第12話 コニーエッフェルの憂鬱
まさか、あの人が浮気するなんて……。
コニーは窓外を見つめてため息をついた。
沈んだ表情のわたし。
ガラスの向こうでたった一人きり。
闇の中から囁きかけてくる。
いいの? このままで。
ため息は否定の証。
秀一郎さんと別れるくらいなら死んだ方がマシだ。別れる気がないのなら、彼を信じるしかない。
わたしの未来はあの人と共にある。揺るぎない信頼関係を築きさえすれば、カビの生えた浮気話の一つや二つ、笑顔で耳を貸してやる!
幸せな結婚、幸せな家庭、幸せな未来……。
ある小春日和の日曜日。
閑暇な午後を庭いじりに費やす有閑マダムのわ・た・し。
花壇にチューリップの球根を植えていると、不意に視界が真っ暗になった。
「だ~れだ?」
両手で背後から目隠しするなんて、なんて子供っぽい。
少し焦らしてやれ。わたしに寂しい想いをさせた罰だ。
「う~ん、義父様かしら?」
ハハッ……。
あの人の笑い声がした。
「では義母様かしら?」
迷ったふりして、あの人の手の温もりを慈しむ。
ひと月ぶりに出張から帰ってきたのだ。今日は思い切り甘えてやれ。
あの人が焦れたように呟いた。
「コニー、ぼくの負けだ。いい加減、正解を言ってくれ」
「あら、そう言われても、わからないものはわからないわ」
「困ったな、この姿勢じゃ、君と永遠にキスすることができないよ」
あの人らしいキザな台詞。
聞き慣れると、けっこう心地よかったりする。
もう、この辺で許してあげようか……。
「それじゃ言うわ。正解は……、わたしの最愛の旦那様!」
あの人の手を振り払って、喜び勇んで背後を振り向いた。
すると……。
#☆△□&#@~~~~~!
悲鳴にならない悲鳴が脳天を突き抜けた。
自分の目を信じることができない。
背後にいたのは秀一郎さんではなく、なんと、あの紫礼装ではないか。
「悪いねえ、いきなり驚かせちゃって」
彼女、立ち上がりざま、傍らにいる秀一郎さんに寄り添った。
いったい、なにがあったの?
もう、頭の中真っ白。知らぬ間に白昼夢の世界へ迷い込んだのかしら?
現実感の乏しい情景に唖然として声も出ない。
秀一郎さんの腕が紫礼装の肩を抱き寄せた。
「紹介しよう。ぼくの新しい恋人、紫礼装さんだ」
笑顔で差し出された一枚の紙きれ。
「ぼくはこの人と再婚するつもりだ。だから、この離婚届にサインを」
ダメダメダメダメェ~~~~~~!
全身に残る疲労感。額に手を当ててガックリと背凭れに身を沈めた。
あ~、ひと月前かぁ。やっぱ許せないよぉ~。
他の女とイチャつきながら、わたしとの結婚を考えていたなんて。
婚約を解消できれば何の問題もないんだけど……。それができりゃ苦労しないよぉ~。
さっきから同じ悩み事が頭の中をぐるぐる、ぐるぐる。ぜんぜん先に進みゃしない。
頬杖をついてため息。
それは救出作戦も同様だ。空港に着陸してからニ時間は経つのに、未だに銃声一発響くわけでもなし。ほんと、敵も味方も落ち着いたもんだ。
人生最大の膠着状態にイライラは募りっぱなし。
隣をチラ見すると、秀一郎さんは腕を組んで押し黙ったまま……。
いったい、何を考えているのやら。妄想の中で美女と戯れているのなら、横っ面のひとつも張り飛ばしてやるんだけど。
それとなく紫礼装の横顔を瞥見する。
目を合わせたら、なにを言われるかわかったもんじゃない。
自然に、何気なく、さり気なく、チラッと。
あらあら……。驚くより呆れてしまった。
彼女、頬杖をついて眠っていた。
口元に笑みなんか浮かべちゃって、なんかいい夢みてるみたい。
人をさんざん煽っておきながら、自分は安穏と惰眠を貪っているんだから。
ああ、そうか……。
素早く周囲に視線を走らせる。
他にテロリストらしき人影は見当たらない。
チャンスだ!
右手で胸を押さえると、ゴリッとした硬い手応えが返ってきた。
紫礼装から奪った拳銃は、まだわたしの内ポケットに残されていた。
よし、一か八かやってやる!
