第65話 犠牲祭壇の決闘
白い扉を押し開くと、そこは教会の会堂だった。
予期せぬ光景に、コニーは唖然と佇んだ。
列席した人々の万雷の拍手。いずれの顔も祝福で輝いていた。
そして身廊の中央に敷かれた白い絨毯。これってもしかしてバージンロード?
「さあ、いこうか」
傍らでお父様が呟いた。
「エッ、エッ!?」
慌てて自分の身なりを確かめた。
全身を覆う純白のウエディングドレス。
まさか、まさか、これってわたしと秀一郎さんの結婚式!?
「うん、どうした? 緊張しているのか」
お父様が優しく微笑む。
「いつまでも待たせると、新郎が逃げ出すぞ」
「嫌なお父様! さあ、行きましょう」
お父様にエスコートされて、静々とバージンロードを歩き始めた。
祭壇への道程がやけに長く感じられる。それは両親と歩んだ今までの人生。
お父様との思い出が走馬灯のように蘇る。政治家として多忙であるにも拘わらず、絶えずわたしを陰から支えてくれた。
わたし、今まで散々我がまま言ったけど、今なら素直に謝ることができる。
ゴメンナサイ、そしてアリガトウ。
祭壇の前で立ち止まった。
傍らにはタキシード姿の秀一郎さんが……。
「綺麗だよ」
その一言に精一杯の微笑みで応えた。
老齢の神父さんが祈祷書片手に誓いの儀式を始めた。
「富める時も貧しい時も、健やかなるときも病める時も……」
神父さんが秀一郎さんの方を向いた。
「汝はコニー・エッフェルを妻とするか」
「誓います」
秀一郎さんが力強く宣言した。
ア~、コニー感激!
神父さんが厳かに頷いた。そしてわたしの方を見た。
「汝は新藤秀一郎を夫とするか」
アアッ、感激の余り胸が詰まって言葉が出ない。
早く、早く、返事をしなきゃ……。
口の中がカラカラに乾いて、咽喉が焼け付くように熱い。
焦れば焦るほど言葉がねっとりと舌に絡みつく。
いつまでも返事をしないわたしを見て、とうとう式場内がざわめき始めた。
神父さんも不審に思ったのか、声を潜めると、
「どうなされました?」
「……」
傍らの秀一郎さんに視線で助けを求めた。
でもあの人は冷たい目でわたしを睨んだだけ。
このままでは誠意を疑われた挙句、結婚はご破算になりかねない。
「誓います!」
キッと正面を睨んで大声で怒鳴った。
そのときようやく気付いた。目の前にいる神父さんが先ほどとは別人であることを。
黒い祭服こそ同じだが、ずっと若々しい金縁眼鏡をかけたイケメンの神父に……。
「キャ~!」
自分の悲鳴で目が覚めた。
「お目覚めですか」
神父だ。夢から覚めても神父がいた。
現実は悪夢を超越している。
「どうしたのです? いきなり悲鳴を上げたりして。悪夢でも観ましたか?」
わたしはプイとそっぽを向いた。
言ってることが当たっているだけに腹が立つ。
それにしてもここはどこ?
ぼんやりと辺りに視線を漂わせた。
神父の他に人影はなかった。
遺跡の各所から炎が立ち昇っている。どす黒い煙が風に乗って、わたしの所まで流れてくる。
どうやら遺跡の屋上らしいけど……。
「犠牲祭壇ですよ」
神父がポツリと呟いた。
「早く逃げないと」
立ち上がって神父を睨みつけた。
「こんな所でモタモタしていたら、あなたも煙に巻かれてしまうわ」
中世期以前に造られた遺跡だ。これだけ大規模な火災に見舞われたら、宝物殿全体が崩壊することも考えられる。
神父が冷めた笑みを浮かべた。
「予定ではヘリが待機しているはずですが……。どうやら先に逃げ出したようです」
その微笑に諦観を読み取ったとき、わたしは形勢の逆転を確信した。
「あなた、組織に見捨てられたのね」
神父はわたしの言葉を無視して携帯無線機にがなり立てた。
「おい、誰かいたら返事をしろ」
間もなく耳障りな音と共に、部下の返事が返ってきた。
「はい、こちら戦闘指揮場」
「人質を移送したい。兵を数名派遣してもらいたい」
「それはできません」
「なぜだ?」
神父の押し殺した呟き。
「軍司令部から撤退命令が出ています。早々に要塞を放棄するようにと」
「人質はどうします?」
「それは……、我々の関知しないことでして」
「そうですか」
神父の手から携帯無線機が滑り落ちた。その顔が冷めた微笑に染まってゆく。
「どうやら、あなたの言う通りらしい」
クリシア政府は血の巡礼団との癒着を断ち切ったのだ。
所詮、異教徒の異邦人は捨て駒でしかなかったのだ。
哀れな神父。もう、残っているのは組織の仲間だけ。
「さあ、一緒に来るのです」
神父の差し伸べた手を鋭く弾き返した。そして毅然とした態度で言い放った。
「およしなさい。もう、あなたに逃げ場はないわ」
「でもわたしは殺されるわけにはいかないのです」
神父が悲し気な微笑を浮かべた。
「わたしには崇高な使命があるのです」
「使命?」
「ええ……」
神父が天を仰いだ。その澄んだ瞳に純粋な魂の証を浮かべながら。
「穢れなき幼子に安息を与え、地上から悪魔を追放して御国を招来する。あなたには理解できないでしょうが……」
突然、犠牲祭壇に力強い声が響いた。
「銃を捨てろ」
立ち上がる黒煙を背景に、拳銃を構えて佇む人影。
秀一郎さんだ。秀一郎さんが助けに来てくれた!
勇んで駈け出そうとしたら、不意に腕を掴まれた。
神父がわたしを盾にして銃を構えた。
「銃を捨てるのはあなたの方です。さあ、そこをお退きなさい」
それでも秀一郎さんは動こうとしなかった。
階下へ続く通路の前に立ち塞がったまま、
「一歩でも動いてみろ。おまえの頭を撃ち抜く」
拳銃の狙いを神父の頭に定めた。
その瞬間、神父が動いた。わたしを突き飛ばすと、滑るように右側へ跳んだ。
直後、神父の拳銃が火を噴いた。
バンバンバン!
秀一郎さんも負けちゃいない。神父とは反対の方向へ転がりながら反撃の銃弾を放った。
二人の間で激しい銃撃戦が始まった。
わたしはハラハラしながら闘いを見守るだけ。
先に立ち上がったのは神父だった。片膝立ちの姿勢から、片目を瞑って照準を定める。
神父の瞳に殺意が宿った。
付近に遮蔽物はない。マズい、このままでは狙い撃ちされる! 秀一郎さんが殺される!
それは悲鳴にも似た衝動だった。
咄嗟に神父の腕にしがみ付いた。
うまい具合に拳銃に手をかけると、そのまま腕に押し抱いて思い切り引っ張った。
「離せ!」
神父がわたしの横っ面を思い切り引っ叩いた。
全身に衝撃が走る。意識を失いかけて、それでも歯を食いしばって顔を上げた。
神父が拳銃を構えた。
秀一郎さんも照準を定める。
二人の拳銃が同時に火を噴いた。




