表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
対テロ特殊部隊スワン 血の巡礼団を壊滅せよ  作者: 風まかせ三十郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/77

第40話 イザベラの肖像

 意外だねえ、まさか中東くんだりまで来て、雪が拝めるなんて。

 お陰で思い出しちゃったよ。あいつと初めて出会ったときのことを。

 

 イザベラ・グローリックはため息をつくと、再び遠景に視線を戻した。

 クルシア北部に盤踞するシェネラ山。その頂を白く染めた積雪は、彼女の胸裏に久しく忘れていた心象風景を蘇らせた。


 そういゃ、あの日も雪が降っていたっけ。早いもんだ。あれから三年が経つ。


 その日、あたしは珍しく夜の街角に立った。

 まだ宵の口だというのに、人通りは絶え、同業者の姿も見当たらない。

”紫のバラ”と呼ばれる高級娼婦には不釣り合いな場所だけど、それでも立たずにはいられなかった。

 

 雪の降る寒い夜に、何を好き好んで。


 あたしは灰色の空へ自答自問した。


 火照った頭を冷やすにはちょうどいいのさ。


 今夜はもう娼館へ出勤する気がしなかった。

 理由は弟との姉弟喧嘩。

 あいつ、ガキの分際であたしの商売にケチつけやがった。


「姉さん、そんな仕事、もう辞めてくれ!」


 とうとうバレちまった。

 今まで隠してきたけど、やはり十四歳にもなると気付くんだねえ。

 あたしが男に身体を売ってるってこと。

 そりゃ、あたしだって好き好んでやってるわけじゃないけど、弟の学費を稼ぐためには仕方ないんだ。

 頭のいい弟が望んだ将来の夢は一流大学の医学部だった。お陰で金のかかること、かかること。

 支給される奨学金だけじゃ、とてもじゃないけどやっていけない。

 弟も高い学費を心配して、医学部への進学を諦めようとしたのだけど、


「お金のことなら心配しなくていいよ」


 そう言って、あたしが進学するよう説得したんだ。

 死んだ両親の願いを実現させるために。

 そして何よりも弟の希望する将来を実現するために。

 

 親の遺産だと言って見せた通帳には、医学生として十分にやっていけるだけの金額が記載されていた。

 それでようやく弟も納得したのだけど。

 実は親の遺産なんて一セントも残っちゃいなかった。それは全額、あたしが自分の身体で稼いだお金だった。

 両親が事故死したとき、既に病院の経営は火の車だったと、後になって管財人が教えてくれた。

 下町で医院を開業したのが運の尽き。貧乏人相手の商売じゃ、ろくな稼ぎになりゃしない。

 経営内容はむしろ無料奉仕に近かったらしく、未払い分の治療費を回収すれば、借金は十分返済できたそうだ。

 父は家族を犠牲にして、貧乏人から感謝された人。でもそれだけだった。

 両親の葬儀に参列した患者たちは、惜別の言葉は述べても、未払い分の治療費を払おうとはしなかった。

 つまりあたしたちに残されたのは借金だけ。相続権を放棄することで、そちらの方は片付いたけど、あたしらだって無一文。着の身着のままでアパートから追い出された。

 そのときあたしは十八歳。そして弟は十歳。まだ小学生だった。

 あんときゃ途方に暮れたけど、それでもどうにか二人でやってきた。

 娼婦になったのも、そのうちお金が必要になると思ったから。

 弟の優秀な成績と、将来医者になりたいという希望を知った時、あたしは決意した。

 きっと弟を医者にしてみせるって。それには先立つものが必要だから、あたしはバカでも楽して稼げる商売を選んだってわけ。

 それなのにヒューったら、人の苦労も知らないで!

