第54話 スワン再集結
記憶の混乱が収まるにつれ、次第にリンさんの体重が重く圧し掛かってきた。
彼女、見た目よりもずいぶん重い。
「あの、どいてくださらない?」
「えっ、ええ……」
我に返ったリンさん、慌ててわたしの上から跳び起きた。
でも視線はあの金髪女性に釘付けのまま……。
「信じられない。あたしら、助かったんだ」
その呟きが緊張の糸を断ち切って、緩んだ双眼から涙が溢れ出た。
金髪の女性が端正な足取りで近づいてきた。
鋭い眼差しでわたしを瞥見すると、「あれが保護対象のお嬢さんか?」とリンさんに尋ねた。
「はい」
「そうか、よくやった」
彼女、地面に肩膝をつくと、リンさんの肩を労うように叩いた。
リンさん、感極まったように顔を歪めたけど、涙を拭うとしっかりした足取りで立ち上がった。そして背筋を正して挙礼すると、
「リン・カンザキ、クリスチーネ・リネロ両名。VIPを無事保護いたしました」
「ご苦労」
金髪の女性も立ち上がって答礼した。
この人が噂のムター隊長……。
クリスやリンさんの話によると、まだ二十代の若さにも拘らず、戦功は両手に余るほどあるそうで。その存在は既に陸軍内部で伝説と化しているそうだ。
身にまとった雰囲気はクリスやリンさんとは大違い。本当に頼れる人の登場だ。
どうやらわたし、救われたみたい。
そう思ったら腰から力が抜けて、その場へへたり込んでしまった。
安堵したのは束の間、通路の奥から何やら喚き声が聞こえてきた。
「おい、離せよ、離せったら」
サリムだ。
長身の女性に襟首を掴まれて、引きずられるようにわたしたちの前に連れてこられた。
「ア~、サリム、この野郎!」
クリスが駆けだして、サリムの胸倉に掴みかかった。
「よくも俺らを騙したな、この裏切り者!」
そのまま乱暴に地面へ突き飛ばした。
サリムは無抵抗、言い訳すらしない。伏目がちに地面を見つめている。
やはりクリスの言う通り、わたしたちを裏切ったのだろうか?
「この子は?」
隊長の問いかけに、クリスが、「こいつ、俺らが雇ったガイドなんですがねえ。逃げ道を教えるとか言って、俺らを敵前に誘導しやがったんです」
その言葉に反応して、長身の女性が小銃を構えた。
「フン、テロリストの犬か」
「な、なんてことを!」
サリムを背中へ庇って、長身の女性をキッと睨みつけた。
彼女は眉ひとつ動かさずに、陶器人形のような冷たい表情で一言。
「どけ」
「まさか、殺す気じゃないでしょうね?」
そんな雰囲気を感じ取ったから、わたしも必死だ。
「だったら、どうした? そいつは裏切り者だぞ。生かしておいたら、我々を更に危険な目に」
「やめろ」
隊長が二人の間に割って入った。
「レナ、おまえはもう一度子供殺しをするつもりか」
陶器人形の眉がピクリと動いた。
隊長が厳しい口調で、
「殺すな。これは命令だ」
「了解」
彼女はやっと銃口を下げてくれた。
そこでようやく思い出した。彼女、整備士の格好で旅客機の中へ突入してきた特殊部隊の一員。
ついでに付け加えれば、あの幼い少女、確か超能力者として有名だった。そうだ、友人宅のパーティーで顔を合わせた覚えがある。
傍らでサリムが呟いた。
「俺はテロリストの犬なんかじゃねえ」
不意に涙で濡れた顔を上げた。
「俺ら、誰よりも誇りと名誉を大切にしているんだ。テロリストの犬になるくらいなら、砂漠で野垂れ死にするよ」
思わずサリムの両肩を掴んで揺さぶった。
「じゃあ、なぜ、わたしたちを騙したの」
「じいちゃんが……」
サリムが歯ぎしりして呟く。
「連中が、言うこときかねえと、じいちゃんを殺すって」
