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あの日を繋ぐ靴下

作者: りんご

今日は雪が散らついている。空は曇っていて、どんよりしている。

「おはよう!」

「今日は久しぶりにいい天気だねー」

 そんな明るい声が暗い天気とは裏腹に、街に響き渡っている。そう、ここ、北海道の住民たちは十二月初頭の今頃に大雪が降っていない天気を、いい天気と言っている。普段は大雪で前に進むのも大変なのだ。

 沙恵は家のドアを開け、外へ出た。そして身震いした。いい天気と言っても、北海道の冬だ。とても寒い。息は一瞬で白くなり、視界はたちまち真っ白になる。また、もちろん雪は積もっていて、足がすっぽり埋もれてしまうほどだ。

 沙恵は急いで車に乗り込んだ。そして、少し遅れて夫の理久が出てきて、同じように急いで乗り込んだ。

「ふう、いい天気なのに、今日はとても寒いなあ…」

「早く出発しましょう。昔みたいにヒヤヒヤしたくないもの」

 理久と沙恵の家は、愛莉が生まれてから、クリスマスツリーに本物のモミの木を使っていた。この時期になると、街のはずれまでモミの木を買いに出かけていた。モミの木を使う人が多く、ラストの一本を運よく手にした時もある。クリスマスは、沙恵たちにとって家族の大事な行事だったため、クリスマスツリーの欠けるクリスマスはあってはならないものだったのだ。だが、今日は七年ぶりに買いに行く。理久は、沙恵の皮肉な言い方を聞いてホッとした。今年こそ、落ち着いてクリスマスが祝えそうだ。理久は気持ちが高ぶった。

「そうだな、じゃあ早速行きますか…あ、車の鍵忘れた!悪い、ちょっと待ってて!」

 そう言うと、理久は体を縮ませながら、再び寒い外へ出て行った。

 沙恵は少し笑みを浮かべ、そして、ため息をついた。最近まで辺りはただの白い景色だったが、今ではもう、白いキャンパスに色とりどりの絵の具がのったような、賑やかな世界になっている。クリスマスシーズンの到来だ。多くの家の庭が、綺麗なイルミネーションで飾られている。沙恵は自分の家の庭へと目をやった。それは、賑やかな世界の真ん中に空いた、クレーターのようだった。なんの飾り付けもしていない。ただ、雪に埋もれたブランコやシーソーがあるだけだ。七年前までは沙恵の家も賑やかな世界の一員だった。沙恵は十年前のことを思い出した。ああ、理久と一緒に作ったんだった。木を加工するところから全て。愛莉のために。

(ママ、シーソーやろう)

 沙恵はふと、愛莉のあの可愛い声が聞こえた気がした。その声は、体じゅうの力を振り絞り、精一杯に出しているように感じられる。けれどもそこに弱さは感じられない。

「ごめんごめん、じゃあ、行くか…」

 そう理久は明るくいい、沙恵の方を見た。そして、急に真剣な顔をして、 

「大丈夫?」

 と声をかけた。沙恵の目に、涙が浮かんでいる。さっきまでは落ち着いていたのに。

「ごめん、ちょっと…ううん、大丈夫。そろそろクリスマス、ちゃんとやらなきゃね」

 沙恵は涙をぬぐいながら言った。理久はフロントガラスの先に見える雪をぼんやりと見つめ、悲しそうな笑みを浮かべた。

「うん、そうだ、そうだよ。愛莉に七年も待たせてしまった。もうこれ以上待たせちゃ可哀想だと思わない?」

 沙恵は唇を噛み締めた。雪が少し強くなった。理久はちらりと沙恵の横顔を見て、車を発車させた。

 運転中、何人もの小学生とすれ違った。ちょうど登校時間とかぶったらしい。

(愛莉のランドセル姿見たかった。)

 沙恵はそう思い、首を窓側に傾けた。ちょうど、黄色いカバーをしたランドセルを背負っている男の子たちが、雪を投げ合っていて、上級生に叱られていたところだった。冬休みが楽しみなのだろうか、雪で遊べて嬉しいのだろうか、小学生たちの列は笑顔でいっぱいで、笑い声が響いている。

(もし、まだ愛莉がここにいたら、愛莉の小学校生活はどんなになっていたんだろう。この子たちのように楽しんでいたのかしら。) 

 「そうね」

 沙恵はやっと声を出した。理久は少しホッとして微笑んだ。

 理久は車を加速させた。街を抜け、真っ白な世界へ出た。

 

