第28話 激走 追撃戦の果てに
早速、リンと俺っちは付近の車を物色し始めた。
持ち主には悪ぃが、もちろん無断借用だ。
今回の作戦に際し、スワンのメンバーにはどんな車のエンジンだろうと起動できる電子キーが与えられている。これを使えば、どんなときも車に不自由しねえってわけだ。
「ねえ、クリス。これで決まりだね」
リンが選んだのはベンツ236。なかなか丈夫な造りの車だ。
追っかけっこには持って来いだ。
「よっしゃあ、それいただき!」
喜び勇んで車に駆け寄ろうとした、そのとき、
キャ!
リンが尻餅ついて倒れた。
屈強な男たちの一団が、リンを突き飛ばして車に乗り込んだ。
緑の迷彩服を着たパーマ頭の男に、クルシア国軍の軍服を着た男が二人。いずれも銃を所持している。
やつらはリンをチラ見すると、すぐに車をスタートさせた。
「こら、謝りなさいよ!」
走り去った車に向かって、リンが大声で喚いた。
おいおい、言っちゃなんだが、俺ら人の車を盗もうとしてたんだから。そういうのを盗人猛々しいって言うんだぜ。まあ、俺っちも共犯だから、あえて言わねえけどよ。
連中の形を見れば、容易に先の女を追跡しようとしていることがわかる。
まあ、放っとくわけにはいかねえよな。
仕方ねえので、手近な車の鍵穴に特製電子キーを差し込んだ。
車を選別している暇はねえ。ドアを開けると、そのまま運転席へ転がり込んだ。
「おい、グズグズするな。連中より先に、あの女を保護するんだ」
リンが助手席に滑り込むや、アクセルを目一杯踏み込んだ。
車は日本製の中古だが、それでもエンジンは素早く反応した。
やったぜ! と思ったのも束の間、慌ててブレーキを踏み込んだ。
道路の中央に、なんてこった! 黒づくめの一団が列を成して現れやがった。全員でざっと五十名ほど。胸を拳で打つ者や、背中を鎖で打つ者、後列には泣き喚く女性の姿も見える。
「なんだ、こりゃ? 葬式かぁ?」
「違うわ。たぶんあれよ。ええと、ターズィエって言ったっけ」
リンの口から意味不明な言葉が漏れた。
「ターズィエ? なんだ、そりゃ?」
「イスラムのお祭りよ。観光ガイドに載ってたわ」
クラクションを鳴らしても、連中は道を譲る様子を見せねえ。
イライラしながら待つこと三分。ようやく道が開けた。
アクセルを踏み込むと、車は引き絞った矢のように猛然と走り出した。
「おい、C/Aコードの準備だ」
「あいよ~っと!」
俺っちの指示を受けて、リンは携帯用のカーナビに手を伸ばした。
GPSに接続して市街の道路を検索する。
「ダメダメ、途上国の枝道なんて、精度の低いC/Aコードじゃ調べられないよ」
「まっ、期待しちゃいねえけどよ」
あの女の車に遅れること五分。複雑な枝道に逃げ込まれたら、連中より先に発見することは不可能だ。
杞憂はすぐに現実のものとなった。二股に分かれた三叉路に出くわした。
クソッ、どっちに行けゃいいんだ?
迷いに迷って、ブレーキペダルを踏み込もうとしたら、
「そのまま! 右よ、右!」
リンが叫んだ。
「よし、右だな」
その言葉に従ってステアリングを右に切った。
迷っている場合じゃねえ。この場はリンの直感を信じるしかねえんだ。
ガキの頃から勘のいいやつで、試験の三択問題なんか、かなり高い確率で的中させることが出来た。紛失物を探し出すのが得意だし、恋愛占いも得意ときた。でも超能力者のセーラと違って、失踪者を見付けるまでには至らないようだ。
そうだ、失踪者といやぁ、あのハイソな女のことだけど……。
「それにしても意外だねえ。まさか行方不明のVIPが、俺らの泊まっていたホテルに監禁されていたなんて」
「灯台下暗しって、きっとこのことだよ。マヌケとしか言いようがないわ」
ハハハッ……。
リンのやつ、笑って誤魔化しやがった。
少しは責任感じろよな。
「ったく、おめえの勘も大したことねえなあ」
「そんなこと、勘でわかるもんですか」
「あ~あ、隊長たちに知られたら、いい笑いもんだぜ。こうなりゃ、必ずあのVIPを保護して、汚名を挽回してやるぜ」
そう思うとステアリングを握る手に力が籠る。
気合で必ず追い付いてやる!
気迫の籠った眼差しで正面を睨み続ける。リンの勘が正しければ、もうそろそろ追い付いても……。
突然、視界に飛び込んできた黒塗りのベンツ。道路を塞ぐように停車してやがる。
そしてその向こうに、いた! あの女だ。
追跡した連中に囲まれて、なんとその一人から拳銃を突き付けられている。
こりゃヤバい!
アクセルを踏んで、車を急加速させる。
ガシャーン!
全身に衝撃が走った。
車を浅い角度で衝突させると、連中のベンツは車体前部を振ってスピンした。
タイヤが激しく軋んで、黄色い砂塵を舞い上がらせた。
一刻の猶予もならねえ。
車を止めるや、俺っちは叫んだ!
「リン、撃て!」
リンが下車して素早く拳銃を構えた。
でもそれまで……。
連中の一人を照準に収めたまま、彫像みてえに固まっちまった。
「おい、どうした? 早く撃て!」
怒鳴りつけても動きやしねえ。
ヤベッ、リンのやつ、肝心な時にビビりやがった。人を撃つの初めてだから。
「クソッ」
ナップザックの中に手を突っ込んで、ようやく拳銃を掴み出した。
頼む、間に合ってくれ。
バァーン!
不意に一発の銃声が鼓膜を震わせた。
至近だ。世界から音が消えた。
斑模様のバンダナが千切れて宙を舞った。
バァーン!
夜空に向かって咆哮した拳銃は、やがて天パー男の掌からポトリと落ちた。その身体は映画のコマ送りのごとく、ゆっくりと背中から崩れ落ちた。
リンの放った一撃は正確に対象の頭を撃ち抜いていた。
夜風の吹き抜ける音がした。悪寒が末梢神経の隅々まで迷走した。
殺伐とした情景に、再び時間が流れ始めた。
残った二人の兵士よりも先に、俺っちの拳銃が火を吹いた。
バァーン、バァーン!
威嚇射撃の効果は絶大だ。
連中が車で逃走する様を見送ると、傍らのリンに視線を向けた。
「リン、よくやった。もう間に合わねえかと思ったぜ」
「……」
「おい、どうした?」
依然、リンは銃を構えて固まったまま。
舌もろくに動かせねえようだ。
銃口から立ち昇る硝煙だけが、あいつの勇気を物語っている。
仕方ねえか。
初めて人を撃ったんだ。もう後戻りは出来ねえってな。
当分、言葉は耳に入らねえようだから、褒めるだけ無駄ってもんだ。
取り敢えず、肩をポンと叩いて労いの気持ちを伝えておく。
さてと、もう一人の方も正気に戻さなきゃな。




