第57話 和解
「秀一郎さん、秀一郎さん!」
思わず画面に向かって呼びかける。反応はない。どうやら気を失っているようだ。
画面の片隅に録画表示。それでようやくモニターの映像が録画であることに気付く。
「なによ! これはどういうこと?」
訳もわからずに紫礼装に食ってかかる。
頭に中は大パニック! 冷静な判断など望むべくもないが、それでも婚約者が拷問を受けたことがわかる。
いえ、あの悲惨な状況から判断すると、もう、この世にはいないのかも。
そんな、そんな、そんなぁ~。
「テメ~、ぶっ殺す!」と叫んで両手で銃把を握り締める。
「なにパニくってんだい?」
紫礼装は冷静だった。
すかさず人差し指で銃口に蓋をする。この状態でトリガーを引けば拳銃は暴発する。
わたしの指まで吹っ飛んでしまう。
「安心おし。お坊ちゃんならピンピンしてるから。そりゃ半年前の映像だよ」
「エッ、半年前?」
つまり……、ハイジャック事件の前ってこと?
「そうさ。半年前にあたしとお坊ちゃんでSMごっこを楽しんだときの映像だよ」
なんだ、そういうこと……。てっ、なによ、それ~!?
もう頭の中真っ白。全身から力が抜けてトリガーを引く気力すらない。そんなわたしを見て紫礼装は腹を抱えて大笑い。
「ハハハッ……。嘘だよ、嘘……」
えっ、嘘?
「お坊ちゃんに会わせる前に、あんたの誤解を解いておこうと思ってね」
「誤解?」
「SMなんてのは真っ赤な嘘。そりゃ、自白剤を打たれた直後の映像なんだ」
「自白剤!?」
わたしの驚きを他所に紫礼装はパソコンの画面を消した。
「覚えてないかい? 半年前、民主党議員のパーティーでさ、お坊ちゃん、途中で姿を消したろ? ありゃ、あたしが誘い出したんだ。シンドウ重工の企業秘密を聞き出すためにねえ」
あっ、あれ……。秀一郎さん、パーティーの途中でいなくなったから、会場中を探し回ったら、なんのことはない。目撃した人たちの話によると、会場でお知り合いになった女性と仲良く腕を組んで出て行ったとか……。まだ婚約する前のプライベートな付き合いのなかった頃だから、翌日、あの人が朝帰りしたときも、悔しかったけど、咎めだてするわけにもいかず、アアッ、また悪い癖が出たんだなと諦めるしかなかったんだけど……。
フーン、そのときのお相手が紫礼装なんだ。
それまでは行きずりの女性とのプライベートな付き合いはあっても、その関係が一晩を跨ぐことはなかった。噂と違って意外に潔癖な人。そんな好印象を抱いていただけに、裏切られた想いが強かったのも事実。出来れば朝帰りの理由がわたしの想像と違っていればと願ったのだけど、その想いを木っ端微塵に撃ち砕いたのが、ハイジャック機内で教えられた紫礼装と秀一郎さんの浮気話だった。
「それもあたしらの仕組んだ作り話さ」
紫礼装は意地の悪い笑みを浮かべると、
「幸せそうなあんたを見ていたら、ついからかいたくなってねえ。お坊ちゃんは潔白だよ」
「でも秀一郎さんは……」
その浮気話を否定しなかった。
「睡眠薬入りのワインを飲ませたんだ。それから自白剤を使って秘密を聞き出したんだけど、できればあたしらとしても何もなかったことにしておきたいから。それでちょいと小細工してね。眠ってるお坊ちゃんの隣に、あたしが裸で添い寝してあげたのさ」
紫礼装はハハッと笑い声をあげると、
「あんたに見せたかったよ。目覚めたときのお坊ちゃんの顔を……。裸のあたしを見た途端、真っ青な顔して頭を抱え込んじゃったんだから」
「じゃあ、秀一郎さんは……」
やはり、やはり……。