押さえていた感情が堰を切って溢れ出た。
サリムがわたしの膝の上で泣き崩れた。
「そういう訳だったの」
サリムの頭を優しく撫でると、キッと長身の女性を睨みつけた。
「どう、わかった? いくら戦争だからって、無暗に人を殺すもんじゃないわ」
陶器人形は無表情のまま。
そんな彼女に一瞥をくれると、一頻り泣いたサリムを立たせて、
「あなたにはずいぶん迷惑をかけたようね。ごめんなさい」
内ポケットから財布を取り出すと、
「これ、約束のお金よ。受け取って」
サリムは堅い表情で受け取りを拒否した。
「受け取れないよ」
「なぜ?」
「俺、まだ約束果たしてねえから」
「いいのよ、そんなこと」
強引に紙幣を握らせると、
「これ、キャンセル料だから。わたしたち、もう、あなたを危険な仕事に巻き込みたくないのよ」
サリムはようやく紙幣をポケットにねじ込んだ。そしてニコッと笑うと、
「さあ、約束だ。遺跡の中へ案内するよ」
どうしよう。どうあっても、わたしたちとの約束を果たす気だ。
わたしは目線でクリスとリンさんに助けを求めた。
クリスが困惑した表情で進み出た。
「よう、俺ら、もうおまえを危険な目に合わせたくねえんだ。おまえだって仕事しねえで金が稼げるんだ。お互い好都合なんだから、なっ、ここは一つ、おとなしく引き下がって……」
サリムの顔から笑顔が消えた。
その真剣な表情に押されて、クリスが口を噤んだ。
「ネエちゃんに頼みがあるんだ。俺に名誉挽回のチャンスをくれよ。このままじゃ、俺、一生、後悔しちまうから」
その黒い瞳の奥に真摯な光が宿った。
「遊牧民はなによりも名誉を重んじるんだ」
「フン、裏切り者のくせに」
陶器人形の低い呟きに、サリムは素早く腰から何かを引き抜いた。
闇に一筋の光が宿った。それは半月形の形をした短刀だった。
同時に陶器人形も銃口をサリムに振り向ける。
でもサリムは引かなかった。短刀の刃先を突き出したまま、ズンと彼女の前へ進み出ると、
「もう、二度とネエちゃんたちを裏切らないよ。このジャンビアに賭けて」
「アッ、あのジャンビア!」
不意に誰かが叫んだ。
あの幼い少女だ。
ロングヘア―の女性の陰から進み出ると、その短刀を繁々と見つめながら、
「この柄の彫刻、間違いないわ。あのおじいさんのよ」
「そうか、おまえが……」
隊長がほほ笑んだ。
サリムは訳も分からずに、ただポカンとしている。それはわたしも同じ。いったい何が起こったのかと、事の成り行きを見守っていると、
「おまえたちは当初の予定通り、あの子に案内してもらえ」
隊長はクリスに対してそう指示を出した。
「そりゃ、構いませんがね」
クリスは渋面を作ってわたしを見ると、
「お荷物は引き取ってもらえるんでしょうね?」
「それもおまえたちに預ける」
隊長の言葉に、誰よりもわたしが驚いた。
だって作戦への参加は、当然のごとく認められるはずないと思っていたから。
クリスだって納得しない。
「でも彼女、VIPですよ。いいんですか? 危険に晒しても」
「仕方あるまい。テロ組織の協力者が大勢いる街に、彼女一人を残してゆくわけにはいかないからな」
「腐れ縁は断ち切れず、か……」
クリスが困ったように頭を掻いた。
「よし、総員、聞け」
隊長の鋭い声が飛んだ。
「これより二つのルートを使って、要塞への侵入を試みる。もし人質を発見したら、速やかに保護して要塞から脱出するように。その際、相手チームの安否は考えずに、人質の保護を最優先だ。いいな?」
全員が挙礼で応える。わたしも遅ればせながら、ぎこちない挙礼で応えた。
さあ、いよいよ敵の本拠地へ突入だ。やっと秀一郎さんに会える!




