第41話 追撃戦 スワンの反撃!
あたしがテロリストになったのは、あいつに惹かれたから。ただそれだけ。
連中がよく口にする命賭けの大義なんて、これっぽっちもありゃしない。
給料は安い。着るもんもない。食べもんもない。おまけに遊ぶ場所までないときた。
あいつと一緒じゃなきゃ、こんな後進国、とっくの昔におさらばしてるよ。
でもこれって命懸けの恋なんだよねえ。
テロリストになってから、あいつと二人、仲良くお手々つないで何度も死線を潜り抜けてきた。
あいつと出会わなきゃ、今頃は金持ちの愛人に収まって、楽な暮らしが出来たんだろうに。
ほんと、おかしくって涙が出ちゃうよ。
イザベラは帽子のつばを目深に下げると、その透き間からルームミラーを覗き見た。
そこに映る人影に密かな同情を禁じ得ない。あたしらの大切な人質、新藤秀一郎だ。
あのお坊ちゃんも、命懸けの恋ってやつに身を窶しているんだねえ。
それもあたしらのせいで。死ぬも生きるも、アムリア側の態度一つで決まっちまうんだから。
気の毒とは思うけど、こっちにだって都合があるんだ。仕方ないやね、でも……。
イザベラの目が険しくなった。
ルームミラーの中で仲良く寄り添う二つの影。お坊ちゃんとあの女秘書だ。
反射的に顔を背けたのは、どう足掻いても、その幻影が自分のものにはならないから。
そんな気がするんだ。あたしら、テロリストだもんねえ。ジェラシーってね、ほんと、憎いくらいにヤケちゃうよ。
もう一度だけ、ーー交渉の結果がどうなるにせよーー二人を合わせてあげなきゃね。それが恋する女テロリストの慈悲ってもんさ。
コニー・エッフェルって言ったっけ、あの女。一体、どこへ消えたのか?
ただ一つだけハッキリしていることがある。あの女はまだ国内にいる。
女の直感ってやつが囁くんだ。婚約者を救出するまでは逃げ出さないって。
あの女とあたしの中には同質の感情がある。だから再びあたしの前に現れる。
そのときはどちらかが死ぬとき、……なんてね。
イザベルは自身の予感に苦笑した。そのとき、
うん? あれは……。
ルームミラーの隅に映る不審な車影。どうやら軍用車両のようだけど。
「おい、ありゃ、なんだい?」
背後を振り向きつつ、傍らの運転手にそう尋ねると、
「ランドローバーですね」と呑気な返事。危機意識がまるでない。
そんなこたぁ、見りゃわかるよ! と怒鳴ったところで仕方ない。後進国では一事が万事、この調子。一緒に行動していると、戦闘の素人のあたしですら不安を覚えることがある。
「なんか付けられているようだけど」
なおも不安を口にすると、
「じゃあ、きっと軍が護衛を派遣してくれたんでしょ」
どうしてこうも楽天的な考え方しか出来ないんだろ?
「そうかい、なら、いいんだけどね」
それでも気になるのが、あたしの性分なんだろうねえ。
漠然とした不安に促されて、ルームミラーを瞥見すると、ーークソッ、だから言ったろうがぁ!
後続車の助手席から、銃を構えた女が立ち上がった。
やはり来やがった! あいつら、アムリアの特殊部隊だ。
窓を開けると、上半身を乗り出すように拳銃を差し出した。
彼我の距離は二十ヤード。
狙って当たれば苦労しないよ。そんな独り言を呟きながら、盲滅法、拳銃を乱射する。
その様子を見て、後部座席の護衛の兵士も、ようやく窓から小銃を差し向けた。
銃弾の雨霰。ーーでも相手は恐れることなく、不動の姿勢で拳銃を構えている。
一発くらい当たってもよさそうなのに、なぜ当たらないんだよ!
苛々しながら空になった弾倉を放り出す。新しい弾倉を装填しようとして、ふと手が止まった。
そうだ、あの女……。
走馬灯のように脳裏に閃いた女の面影。あいつだ、整備士を装ってハイジャック機に突入してきた……。
ヒューが言ってたっけ。あんなに腕の立つ相手は初めてだって。
刹那、背中に悪寒が走った。
あたしと三人の兵士だけじゃ、とてもじゃないが勝てやしない。こんなことなら弟だけでも連れて来るんだった。
「もっとスピードは出ないのかい?」
あたしが苛立ち紛れに叫ぶと、
「無理です! これが精一杯です!」と運転手の絶望的な返事。
メーターの針は百キロ手前で止まったまま。
こうなりゃ逃げるしかないんだけど。生憎、こっちは中古のBMW。スピードなんか出やしない。
「クソッ!」
悪態ついでに、運転手の足の上から思い切りアクセルを踏み付けた。
ギャアという悲鳴と共に、メーターの針が軽く百キロをオーバーした。
ハハ、物は試しって言うけれど。やってみるもんだねえ。
そう思ったのも束の間、バンという破裂音がして急に車が蛇行し始めた。
しまった! タイヤを撃ち抜かれた。
瞬間、身体が急激に左へ流れた。
車が路肩から飛び出した。
そう思った直後、窓に映る風景が一転してひっくり返った。
強烈な衝撃と共に、目の前が真っ暗になった。
アイタッ……。
全身に激痛を感じながら目を見開くと、フロントガラスの向こうに逆さまになった風解が見えた。
傍らの運転手は既に首の骨を折って事切れていた。
後部座席に目をやろうにも、シートの背もたれが邪魔をして首を回すことが出来ない。
ともかく、ここから這い出さなきゃ。
そろそろと身体を動かしてみる。幸いなことに大したケガはないようだ。
ガラスの割れた窓から、ようやく上半身を覗かせた。すると五十ヤード向こうに、停車したランドローバーから二人の女が下車するのが見えた。
向こうもあたしの姿を視認したのだろう。
「おい、お坊ちゃんはその中か?」
片割れの金髪女が、そう言いながら小銃を構えた。
助けを求めて視線を左右に走らせる。護衛の兵は既に射殺されていた。車から這い出したところを狙い撃ちされたようだ。
仕方ないか。こうなりゃ自棄だ。
「自分の目で確かめてみな。生きてりゃお慰みってねえ」
ほんと、派手にやってくれちゃって。もしお坊ちゃんが死んでたとしても、あたしのせいじゃないからね。って、あたし、誰に言い訳してんだろ?
「おい、レナ。お坊ちゃんを救出して差し上げろ」
「了解」
レナという黒髪の女が、金髪の命令を受けて走り出した。
そのときキィーンという音がして、突然、鋭い金属音と共に、金髪が咄嗟に身体を伏せた。