 モミの木は、まだたくさん残っていた。二人は選ぶのに十分な時間があり、一番気に入ったモミの木を入れることができた。そのモミの木は、ずっしりと重かった。今までで一番重かった。


「ドライブ、お疲れ様」

 二人が家に着いたのは、昼過ぎだった。二人は力を合わせ、ずっしりと重いモミの木を、以前置いていた庭側の窓際に置いた。

「さて、飾り付け、今しちゃう?」

 理久が大きく伸びをしながら尋ねた。

「お昼食べてからにしましょうよ。疲れていないの?」

「ぼくは大丈夫だけど。まあ、そうしよう」

 しばらくすると、家中が鰹節だろうか、海鮮系のいい香りでいっぱいになった。食器を置く音や、飲み物を飲むときの音が家中に響く。


 クリスマスツリーの飾り付けは順調に終わった。この家に少し色が付いてきた。沙恵はツリーを見て、満足そうにうなずいた。七年前と同じ景色だ。外を見ると、もう雪は降っていない。太陽の光が雪に当たって、庭もキラキラ光っている。沙恵は掃き出し窓を開けた。愛莉と雪だるまを作った日々が懐かしい。

 愛莉の声がするー

 いや、愛莉の声ではない、だが子供の声だ。

 気のせいかー

 いや、確かに聞こえる。そして、遊びたそうにしている子供達がいるー

 いる?この庭に?

 沙恵は掃き出し窓から身を乗り出して、庭の隅々まで見渡した。すると、ランドセルを背負った三人の子供達が庭の端に立っていた。男の子二人、女の子一人だ。大きくもなく、小さくもない彼らは全員細身だ。小学校三、四年に見える。そして、とてもニコニコしながらシーソーやブランコを見ている。十年以上住んでいるのに、初めて見る子供達だった。近所の子供達ではないようだ。沙恵はぽかんと口を開けた。

