第59話 レナの殺意 セーラの愛
やがて部隊は数本の支柱が天井を支える開けた場所へ出た。裸電球の薄闇の中、隊長は通路の陰でいったん部隊を停止させると、「レナ」と囁いた。
レナ少尉が小走りに走り出す。柱の陰に隠れると、腕を振って後に続くよう合図した。
隊長が進み出て別の柱の陰に身を隠す。
次はわたしの番だ。
スッーと息を吸い込むと、隊長の背中目指して一気にダッシュした。と、そのとき……。
不意にレナ少尉が腕を横に伸ばした。停止の合図だ。
全身に緊張が走る。続いて彼女の親指が下に向けられた。
敵が接近してくる! あ~、どうしよ、どうしよ~。足が竦んで動けない。
ペンライトの光が消えた。真っ暗闇の中、わたしは大広間の中央で立ち往生。と突然、何者かが背後からわたしを押し倒した。
「シッ、騒がないで」
首を捻ると、肩越しにアイリーン大尉の顔が見えた。
ホッと一息。そうして床に身を伏せたまま息を殺して見守っていると、やがて岩壁に反響して、敵の話し声が聞こえてきた。
「だから姉さんは甘いんだ」
アッ、英語だ。
「どうしてあの二人のアムリア兵を殺してしまわなかったの? 生かしておいたら後々面倒だよ」
少年の声だ。どうやら現地兵ではないようだ。
「そりゃ、人質は多いに越したことはないから」
相手は女性だ。なんか言葉遣いが投げやりで、少年の言うことを真面に取り合っていない感じだ。
「なに言ってるんだ。姉さん」
足音が止んだ。まずいよ。なんでこんな所で立ち止まるの?
「五十人もの人質が空港と廃校にいるんだ。それに二人のVIP。これ以上、人質が必要とは思えないよ」
窓から差し込む月影以外に明かりはないので、二人の姿はぼんやりとしか確認できない。
でもそのお陰でわたしたちも見つからずにすんでいるのだけど。
早く行ってと念じていると、再び広間に靴音が響いた。
「姉さん!」
先の人影を追って、もう一つの人影も動いた。
「もしかして同国人に同情してるとか。それで殺すことをためらった」
「だったら、どうだって言うんだい!」
女性の声に苛立ちが滲む。
それでも少年は詰問を止めなかった。
「それって未練がましくない? 祖国を捨てたのにさ」
バシッ! アッ、叩かれた。
「いい加減におし! しつこいと嫌われるよ」
女性の靴音が遠退いてゆく。
「待ってよ、姉さん!」
残された人影が慌てて後を追った。
フ~ッ、どうやら気付かれずにすんだみたい。ほんと、寿命が縮まったよ。
「さあ、行くわよ」
アイリーン大尉が耳元で囁いた。
彼女の好判断がわたしを救ってくれたのだ。感謝!
さあ、急がなきゃ!
アイリーン大尉の後を追おうとして立ち上がりかけた、そのとき、
「危うく見逃すところだったよ」
そんな呟きと共に、首筋にひんやりとした感触がぁ~!
