第52話 小ハクチョウ 逃走中!
リンさん、片膝付いて着地すると、銃声に負けない大声で、わたしとクリスを一喝した。
「何やってるの! 早く逃げて!」
そりゃわかっているけど。
土地勘のない町よ。どっちへ逃げればいいの!
敵兵が窓から顔を出した。わたしたちの方を指さして、何やら大声で喚いている。
大勢の人がドヤドヤと階段を駆け下りてくる。
リンさんがわたしの手を引いて走り出す。
クリスが後に続いて、背後を振り返りつつ追手の数を確認する。
「リン、二人だ。片付けるぞ」
「了解」
追手を振り切れないとみたのだろう。
角を曲がったところで、建物の陰に身を隠した。
敵兵が勢いよく角から飛び出す。クリスとリンさんの拳銃が続けざまに火を噴いた。
バンバンバン!
二人の敵兵がもんどり打って倒れた。
ホッと息をついたのも束の間、「おい、こっちだ」という叫び声と共に、通路の奥から敵兵が雲霞のごとく沸き上がった。
「チッ!」
クリスが舌打ちして走り出した。その後をわたし、リンさん。
いい加減、息が上がりそう。元新体操の選手といっても、現役を離れて久しい上に、長い軟禁生活で体力がすっかり落ちている。あと百ヤードも走ったら、なんか膝から崩れ落ちそうで。って、なんで、本当に崩れ落ちるのよ!
地面の窪みに足を取られた。物の見事に転倒してしまった。
おまけに足を挫く始末。
アアッ、なんてツイてないの!
リンさんが咄嗟に手を差し伸べて、わたしを助け起こそうとする。
でも足が痛くて起き上がることができない。追手が急速に接近してくる。
「わたしのことはいいから! 早く逃げて!」
「バッキャロ~!」
クリスが怒鳴った。わたしの胸倉を掴み上げると、「おい、なに諦めてんだよ! 捕まったら、二度と秀一郎に会えなくなるんだぞ!」
そうだ、秀一郎さん! あの人に会いたい一心で、わたしは今まで頑張ってきたんだ。
ここで諦めたらあの人への想いは嘘になる。
クリスの手を振り払うと、痛みを耐えて立ち上がった。
「よーし、その意気だ!」
クリスが力強く頷いた。
「走れる?」
リンさんの問いかけに硬い表情で頷く。
でもいざ走ろうとすると、足を引きずる感じになって。
「クソッ、仕方ねえか!」
クリスが焦れたように呟いた。そしていきなりわたしの身体を抱え上げた。
「なっ、なにを!?」
わたしの都合などお構いなし。
彼女、背後を振り向くと、「おい、リン。援護しろ」
「あいよ~っと!」リンさんもアッサリ同意した。
クリスがわたしを肩に担いで走り出した。
なんて恥ずかしい格好なの!
「やめて!」と叫んでも、二人は歩速を緩めない。
必死で逃げるわたしたちを追いかけるように、弾丸がピュンピュン飛んでくる。
路地の角に滑り込んで追手をやり過ごすと、今度は別の路地から新手の敵が現れる。
すかさずリンさんが拳銃を撃って、追手の追撃を牽制する。
その間に、「おい、こっちだ」クリスが別の路地へ駆け込む。
怪我をしたわたしを肩に担いでいるので、逃げるチャンスはドンドン狭まってゆく。
「ごめんなさい」
蚊の鳴くような小さな声。
明らかにわたしが足手まといになっている。
「ほんと、おめえが軽くて助かったぜ」
クリスが笑った。
迷路のように張り巡らされた通路を、あっちをウロウロ、こっちをウロウロ……。敵の包囲網を脱出することができない。それどころか包囲網はドンドン狭まってゆく感じで。街角を曲がると敵兵に遭遇、なんて機会が増えてきた。
「マズいな」
クリスの押し殺した声に、思わず背筋が凍り付いた。
逃げ込んだ先は狭い路地裏のような場所。通路の両側を抑え込まれたら、もう逃げ道はない。
「どうするつもりなの? こんな所へ逃げ込んだりして」
クリスがわたいを肩から降ろすと、「安心しな。まだ逃げ道は……」
突然、彼女は銃口を闇の一角へ振り向けた。
少し遅れてリンさん。
最後にわたしの首がゆっくりと二人と同じ方向を向いた。目を凝らしてよ~く見ると、そこにはジッと佇む人影が。
ヤダッ、敵!?