 しばらくして、彼らがこちらに気づいた。

「なに変な顔してるの、口なんか開けて」

 生意気そうな男の子が話しかけてきた。

「和希、なに失礼なこと言ってるの!」

 しっかりしてそうな女の子が言った。もう一人の男の子はただニコニコしているだけだ。おとなしそうに見える。

「あなたたちどうしたの?何か用事でもあるの?」

 沙恵は戸惑いながら聞いた。全く状況が理解できない。

 子供達はニコニコしながら顔を見合わせた。

「この庭で遊んでいい?」

 生意気そうな子が言う。

「こ、ここ?」

「うん、他にどこがあるっていうんだよ」 

 その子は笑いながら言った。

 そして、女の子が少し黙ってというようにその子を少し睨み、

「だって、こんな素敵な手作りのブランコやシーソー、どこにもないもの」

と言った。

「そうそう、シーソーめっちゃおっきいし、ブランコも椅子二つもあるじゃん」

 生意気そうな子が口を挟む。女の子がまた睨み、

「ずっと前からここで遊びたいって思ってたの。それに全然使われていないんだもん」

と補足をした。

 沙恵は困惑し、動揺もした。思い出の詰まったこの庭を、知らない子供たちが使いたがっている。

 そこへ理久が来た。

「え、この子たちは誰?」

 理久も戸惑っているようだ。

「わからない。見たことない子。ここで遊びたいんだって」

 沙恵は少し小声で言った。理久は子供達をみ、沙恵を見た。理久は沙恵の動揺をかすかに感じた。

「ここで遊びたい気持ちもわかるけど、でも…」

 沙恵の顔を横目で見ながら続けた。

「でも、ここは、一応私たちの一部だし…普通に考えたら不法侵入…でしょ?」

「ふほうしんにゅう?なにそれ」

 生意気そうな子が顔をしかめて言った。

「勝手に人の家に入ったらダメっていうことよ」

 沙恵が優しく言った。不思議なことに、なぜか、この子たちに親近感を感じられるようになった。

「他人の家?」

 子供達は顔を見合わせた。困惑しているように見えた。

「他人って、どういうこと?俺は他人かもしれないけど、みんなが…ってわけじゃなくない?」

 生意気そうな子が同意を求めるように他の二人を見た。

「人の家?」

 おとなしそうな子が初めて口を開いた。

「私も言ってる意味わかんない」

 理久はすっかり困惑してしまった。

「つまり、それぞれ人の家には領地みたいのがあって…」

「それはわかるよ」

 女の子が少し怒った声で言った。

「じゃあ何がわかんないの?」

 理久もつられてついきつい言い方になった。お互い会話が噛み合っておらず、困惑しきっている。

「いいよ」

 沙恵が言った。

「いいよ、ここで遊んで…ううん、遊んで欲しい」

「え、大丈夫なの?その…気分的に。きつく…ない?」

 理久はとても驚いた。子供と言っても、他人は他人。知らない人に自分の庭で遊んでいいよというのは常識的におかしいし、ましてや子供に…

「いいの。なぜか親近感を感じるの。何か元気にしてもらえる感じがする。不思議よね、今は全然寂しくない」

「え、本当に?」

 理久の声に何か嬉しそうな響きがあった。

「もちろん」

「ありがとう!」

「ちょー嬉しい!」

 子供達はとても喜んでいる。

「よし!」

 理久もとても喜んでいる。沙恵は微笑んだ。薄々気づいてたのだ。理久が子供と触れ合いたいと思っていること。本当にいいお父さんだったし、近所の子供達の名前はすべて覚えており、どの子にも優しかったから。一時期暗い時もあったが、全然立ち直れていない私を支えるため、一生懸命すべて前向きにとらえていたということも。

 冬至が近いせいだろう、もう日が地平線にかかっている。辺りはオレンジ色だ。

「今日はもう帰るね。日が沈みかけてるから」

 女の子が言った。

「いつ来てもいい?もの壊さないようにするからさ。ガラス割ったりとか」

 いたずらっぽい笑みを浮かべて男の子が尋ねた。

「いいよ」

 沙恵がほぐれた笑顔で優しそうに答えた。

「じゃ、バイバイ」

 子供たちが駆け出そうとした。

「あ、待って」

 理久が突然呼び止めた。

「名前、教えて」

「俺、和希」

「私、凛」

「僕、…」

「え、最後の子、ごめん、もう一回言って。聞こえなかった」

「蓮」

「ありがとう。気づかないうちに年取ったなあ」

「そうかもね」

 和希がニヤリと笑った。

「もう、和希!違うの、蓮はいつも声小さいから。気にしなくて大丈夫だよ」

 凛が慌てて言った。

「よかったわね」

 沙恵が笑った。理久もホッとした顔をした。久しぶりに見た沙恵のお母さんらしい顔だった。

「じゃあ、気をつけてね」

「うん、今度こそバイバイ」

 和希が軽く手を振って歩き始め、蓮もその後を追う。だが、凛は沙恵の方に振り向き、

「行くよ。」

 と言った。沙恵と理久は顔を見合わせて、

「私も?」

「沙恵も?」

 と言った。

「違うよ、おばさんじゃない」

 和希が振り返りながら言った。そして、凛も和希と蓮を追った。

 夕日に背を向けて走る三人の後ろ姿はとても生き生きとしていた。沙恵は三人が見えなくなるまで見守った。夕日のせいだろうか、時折、夕日で伸びた三人の影が四つになったり三つになったりしたように見えた。


 この日から、沙恵たちの家の庭は子供達三人の遊び場となった。庭に子供の楽しそうな笑い声が響いている。こんな状況は七年ぶりだった。


 十年前。沙恵と理久に娘が生まれた。名前は前から決めてあった。愛莉だ。愛莉と遊ぶためにブランコとシーソーも生まれる前から庭に作っておいた。誕生日は十二月十日。二人にとっての少し早いクリスマスプレゼントのようだった。これから第二の人生が始まるーそんな時だった。病室で疲れ切った沙恵と理久が静かに、でも幸せそうに話していたが、なかなか愛莉が病室に来なかった。生まれてすぐ愛莉が連れて行かれたので、愛莉の顔を早く見たいと待ち遠しかった。沙恵はだんだん不安になった。そして、理久が医者に呼ばれた。次々と最悪な状態が頭に浮かぶ。近くで救急車のサイレンが聞こえた。沙恵は動揺し、息遣いが荒くなった。ハア、ハア、ハ…ハ、ハア…

 気がついた時には沙恵は病室に一人きりだった。理久もいない。医者が来て、状況を説明してくれた。愛莉は重い先天性の心臓病を患っていて、緊急手術の必要があるため、理久が付き添って大きい病院に運ばれたと。沙恵は目の前が真っ暗になった。頬を冷たい涙が伝う。どうすればいいかわからない。愛莉に生きててほしい、頑張ってって思う。なのに何もできない。自分は無力だ。私が産んだのに、愛莉は何も悪くないのに、今一番苦しいのは愛莉なのに…なのに、愛莉に何もしてあげれない。自分にとても責任を感じた。ごめん…本当にごめん…愛莉…

