第39話 潜入 ハトバラ病院
まったく、いくら電力事情が悪いからって、まさか病院まで節電しているなんて。
リンはクリス、コニーと共にハトバラ中央病院へ侵入した。
お陰であたしらは真っ暗な廊下を手探りで進む羽目になった。暗視ゴーグルでもあれば楽なんだけど、そんなもん旅行者が持ち込めるわけがない。
目的は新藤周太朗の救出。
成功すれば士官候補生による前代未聞の大手柄! それで勲章のひとつももらえりゃ、将来の出世は決まったも同然。
ああ、憧れの制服組! そこで将来を渇望された士官とお知り合いになれば、あたしの将来もバラ色ってか!
あの鬼教官だって、きっとあたしの実力を認めてくれるはず。
そうなりゃ、単位不足の教科だって、大目に見てくれたりして。だって受勲した士官候補生が落第なんて、そんなの士官学校の恥でしょ?……と、まあ、お手軽に自分を奮い立たせてみたけれど、忍び寄る恐怖は振り払いようがない。やっぱ勇み足のような気がする。
今回の救出作戦を提案したのはクリスだった。
オオハクチョウと合流してからって手もあるけど、その間に人質を移動されたら、また一から監禁場所を探さなければならない。そんなのカッタリイぜと、まあ、性格といいますか、クリスがコハクチョウ単独による人質奪還を主張したのだ。
ちょっとぉ~、それって独断専行って言うんじゃない?
あたしが反対しようとすると、コニーが割って入った。
「お願い、ここで諦めたら、あの人と一生会えない気がするの」
クリスがあたしの肩に気安く手を回した。
「まっ、いいじゃねえか。これも人助け、人助け……」
「……とは言ってもねえ。あんた、もし作戦が失敗したら、どうすんの?」
「そんときゃ、そんとき。隊長たちと合流して、作戦を練り直すさ」
なんていい加減な性格。とてもエリート揃いの士官学校の生徒とは思えない。
「余裕だね。あたしら、生きて帰れないかもしれないのに」
「ああ、なんて弱気な! それでも士官学校の生徒かよ」
フン、どっちが!
なおも言い返そうとして、ふと傍らを見ると、コニーの姿が見当たらないではないか。
「あれ、彼女、どこへ行ったの?」
「ああ、なんだって?」
クリスも釣られたように、あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ、不意にあたしの肩を叩いて、薄闇の一点を指差した。
「おい、あそこだ」
いたいた、彼女が。
もう、この忙しい時期に、いったい何やってんの?
直後、あたしは自分の目を疑った。
ほんと、彼女は何をやっているのだろう?
「ありゃ、なんだ?」
クリスも首を捻った。
そりゃ、そうだ。名門のお嬢さんが両腕に石を抱えて、しかも脚を蟹股開きにして、ウンウン唸りながら歩いているんだから。
呆気に取られて、そのまま黙って見守ると、彼女、いきなり抱えていた石を頭上へ振り上げた。その先には病院の窓ガラスが。
なんて大胆な!
彼女、窓ガラスを破って院内へ侵入する気だ。
ヤバいよ! 警備システムに引っ掛かったらどうすんの? いや、そんなことより窓ガラスの割れる音で夜勤や警備の者に気付かれたら?
慌てて茂みから跳び出すと、二人してコニーを羽交い絞め。それでも彼女は石を離そうとしない。振り向いて、あたしを睨み付けた。
「離しなさいよ!」と敵に聞こえそうな大声で喚いた。
クリスだって負けちゃいない。
「バカヤロォ~」と怒鳴り返したものの、やっと、ここが敵の支配地域だってことに気が付いた。
「そんなことしたら、敵に気付かれんだろうが」と、ようやく声をトーンダウン。
ところがコニーときたら……。
「だったら早く、秀一郎さんを助けに行きなさいよ。こんな所でグズグズしていたら、それこそ敵に見つかってしまうわ」
あたしとクリス、思わず顔を見合わせちゃった。
彼女、あたしらの腕を振り払って仁王立ち。
「さあ、行くの、行かないの! ハッキリして」
ハイハイ、わかりました。
返事の代わりに、ベルトのポーチからビニールテープを取り出した。それをクリスと二人して、窓ガラスにペタペタと張り付ける。
「いったい、何を?」
唖然と佇むお嬢様を尻目に、
「まあ、見てなって」
クリスは小石を拾い上げると、窓ガラスに打ち付けた。
瞬間、ドンという鈍い音がして、窓ガラスの表面にひびが入った。
ビニールテープが張られているので、ガラス片が飛び散るようなことはない。それを何度か繰り返した後、割れたガラスを排除して、空いた穴から鍵を外すことに成功した。
「あとはセキュリティーシステムがないことを祈るんだな」
クリスは身軽に窓枠を飛び越えた。続いてコニー、そして最後尾にあたし。
院内は寝静まったまま。どうやら警備システムの心配はないようだ。
「どうやら敵に気付かれなかったようね」
コニーの囁き声に安堵感が滲む。
でもクリスは注意を怠らない。銃を構えて前方へ絶え間なく視線を配っている。
それはあたしも同じ。外から差し込む薄明かりの中、しっかりと後方を監視する。
「ところで秀一郎の病室がだよ。どうだ、受付で訊いてみちゃ?」
クリスが提案した。
それ、賛成。ひと部屋ずつ調べていたら、それこそ夜が明けてしまう。
「でも敵さん、素直に教えてくれるかしら?」
「そんときゃあ、敵を締め上げるまでさ」
普通、受付に座っているのは看護婦だから、脅せばすぐに吐くんだろうけど。
受付を探し求めて、一階をさまようこと十分。
常夜灯の明かりを頼りに、とうとう受付らしき場所を発見した。
「チッ、サービス悪いぞ。この病院」
クリスが憤るのも無理はない。
クルシア最大の病院のくせに、受付に人がいないなんて……。
いくら真夜中とはいえ、夜勤の看護婦さんくらいいるでしょうに。
もし急患でも来たらどうすんの? それとも、これが現地の病院事情なんだろうか。
「ウッ……」
なに、今の囁き声は?