「なんだ、おめーか」
クリスが拳銃を下げた。
闇の中から出てきたのは案内人のサリムだった。
「なによ! 今頃現れたりして」
脅かされた仕返しに、語気を強めて文句を言った。
サリムが浮かない顔して、「ごめん。宿へ行ったら、周りを兵隊が取り囲んでいたから」
それで来れなかったってわけ。なら仕方ないわ。でも、なぜこんな所に?
不意にサリムが呟いた。
「ねえちゃん、追われてんだろ? 抜け道へ案内するよ」
「えっ、ほんと?」
思わず問い返した。
サリムがいつものヤンチャな笑顔に戻った。
「当然さ。俺、ガイドなんだぜ」ちょっと小さな声で、「町一番の……」
「よし、案内しろ」
クリスがきつい調子で促した。
「えっ、うん。わかった」
なんとなく歯切れの悪い返事で、最初に出会ったときの印象とは妙な違和感を覚える。
どうしたの、なんか心ここにあらずって感じで。
ともかくグズグズしている暇はない。サリムを先頭に、クリス、わたし、リンさんの順で走り始めた。
「こっちだよ」
サリムが導いた通路は建物の壁と壁との透き間。人一人が通り抜けられる程度の幅で、通路というよりは、なんか猫の通り道みたいで。
「おい、他にマシな道はねえのかよ」
クリスが文句を言うのも無理はないけど。
「なに言ってるの。敵に見つからないだけマシでしょうが」
わたしはサリムを庇った。
クリスが後ろを振り向いた。
「もし敵に見つかったら、こんな狭い路地、逃げようがねえだろ」
「でも他に通路はないのよ。仕方ないでしょう」
「フン、これだから素人は」
クリスの捨て台詞。なんか気になる言い草だ。
わたしの性分としては、その言葉の意味をハッキリさせておきたい。
「なにが素人よ」
「テメエ、気付かなかったのかよ? 窓があったろうが、窓がよ」
「えっ、窓?」
そんなもん、あったっけ?
記憶を辿ろうとして、ふと立ち止まると、クリスが慌てて振り向いた。
「おい、止まるな」
命令口調、気に入らない。
背後でリンさんが叫んだ。
「さあ、行って!」
仕方なく走り始める。
クリスが傍らを並走する。
「この町の建物にはなぜか一階に窓がねえ。でもよ、塀に昇りゃあ、二階の窓から侵入できるんだ。そこから逃げられんだろうが」
そうか、わたし、上の方まで目が届かなかったから。でもこの人たち、もし敵に追い詰められたら、民家に侵入する気だったのかしら?
「もしかして、それって家宅侵入……」
「はあ、今なんてった?」
「だから家宅侵入……」
クリスが思わず立ち止まった。
「ハハッ、さすがは上流階級のお嬢様だ。冗談きついぜ」
そして再び走り出す。
「確かにお説の通りさ。でもよ、殺されるよりはマシだろ?」
まあ、お説ご尤もではあるけど。
クリスの呆れた視線が癇に障る。
わたしはサリムに話しかけた。
「ねえ、サリム。なぜここの建物には一階に窓がないの?」
「昔、ここが城塞都市だった頃の名残さ。一階に窓があると敵に侵入されやすいだろ」
「あの、敵って、泥棒さん?」
「異民族さ。昔、この町は何度も外敵に襲われたんだ」
「フーン、さすがはサリム。あなた、この町のことは何でも知ってるのね」
「そりゃあね。俺、町一番のガイドだから」
サリムが振り返った。
あら、どうしたの?
ちょっと気になる表情だ。その澄んだ瞳に涙が滲んで見えたのは、目の錯覚だろうか?
突然、目の前の視界が開けた。
細い路地を抜けて、ようやく町の広場のような場所へ出ることができた。
さて、これからどこへ行ったらよいのやら。
「サリム……」
あら? 広場のどこを探しても、サリムの姿は見当たらない。
いったい、どこへ消えたの?
「サリム、サリム!」
ふと悪い予感が脳裏を過った。
その瞬間、
「よーし、全員、武器を捨てろ」