 沙恵が愛莉のいる病院に着いたのは、次の日の夕方だった。沙恵は不安で仕方なかったし、とても怖かった。我が子に会うのを怖がっている自分が嫌だった。こころが痛む。ごめん…本当にごめん…愛莉…昨日からずっと頭に流れていた。

 エントランスで理久が待っていた。ごめん…沙恵が口を開きかけた時、理久が強く抱きしめてくれた。

「自分を責めちゃいけない、責める必要なんてない。病気があってもなくても、僕たちの子供に変わりはないんだ。これからどう愛莉を支えていくか考えようよ」

 自己嫌悪に陥った悲観的な感情が、理久の温かい言葉にほぐされていくのを感じた。沙恵の頬を少し温かい涙が伝った。 

「いつまで泣いてるの。愛莉は手術を無事乗り越えて、沙恵を待ってるよ。お母さんの顔は泣き顔より笑顔の方が良くない?」

 沙恵は流れている温かい涙を袖で拭き、微笑んだ。

「うん、いい笑顔。さあ、行こう」

 愛莉のいる場所はNICU(新生児集中治療室)だ。理久が愛莉の元へ案内してくれた。

 愛莉に会うのを緊張していた。まだ不安がないわけではなかった。

「この子が愛莉だよ」

 愛莉は体にたくさんのチューブを付け、保育器の中でスヤスヤと寝ていた。とても苦しいはずなのに、弱さは感じられなかった。

「ああ、愛莉…ママだよ」

 沙恵はホッとした。我が子が生きてる…なんて愛おしいの。この子は私の子だ。もう、不安や恐怖はなかった。

 しばらくして、医者に呼ばれた。もう何を言われても動じない、きちんと愛莉を育てる、支える、そんな決意が沙恵と理久の中にあった。医者から言われたことは、一年間生きることのできる確率は十%。二人は残された時間を家で過ごせるように医者に頭を下げた。医者は、それを許可した。チューブをしながらのミルクの与え方やお風呂の入れ方などの指導をしばらく受け、愛莉を無事家に連れて帰ることができた。

 家に着いた日はクリスマスイブの前日だった。この日は看護師と技師がついてきてくれ、リビングにある愛莉のベットに機械をセッティングしてくれた。これからは三人でリビングで寝ることにした。そして、今からその機械の使い方の説明を受けようとした時、理久は思い出したかのように突然、

「ちょっと出かけてくる」

 っと言って出かけて行ってしまった。

「ただいま〜」

 理久が帰ってきたのは夕方だった。すでに説明は終わり、看護師と技師は帰っていた。心細く理久の帰りを待っていた沙恵は、玄関へ駆け出した。どこへ行ってたの。沙恵は文句を言おうとしたら、帰って来た理久の姿を見てあっけにとられた。右手で肩に大木を背負い、左手には紙袋を持っていて、中から赤と白の布のようなものが顔を出している。愛莉の洋服だろうか。

「え、なに買ってきたの?それは…愛莉の服?で、なに、それは。本物の木??」

「これは愛莉の服じゃなくて、サンタの仮装。こっちは本物のモミの木だよ」

 理久は得意げに言った。沙恵はぽかんと口を開けた。

「なに変な顔してるの、口なんか開けて」

 理久が笑った。

「退院祝いだよ、盛大にクリスマスやろう。サンタの仮装して、本物のモミの木でクリスマスツリー作ったら、本物のサンタ、来てくれそうじゃない?長生きできるプレゼント持って」

 理久は無邪気に笑った。

「そうね」

 家の中に二人の笑い声が響いた。

 次の日のクリスマスのイブ、理久は朝からツリーの飾りつけに没頭した。やっと完成した…お昼ご飯なんだろう…そう思って理久が沙恵の方を見ると、沙恵が愛莉に話しかけながらどうやら靴下を編んでいる。

「ここにこう通して…ここを結んで…」

 理久は沙恵が作っている靴下が完成するまで、少し離れたところで静かに見守った。

 完成した靴下は、赤とピンクの縞模様で、くるぶしの少し上に金色の鈴が付いていた。

「どうして靴下作ってたの?」

「んー靴下を自分で作ったら、サンタさんがいいプレゼントくれるかなって思って。可愛いでしょう?愛莉のイメージカラーで作ったの。愛莉へのクリスマスプレゼントにもなるかなって」