秀一郎さんを肘で小突いて注意を促す。
スーツの胸元をわずかに開いて、隠し持っていた拳銃をチラつかせる。
あの人の口元に笑みが浮かんだ。
しょうのない子猫ちゃんだ。
片目でウインクは同意の印。内心、呆れてるんだろうけど、あえて危険な賭けに乗ってくれた。
「通路へ……」
小声で促すと、秀一郎さんは静かに座席から立ち上がった。
刹那、紫礼装が目を覚ました。
「待ちな! どこへ行く気だい?」
彼女の視線が秀一郎さんの背中へ逸れた。
今だ!
「動かないで!」
彼女の側頭部に素早く拳銃を突き付けた。瞬間、硬直した肉体の震えが銃把に伝播した。
「彼女の銃を……、早く!」
秀一郎さんの手が伸びて、彼女のレッグホルスターから銃を引き抜いた。
同時に彼女の腕を後ろ手に取って、完全に動きを抑え込んだ。
さぁ~すがぁ~! 我ながら惚れ惚れしてしまう。
世界中探しても、これだけ息の合うカップルはいないだろう。
相性占いだってバッチリなのに……。
(わたしは射手座で、あの人は天秤座)
なぜ、あの人は浮気に走ってしまったのかしら?
あっ、いけない、いけない。
悪い癖だ。肝心なときに注意力が散漫になる。命が惜しかったら、目の前の現実から目を逸らさないことだ。
「さあ、歩いて。乗降口まで同行してもらうわ」
銃口をグリグリと彼女の背中へ押し付ける。
彼女、なにが可笑しいのか、突然笑い声を上げた。
「ハハッ、それであたしを人質にしたつもりかい? あんた、人を殺したことないんだろう? 撃てるのかい? このあたしを」
拳銃を握る掌に汗が滲んだ。
そうだ、相手が反抗したら撃たなきゃならないんだ。射撃場の標的を撃つように、人を撃てるものなんだろうか?
秀一郎さんも同じ疑問に突き当たったようだ。
お互いの間を、弱々しい視線が行き交った。
彼女、伏目がちに唇を強く噛んだ。
「出来るわけないよ。出来てたまるもんか。なに不自由なく育った人間に、人が殺せるわけないんだ」
撃たなきゃ、撃たれるんだ!
気力を振り絞って言い返した。
「出来るわよ! あんたの命なんて、何とも思っちゃいないんだから!」
「じゃあ、撃ってごらんよ」
「……」
「撃てるんだろ?」
クッ……。
指が硬直して引き金を引くことができない。
わたし、震えてるの?
傍らから腕が伸びて拳銃をそっと押し下げた。
秀一郎さんが静かに首を横に振った。
撃ってはいけないと……。
「そらね、言った通りだろ? お嬢様に拳銃なんて似合わないのさ。お嬢様ならお嬢様らしく、ラケットでも握ってりゃいいんだよ!」
捨て台詞の余韻が消えぬ間に……。
彼女の放った後ろ蹴りが、秀一郎さんの股間を直撃した!
#□×△@~~~~~☆
「秀一郎さん!」
股間を押さえて蹲った秀一郎さんを助け起こすより先に、銃口がわたしの額に触れた。
彼女、秀一郎さんが落とした拳銃を素早く拾い上げたのだ。
「ほんと、お痛の過ぎるお嬢様だこと。これで二度目だもんねえ。いい加減、罰を与えなきゃ、悪い人間になっちまう」
彼女の細長い指がドレスの胸の谷間へ滑り込んだ。その指に握られた折り畳み式のナイフ。
片手で刃を押し開くと、わたしの頬に押し当てた。
「安心おし。殺しやしないから。ただ二度と悪さをしないように、ちょいと顔を切り刻むだけだから」
冷たい刃の感触が頬の神経を鋭敏にする。
「一生もんの傷をつけてやるよ。整形しても傷痕が残るような」
彼女の唇から白い歯が零れた。
恐怖の余り目を閉じた。
小さな痛みが頬の痛点を刺激した。
お願い、やめて!
ドォーン!
突然、強烈な爆発音が心の悲鳴を打ち消した。
機体が小刻みに震えている。窓ガラス一面に広がる黒煙の渦。
数条の閃光が機体後方へ流れた。前方で何かが爆発したのだ。




