第48話 イザベラ&マリエンバード 二人の肖像 その2
あたしは化粧室へ入ると、ドレスを脱ぎ捨てて、あらかじめ用意したスーツとタイトスカートに着替えた。
これであたしも立派な議員秘書。あとは神父と合流して、人知れず車でずらかるだけ。
化粧室を出ると、何食わぬ顔をして、玄関へ向かって歩き始めた。
時が経つにつれ、通路では人の往来が激しくなってゆく。
あるいはマッキンタイア―の死が発覚したのかもしれない。
でもここで慌てたら、却って他人に怪しまれるってねえ。
高鳴る心臓を押さえながら、澄まし顔でようやく玄関口までやってきた。
そのとき、「そこの方、ちょっと」
すれ違いざま、守衛に呼び止められた。
一瞬、足が止まりそうになった。それでも聞こえない振りして、なおも歩いて行こうとすると、
「お待ちください」
あたしの肩に男の厳つい手がかかった。
まさか、変装がバレた?
精一杯の笑顔を装って振り返ると、守衛は警棒で床の上を指し示した。そこには血塗られた足跡がペタペタと足元まで続いていた。
しまった! さっき守衛を射殺したとき、気付かずに血だまりを踏んじまったんだ。
守衛はあたしの胸に警棒を突き付けると、「さあ、保安室までご同行願いましょうか」
咄嗟にタイトスカートを捲り上げた。でもレッグホルスターの拳銃に手が届く前に、警棒で左腕を強かに殴られた。
激痛に腕を押さえて蹲った。警棒に流れる高圧電流が、あたしの身体を麻痺させる。
立ちどころに、駆け付けた二名の守衛に取り押さえられた。
チクショウ、初の大仕事でとんだドジ踏んじまった。
と突然、あたしを取り押さえた守衛たちが、小さく呻くや相次いで床に倒れた。
大量の血筋が床の上を流れてゆく。
わけもわからずに唖然と顔を上げた。そこには拳銃を構えた神父の姿が……。
キャッ! 若い女性の悲鳴と共に、周囲の人垣がドッと崩れた。
「さあ、逃げましょう」
神父はあたしの手を引くと、玄関口とは反対の方向へ走り始めた。
あたしは後ろ髪を引かれるように、玄関口を振り返った。
神父が呟いた。
「もう、あそこから脱出するのは不可能でしょう」
向かった先はエレベーターフロアー。
運よく開いていたエレベーターに飛び乗ると、神父は手早く最上階のボタンを押した。そして腰のベルトから携帯無線機を取り出すと、
「ボルボ、予定変更です。ヘリを議事堂上空へ回してください」
神父が通信を切ると、あたしは待ち兼ねたように口を開いた。
「すまないねえ。あたしがドジを踏んだばかりに」
「なに、構いませんよ」
神父は笑みを浮かべると、
「お陰でつまらない仕事が面白くなりましたから」
フン、言ってくれるじゃない。
あたしは神父の胸に寄り添った。神父は敢えて拒もうとはしなかった。
でも至福の時間は長くは続かなかった。
エレベーターは愛の囁きを許す間もなく、アッという間に最上階へ到着した。
そうなりゃ、おちおち恋愛ゲームなんかに浸っちゃいられないってね。
「さあ、行きましょう」
神父は誰もいない廊下を、あたしの手を引いてズンズン進んでゆく。
着いた先は議員が休憩等で利用するバルコニー。
神父は仕切りガラスの鍵を拳銃で撃ち抜くと、扉を左右に開いて、
「レディ、さあ、どうぞ」
腰を屈めて、あたしを招き入れた。
「余裕だねえ。いいのかい? こんな所で寛いでも」
椅子に腰かけると、白い丸テーブルを挟んで神父と向かい合った。
「仕方ありませんよ。どうせ下へは逃げられないのですから」
神父は呆れ顔で肩を竦めると、
「こんな状況でなければ、コーヒーでも注文して、午後のひと時をあなたと共に寛ぎたかったのですが」
そんな神父の姿を眺めていると、自然と笑みが零れてくる。
なんか窮地に追い込まれたことを忘れそうで。
さすがは元神父。きっと人徳なんだねえ。
そのとき廊下をドヤドヤと大勢の連中の走る足音が。
守衛だ。とうとう来やがった。
人数は約十名ってところ。各々、拳銃を構えて、あたしらを怖い顔して睨みつけた。
「銃を捨てろ!」
責任者らしき年配の守衛が叫んだ。
チッ、いい雰囲気が台無しじゃないか!
あたしは腹立ち紛れにスカートの中の拳銃を握り締めた。
神父が無言でその手を押さえ付けた。
あたしは呆気に取られて神父を見た。
神父は厳かに首を振って、あたしの拳銃を床へ放り投げた。
守衛は硬い表情を崩さない。
拳銃を神父に向けたまま、「さあ、おまえもだ。早く銃を捨てろ」
神父は言われるままに拳銃を投げ捨てた。
刹那、緊迫した空気の中に,スッと弛緩した空気が流れ込んだ。
ドドドドドッ……。
咄嗟に頭を抱えてしゃがみ込んだ。
突然、ミニガンの連射音がして、守衛たちは次々に薙ぎ倒された。
連射音はすぐに止んだ。
恐る恐る顔を上げると、辺り一面血の海。ほとんどの者が即死。辛うじて生きている者も、倒れたまま苦し気に呻いている。
「さあ、お立ちなさい」
神父が胸前で十字を切ると、あたしに立ち上がるよう促した。
二人して夜空を仰ぎ見た。
ローターの風切り音と共に、上空から一機のヘリが舞い降りた。
なんだ、そういうこと……。
空中でホバリングしたヘリの操縦席から、一本の縄梯子が下ろされた。
ヒューが操縦席から身を乗り出して、早く昇るよう、しきりに手で合図する。
「さあ」
神父に促されて縄梯子に手をかけた。
市警の連中がようやくバルコニーに姿を現した。
神父も縄梯子に手をかけると、「諸君、さらばだ」
サッと手を振ると、ヘリはあたしらをぶら下げたまま、スーッと夜空へ舞い上がった。
どうやら生き延びたみたい。
あたしは縄梯子を握ったまま、ぼんやりと地上の夜景を眺めていた。
街の光は、まるであたしらの勝利を祝福しているかのよう。
傍らで神父が囁いた。
「なかなか美しい眺めじゃありませんか。祖国も捨てたもんじゃありません」
ほんと、綺麗な眺めだこと。恋人同士にゃ最高のデートコースさ。
肩が小刻みに震えている。
神父があたしを抱き寄せた。
「よく見ておきなさい。クルシアへ行ったら、懐かしく思い出される光景となるでしょうから」