「イメージカラーって」

 理久は笑った。

「そんなに面白かった?」

 沙恵がツリーに靴下を飾りながら言った。

「将来愛莉と靴下作れたらなあ」

「ツリーの飾り付け、一緒にやりたいなあ」

 二人はスヤスヤ眠る愛莉の顔を、愛おしそうに眺めた。

 そしてついに新たな家族で過ごす最初のクリスマスの朝が来た。

 沙恵が起きた時、サンタがリビングにあるソファに座っていた。

「メリークリスマス」

 サンタがしゃがれた声で言った。沙恵はどうせ理久の仮装だと思い、バカにしようとしたが、そのしゃがれた声を聞いて、本物のサンタだと思って驚いた。

「あの…サンタさん…本物の?」

 沙恵は戸惑いながら聞いた。

「そうじゃ。」

 サンタはそう言いながら、手に持っていたプレゼントを沙恵に渡した。沙恵はプレゼントを開けた。中に入っていたのはイチゴだった。沙恵はお礼を言おうと顔を上げると、サンタがヒゲを取っていた。

「もうちょっと大きく靴下は作ってくれなきゃ。せっかく靴下にプレゼントを入れようと思ったのに、入らなかったよ。」

 サンタが言った。今度は明るいはっきりした声だった。サンタはさらに鼻から綿を取った。サンタは仮装をした理久だった。

「え、理久だったの?」

「まさか本当にサンタだと思っていたの?」

「はじめは理久だと思ったけど、メリークリスマス”って言った声があまりにもおじいさんの声だったものだから…」

「それはヒゲのせいだよ。思ったよりもモジャモジャしていたんだ。」

 理久は笑った。沙恵は恥ずかしそうに言い返した。

「うるさいなあ。そういえば、どうしてイチゴなの?イチゴをプレゼントする人なんて初めて見た」

「イチゴの花言葉、幸せな家庭なんだって。幸せな家庭がいつまでも続くようにって思って」


 愛莉は、十%の壁を乗り越え、二回目のクリスマスを迎えることができた。長い長い一年だった。去年よりも大きな、でも同じ柄の手作り靴下には、多くのいちごが詰まっていた。クリスマスツリーも同じようにモミの木で、同じように飾られ、ただ一つ違うのは、庭のイルミネーションが追加されたことだ。ツリー、靴下、イルミネーション。この三つは、愛莉の長寿を願う恒例行事となった。

 その次のクリスマスも乗り越えた。チューブも取れ、ただ激しく動かないことに気をつけていれば良いほどに回復した。運動できない愛莉の遊び場は庭のブランコとシーソーだった。それでも幸せだった。沙恵と理久は命の火が消える恐怖から、もう解放されつつあったーというより、死の恐怖を忘れつつあった。いつまでも幸せな生活が続く。沙恵と理久は、そうどこかで確信していた。

 そして、三人で過ごす四回目のクリスマス。愛莉は三歳になったばかり。いつもと変わらず、庭はイルミネーションで飾られ、クリスマスツリーはモミの木、靴下は赤とピンクの縞模様でくるぶしの少し上に金色の鈴が付いている。そしてプレゼントはイチゴ。イチゴは愛莉の大好物となっており、靴下作りも少し手伝えるほどに成長した。靴下の大きさも成長した。

「ママ、シーソーやろう。」

 愛莉が沙恵に言った。外はいい天気だった。太陽の光が雪に当たって、庭もキラキラ光っている。

「いいわよ。でももう直ぐお昼ご飯だからそれまでね。今日はパパが作ってくれてるわよ。楽しみね。」

 そう言いながら沙恵は愛莉と庭へ出た。

 理久は任せといてというように、台所からグットサインを出した。もうすっかり沙恵も理久も、お母さん、お父さんだった。

 そんな時だった。

 理久がご飯できたよと言おうとした時、沙恵の悲鳴が聞こえた。

「理久ー、は、早く来て、愛莉が…!」

 沙恵の泣き叫ぶ声が聞こえた。理久は慌てて庭へ出た。沙恵が必死に愛莉の心臓マッサージを行っていた。理久は瞬時に状況を理解した。愛莉の状態が急変し、心臓が停止したのだ。

「替わる。沙恵は救急車を呼んで!」

 理久が必死に心臓マッサージを行い、沙恵は電話の元へ猛ダッシュした。

 その後は一瞬だった。愛莉にしっかり、などと声をかける暇もなく、事態は慌ただしく動いた。沙恵と理久は手術室の外の椅子で待っていた。沙恵の頭にはずっと愛莉の声が響いている。

(ママ、シーソーやろう) 