「再会したら教えてやりな。ありゃ思い違いだって」
紫礼装は真顔に戻ると、なぜか気弱そうに目を伏せた。
「ほんと、二人揃って救いようのないバカなんだから」
わたしは心の中で手を合わせた。
秀一郎さん、疑ったりしてゴメンアサイ。
でも喜びとは別の部分で一抹の疑問が残った。
「でもあなた、なぜ本当のことを?」
「フン、決まってんだろ」
紫礼装の顔が急に険しくなった。
「警報装置を作動させるためさ」
彼女、顎先でツンとわたしの背後を指し示した。
「さあ、後ろを見てごらん」
言われるままに後ろを振り向くと、アアッ、しまった! いつの間にやら部屋の入り口に、金髪の少年が拳銃を構えて立っていた。
「クソッ!」
クリスが拳銃を差し向ける。刹那、少年の拳銃が火を噴いて、彼女の拳銃を弾き飛ばした。
直後、少年の背後から、小銃を持った兵士が十名ほど現れた。それを見たリンさんはアッサリと拳銃を投げ捨てた。
「あんたがモニターに見入ってる隙に、警報装置を作動させたのさ」
彼女、わたしから拳銃を取り上げると、勝ち誇った笑みを浮かべて一言。
「ほんと、お嬢様は詰めが甘いんだから」
「詰めが甘いのはお互い様でしょうが」
わたしも負けじと余裕の笑みを浮かべると、
「勝負は最後までわからないわ」
「諦めの悪いお嬢さんだ」
彼女、いきなりわたしの顎先に指をかけると、
「覚悟しときな。アムリア政府が要求を呑むとは限らないんだから。そんときゃ、あんたら二人は仲良くあの世行き。墓の中で添い遂げるしかないんだから」
「それはあなたの方よ!」
彼女の手を払いのけると、
「あの背徳神父と二人揃って地獄巡り。あなた方にはお似合いの新婚旅行よ」
紫礼装の顔が真っ青になった。
わたしの悪口が効いた? 彼女、その程度で傷つく玉とは思えないし。
紫礼装とわたし、とうとう睨み合いの膠着状態。目を逸らしたら負けを認めたような気がして、彼女から視線を外すことができない。
すると金髪君が天使を想わせる澄んだ声で、
「ねえ、そいつ、殺っちゃったら?」
顔に似合わぬ過激な台詞に、思わず金髪君の方を振り向いてしまった。
それは紫礼装も同じ。さきほど奪った拳銃を、わたしの胸元に突き付けると、
「それも悪くはないんだけど……」
なにを想ったのか、いきなり味方であるはずの金髪君へ振り向けた。
「大切な人質を殺しちゃ、神父が困るんでねえ。いいかい、絶対手を出すんじゃないよ」
「神父が困るなら、殺ってみるのも一興かな」
金髪君は拳銃の撃鉄を起こすと、わたしの頭に狙いを定めた。
「悪戯はおやめ。やめないと、お仕置きするよ」
紫礼装は片目をつぶって照門を覗き込んだ。
まさか、仲間割れ!?
「ハハッ、わかったよ」
悪戯がばれた子供のような、そんな照れ笑いを浮かべて、金髪君は親指で静かに撃鉄を下ろした。
「相変わらず冗談が通じないなぁ、姉さんは……」
えっ、姉さん?
思わず二人の顔を見比べてしまった。
なるほど、言われてみれば切れ長の目に薄い唇、卵型の輪郭などに姉弟らしい共通点が認められる。それにしてもこの金髪君、よくよく見ればかなりの美形で。とてもテロリストとは思えない。
「さてと、お嬢様には最高の部屋を用意しなきゃね」
紫礼装は意地の悪い笑みを浮かべて、兵士に命じた。
「連中を地下牢へ案内しな」
ああっ、ついにコハクチョウ壊滅。でもまだ隊長たちのオオハクチョウが健在だ。こうなったら彼女たちに期待するしかない。わたしはともかく、秀一郎さんだけでも救出してくれないかしら?




