第29話 荒野をさまよう小ハクチョウ
クリスは車から降りると、地面にしゃがみ込んだ女の下へ駆け寄った。
「よう、大丈夫か?」
声をかけると、女は虚ろな瞳で俺っちを見た。
間違いねえ。とうとう見つけたぜ。
ええと、名前は何て言った? 確かコニー……、クソッ、忘れちまった。
「あんた、名前は?」
女は呆然と俺っちを見つめるだけで、なんにも言いやがらねえ。
こうなりゃ、ちょいとばかり荒治療だ。
「おい、こら、目を覚ませ」
頬を軽くニ、三発張ると、ようやく女の瞳に光が射した。
「安心しな。あんたを救出に来たんだ。アムリア陸軍特殊部隊だ」
女の瞳に微かな気色が浮かび上がった。
どうやら俺っちの言うことを理解したようだ。
「名前は? 一応、あんたの身分を確認しておきたいんでね。ほら、口は利けるんだろ?」
バッチィ~ン!
思わず頬を押さえて尻餅をついた。
なんでえ、こいつ、いきなり俺っちの頬を張り飛ばしやがった!
今の驚きに比べりゃ、敵の奇襲攻撃なんて物の数にも入らねえ。
なんて女だ。これでも名門の出身かよぉ!
女があらん限りの大声で喚いた。
「なにすんのよ! 人の頬をバシバシ引っ叩いたりして! 今度そんな真似してみなさい。あんたの金タマ、蹴り潰してやるから!」
金タマだとぉ! この女、なんてこと言いやがる!
怒りに拳がプルプルと震えてきやがる。
俺っちを男と思ってやがる! VIPだか何だか知らねえが、言いたいこと言いやがって!
「あのなぁ~、一つだけハッキリさせておく。俺っちは……」
「さあ、早く手を貸しなさいよ」
女は地面にしゃがんだまま手を差し出した。
仕方ねえから手を引いてやると、
「あなた、こう言いたいんでしょ。わたしは女だって」
ハイ、御名答!
「胸を見てわかったわ。まさか服の下に胸パット入れた男なんていないでしょうから」
フン、やっとわかったか。
何気に相手の胸を盗み見る。タメ歳だけに気になるところ。
う~ん、Dカップってところか。サイズは同じだが、ちょいとばかり俺っちの方が大きい感じだ。
勝った!
「よう、あんたの名前を聞かせてもらおうか」
「コニー・エッフェル。まあ、一応、助けられたんだから、お礼だけは言っておくわ」
この~、お高く留まりやがって。ちっとも謝意が感じられねえ。
「じゃあ、エッフェルさんよ。お国に帰還するまでは、俺らの指示に従ってもらうから」
「ええ、仕方ないわ。あなた方はそれでも一応プロのようだから」
まったく、不満げな表情を隠しもしねえ。
まっ、少しの辛抱さ。迎えのヘリに叩き込んじまえば、もう二度と会うこともねえってな。
「なに、そう長い間じゃねえさ。あんたを確保したら、味方のヘリと連絡を取って、救出に来てもらう手筈になってるから。要はそれまで大人しくしてくれりゃいいのよ」
そう注意して背後を振り向くと、
「よう、リン。どうだ、正気に返ったかぁ?」
「えっ、えっ、なに? なに? どうしたのぉ~」
リンのやつ、辺りをキョロキョロしやがって。もしかしたら自分のやったことも覚えちゃいねえのかも。
ほんと、困った相棒だぜ。
ついでに保護したVIPも、負けず劣らずの困ったちゃんだし。
ヤレヤレだぜぃ。
「おい、動物園と連絡だ。通信機の用意だ」
「わ、わかった」
リンは慌ててナップザックの中を掻き回した。
取り出した通信機はDMC-180といって、軌道上の衛星を経由して電波を送信するので、たとえ地球の裏側でも通信可能という優れものだ。
小型アンテナを衛星の方へ向けて、その端末を携帯無線機に繋げれば準備OKだ。
「ええと、これでよしっと」
リンが送信スイッチを押すと、通信ランプが赤く灯った。
「ええ、動物園、動物園、応答せよ。こちらコハクチョウ……」
動物園とはクルシア共和国の隣国、アクラビ首長国より貸与されたパルラモ空軍基地の暗号名だ。そこに待機したヘリが、俺らからの連絡があり次第、VIPを空輸するため飛来する手筈になっている。
因みにコハクチョウとは、俺っちとリンの暗号名だ。
数十秒後、リンの呼びかけに応じて、通信機の受信ランプが青く灯った。
おっ、やったぜ。味方からの返信だ。
「こちら動物園、感度良好。コハクチョウ、どうぞ」
「こちらコハクチョウ。アヒルの子を捕獲した。至急、移送の準備をお願いする」
「了解した。予定通り動物園へ移送する。現在位置を知らせよ」
リンと二人して、携帯用のカーナビから位置を割り出そうとしたら、コニーが口を挟んだ。
「あの、ちょっとお伺いするけど」
なんでえ、いきなりしおらしくしやがって。
お嬢様の口数の多さには辟易する。こっちは忙しいっていうのによ。
ハイハイ、なんでございましょうか?