 

 ふと夜空を見上げたら、帽子のつばから雪が零れた。

 辺りは一面の銀世界。なんだか身体が冷えてきた。

 ほんと、冷え性には堪えるねえ。

 それでも家に帰る気がしなかった。弟とケンカした後じゃあ、顔を合わせるのが気まずくって。

 こんな夜は商売抜きで男と寝るに限る。いい歳したスケベ爺とばかりじゃ、いい加減、身体と感情を持て余してしまう。

 それにしても寂しい場所だねえ。

 もう三十分も近くも佇んでいるのに通行人は数えるほど。

 誰も声なんかかけちゃくれない。

 そもそもこんな貧乏臭い通りに立っているのが間違いだった。

 絶世の美女をただで抱けるチャンスなのに、ほんと、もったいない話。

 仕方ない。今夜はホテルで淋しく一人寝ってね。

 そのとき目端に入ったんだ。あたし好みのいい男が。

 歳は三十前後。やつれた面長の顔に金縁眼鏡がよく似合う。その知的で繊細な風貌は、どことなく弟を想起させた。

 あたしはためらうことなく声をかけた。

 

「どう、あたしと遊んでかない?」

 

 男は立ち止まってあたしを見た。その拍子にロングコートの裾がはだけて、中に着込んだ服が見えた。それは聖職者の黒い祭服(キャソット)だった。


「あら、ごめんなさい。神父さんとは思わなかったから」


 とんだ相手に声かけちまった。あの連中は女を必要としないから。

 あたしらの商売に難癖つけて、すぐに説教垂れやがるし。ほんと、嫌な連中だよ。

 なにか言われる前に退散しなきゃ。

 あたしは愛想笑いを浮かべて、足早にその場を立ち去ろうとした。

 

「お待ちなさい」


 ほ~ら、来た。お得意の愛と慈悲の洪水だ。

 こっちは酸いも甘いも噛み分けた大人なんだから、今更神父の甘ったるい説教なんて聞く耳持たないよ。

 聞こえないふりして、さっさとその場から離れようとすると、


「いくらですか?」


 えっ、なんだって?


 あたしは思わず立ち止まった。

 だって神父様ともあろうお方が、そこいらの下種な男と同じセリフを吐いたんだから。


「いくらですか?」

「あんた、あたしが何を言ってるのか知ってるんだろうね?」


 あたしは念のため確認した。


「花や詩集を売ってるわけじゃないんだよ」

「ええ、それくらいは理解しているつもりです」


 どうやら冗談ではなさそうだ。それにしても……。


「いいのかい? あんた、神父なんだろ? 神様の教えに背くんじゃないのかい?」

「それなら心配には及びません。わたしはとうの昔に破門されましたから」

「じゃあ、その服は?」

「他に着るものがなかったのです」


 神父の顔に陰が射した。


「今日、軍刑務所から出てきたばかりなので」

「へえ、刑務所ねえ」


 いったい何を仕出かしたのか。見た目は善良そうな人だけど。

 あたしはチョイとばかり興味を持った。


「神父さんにしちゃ、おもしろい話をするじゃないか。どう、続きを聞かせてくれる? その辺のホテルでさ」

「それは構いませんが、何分、出所したばかりなので、その、料金の方は?」


 ふっ、つまらないこと気にしちゃって。


「ただってのは、どう?」

「……」

「あたしだってたまには商売抜きで男と肌を合わせたくなるのさ」


 なんか、お寒い台詞だねえ。


「特に雪の降る寒い夜は」

 

 ほんと、お寒いったらありゃしない。

 眼を逸らしたのは気恥ずかしいさを感じたから。とうの昔に失った恋人気分が蘇った感じで。だからベットの中でも気安く相手のプライバシーに踏み込めたのかもしれない。


「ふーん、あんた、初めてだったんだ?」


 商売っ気があったら、そんなこと訊けやしない。事が済んだら、お金をもらってさっさと帰るだけなんだけど。

 神父さんは肯定も否定もしなかった。でもあたしにはわかる。

 口付けを交わしたときの、あの唇の震え。

 身体に触れたときの、あの指のぎこちなさ。

 なんか十代の昔に若返ったような、そんな錯覚を覚えちまう。

 あたしは敬意を込めて呟いた。

 