それは鈍い光を放って、わたしの目と心臓を射た。
ナイフだ。それも格闘戦用の大きな奴。
「いけないなぁ、子供の夜遊びは……」
耳元に冷たい吐息が吹きかかる。
さっきの少年の声だ。
「気を付けないと、危ないお兄さんに殺られちゃうよ」
ナイフの刃先がピクリと動いた。
背筋に悪寒が走って、思わず目を閉じた。
刹那、「伏せろ!」
反射的に身を屈めた。
誰かがわたしの頭を跳び越えた。同時に背後から人の気配が消えた。
思わず後ろを振り向く。心臓が凍り付いた。
レナ少尉の握ったナイフから血が滴っている。その切っ先は少年の腹部に突き刺さっていた。
「ナイフを捨てろ」
「……」
少年の顔が苦痛で歪む。滅茶苦茶にナイフを振り回して……、苦し気に腹を押さえて蹲った。
「ヒュー!」
バンバンバン……。
悲鳴と同時に数発の銃声が闇を切り裂いた。
さっきの女性だ。
レナ少尉が柱の陰に隠れるや、拳銃を放り投げて少年の元へ駆け寄った。
「ヒュー、ヒュー」
女性は少年の頭を抱きかかえると、何度も何度もその名を呼び続けた。
思わず目を背けると、その視線の先に拳銃を構えるレナ少尉の姿が。
「やめて!」
必死の叫びにレナ少尉が振り向いた。
わたしは彼女の下へ走り寄った。
「お願い、殺さないで」
「いいのか? おまえを殺そうとした連中だぞ」
怪訝な表情を隠そうともしない。
「そんなこと、どうでもいいです! だからお願い」
レナ少尉がやっと拳銃を下げてくれた。口元に微笑を浮かべると、
「おまえのお陰で調子が狂いっぱなしだ」
「……」
隊長が命令を下した。
「さあ、行くぞ」
わたしたちは足早にその場を後にした。
少年のことが気になって、チラッと後ろを振り返ると、肩越しにこちらを見つめる女性と目が合った。
アアッ、見るんじゃなかった。思わず足が竦んでしまった。
まるで蛇に睨まれた蛙。彼女は怨嗟と悲哀に満ちた眼差しで、わたしたちを射殺そうとしている。
「どうしたの、セーラ?」
アイリーン大尉が振り返った。
「アッ、ハイ」
やっと足が動いてくれた。どうやら蛇女の呪縛を振り切ったみたい。
それにしても嫌なものを見てしまった。なんか夢に見て魘されそう。もしかして一生忘れなかったりして。
「マズいな」
そうよ、マズいわよ。て、それはわたし個人の問題で。
ムター隊長はいったい何がマズいと言うのだろう?
「敵に発見された以上、もはや隠密行動とはいくまい」
アアッ、そういうこと。わたしがドジを踏んだばかりに……。
間もなく敵は要塞内の捜索を始めるに違いない。見つかるのは時間の問題だ。
「敵を攪乱すれば、逃走ルートを確保できるかも」
アイリーン大尉の提案に、隊長が歩みを止めた。
「で、どんな方法だ?」
「火薬庫を爆破するのよ」
アイリーン大尉ったら、顔に似合わぬ過激なことを。
さすがの隊長も呆れ顔で呟いた。
「いいのか? この遺跡は世界遺産だぞ。いくら人質を救出するためとはいえ、それを破壊するというのは……」
「気にしない、気にしない。非難されるべきはクルシア政府よ。世界遺産をテロリストのアジトに提供したんだから」
背に腹は代えられない。
「よし、やってみるか」
隊長もその意見に同意した。
「セーラ!」
アイリーン大尉が叫んだ。
「ダウジングで武器庫を探してちょうだい」
「了解!」
ダウジングは水や鉱物と同じく火薬とも相性が良い。
振り子を垂らすと、すぐに反応が現れた。
「こっちです」
わたしは通路の右手を指さした。
「よし、行くぞ」
隊長は部隊に前進を命じると、
「ついでに武器を調達しておこう。拳銃だけじゃ、少々手元が寂しいからな」
アイリーン大尉が相槌を打った。
「そうそう、これからテロリストとデートするんだから、少しはオシャレしないと」
「相手は大規模な破壊活動で有名なテログループだ。その武器庫ともなれば……」
隊長が舌なめずりした。
「素敵な出会いが期待できるぞ♡」
ウ~ン、この人たち、武器が恋人代わりなんだ。なんか複雑……。
階段を下って五分ほど進んだろうか。やがて振り子はピタリと動かなくなった。
目の前に施錠された鉄製の扉が。
「ここです!」
やったぁ! とうとう武器庫を発見したぞ。