 あの時、止めておけばよかった。沙恵はこんなことを考えていても意味がないことは分かっていた。きっと理久もそう言うだろう。でも今は自分を責めずにはいられなかった。 

 医者が出てきた。深刻な顔をしていた。そして、首を振った。

 

 愛莉はたった三歳でこの世を去った。


 沙恵に笑顔が戻るには時間がかかった。少し落ち着いたと思っても、急に泣き出したりすることもあった。沙恵に笑顔が戻ってきたのは、あの子供たちに会った日からだ。和希、蓮、凛。この日は十二月十日、愛莉の十歳の誕生日だった。


 「おばさん、おはよう」

 子供達は毎日来るようになった。クリスマスまであと五日。沙恵はイルミネーションで庭を飾った。沙恵は家に入り、庭を眺めた。いろいろな色の光と子供達の笑い声で庭は賑やかになってきた。

「じゃあ次は、蓮と凛がそっち側のって。俺たちがこっちに乗る」

 子供達はシーソーをやっていた。体重のバランスが取れているらしく、うまくシーソーを上下させていた。右側に凛と蓮、左側に和希。どうしてそんなにシーソーはバランスが取れているのだろう。三人とも細身で二対一でシーソーの左右に座っているのに。和希は見た目の割に重いのだろうか。沙恵は、少し違和感を感じた。

 そしてクリスマスイブ、この日はとても寒かった。外はいつもより強く雪が降っていた。それでも子供達はやってきた。

「おはよう。こんなに雪が降っているのに、今日も遊ぶの?」

 沙恵は身を縮ませながら掃き出し窓を開けて言った。

「うん。雪が降ってる方が楽しいよ」

 凛が雪の上に大の字に寝そべりながら言った。

「あ、それいいね、雪めっちゃ食べれるじゃん」

 和希が真似をした。

 雪は段々止んできた。

 凛と和希はシーソーを始めた。蓮はブランコの椅子に積もった雪をはらった。そして、なぜかもう一つの椅子につもった雪もはらって、ブランコを漕いでいた。

「はい、今日は寒いから、ココア、よかったら飲んで」

 沙恵はココアの入ったコップを三つ運んできた。そして、ふと目の端に入った景色に動揺した。振り返って確認すると、やはりそうだった。風は止んでいるはずなのに、蓮の乗ったブランコの椅子の隣の椅子も揺れている。沙恵は目を離せられなかった。何が起こっているの…

