第19話 拒否権なし あたし、救出部隊に参加します
闇の中に光が射した。
目を見開けば、そこには、あら、懐かしい顔が……。
「クリス……」
彼女の唇から安堵のため息が漏れた。
「リン、やっと目を覚ましたか」
ぼんやりした視界で周囲を見回してみる。
「ええと、ここは……」
「野戦病院のベッドの上だ。俺ら、戦闘で気絶して運び込まれたんだ」
思わずベッドから跳ね起きた。
反射的に、あの金髪のすかし面が脳裏を過る。
「そうだ! あたしら、あの女に銃剣で感電させられて……」
「ああ、とんでもねえ強ええやつだった。訓練なのに、殺されるぅ~って感じだったからな。誰なんだ? あのおばさん」
そのとき駐屯地内に設置されたスピーカーからアナウンスが流れた。
--C・リネロ、R・カンザキ両名は至急、大隊本部へ出頭せよ。繰り返す……。
お互いに相手の目を覗き込む。
意識を回復したとたん、これだ。
また鬼教官になんか言われそうだ。
もう、うんざり……。
クリスも天を仰いで嘆息すると、
「大方、さっきの戦闘の経緯が問題視されてるんだろうぜ。あんなヘボい戦い方したんじゃ、落第は当然ってな」
「なによ、作戦を立案したのは教官たちなのに……」
「取り敢えず急ごうぜ。教官共を待たせたら、小言が増えちまうからな」
わたしとクリス、連れ立って大隊本部へ急いだ。
擦れ違いざま、声をかけられた。
同じく今回の演習に参加した、同期の士官候補生カール・ハインツだ。
「よう、一番手柄! お疲れさん」
「ああ、おめえもな!」
二人は拳をかち合わせた。そうしてお互いの健闘を讃えるのだ。
クリスが辺りを憚るように声を潜めた。
「おい、おめえら、なにやってた? 最終ポイントに辿り着いたのは、俺っちとリン、二人だけだぞ」
「いや、それなんだけど、全員途中で脱落したんだ。相手が強過ぎて」
「マジか?!」
「ああ、おまえらを除いて誰一人、敵の防衛線を突破できなかった」
確かにカールの言う通り。
そういえばあの女、精鋭揃いの部下をああたらこうたら言ってたっけ。
まさか相手は実戦経験豊富な古参兵の部隊だったりして。格闘戦の基本に忠実でありながら、実戦の中で修得した独自の格闘術を身に付けている。そんな連中って気がしたんだ。
去り際、カールが教えてくれた。
「みんな言ってたぜ。今回の演習、なんか試されてるみてえだって。試験を受けてるみてえだって」
そういえばあの金髪のおねえさん、一次試験とか最終試験とか、そんなこと言ってたな。
二人して大隊本部の前に立った。
ドアを軽くノックする。
「R・カンザキ、C・リネロ。ただいま出頭しました」
「よし、入れ」
ドアを開けると、正面の机にはあの鬼教官の姿が……。
彼の名前はマイケル・フォックス少佐。まだ三十をちょいと過ぎたばかりの若い教官だ。
背が高くて、足の長いイケメンなので、黙って見つめられていると、頭がボーッてしてしまう。もっとも、そんな素振りを少しでも見せようものなら、立ち所に落雷の直撃を受けるんだけど。
そして鬼教官の傍らには、な、なんと、あの金髪の女性士官が!……後ろ手を組んで起立していた。
「アーッ、おまえは!」
クリスがわめいた。うるさいったらありゃしない。まっ、驚くのも無理はないけどね。
フォックス少佐が口元に笑みを浮かべた。
「紹介しよう。アンネ=ソフィ・ムター大尉。おまえたちも名前くらいは聞き及んでいるはずだ」
驚いた。あたしら、噂に高い陸軍最強の兵士と闘っていたんだ。
負けて当然だよ。
金髪のムター大尉が口を開いた。
「今回の演習を利用して、おまえたちの実力を試させてもらった。まあ、褒められた戦い方ではなかったが、あれなら部隊の足手まといになることもなかろう」
「試す、ですか?」
鏡を覗けば、狐に摘ままれた顔が見えるはずだ。
そりゃそうだ。なんの試験かは知らないけど、そんなこと一言も聞いちゃいないんだから。
クリスも不満顔だ。
「試験なら試験って、最初から言ってくれれば……。少しはいいとこお見せできたんですがね」
ムター大尉が苦笑した。
「まあ、そう怒るな。詐欺行為の代償なら望み通り支払ってやる」
そう言って一枚の写真を差し出した。
「この男に見覚えがあるはずだ」
二人して写真を覗き込む。
あら、ステキな人……。
涼し気な目元と白い歯が印象的。品の良さを感じさせる二十歳過ぎの若い男だ。
鬼教官を除けばこんないい男、士官学校では見かけたことがない。
