第67話 悪の薔薇 イザベラの最期
バァーン!
鳴り響いた二発の銃声。
交差する二つの弾丸。
紫礼装の放った銃弾は、わたしの遥か頭上を通過した。
そしてわたしの放った銃弾は……。
紫礼装の身体が宙を舞った。まるで薔薇の花弁が散るように……。
紫の花弁を赤い飛沫が染めてゆく。
死を確信させる確かな手応え。銃弾は紫礼装の左胸を貫いていた。
フッと肩から力が抜けて拳銃がポトリと床へ落ちた。
ぼんやりと霞む視線は紫礼装の遺体を見つめたまま……。
彼女の口元に浮かぶ微笑。それはこう呟いているように見えた。
あたしはとても満足よって……。
愛に殉じた彼女の死に顔を眺めていると、今までの恨みつらみを忘れてしまいそうで。
あの世でお幸せに……。
別れの言葉が胸裏を掠めた。
そのとき愛する人の声が耳朶に馴染んだ。
「コニー、怪我はないか?」
「……秀一郎さん」
返事の代わりに、あの人の胸に顔を埋めた。
「そうか、よかった」
安堵感が伝わったのか、秀一郎さんはわたしをしっかりと抱きしめてくれた。
そのときふと気付いた左胸に空いた穴。周囲が焦げているので、確かに銃弾が貫通した跡なんだけど。
気になって背広を捲ると、その下には何やら胸当てのような見慣れぬ板を着装していた。
そうか、これで秀一郎さんは助かったんだ。
「防弾チョッキね」
なんて用意のいい人。思わず笑みが零れる。
「監視兵から買い上げたんだ。市価の五倍吹っかけられたけど、命の代償としては安いと考えてね」
秀一郎さんも釣られてほほ笑む。
「今にして思えば激安品だな」
和やかな笑いが収まると、わたしと秀一郎さん、お互いの瞳を見つめ合った。
「コニー」
「秀一郎さん」
双眸を閉じると、あの人の微かな吐息が顔を掠めた。
アアッ、久し振りの口づけ! よくぞ、よくぞここまで辿り着いた。
相手の温もりを感じながら、フッと唇が触れ合う瞬間、
「オ~イ、二人とも無事かぁ!」
秀一郎さんが引いてしまった。
もう、なんてこと!
恨みを込めて声のした方向を睨んだ。
クリスが左右を警戒しながら近づいてきた。その後ろにはリンさんが。
通路の方向を見ると、スワンのメンバーが全員顔を揃えて待機していた。
クソッ、口づけは当分お預けってわけね。まあ、いいか。祖国へ帰ればいくらでも出来るんだから。そんなことよりも彼女たちに言いたいことがある。
「この~、スットコドッコイ!」
なんて下品な言葉! 叫んだわたし自身が驚いた。
秀一郎さんも目を丸くした。
クリスも思わず足を止めた。
エエィ、構うもんか! わたしはそれだけ怒っているのだ。
「なんで、なんでわたしたちを助けに来ないのよ! もう少しで殺されるところだったのよ!」
もう、口が止まらない。言いたいこと言わなきゃ腹の虫が治まらない。
「あれ、おめえが殺ったのか?」
クリスが怪訝な表情で神父と紫礼装の遺体を指さした。
「本来なら、あれはあなた方の仕事でしょうが!」
まったく、大切なVIPを放っておいて一体何をしていたのやら。
わたし、自分の仕事に無自覚な人って大嫌い!
「バカ、アホ、ドジ、マヌケ! あなた方、職務怠慢よ!」
リンさんが引き攣った笑顔で執り成した。
「まあまあ、そう怒らないで。二人共無事に再会できたんだから。よく言うでしょ。終わり良ければ総て良しって」
「あのねえ~」
怒りの矛先をリンさんに向けようとしたそのとき、突然、全員の銃がサッと通路方向へ向けられた。
通路の奥に人影があった。
あの大男だ。虚ろな目で、わたしたちの方を見つめている。その手に武器はなかった。
目の前に居並ぶ敵の姿を認識した様子もなく、ただ力ない足取りで歩いてくる。銃の威嚇も目に入らない様子で。その異様な圧力に屈して、わたしとクリスが道を開いた。
大男はその間を肩を落として通り抜けると、紫礼装の遺体の前で膝を落とした。
「オオッ、アネさん」
大男が滂沱の涙を流した。胸前で十字を切ると、彼女の遺体を徐に抱き上げた。そして一歩一歩踏み締めながら神父の亡骸の前に立つと、
「神父様……」
その傍らに彼女の亡骸を安置した。それっきり大男は石のように固まってしまった。
ムター隊長の指示で全員が銃を下ろした。
もはや大男に殺意は感じられない。敵対しない者を殺す必要はないのだ。
「さあ、総員、撤収するぞ」
隊長が笑顔で全員の顔を見回した。
「我々にはまだ任務が残されている。残りの人質の救出だ。さっさと救出して祖国へ帰還するぞ」
隊長の言葉に全員が力強く肯首した。
ドォーン!
突然、耳を覆うような大爆発が起こった。
遺跡の各所から火の手が上がり、遺跡全体が大揺れに揺れた。遺跡の一部は早くも崩壊を始めている。最初の爆発より明らかに規模が大きい。
「地下の武器庫に火が回ったんでさあ」
大男が俯いたまま呟いた。
「さあ、早くお逃げなせえ」
「あなたは?」とわたし。
「……」
大男は力なく首を振った。
「さあ、行くぞ」
隊長が片手を振って撤収を示唆する。
全員通路へ向かって走り出した。
わたしも後を追おうとして、ふと気になって背後を振り返った。
大男は二人の遺体の前から動こうとしなかった。彼もまた二人の死に殉じる気なのだ。
犠牲祭壇がグラグラと揺れ始めた。
急がなければ逃げ遅れてしまう。
「おい、何やってる!」
クリスが怒鳴った。
「コニー、急ぐんだ!」
秀一郎さん、踵を返すと、わたしの手を力強く握り締めた。その暖かい愛に導かれて、わたしたは犠牲祭壇を後にした。




