第02話 主犯は金縁眼鏡の神父様!?
床に落ちた拳銃を拾い上げると、弾倉を引き抜いて残弾の数を確かめる。
銃把の感触が手に馴染む。
なんだ、彼女、わたしと同じ銃を愛用している。
シンドウ社が女性用に開発した小型拳銃WS-91。”ファーストレディ”
ああ、思い出すのも腹立たしい。
期待したわたしがバカだった。
まさか女性の誕生日に拳銃を送り付けるなんて。
まさに脅迫紛いのプレゼント。
兵器産業に携わる、秀一郎さんらしいプレゼントと言うつもりはない。
他の女性にはセンスのいい花や服をプレゼントするくせに。
まっ、恨むつもりはないけどね。
拳銃が扱えるようになったのは、あの人の熱心な指導の賜物なんだから。
スーツの内ポケットに拳銃を忍ばせる。
安全装置は外して、いつでも使えるようにしておく。
グリップ・セフティが付いているので、内ポケットで暴発する心配はない。
あなたの銃、お借りするわ。
彼女は冷たい床に転がったまま。冷え性だったら、お気の毒っと。
逸る気持ちを押さえて……、それでも足が勝手に走り出す。
機内を疾走すれば、それだけで乗客は一瞥をくれる。
擦れ違う人の中にテロリストがいるかもしれない。
慌てず、焦らず、慎重に。
胸の高鳴りを押さえつつ、ようやく座席に辿り着くと、
「あの……」
……声をかけ損ねてしまった。
なんと秀一郎さんはCAと楽しそうにいちゃついているではないか。
「君、連絡先くらい教えてくれてもいいだろ?」
「お客様、困ります」
「どう? 向こうに着いたら一緒に食事でも」
CAが困った顔しても、あの人は一向に手を放そうとしなかった。
まったく、なにをやっているの!
人が死ぬような目に遭っているというのに……。
「秀一郎さん!」
あの人の両肩がピクリと震えた。振り向いた笑顔が引き攣っている。
「やあ、遅かったじゃないか。君のこと、探しに行こうかと」
そんな状況下にあっても、立ち去るCAに笑顔の見送りを忘れなかった。
美しい女性を見ると、いついかなるときも声をかけずにはいられない。
幸せな結婚生活を送るためには見逃せない悪癖だ。
小言のひとつも言っておくのが後々のためなんだけど。
「言い訳なら後で聞きます。それより大変なことが」
「大変なこと?」
秀一郎さんの表情が真剣味を帯びてきた。
わたしの惑乱を敏感に感じ取ってくれた。真面目なときは世界で一番頼りになるパートナーなんだけど。
「あの、実は……」
周囲の様子を伺いながら声を潜める。危険が迫っているのだ。早く、早く!
「その、化粧室にハイジャック犯が……」
刹那、言葉が途切れた。
「お嬢さん、お静かに」
不意に押し殺した声がして、後頭部にあの殺意を秘めた危険な感触が蘇った。
続いてスライドを後退させる金属音。
ああ、一日に二度も拳銃を突き付けられるなんて、なんてツイてない日なの。
「抵抗すれば命はありませんよ」
窓ガラスに映る男の顔。歳は三十前後だろうか。ハイジャック犯とは思えない、澄んだ眼差しが印象的。映画俳優で通りそうな、金縁眼鏡の似合う二枚目。おまけに着ている服も聖職者の祭服とくれば……。
これじゃあ、ハイジャック犯と見分けがつくわけないよ~!
「さあ、決行のときです。兄弟よ、立ち上がるのです」
まるで信者に祝福を与えるような、そんな厳かな声を合図に……。数名の男たちが一斉に座席から立ち上がった。
どこから持ち込んだのか、各々の手には拳銃が握られていた。
「騒ぐな、騒ぐんじゃねえ!」
グラサンの男が長髪を振り乱して、銃口を左右へ振った。
乗客たちの悲鳴が錯綜する。
全員が座席に伏して両手で頭を抱え込んだ。
「今から、この機は我々”血の巡礼団”が占拠します」
神父の口が重々しく開かれた。
その落ち着いた口調はまるで聖職者の説教を拝聴しているよう。
ほんと、イメージが狂ってしまった。
品性と知性を漂わせるハイジャック犯なんて。
「我々はあえて騒擾を好む者ではありません。また人種や宗教に偏見を抱く者でもありません。皆さんは大切な賓客として扱われます。ただし非協力的な人物を除いては……」
神父の眼差しが乗客の頭上へ注がれた。御手をかざせば”汝に祝福を与えん”の図そのものだ。
「遺憾ながら、非協力な人物は見せしめのために射殺しなければなりません。つまり皆さんの命は自身の行いにかかっているというわけです。またアムリア政府が我々の要求を拒絶した場合も同様です。彼らが人道主義を尊重するのであれば……」
アムリア政府の対テロ政策は要求拒否で一貫している。そのために少なからぬ人質がテロ行為の犠牲となった。
長引く交渉は乗客の命を脅かす。
わたしや秀一郎さんが贖罪の山羊に選ばれるかもしれないのだ。
手を拱いて死を待つなんて。
主犯はインテリ風のひ弱そうな男だ。こいつを人質に取れば、あるいはハイジャック犯たちを一網打尽にできるかもしれない。
スーツの内ポケットの部分を押さえて、拳銃の所在を確かめる。
機会を捕らえて反撃してやる。
「アムリア政府が我々の要求を認めたら、皆さんを即時解放いたしましょう。それまでは大人しく命令に従ってもらいます。さすれば神も御加護を惜しまずに……」
拳銃を握った手が高く掲げられた。視線は他の乗客に向けられたまま……。
いまだ!