あたしら三人以外の声だということは一聴してわかった。
あれは男の声だ。
……ってことは敵襲!
咄嗟にバックステップを踏んで、クリスと間隔を取った。
闇に流れた視線がお互いの死角をカバーする。
「あっ、ちょっと来て」
コニーが身を乗り出して、受付カウンターの下を覗き込んだ。
見ると、白衣の男が倒れていた。
おまけに全身縛られて、猿轡まで嵌められている。
クリスが猿轡を外すと、男は怯えた眼差しを絶えず周囲に走らせた。
「なんですか? また何か聞きたいことでもあるんですか」と流暢な英語で意味不明の言葉を吐いた。
驚いた。男はどう見ても現地人の医師。
咄嗟の場合、アラビア語を口走るはずだ。それをあたしらの正体を見透かしたように、いきなり英語で話しかけてきたのだ。
すかさずクリスが男の胸倉を締め上げた。
「おい、そりゃ、どういう意味だ?」
男の不安げな眼差しに、安堵の色が浮かび上がった。
「なんだ、別人か」
そりゃそうだ。あたしらは今、忍び込んできたばかり。
あんたとは初対面だ。
クリスが腕の力を緩めた。
「さあ、わかるように説明してもらおうか」
「てっきり先ほどの連中が戻って来たのかと」
「先ほどの連中?」
「ええ、連中、わたしを縛り上げると、彼の病室は何号室かと」
やっぱ間違いない。オオハクチョウの連中が一足先に病院へ侵入したのだ。そしてその彼というのは、あたしらが探し求めていた……。
「彼って?」
その答えを切実に求めていたのはコニーだった。
男は弾かれたように答えた。
「若い東洋人ですよ。なんでも国家レベルの賓客だとか」
「名前は?」
「さあ、それは」
男は言葉を濁したものの、すぐに顔を上げると、
「その患者は大腿部に貫通銃創を負っていました」と早口で捲し立てた。
男の震える視線は、クリスの突き付けた拳銃に注がれた。
「それで、その東洋人は?」
「それが昨日の夕刻、数名の兵士が来て連れ去りました」
「どこへ?」
「さあ、詳しくは」
再びクリスが拳銃を突き付けた。
男は慌てて言葉を継いだ。
「患者を連れ出した仲間の一人が言ってました。パメラ遺跡へ行くと」
「そうか、ありがとよ」
クリスの目配せ。
ええっ、あたしがやるのぉ~。
仕方がない。心中でゴメンと手を合わせると、目の前の後頭部を、握り締めた銃把で思い切り引っ叩いた。
ゴツンと鈍い音がして、男は呆気なく倒れた。
クリスが手早く猿轡を噛ませると、
「おい、今の話、どう思う?」
「あの姿を見たら、疑う気になれないって」
あたしは足下に倒れた男の姿に目を落とした。
両手足を縛られた上、猿轡まで嵌められて。無辜の市民が一晩に二度も特殊部隊の襲撃を受けたのだ。嘘をつく余裕なんてあるわけない。
「でもなんで遺跡なんかに秀一郎さんを?」
コニーの疑問には一考の余地あり。
なのにクリスときたら、
「大方、そこがやつらのアジトなんだろうぜ」
そう言って顔中を喜悦の笑みで歪ませると、
「どうだ、俺らだけで突っ込まねえか?」とぬかしやがった。
まったく、単細胞が。
あたしは士官学校で習った戦闘の常識ってやつを説いた。
「その前に、もっと詳しく調査してから乗り込むべきじゃ……」
「そんなことしてたら、秀一郎さんが殺されてしまう」
今度はコニーが文句を言ってきた。
「あなた方の任務は、秀一郎さんを無事救出すること。だったら一刻も早く」
「まあ、そういうわけだ。なに、心配するねえ。楽勝、楽勝!」
クリスはあたしの肩を思い切り引っ叩くと、
「さあ、善は急げだ。パメラ遺跡へ乗り込むぞ」
その前に隊長たちと合流できればいいのだけど。
あたしらだけじゃ、とても無理だよぉ。
あたしの不満は増すばかり。
まったく、とんでもない所へ来てしまった。
もし無事祖国へ帰還できたら……、士官学校なんか辞めてやる!