「秀一郎さんは、今どこに?」
一瞬、返事に窮しちまった。
本当のこと言って、こいつを心配させるのもなんだし。
でもいずれはわかることだから、ここは一つ……。
「それがまだわからねえんだ。いろんな連中に当っちゃいるが、さっぱり居場所が掴めなくて」
コニーの表情に陰が射した。
「まだ身柄を確保してないの?」
「心配すんなって。俺らが必ず助け出してやるから」
「……」
コニーのやつ、ため息をつくと、リンの方を振り返った。
「あなた、お名前は?」
「えっ、リン・カンザキですけど」
「そう。じゃあ、カンザキさん、お願いがあるんだけど。その通信機、貸してくださらない?」
リンは唖然として、俺っちの方を見た。
いってえ、何に使う気なのか。ともかく通信機は玩具じゃねえんだから、素人に貸すわけにはいかねえ。
「悪いが、そりゃ軍事機密でよ。民間人には貸し出し不可だ」
俺っちがリンの代わりに答えると、
「フ~ン、軍人って、意外にケチなのね」
そう言うが早いが、いきなりリンから通信機を奪い取った。
咎める間はなかった。通信機を地面に叩き付けると、手近にあった岩を落として、完全にぶっ壊しやがった!
「テ、テメー、なにしやがるんだ! これがなきゃ味方と連絡取れねえんだぞ。おまえを後方へ移送することも出来ねえ。いってえ、どうしてくれるんだ!」
リンが破壊された通信機を拾い上げた。
「あらら、通信機メチャメチャ。こりゃ修理不能だわ」
「おい、なんでこんなことやった? ちゃんと納得できる答えを聞かせてもらおうか」
コニーのやつ、目を吊り上げて、俺っちを睨み付けた。
悲壮な決意を感じさせる凄い眼だ。
「わたし、一人では帰りません。絶対に。必ず秀一郎さんと二人で帰ります」
なんてこった!
思わず頭を抱え込んだ。
「あのなぁ、あんたを一緒に連れてゆくわけにはいかねえんだ。素人は足手まといだ」
「素人ですって! バカにしないでよ。これでもわたしはSPの訓練を受けているんだから」
「そんなもん何の役に立つんだよ。いいか、俺らの仕事は命懸けなんだ。子供の遊びとはわけが違うんだ」
「わたしだって、秀一郎さんを救うためなら命は惜しくありません!」
いや、凄い入れ込みようだねえ。
まっ、わからなくもねえけど。
脳裏に、幼き日の秀一郎の面影が蘇った。
あいつとは小学生時代の同級生だから、あんたの知らない子供時代のことを結構知っていたりするんでね。
泣き虫オカマの秀一郎。
これが俺っちの付けたあいつのあだ名だった。
女の子のような華奢な顔した育ちのいいガキで、そんなところが不法移民の子だった俺っちの癇に障ったんだ。それで時々苛めてたんだけど。貧乏移民の子の俺っちが、高校へ進学できなくて困っていたとき、奨学金を出してくれたのが新藤財閥だったんだ。
後から聞いた話だと、なんでも秀一郎のやつが俺っちのことを推薦してくれたとか。
あいつ、俺っちが苛めたことを覚えているはずなのに……。仇を恩で返しやがった!
以前から、苛めた償いと奨学金の恩返しがしたいと思ってたから、こうして二つ返事で救出作戦に参加したわけなんだが……。
「まっ、あんたの気持ちもわからなくはねえが、秀一郎だってあんたの身を案じてるんだ。だから、なっ、俺っちの言うことを素直に聞いて……」
せめてこいつの身柄だけでも確保すりゃ、秀一郎のやつに申し訳が立つってもんだ。
でもよ、彼女の決意は固いようだ。
「絶対に嫌です!」ときやがった。
俺っちには説得できねえや。
おい、リン。なんとか言ってくれ。
「通信機が壊れた以上、ヘリとは連絡が取れないわけだから」
リンが取り成すように二人の間に割って入った。
「当然、ここに置いとくわけにもいかないし。取り敢えず、一緒に連れて行くしかないんじゃない?」
「おいおい、おめえまで何てこと言いやがる! 敵の通信機奪えば、まだヘリと連絡取れるだろうが」
「でも彼女をヘリに乗せるまでは、どの道、あたしらと一緒なわけだから」
リンがコニーを顧みた。
「あなたを一緒に連れて行くわ。ただし、あたしらの言うことには従って。いいわね」
「ええ、わかったわ」
どんな危険が待っているかもわからねえのに。
腹立ち紛れに地面を蹴った。
クソッ、とんだお荷物抱えちまった。
知らねえぞ、秀一郎と再会できなくなっても。