神父の顎を狙って、必殺の掌打を繰り出す。
耳元で風が鳴った。人と時間が凍り付く。
もらった!
闘志が歓喜に震えた瞬間、神父の口元に笑みが浮かんだ。
骨の軋むような激痛。
神父の垂直に立った腕が自身の顎をガードして、その反動でわたしの腕を弾き飛ばした。
あっ!
勢い余って自分の座席に倒れ込んだ。
秀一郎さんが背後で受け止めてくれなければ、肘かけに強か背中を打ったはずだ。
「大丈夫か? コニー」
「ええ、なんとか」
それ以上、言葉を交わすことができなかった。
神父の握り締めた拳銃が、わたしの側頭部へ突き付けられた。その暴挙に耐え兼ねて、すかさずあの人が立ち上がった。
あっ、危ない!
グラサンが素早く行く手を阻んで、あの人の腹部へ蹴りを叩き込んだ。
くっ……。
苦し気に蹲るあの人を冷笑して、神父の冷ややかな視線がわたしに注がれた。
「言ったはずです。非協力的な者は処刑すると」
撃鉄を起こす乾いた音。
「残念です。自らの手で神の仔羊を殺めなければならないとは」
神父の人差し指が引き金に触れた、そのとき……。
「ーー待ちな!」
静まり返った機内に女性の声が響き渡った。
あの女だ。化粧室でわたしを殺そうとした。
紫礼装の女テロリストがツカツカと端正な歩みで近づいてくる。
「さあ、それをおよこし」
彼女が手を差し出すと、神父の目がわずかに細くなった。
「それとは何のことです?」
「惚けんじゃないよ。決まってんだろ。拳銃だよ」
神父は金縁眼鏡の真ん中を押さえて、すこし考えこむと、
「……わかりました。彼女の処分はあなたにお任せします」
紫礼装はもどかしいとばかりに、神父の手から拳銃を奪い取ると、「さっきはよくも甚振ってくれたねえ」妖しい笑みを打ち消すと、いきなりわたしの腹部にハイヒールのつま先を喰い込ませた。
クッ……。
前屈みになったところを乱暴に髪を掴まれて、額に拳銃を突き付けられた。
「あとから婚約者も送ってやるよ。安心してあの世へ逝きな」
紫礼装の目が猫の目のように細くなった。
ああ、もう駄目!
どんな猛者でも目を瞑る一瞬。
カチンと撃鉄が死のタップを踏んだ。
何秒、何分、何時間……。闇の中で時間だけが過ぎてゆく。
わたし、死んだの? 痛みはなかったけど。
恐る恐る目を開けてみる。
照準器の軸線上に、紫礼装の歪んだ顔が見えた。
わたし、生きてる。
周囲の人たちも、皆一様に意外な表情を浮かべている。神父とグラサンを除いては。
神父の楽し気な微笑が不気味だ。唖然と佇む紫礼装から拳銃を取り上げると、
「たぶん銃が弾詰まりを起こしたのでしょう。戦場ではよくあることです」
スライドをガチャガチャ引いて排莢すると、わたしを見てニッコリとほほ笑んだ。
「ほらね、やはり弾詰まりだ。どうやらあなたは運に恵まれた方のようです」
神父の視線が周囲に流れた。鋭い眼差しで客席を一頻り見渡すと、
「いいでしょう。あなたの犯した罪は他の人に償ってもらいましょう」
さまよう銃口が一点に定められた。射軸上に祭服をまとった老人の姿が浮かび上がる。
「司祭様、どうぞ、お立ちください」
丁重な口調とは裏腹に……。神父は本物の神父を新たな標的に選んだ。
まさかわたしの身代わりに、あの神父様を!?
背後から腕が伸びて、震えるわたしを抱き締めてくれた。
秀一郎さんが耳元で囁いた。動いてはいけない、と……。
「告白したいのであれば聞いてあげますよ。破門されたとはいえ、わたしも元聖職者ですから」
神父の無機質な声が響く。
銃口は老神父の胸に狙いを定めたまま……。
「さあ、早く。わたしは主ほど寛容ではありませんよ」
老神父は天を仰いで十字を切った。最後まで主を讃えながら……。
バーン!
キャー!
機内に銃声が木霊して、女性の悲鳴が重なった。
老神父は胸を押さえて、その場に崩れ落ちた。床に落ちた銀の十字架が鮮血に塗れてゆく。
そ、そんな……。
世界が急速に色あせてゆく。
モノクロの風景の中で、血の赤だけが鮮明に残った。
「彼も満足でしょう。主と同じく、罪人の身代わりとなって贖罪を果たしたのですから」
神父は手早く十字を切った。
「コニーさん、あなたが司祭を殺したのですよ。そのことをお忘れなく……」
耳元で風が鳴った。疾風となって淀んだ空気を切り裂いてゆく。
わたしの拳だ!
無意識に放った正拳突き。怒り、悲しみ、感情の赴くままに。
不意をついて、完全に神父の顔面を捉えた。
あっ……。
拳が宙で止まった。
肋骨に激痛を感じて、その原因を目で追ってゆくと。わずかに早く、紫礼装の逆拳がわたしの脇腹を抉っていた。
「わたしだって愛する人のために闘ってんだ。あんたにゃ負けられないよ!」
愛する人って、あの背教神父のこと?
「そうさ、死にたくなければ、あいつには指一本触れるんじゃないよ!」
わたしだって、わたしだって、あの人を愛する気持ちなら負けやしない。ーーと啖呵を切る前に、悔しい、意識がスゥーと遠のいていった。