「おばさん、ココアもう一つ!」

 和希の声で沙恵はハッとした。

「もうひとつ?飲みすぎじゃない?」

「え、そんなことないよ。ちょうど四つじゃん」

 沙恵は首を傾げた。三人しか居ないじゃない…しかし和希が早く早くと急かす上、外は寒いので中に入りたい気持ちもあり、沙恵はもう一つココアを持ってきた。

「さえー」

 理久が呼んでいる。沙恵は理久のいるリビングへ戻った。

「ねえ、これってここ通すんだっけ?」

 理久が靴下を作っていた。

「そうよ。その靴下って…」

「いつも沙恵が愛莉に作っていたやつだよ。僕も挑戦しようと思って。それに沙恵が忘れているんじゃないかと思って」

 沙恵が笑った。

「忘れてたってわけじゃないのよ、まあ、それはおいといて、あなたも忘れているじゃない」

「何が?」

「靴下の色、微妙に違う。赤はあってるけど、緑じゃなくてピンクよ」

 理久がしまった、という顔をした。

「だってクリスマスカラーといえば赤と緑じゃん…」

「クリスマスカラーって」

 沙恵は大笑いした。

「まあ、大丈夫よ、気にしないで。もう、あとは鈴を付けるだけじゃない、頑張って」

 そう言うと沙恵は子供達の様子を見に行った。最近、子供達の姿に元気づけられるようになっていた。もうココアのコップは四つ全て空になっていた。

「靴下、完成したよ」

 理久が嬉しそうにやってきて、沙恵の隣に立ち、子供達を眺めた。

「見たいわ、あれ、靴下は?」

「これだよ。」

 靴下は理久自身が履いていた。理久にぴったりの大きさだった。

「いい感じじゃない。ツリーに飾っておいたら?」

「うーん、まだいいや。まだ履いておくよ」


 そしてクリスマスの日になった。今日は子供達の姿はなかった。きっと家族と過ごしているに違いない。

「おはよう、メリークリスマス。その靴下、履いて寝たの?」

「あ、脱ぐの忘れてた。あまりにも気持ちよかったから。ツリーに飾るの忘れっちゃったよ…」

 理久は、あちゃーと言った。そして、ふと思い出したかのように

「ちょっと買い物に行ってくる」

 と慌てた様子で言った。

「こんな朝早くに?」

 そう沙恵が呼びかけたが、返事はなかった。もう既に理久は外へ出た後だった。

 沙恵は理久を待つ間、家の掃除をすることにした。換気のために窓を開けようとした時、庭に誰かいるのが見えた。窓際に行くと、それは女の子だった。でも凛ではない。でも、凛や和希、蓮と同い年に見える。そして、細身だ。赤いワンピースに赤いコート、赤い帽子に赤い靴下。赤い靴下には見覚えがあった。赤とピンクの縞模様でくるぶしの少し上に金色の鈴が付いているーどこかで見た気がする。それにこの子の雰囲気。何か親近感が感じられる。

「そこで何をしているの?寒いから中に入らない?」

 沙恵は掃き出し窓を開けながら言った。かすかにイチゴの香りがした。そして、動揺せずに、とっさに優しい口調で喋れたことに驚いた。和希たち三人が初めて庭にいた時はあんなに動揺したのに、今はこの子がいることを当たり前のように受け入れている。

「ううん、全然寒くないよ。それより、遊ばない?今日はみんな家族と過ごすから、ここには来ないの」

「あなたは?家族と過ごさないの?」

 聞こえなかったのだろうか、答えは返ってこなかった。そして、もうシーソーの元へ走っていた。

「シーソーーやろう」

 その子はシーソーの両側に積もった雪を払いながら言った。沙恵は久しぶりにワクワクした。

「いいわよ」

 シーソーが上下に揺れる。ほとんど沙恵が足で動かしていたが、沙恵はそれでよかった。その子の笑い声が響く。靴下に付いた鈴もリン、リン、となる。笑い声と鈴の音の素敵なハーモニーが賑やかな世界に響く。

「その服、とても可愛いわね」

「本当?嬉しい。ママと選んで買った服なの。でもね、こっちは作ったのよ。」

 女の子が嬉しそうに靴下を指差した。

「少しママが手伝ってくれたけど、ほとんど私が作ったの」

「そうなの…」

「小さい頃からママと一緒に作ってたんだ」

「いいお母さんね」

 沙恵は微笑んだ。

「うん、大好きなの。パパも大好き。いつも素敵なクリスマスにしてくれるのよ」

 沙恵はこの子は何て素敵な家庭に育ったのだろうと思った。

「あ、ここだよ」

 突然その子が誰かに手を振った。沙恵は振り返った。沙恵は驚きのあまり、バランスを崩してシーソーから落ちてしまった。その子も沙恵がシーソーから落ちたせいで、急降下し、お尻を痛そうにさすっている。

 そこに立っていたのは白い袋を背負ったサンタだった。

「驚かせてごめんよ」

 そう言ってサンタは雪に埋もれている沙恵に手を差し伸べた。沙恵はその手を取った。その時、サンタの履いている靴下が沙恵の目に入った。沙恵の目はサンタの履いている靴下に釘付けになった。靴下は赤と緑の縞模様でくるぶしの少し上に金色の鈴が付いている。昨日理久が色を間違えて作ったものだ。じゃあ、このサンタは理久の仮装?そういえば昔もやってたような…はあ、後で、またサンタ信じたのって馬鹿にされる気がする。そしたら私も靴下の色を間違えたことを蒸し返そう…

「はい、これ、クリスマスプレゼント」

 サンタはそう言って沙恵に少し大きめの包装された箱を渡した。ずっしりと重かった。沙恵は中身が気になり、開けようとした。

「サンタさん、三人で鬼ごっこしようよ。たくさん走りたいの!」

 その子がそう言ったので、沙恵は開けようとした手を止めた。

「もちろんいいとも。わしが鬼をやろう。十、九、…」

 え、もう始まるの?でもベランダサンダルじゃ走りづらいわね…もう、脱いじゃえ!沙恵はベランダサンダルを脱ぎ捨てた。そしてサンタからもらったプレゼントも、少し迷って雪の上に置いておいた。

「…二、一、ゼロ」

 サンタが走り出した。沙恵は裸足で雪の上を走った。十年以上走っていない気がする。とても気持ちいい。若返った気分だ。その子も嬉しそうに駆け回っている。とても軽やかだった。そして、早い。サンタも早い。沙恵はすぐに捕まった。沙恵はハアハアと息を切らした。

