表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/77

第02話 主犯は金縁眼鏡の神父様!?

 床に落ちた拳銃を拾い上げると、弾倉(マガジン)を引き抜いて残弾の数を確かめる。

 銃把(グリップ)の感触が手に馴染む。

 なんだ、彼女、わたしと同じ銃を愛用している。

 シンドウ社が女性用に開発した小型拳銃WS-91。”ファーストレディ”

 

 ああ、思い出すのも腹立たしい。

 期待したわたしがバカだった。

 まさか女性の誕生日に拳銃を送り付けるなんて。

 まさに脅迫紛いのプレゼント。

 兵器産業に携わる、秀一郎さんらしいプレゼントと言うつもりはない。

 他の女性にはセンスのいい花や服をプレゼントするくせに。

 

 まっ、恨むつもりはないけどね。

 拳銃が扱えるようになったのは、あの人の熱心な指導の賜物なんだから。


 スーツの内ポケットに拳銃を忍ばせる。

 安全装置は外して、いつでも使えるようにしておく。

 グリップ・セフティが付いているので、内ポケットで暴発する心配はない。

 あなたの銃、お借りするわ。


 彼女は冷たい床に転がったまま。冷え性だったら、お気の毒っと。


 逸る気持ちを押さえて……、それでも足が勝手に走り出す。

 機内を疾走すれば、それだけで乗客は一瞥をくれる。

 擦れ違う人の中にテロリストがいるかもしれない。


 慌てず、焦らず、慎重に。

 胸の高鳴りを押さえつつ、ようやく座席に辿り着くと、


「あの……」


……声をかけ損ねてしまった。

 なんと秀一郎さんはCA(キャビンアテンダント)と楽しそうにいちゃついているではないか。

 

「君、連絡先くらい教えてくれてもいいだろ?」

「お客様、困ります」

「どう? 向こうに着いたら一緒に食事でも」


 CAが困った顔しても、あの人は一向に手を放そうとしなかった。

 まったく、なにをやっているの!

 人が死ぬような目に遭っているというのに……。


「秀一郎さん!」


 あの人の両肩がピクリと震えた。振り向いた笑顔が引き攣っている。


「やあ、遅かったじゃないか。君のこと、探しに行こうかと」


 そんな状況下にあっても、立ち去るCAに笑顔の見送りを忘れなかった。

 美しい女性を見ると、いついかなるときも声をかけずにはいられない。

 幸せな結婚生活を送るためには見逃せない悪癖だ。

 小言のひとつも言っておくのが後々のためなんだけど。

 

「言い訳なら後で聞きます。それより大変なことが」

「大変なこと?」


 秀一郎さんの表情が真剣味を帯びてきた。

 わたしの惑乱を敏感に感じ取ってくれた。真面目なときは世界で一番頼りになるパートナーなんだけど。


「あの、実は……」


 周囲の様子を伺いながら声を潜める。危険が迫っているのだ。早く、早く!


「その、化粧室にハイジャック犯が……」

 

 刹那、言葉が途切れた。


「お嬢さん、お静かに」


 不意に押し殺した声がして、後頭部にあの殺意を秘めた危険な感触が蘇った。

 続いてスライドを後退させる金属音。

 ああ、一日に二度も拳銃を突き付けられるなんて、なんてツイてない日なの。


「抵抗すれば命はありませんよ」


 窓ガラスに映る男の顔。歳は三十前後だろうか。ハイジャック犯とは思えない、澄んだ眼差しが印象的。映画俳優で通りそうな、金縁眼鏡の似合う二枚目。おまけに着ている服も聖職者の祭服(キャソック)とくれば……。


 これじゃあ、ハイジャック犯と見分けがつくわけないよ~!


