったんだ。むしろ感謝してほしいくらいさ」

「あなたは黙っててください!」

「おー、怖っ。こんな嫉妬深い女と結婚するなんて、男の方も気の毒さね。こりゃ、婚約は解消かねぇ」


 わたしはキッとなって叫んだ。


「この~、誰のせいでこうなったと思ってんの!」

「ああ、なんだって!」

「あんたなんか、あんたなんか、さっさと逮捕されて死刑になっちゃえばいいのよ!」


 彼女は少しも動じなかった。口端に皮肉っぽい微笑を浮かべると、


「その前にまずは自分の命を考えちゃどうだい? なんなら、そこのバカ息子と同じ墓に入れてやってもいいんだけど。まあ、今のうちにじっくりと考えておくんだねぇ。ハハハッ……」


 この~、言わせておけばいい気になって!


「あのね~、わたしゃ自分の命を心配するような、そんな安っぽい恋なんかしてないんだよ!」


 不意に右手が唸りを上げて、彼女の左頬を直撃した。


 パシッ!


「なにすんだい!」


 彼女がいきり立った。紫色の唇に少し血が滲んでいる。


「なによ!」


 わたしも負けずにいきり立った。

 こうなったら、もう止まらない!

 お互い、意地の睨み合い。

 彼女は拳銃、わたしは素手。結果は見えているけれど、ここで引くわけにはいかない。さあ、撃てるもんなら撃ってごらんなさいよ!


「あの……」


 誰? こんなときに……。


 わたしと紫礼装、互いの視線が同時に声の方へ流れた。

 見ると通路に女性が一人。歳の頃は二十代半ばくらいか。サラサラのロングヘアーが美しい理知的な顔立ちの美人だ。

 

 張り詰めた緊張の糸が、ブチ切れる前に緩んでしまった。

 それは紫礼装も同様らしい。

 

「なんの用だい? こんなときに」


 ロングヘアーさん、紫礼装を無視して、私の方を見た。


「あの、あなた、コニー・エッフェルさんですよね?」

「えっ? ええ……」

「実はわたし、新体操に興味があって。あなたの大ファンなんです」


 あなたの大ファン、大ファン、大ファン……。


 ああ、なんて心地よい響きなの。

 胸裏に久しく忘れていた快感が蘇った。状況が状況なだけに、素直に喜べないけど。それでもかつての活躍を覚えているなんて言われると、なんだか嬉しくなってしまう。


「それで、ぜひお願いがあるのですが……」

「ハイハイ、なんでしょ?」

「あの、サインいただけません?」


 はあ、サインですか。

 唖然として、二の句を告げることができなかった。

 見てわからない? こんなときにサインはないでしょ?


「あんた、これが見えないのかい?」


 当然というべきか。紫礼装が真顔で拳銃をチラつかせた。


「残念だねえ。事が起こる前にもらっておけば、ネンネちゃんの最期のサインとして、価値が上がったかもしれないのに」

「あの、駄目でしょうか?」

「決まってんだろ! あんまり悪党の手を煩わせるんじゃないよ」


 それでもロングヘアーは未練がましく立ち去ろうとしなかった。

 彼女、テロリストが怖くないのかしら?

 そのとき直感がピーンと頭の中を駆け巡った。彼女、サインをねだるふりして、なにか別のことを求めている。単なる思い過ごしかもしれないけど、ともかく彼女の要求に応えてみよう。

 

「あなた、なにか書くもの持ってます?」

「ええ、持ってます!」

 

 彼女は手帳を開いて差し出した。

 アッ……。

 危うく声を上げるところだった。手帳の見開きに記載されていた、三つの金星の印とIDカード。それはアムリア連邦陸軍の軍旗。

 IDカードにはアンジェ・アイリーンと……。まさか、彼女、軍人さん?


「仕方ないねえ、早くしなよ」


 紫礼装は欠伸をしながら窓の方を向いた。

 チャンス到来!

 

 ロングヘアーは自然な笑顔を装って、手帳のページを捲っていく。


「あの、サイン、ここにお願いします」


 彼女の指し示したページに目を落とすと、”あなた方を助けます”という走り書きが。

 

 ああ、神様はお見捨てにならなかった。

 

 心強い味方を得た安堵感が心に余裕を生じさせた。

 死んでなるものですか。必ず生きて帰って、そして……。

 

 努めて冷静を装いながら手帳にペンを走らせた。

 緊張のせいか、(したた)めたサインは文字が読めないほど歪んでいた。

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