「はあ…ちょっと休憩するね」

 沙恵は雪の上に寝そべった。雲ひとつない、綺麗な青い空が広がっていた。

「休憩しないで。タッチされた人が次、鬼なんだよ。」

 女の子が口を尖らせた。

「えーでももうママは限界よ」

 沙恵はそう言って目を閉じた。雪が気持ちいい。沙恵は無意識に自分のことをそう言っていた。沙恵は自分がそう言ったことに気づいていない。

「どうする、お嬢ちゃん」

 サンタの声が聞こえる。

「私はもっと遊びたい…あ、そうだわ、これならきっと疲れていてもできるわよね?」

「いいアイデアですな」

 サンタの笑い声が聞こえる。沙恵は女の子がこっちに来る気配を感じた。

「本当に疲れたのよ。サンタさんと遊んでおいで」

 沙恵は目を閉じたまま言った。女の子が近くで止まったようだ。そして言った。

「ママ、シーソーやろう」

 

 ピンポーン 

 どこか遠くでインターホンが鳴っている。沙恵は夢から引き戻されている感じがした。そして、自分が雪の上に横たわっていることに気がついた。

 ピンポーン 

 またインターホンが鳴った。沙恵ははっと目を覚ました。鳴っているのは自分の家のインターホンだと気付いた。沙恵は起き上がり脇目も振らず、掃き出し窓から家に入り、慌てて玄関へ行った。ドアを開けると、そこに買い物袋を持った理久がいた。

「生クリームと小麦粉と卵と砂糖、買ってきたよ。クリスマスケーキとしてショートケーキでも作ろうよ」

 沙恵はぽかんと口を開けた。

「理久が仮装してたんじゃなかったの?」

 沙恵は理久を無視して言った。

「何のこと?」

 理久はとぼけているようには見えない。沙恵は鳥肌が立つのを感じた。

「り、理久、早く靴脱いで」

 理久は戸惑いながらも急いで靴を脱いだ。靴下は、黒かった。普通の靴下だった。

「赤と緑の…昨日あなたが作った靴下…履いて行ったんじゃなかったの?」

「そうだったっけ?」

 理久は首を傾げた。

 じゃああのサンタは誰?もしかしてあの女の子…

 沙恵は急いで庭へ戻った。誰もいない。かすかにイチゴの香りがした。庭に出たすぐのところに、沙恵が脱ぎ捨てたベランダサンダルが綺麗に揃えて置かれていた。

 そして沙恵はクリスマスツリーに視線を移した。今朝、理久が履いていたはずの赤と緑の靴下が飾られていた。その隣にはーあの靴下ー赤とピンクの縞模様でくるぶしの少し上に金色の鈴。そしてその中に少し大きめの包装された箱が入っていた。さっきサンタからもらって雪の上に置いたはずのプレゼントだった。ほんのり甘い香りがした。さっき庭で香った香りと同じ香りだった。沙恵は包装紙を破り、箱の蓋を開けた。そこにはたくさんのイチゴが入っていた。一つ一つが真っ赤で、ルビーのようにキラキラ光っていた。

「ねえ、理久?」

「なんだい?」

 理久はもうケーキを作り始めていた。

「…なんでもないわ」

 しばらくしてスポンジのいい香りがしてきた。理久は沙恵がサンタからもらったイチゴを切り、トッピングをしている。

 外は雪が散らつき始めた。

 そして、ケーキが出来上がった。

 理久はケーキを切り分けている。そして、イチゴの香りが漂った。その香りは、さっき庭でかすかに感じたあのイチゴの香り、そして、サンタからもらったプレゼントの甘い香りと同じような気がした。沙恵は困惑した。つじつまが合うような合わないような…

「うん、自分で言うのもなんだけど、とても美味しいよ。スポンジもしっとりしてるし、イチゴもとても甘い。早く食べようよ。」

 理久はケーキを頬張っている。

 沙恵もケーキに手を伸ばした。その時ふと思った。

「ねえ、理久。さっきショートケーキの材料を買いに行ったのに、なぜその時イチゴを買わなかったの?」

 理久は相変わらずケーキを頬張っている。

 ケーキの上に乗ったイチゴは、ルビーのようにキラキラ光っていた。とても甘くて美味しかった。

 愛莉にはもう会えない。沙恵はようやく理解することができた。だが、不思議と素直に受け入れることができた。

 このケーキ、和希と凛と蓮にも食べさせてあげたいな。沙恵は思った。そして沙恵はケーキを三切れ、大事そうに冷蔵庫へしまった。

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