第51話 夜襲
イライライライラ、イライライライラ……。
同じ場所を行ったり来たり。そうして時間だけが無為に過ぎてゆく。
でもサリムは現れない。
一分、二分、三分、四分、五分……。
ふと立ち止まって腕時計に目を落とす。
長針の位置を分刻みに確認しているうちに、約束の時刻を三十分もオーバーしてしまった。
それでもサリムは現れない。あれほど堅く約束したのに。
子供に頼んだことが間違いだったんだろうか?
安宿の一室でガイドのサリムを待つこと三十分。
コニーは未だ開かれぬドアを見つめて落胆のため息をついた。
ドアの傍らでは、クリスが息を殺して佇んでいた。
双眼を閉じて、薄闇に意識を研ぎ澄ましながら。
組んだ両腕の透き間から拳銃が顔を覗かせている。
月明りが射しこむ窓辺では、リンさんが外の様子を伺っていた。
なぜか彼女の眼差しは地上ではなく、夜空へと向けられていた。
なんか月に憑かれた感じで、ただぼんやりと……。それもお気に入りの流行歌らしき鼻歌を交えながら。
なんか不安。
苛立ちに不安が相乗して、またまた同じ場所を行ったり来たり。
クリスが押し殺した声で呟いた。
「コニー、落ち着け」
そう言われても、足が勝手に動くのだから仕方ない。
いっそのこと、このまま部屋を飛び出して、秀一郎さんを助けに行こうか。
内心の焦りをクリスに見透かされた?
「おめえが焦っても仕方ねえんだ。今はガキが来るのを待つしかねえだろ?」
それはわかってるけど。頭では理解できても心では理解できないこともある。
「でも肝心のガキが来ないじゃないの」
まったく、サリムのやつ、今頃どこで何をしているのやら。
こうなったら、案内人なしで要塞に突入することを考えなければ。
「いいこと? あと一〇分経ってもサリムが来なければ、わたしたちだけで秀一郎さんを救いに行くわよ」
「おい、無茶言うんじゃねえよ」
クリスが怒鳴った。
「あのガキがいなきゃ、秘密の通路はわかんねえんだ。それでどうやって要塞へ忍び込もうっていうんだ?」
「別に秘密の通路だけが入り口じゃないわ」
わたしも必死に怒鳴り返した。
「要塞っていっても、太古の遺跡を利用したものよ。あなた方プロなんでしょ。どこからでも侵入できる……」
「フン、言ってくれるぜ」
クリスは顔を顰めた。
「サリムが言ってたろ。あそこにゃ大勢の兵士がいるんだ。下手に飛び込んでみろよ。それこそ……、ええと、リン。なんてった?」
「飛んで火に入る夏の虫」
「そう、それよ。秀一郎を助ける前に、俺らがハチの巣にされちまう」
「じゃあ、サリムが来なかったら計画は中止?」
まさか、そんなこと許さないわよ~。といきり立ってみたものの、相手は曲がりなりにも軍人。恫喝など通用するわけもなく、クリスは涼し気な表情で、「そんときゃ、別の方法を考えるまでさ」ときたもんだ。
「そんなぁ!」
思わず椅子から立ち上がった。
「それじゃあ、秀一郎さんは」
クリスがわたしを睨んだ。
「あと三十分だ。それであのガキが来なきゃ……」
「そのときは?」
「計画は明日に順延だ」
ニッコリ笑って言い切りやがった。
クソッ、人事だと思って。
テーブルに突っ伏して嘆いた。それもこれもサリムが約束を破るからいけないんだ。ああ、あんなガキに頼まなきゃよかった。
フンフンフ~ン……。
不意にリンさんの鼻歌が止んだ。
えっ、なに?
振り返ると、彼女が閂状の鍵を外したのか、窓が音もなく開いて生暖かい外気を招き入れた。
クリスが拳銃の安全装置に指をかけた。
リンさんが滑るようにドアの左側、クリスの反対側に張り付いた。その右手にはやはり拳銃が握られていた。
わたしもようやく気付いた。
大変、敵襲だ!
内ポケットから拳銃を取り出して構える。そのままの格好でドアの正面で仁王立ちしていると、クリスが、「おい、そんなところに突っ立ってねえで、俺っちの後ろに隠れてろ」
その言葉に素直に従うと、「サリムかもしれねえからな。いいか、無暗に撃つんじゃねえぞ」
「わかった」
緊張感を伴った数秒間って、けっこう長い。そこに沈黙を相乗すれば部屋の中は酸欠状態。でも息を深く吸い込めば、その音が敵に聴こえてしまいそうで。だからほとんど息を止めた状態で、ともかく沈黙を守り通す。
リンさんが沈黙を破った。
「敵よ」
クリスが無言で頷く。
ほぼ同時に、わたしの耳にも階段を昇る複数の足音が届いた。
部屋の前で立ち止まった。何者かがアラビア語で叫んだ。
ドドドドドッ!
耳をつんざく銃声と共に、数多の銃弾が木製のドアを打ち破った。
反射的に耳を塞いで目を閉じる。
次の瞬間、人の踏み込む足音と、それを掻き消す二発の銃声。
何かがドサッと床に倒れた。
立て続けに銃声が鳴り響いて、小さな呻き声と、またまた何かが階段を転げ落ちる激しい音。
恐る恐る目を見開くと、床には血に染まった二人のクルシア兵の遺体が。
クリスが思い切りわたしの腕を引っ張った。
「逃げるぞ」
えっ、逃げるって、どこから?
瞬間、わたしの身体はスウッと窓枠を飛び越えた。そのまま地面へ急降下。眼前に、それはそれは堅そうな地面が迫ってくる。
これでもわたしは元新体操の選手。ここでバランスを崩して、みっともない着地をしたら、クリスにバカにされてしまう。そんなことわたしのプライドが許さない!
ちょいと窓から飛び出す勢いが強かったようで、空中でバランスを崩しかけたけど、なんとか体勢を立て直して無事着地に成功した。
それにしてもつくづく思う。身体に染み込んだ習性は消しようがないって。こんなときですら芸術点で満点を貰えそうな、片足立ちのバランスを決めているのだから。
「おめえ、なにやってんだ?」
クリスが訝しがるのも無理はない。自分ですらバカに思えるのだから。
「あの、これはねえ……」
言い訳する間もなく、再び数多の銃声が夜の静寂を打ち破った。その強烈なリズムをバックに、リンさんが窓から身を踊らせた。