「さすがは神父さんだ。真面目なんだねえ」

「真面目? わたしは犯罪者ですよ」

「……」


 そうだ、すっかり忘れてた。あたしはその訳が知りたくて、彼をホテルへ誘ったんだ。それにしても、なんでこんな純粋な人が。

 

「実際、後悔しているのです。真面目といわれる生き方に」

「……」


 あたしはお世辞にも真面目とはいえない生活を送ってるんで、それが良いのか悪いのかわからない。まあ、世間で言われてるほど、不真面目な生活が悪いってことはないんだけど……、真面目な生活が悪いってのは初めて聞いたねえ。それも神父さんの口から。


「お陰でわたしはこの歳まで未経験でした。まあ、そんなことはどうでもいいのですが」

「だってあんた、聖職者だろ? だったら……」

「大抵の者は神学校に入る前に済ませて来るのです。ですが……」


 突然、あいつは両手で顔を覆って嗚咽した。


「わたしは主を信じていたのです。心の底から一片の疑いもなく!」


 聖職者の純粋な心根に触発されて、眠っていた母性本能が目覚めたのか。

 あたしは衝動の赴くままに、あいつの頭を掻き抱いた。そして、


「大丈夫、大丈夫だって。あたしが付いてるから」


 ふっ、なんて台詞だろ。自分でも言ってることがわからない。

 無意識にあいつの頭を撫でると、指間に金髪が絡みついた。

 あいつは声を押し殺して泣いていた。滴る涙が、あたしの胸の谷間で筋を引いた。

 でもそれが乾くのに、さして時間はかからなかった。

 

「さあ、話してごらんよ。楽になるからさ」


 あいつは思い詰めた表情で天井を見つめたまま。まだ踏ん切りがつかないようだ。

 まっ、なにがあったのかは知らないけど、無理に訊くことはないやね。

 あたしらは無言で抱き合ったまま。そうして至福の時間だけが過ぎてゆく。

 やがてあいつの両腕から力が抜けてゆくのが感じられた。


「寝たの?」


 返事はなかった。

 あたしはあいつの額に接吻すると、滑るようにベッドから立ち上がった。


「待って……」


 振り返ると、あいつは縋るような眼差しで、あたしの手首を握り締めた。


「あなたに神父の役割を振るのは気が引けるのですが……。できればわたしの話を聞いてほしい」

「いいよ、聞いてあげる。たまには神父さんだって、人に話を聞いてもらわなきゃね」

「すまない」


 あいつは申し訳なさそうに頭を垂れた。


「じゃあ、シャワーを浴びてくるから。あんた、お酒飲めるんだろ?」

「ええ、まあ」

「じゃあ、一番高いワインを注文しようか。あんたの出所祝いを兼ねてね」


 それからあいつの口を通して語られたことは、とてもじゃないけど、ワインなしには飲み込めないものだった。

 あいつはクワイン内戦に従軍して、そこで自分のミスから多くの味方兵士を死傷させてしまったのだ。

 テロ組織との関連性は否定されたものの、テロ実行犯の少女を許可なく基地内に入れた罪を問われ、軍刑務所に収監された。

 

「わたしは天使に裏切られたのです。でも天使が憎んでいたのは、父親を殺したアムリア人でした」


 あいつは片手で目頭を押さえた。


「わたしは憎む。戦争を。天使に凶行を成さしめる戦争を。戦争を遂行する為政者を。戦争に加担する市民を。そして我が祖国、アムリア連邦を……」


 そのときもう一人のあたしが囁いた。


「ねえ、あんた、出所したばかりで仕事がないんだろ?」

「……」

「だったら就職先を紹介しようか?」


 そうしてあたしはもう一つの就職先、ーー同衾(どうきん)した政財界のお偉方の情報を高値で買ってくれるーー有名なイスラム武装派組織の名を上げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