「さあ、決行のときです。兄弟よ、立ち上がるのです」


 まるで信者に祝福を与えるような、そんな厳かな声を合図に……。数名の男たちが一斉に座席から立ち上がった。

 どこから持ち込んだのか、各々の手には拳銃が握られていた。

 

「騒ぐな、騒ぐんじゃねえ!」


 グラサンの男が長髪を振り乱して、銃口を左右へ振った。

 乗客たちの悲鳴が錯綜する。

 全員が座席に伏して両手で頭を抱え込んだ。


「今から、この機は我々”血の巡礼団(ブラッド・ピルグリム)”が占拠します」


 神父の口が重々しく開かれた。

 その落ち着いた口調はまるで聖職者の説教を拝聴しているよう。

 ほんと、イメージが狂ってしまった。

 品性と知性を漂わせるハイジャック犯なんて。


「我々はあえて騒擾を好む者ではありません。また人種や宗教に偏見を抱く者でもありません。皆さんは大切な賓客として扱われます。ただし非協力的な人物を除いては……」


 神父の眼差しが乗客の頭上へ注がれた。御手をかざせば”汝に祝福を与えん”の図そのものだ。


「遺憾ながら、非協力な人物は見せしめのために射殺しなければなりません。つまり皆さんの命は自身の行いにかかっているというわけです。またアムリア政府が我々の要求を拒絶した場合も同様です。彼らが人道主義を尊重するのであれば……」


 アムリア政府の対テロ政策は要求拒否で一貫している。そのために少なからぬ人質がテロ行為の犠牲となった。

 長引く交渉は乗客の命を脅かす。

 わたしや秀一郎さんが贖罪の山羊(スケープゴート)に選ばれるかもしれないのだ。

 手を(こまね)いて死を待つなんて。

 主犯はインテリ風のひ弱そうな男だ。こいつを人質に取れば、あるいはハイジャック犯たちを一網打尽にできるかもしれない。

 スーツの内ポケットの部分を押さえて、拳銃の所在を確かめる。

 機会を捕らえて反撃してやる。


「アムリア政府が我々の要求を認めたら、皆さんを即時解放いたしましょう。それまでは大人しく命令に従ってもらいます。さすれば神も御加護を惜しまずに……」


 拳銃を握った手が高く掲げられた。視線は他の乗客に向けられたまま……。

 

 いまだ!


 神父の顎を狙って、必殺の掌打を繰り出す。

 耳元で風が鳴った。人と時間が凍り付く。


 もらった!


 闘志が歓喜に震えた瞬間、神父の口元に笑みが浮かんだ。

 骨の軋むような激痛。

 神父の垂直に立った腕が自身の顎をガードして、その反動でわたしの腕を弾き飛ばした。

 

 あっ!


 勢い余って自分の座席に倒れ込んだ。

 秀一郎さんが背後で受け止めてくれなければ、肘かけに(したた)か背中を打ったはずだ。

 

「大丈夫か? コニー」

「ええ、なんとか」


 それ以上、言葉を交わすことができなかった。

 神父の握り締めた拳銃が、わたしの側頭部へ突き付けられた。その暴挙に耐え兼ねて、すかさずあの人が立ち上がった。

 

 あっ、危ない!

 

 グラサンが素早く行く手を阻んで、あの人の腹部へ蹴りを叩き込んだ。

 

 くっ……。


 苦し気に蹲るあの人を冷笑して、神父の冷ややかな視線がわたしに注がれた。


「言ったはずです。非協力的な者は処刑すると」


 撃鉄(ハンマー)を起こす乾いた音。


「残念です。自らの手で神の仔羊(こひつじ)を殺めなければならないとは」


 神父の人差し指が引き金(トリガー)に触れた、そのとき……。


「ーー待ちな!」


 静まり返った機内に女性の声が響き渡った。

 あの女だ。化粧室(ラバトリー)でわたしを殺そうとした。

 紫礼装(パープルドレス)の女テロリストがツカツカと端正な歩みで近づいてくる。


「さあ、それをおよこし」


 彼女が手を差し出すと、神父の目がわずかに細くなった。


「それとは何のことです?」

「惚けんじゃないよ。決まってんだろ。拳銃だよ」


 神父は金縁眼鏡の真ん中を押さえて、すこし考えこむと、


「……わかりました。彼女の処分はあなたにお任せします」


 紫礼装はもどかしいとばかりに、神父の手から拳銃を奪い取ると、「さっきはよくも甚振(いたぶ)ってくれたねえ」妖しい笑みを打ち消すと、いきなりわたしの腹部にハイヒールのつま先を喰い込ませた。


 クッ……。


 前屈みになったところを乱暴に髪を掴まれて、額に拳銃を突き付けられた。


「あとから婚約者(ファインセ)も送ってやるよ。安心してあの世へ逝きな」


 紫礼装の目が猫の目のように細くなった。


 ああ、もう駄目!


 どんな猛者でも目を瞑る一瞬。

 カチンと撃鉄が死のタップを踏んだ。

 

 何秒、何分、何時間……。闇の中で時間だけが過ぎてゆく。

 

 わたし、死んだの? 痛みはなかったけど。

 

 恐る恐る目を開けてみる。

 照準器(フロントサイト)の軸線上に、紫礼装の歪んだ顔が見えた。


 わたし、生きてる。


 周囲の人たちも、皆一様に意外な表情を浮かべている。神父とグラサンを除いては。

 神父の楽し気な微笑が不気味だ。唖然と佇む紫礼装から拳銃を取り上げると、


「たぶん銃が弾詰まり(ジャミング)を起こしたのでしょう。戦場ではよくあることです」


 スライドをガチャガチャ引いて排莢(はいきょう)すると、わたしを見てニッコリとほほ笑んだ。


「ほらね、やはり弾詰まりだ。どうやらあなたは運に恵まれた方のようです」


 神父の視線が周囲に流れた。鋭い眼差しで客席を一頻り見渡すと、


「いいでしょう。あなたの犯した罪は他の人に償ってもらいましょう」


 さまよう銃口が一点に定められた。射軸上に祭服をまとった老人の姿が浮かび上がる。


「司祭様、どうぞ、お立ちください」


 丁重な口調とは裏腹に……。神父は本物の神父を新たな標的に選んだ。

 

 まさかわたしの身代わりに、あの神父様を!?


 背後から腕が伸びて、震えるわたしを抱き締めてくれた。

 秀一郎さんが耳元で囁いた。動いてはいけない、と……。


「告白したいのであれば聞いてあげますよ。破門されたとはいえ、わたしも元聖職者ですから」


 神父の無機質な声が響く。

 銃口は老神父の胸に狙いを定めたまま……。


「さあ、早く。わたしは主ほど寛容ではありませんよ」


 老神父は天を仰いで十字を切った。最後まで主を讃えながら……。


 バーン!

 キャー!


 機内に銃声が木霊して、女性の悲鳴が重なった。

 老神父は胸を押さえて、その場に崩れ落ちた。床に落ちた銀の十字架が鮮血に塗れてゆく。


 そ、そんな……。


 世界が急速に色あせてゆく。

 モノクロの風景の中で、血の赤だけが鮮明に残った。

 

「彼も満足でしょう。主と同じく、罪人の身代わりとなって贖罪を果たしたのですから」


 神父は手早く十字を切った。


「コニーさん、あなたが司祭を殺したのですよ。そのことをお忘れなく……」


 耳元で風が鳴った。疾風となって淀んだ空気を切り裂いてゆく。

 

 わたしの拳だ!


 無意識に放った正拳突き。怒り、悲しみ、感情の赴くままに。

 不意をついて、完全に神父の顔面を捉えた。


 あっ……。


 拳が宙で止まった。

 肋骨に激痛を感じて、その原因を目で追ってゆくと。わずかに早く、紫礼装の逆拳がわたしの脇腹を抉っていた。


「わたしだって愛する人のために闘ってんだ。あんたにゃ負けられないよ!」


 愛する人って、あの背教神父のこと?


「そうさ、死にたくなければ、あいつには指一本触れるんじゃないよ!」


 わたしだって、わたしだって、あの人を愛する気持ちなら負けやしない。ーーと啖呵(たんか)を切る前に、悔しい、意識がスゥーと遠のいていった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