第66話 コニーVSマリエンバード 最後の闘い
バァーン!
世界から音が途絶えた。
目の前が真っ暗になったのは双眼を閉じたから。
期待と不安が激しく交差する。
暗闇の中でジッと息を潜めていると、やがて微かな呻き声が聞こえてきた。
ウ~ン。
あれは、あの声は……。
指間から目の前の情景を覗き見る。それは不安が現実と化した瞬間だった。
秀一郎さんが膝をついて倒れた。俯せになった格好でピクリとも動かない。
まさか、冗談でしょ?
時が経てば笑って起き上がってくれるはず。いつものように冗談だよと言いながら。そんな期待を胸に見守っていたのだけど、それでも動いてはくれなかった。
なんでよ、なんで動いてくれないの!
背後で声がした。
「さあ、お立ちなさい」
神父だ。背後に秀一郎さんを殺した人がいる。
刹那、頭の中に閃光が閃いた。
そうだ、短刀だ。サリムから預かった。
胸に手を当てて短刀の感触を確かめる。それは内ポケットの中でひっそりと息づいている。
秀一郎さんの仇。
内ポケットにそっと手を滑り込ませた。
「気の毒とは思いますが、わたしはまだ死ぬわけにはいかないのですよ」
神父の足音がヒタヒタと近づいてくる。
「さあ、行きましょう。わたしの理想を実現するためには、どうしてもあなたの協力が必要なのです」
神父の手が肩にかかった。
今だ!
振り向きざま、精一杯の力を込めて短刀を突き出した。
ウッ……。
瞬間、電流が腕の神経を駆け抜けた。鈍い感触がジワジワと腕を侵食してゆく。
「ま、まさか……」
神父がカッと双眼を見開いた。その拍子に金縁眼鏡が地面に落ちて割れた。
神父の視線がゆっくりと自分の胸に落ちてゆく。深々と突き刺さった短刀を見たとき、神父は異様な痛みに納得したのだろう。フッとため息のような微笑を浮かべて、
「贖罪か……」
そのまま仰向けに倒れた。
胸から血がドクドクと溢れ出ている。指先がヒクヒクと痙攣している。
神父は目を剥いて虚空を睨んだまま……。
目を背けたい光景だけど、目を背けることができない。
やがて神父の首がガックリと横を向いた。
焦点を失った瞳が、わたしの呆けた顔を映し出している。
死んだのかしら?
そう思ったらフッと肩から力が抜けた。
ついでに腰の力が抜けて、その場へへたり込んだ。
ふと握った短刀に目が落ちた。
「ありがとう、サリム」
命の恩人、短刀の持ち主に感謝の言葉を呟いた。
そこでようやく気が付いた。
そうだ、秀一郎さん!
焦燥と自責の念に駆られて振り返ると、地面に倒れたままの秀一郎さんの姿が目に入った。
まさか、あの人まで……。
「秀一郎さん!」
衝かれたように立ち上がって、無理やり希望に縋って一歩踏み出そうとした、そのとき……。
「動くんじゃないよ!」
全身に雷が走った。高鳴る心臓を押さえて背後を顧みた。
彼女だ。
紫礼装が拳銃を構えて立っていた。その瞳に憎しみの炎を宿しながら。
「よくも殺ってくれたねえ。まさか、こんな結末になるなんて。ほんと、さっさと殺しときゃよかったよ」
彼女の視線が神父の遺体を掠めた。
憎悪と悲哀の感情が背中にビンビン突き刺さる。
でもわたしだって……。
俯せの格好で倒れたままの秀一郎さん。アアッ、状況は絶望的だ。
「あなたの目には恋人の遺体しか映らないようね」
背中越しに紫礼装を睨みつけた。
「テロリストってほんと自分勝手なんだから」
彼女も声高に叫んだ。
「ハハッ、なるほどねえ。神父も他人の婚約者殺してるんだ。そこはお互い様ってねえ」
「それがわかっているなら拳銃を下ろしてちょうだい。もう、殺し合いは無意味よ」
「残念だけど、そうはいかないのさ。ご指摘の通り、テロリストっていうのは我が儘なんでねえ。あいつを失った悲しみを癒すには、やっぱ仇討ちが一番さ」
彼女、悲しみとも喜びともつかぬ妙な表情をした。
「それから死んでも遅くはないやね」
やはり駄目みたい。
わたしに残された武器は短刀だけ。これでは拳銃に勝てやしない。
このまま秀一郎さんの後を追うしかないのかしら。だとしたらわたし……。
「ほんと、残念だよ。最初は二人共生かして返すつもりだったんだけど」
紫礼装の親指が撃鉄を起こした。
「あんたとお坊ちゃんを眺めていると、なんか微笑ましくなっちゃって。あたしはねえ、あんたに嫉妬していたのさ」
「嫉妬?」
「あんたらの姿を自分と神父に重ねていたのさ」
彼女の瞳が悲しみに歪んだ。
「でもねえ、それはあたしには掴み切れない夢だったのさ。そして完全に手の届かなくなった……」
彼女の瞳に再び神父の遺体が映る。
「あたしは弟を傷付けた奴を殺りに来たんだけど。気が変わったよ。仇討ちっていうのは、死んだ奴のためにするものさ!」
紫礼装の眉根が吊り上がった。
瞳から涙が溢れ出た。
「さあ、お坊ちゃんがお待ちかねだよ。さっさと天国へ逝っちまいな!」
刹那、渦巻く熱気が強風に煽られ溢流した。
その音に紛れて誰かが叫んだ。
「コニー、これを使え!」
魂の癒される響き。
何度でも繰り返し言ってほしい。それでも聞き飽きることはないのだから。
確信を込めて双眸を見開いた。
やっぱ秀一郎さんだ。秀一郎さんは生きていた!
こうなったら勇気百倍!
片足跳びから思い切り体前へ腕を差し伸べた。
秀一郎さんの愛を受け取るために……。あの人がわたしの命を救うために放り投げたものは、ーー拳銃だった。
これを受け取らなければわたしは死ぬ。かつてオリンピックの選考委員会で、放り投げたリボンを落として失格となったけど、今度失敗したら人生の出場資格を失うのだ。
バキッ!
耳元で銃声が鳴った。紫礼装の放った銃弾が頬を掠めた。
間一髪で命が繋がった。
でも秀一郎さんの放り投げた拳銃はまだ中空で停滞している。遅い、まるでスローモーションのよう。お願い、早く落ちてきてえ~!
精一杯跳んでも飛距離が足りなかった。
自分の衰えた体力を見誤っていたようで。おまけに拳銃の落下地点も見誤った。
このままでは指先三十センチの地点に落下する。
アアッ、オリンピック選考会で仕出かした悪夢が蘇る。拳銃を拾い直している暇はないのだ。
反応したのは頭ではなく身体だった。
ドンと地面に左手をつくと、身体をグイッと前へ押し出した。地面スレスレに差し出した右手に拳銃がスッポリと収まった。そのまま前方へ一回転、万感の想いを込めて拳銃のトリガーを引いた。