ほ~んと、お知り合いになりたいわぁ~。
「あ~、コンニャロォ~」
突然、クリスが叫んだ。
わたしは驚いて尋ねた。
「どうしたのよ? いきなりわめいたりして」
「おめえ、忘れちまったのかよ!」
クリスの尋常ならざる意気込みに、あたしは少し引いてしまった。
「……忘れたって、なにを?」
「あいつだよ。ええと、ほら、泣き虫オカマの秀一郎」
「え~! まさかぁ!」
あたしも思わず絶叫してしまった。
新藤秀一郎。
あたしとクリスの小学校時代の級友だ。良家のお坊ちゃんで、下町の小学校には不釣り合いな品の良さが災いして、よくクリスや仲間に泣かされてたっけ。
「覚えていたか。新藤財閥の御曹司を……」
大尉は迷彩服のポケットに写真を忍ばせると、
「半月前に、エア・アムリア航空の旅客機がハイジャックされたことは知っているな?」
「ええ、そのことならニュースで」
漠然と半月前のニュースを思い出す。
救出作戦は失敗。ハイジャック機は人質を乗せたまま敵国領へ飛び去った。
そのとき救出作戦の指揮を執ったのが、確かムター大尉だったはず。
翌日、生徒たちの間で、テロリスト側の巧妙な戦いぶりが話題となった。
「ハイジャック犯は中立国で四百名の人質を解放した。しかしまだ五十名余りの人質が敵国に勾留されたままだ」
大尉の決意を秘めた双眼が、あたしとクリスの顔を交互に睨み付けた。
「おまえたちの力を貸してほしい。敵国で行動の自由を確保するには、女性の方が都合がいいのだ。それにおまえたちは御曹司の顔を見知っているしな」
クリスの口元に笑みが浮かんだ。
「秀一郎には借りがあるからよ。まとめて返すにはちょうどいい機会だ」
背筋に悪寒が走った。クリスのやつ、やる気満々だ。
「C・リネロ、喜んで作戦に参加させていただきます!」
挙礼すると、挑発するようにムター大尉を睨み付けた。
あら、言っちゃった。
思わず立ち眩みを覚えた。
即断即決、迷いなし。まあ、昔からケンカ好きで、危険を好むようなところがあったから、この選択も自明の理ってやつなんだろうけど。
大尉の視線がわたしに移った。
まさか、あたしも作戦に参加しろと? ご冗談を!
「おまえはどうなのだ? 歯応えのある連中と戦いたいのだろ?」
いえ、あたし、そこまで逞しい男には飢えておりませんので。できれば今回の要請はお断りしたいかと。
「あの、あたしが救出部隊に参加しても、お役に立てるとは、とても……」
突然、鬼教官があたしの名を呼んだ。
「リン・カンザキ士官候補生!」
「ハ、ハイ!」
鬼教官の押し殺した呟きに、思わず直立不動の姿勢をとった。
厳しい眼差しで、あたしを睨み付けてくる。
「おまえも救出作戦に参加するんだ」
「そ、そんな、教官!」
「反駁は許さん。これは命令だ」
最悪だ。上官の命令には逆らえない。でも若い身空で死にたくないよぅ~。
「もし命令を拒否した場合は?」
「そのときは退校処分とする」
「そんなの横暴です」
「横暴だと? では訊くが軍人の本分とは? おまえはなんのために軍人を志した?」
「それは……」
言葉に詰まった。
そうだ、あたしの心の中に志願動機など存在しない。クリスが時折口にする軍人への憧憬など、ひと欠片も存在しなかった。結局、お座成りの回答しか頭に浮かばない。
「……国家に忠誠を尽くし、国民としての義務を果たすため」
「おまえ、本当にそんな大義を信じているのか?」
「……」
「大義を妄信する人間は、いざとなると脆いものだ。士官学校の優等生によく見かけるタイプだが」
「自分は他に回答を知りません」
鬼教官がフッと笑みを漏らした。
「ならば宿題を出そう。その答えを実戦で探してくるのだ。その答えを見つけたとき、おまえは一人前の兵士になれる」
「答えを見つける前に、もし戦死したら……」
元も子もないんだよ。このアホ教官が!
「軍人である以上、死は覚悟の上だ。その壁を乗り越えて、死の恐怖を超克してみせろ」
あ~、まだ死にたくないよ! なんとか、なんとかしなきゃ!
あたしがなおも逡巡していると、
「バカ者が! なにをしている! さっさと宿題を片付けてこんかぁ!」
とうとう落雷だ。これ以上グズっていたら、次は間違いなく鉄拳の雨が降り注ぐ。
「了解。リン・カンザキ、これより救出部隊に参加します」
クソッ、鬼教官のやつ、戦死したら必ず化けて出てやるから。
挙礼してクリスと共に部屋を退出すると、ドアに向かってアカンべ~と舌を出した。




