【短編】おばちゃん転生~最強チートなのにゲーム知識皆無すぎて普通に定食屋さん始めちゃいました~
「なんだいここは」
不二野幸江、五十八歳。
気が付いたら森の中で目が覚めた。
状況も、ここがどこなのかも、なにがなんだか分からない。
慌てて身を起こすと、カバンから携帯電話を出す。
しかしどのボタンを押したところで携帯電話はウンともスンとも言わなかった。
「んもう! 困ったわね、ケータイも使えないわあ。何日か前に充電したはずなんだけどねえ」
現代では必需品ともいえる携帯電話も、サチエにとっては友人たちとのたまのメールと、職場から病院の予約を取る時くらいにしか使い道はない。
職場の若い子に勧められてスマフォにしようかとも思っていたが、それは六十歳の定年を迎えて時間に余裕ができてからで良いだろうと思っていた。
サチエは普段、地元にある大きなメーカーで食堂のスタッフとして働いていた。
二十代で正社員として就職し、勤続三十年と少し。
定年を間近に控えるベテランの食堂のおばちゃんだ。
今日も一日の仕事を終えて母と弟が待つ家へと帰路を歩いている最中だったはずなのに、ぷつりと記憶が途切れており、気づけばこんな木が生い茂る場所で、土の地面の上で眠っていたのだ。
ぼんやりと覚えているのは眠っている間に見ていた夢のことくらいだ。
白髪白髭の老人がいて、アニメだかゲームだかの話をしていた気がする。
勇者だとかレヴェルだとか言っていたけれど、そういったことに疎いサチエには何の話だったのかよく分からないままだった。
「こうしていても仕方ないねえ、とにかく誰か見つけて駅か交番の場所を聞かないと」
ペチ、と。
両手で軽く両頬をタッチして気合を入れる。
サチエは強い。
内心での心細さを押し隠し、一人で生きる図太さだって持っていた。
もちろん心の中では、いざという時には頼りになる弟が今にも助けに来てはくれないだろうかとも思ったりしていたのだが。
結論からいえば、サチエは自宅に帰ることができなかった。
サチエが寝ていた場所は日本でもなければ、サチエの知っている世界のどの国とも違っていた。
サチエにとって、まったく未知の土地、未知の世界だ。
神隠しなど信じていなかったが、これがそうなのだろうか。
日本にいたはずのサチエは、ある日忽然と姿を消してしまったことになる。
帰る方法も分からず、日本の貨幣もカードも使えない土地で一人。
当初サチエは途方に暮れたが、たどり着いた街で出会った親切な人々の助けを借りて、なんとか日々を暮らすことができていた。
『サチエ、なにか困ったことはないか』
「ゴードンさん、いつも心配してくれてありがとう、この通り元気元気、大丈夫よう」
『おはよう、サチエ。また店に寄っておくれよ』
「食堂の女将さん、それじゃあお昼はお邪魔するわね」
『サチエちゃん、今日もお願いしたいことがあるんじゃが……』
「オハナおばあちゃん何でも言って。私でできることなら力になるからね」
ありがたかったのは、この国でも日本語が通じたことだ。
サチエが知らないだけで世の中は便利になっていたようで、聞いたこともない異国の言葉も不思議と意味が通じている。
翻訳機だかなんだかの機械が動いているのだろうかとサチエは納得して、このありがたい現象を甘受していた。
今ではすっかりサチエも街に馴染んだようで、街を歩けば様々な人が声をかけてくれる。
先ほど声をかけてくれたゴードンさん、食堂の女将さん、オハナおばあちゃんもこの街で出会い、仲良くしてくれている人たちだ。
ゴードンさんは、この街の憲兵さん。
日本の警察官のようなお仕事をしていて、このあたりの見回りをしてくれている。
以前、サチエが振り返りざまに肘を当ててしまった人がたまたまゴードンさんの追っていた犯罪者だったらしく、サチエの肘打ちに大げさに悶絶する犯人を捕まえた彼はそれ以降、サチエに感謝と敬意でもって接してくれる律儀な人だ。
次に声をかけてくれた食堂の女将さんはこの街に来てすぐの頃、人手不足だというお店をおせっかいで手伝ってから仲良くなった。
今でもメニューの相談に乗るお礼としてご飯をご馳走してもらえるので、何かと入り用のサチエには大変ありがたい話である。
そして今お宅にお呼ばれしたオハナおばあちゃんは、現役で薬師さんをしているすごいおばあちゃんだ。
お医者さんのように病状を見て薬を処方したり、薬剤師さんのように薬の調合すら自ら行っているらしい。
先日、路上でうずくまるように倒れていたオハナおばあちゃんをサチエが介抱したのがきっかけで、毎日のように報酬付きのお使いや手伝いを用意してくれている。
未だ決まった仕事を見つけられていないサチエにとって、オハナおばあちゃんのお使いの報酬はとてもありがたい。
「オハナおばあちゃん、今日は何をしましょうか」
出してもらった薬茶をいただき一息つくと、サチエはオハナおばあちゃんに尋ねる。
『なんだって頼みたいくらいさ。サチエちゃんの仕事は器用で丁寧で、それに魔法だって一級品だ』
「もう、オハナおばあちゃんったら。褒めても何も出ませんよ」
言いながらも、サチエはオハナおばあちゃんのそばへ行き、おばあちゃんの腰に手を当て、ゆるゆるとさすった。
オハナおばあちゃんが倒れていたのは、持病の腰痛の悪化が原因だ。
ぎっくり腰とは違うようで、こうしてサチエが手を当てさすってやるとみるみる良くなるとおばあちゃんはいつも言っている。
それをまるで魔法みたいだと言いたいのだろう、オハナおばあちゃんはいつもサチエの魔法がすごいのだと褒めてくれた。
日本では定年を二年後に控えたサチエにとって、こうして年長者から仕事ぶりなんかを褒められることはほとんどなくなっていた。
面映ゆい気持ちに頬が少し赤くなる。
オハナおばあちゃんは、照れたサチエをおかしそうに眺めたあと、今日のお使いの話に移った。
+ + +
【オハナおばあちゃんside】
サチエがこの街に現れたのは、突然のことだった。
王都から少し離れたこの街は、良い領主さまに恵まれたこともあって穏やかながらも豊かに栄えている。
薬師であるオハナも、元は王宮で薬師をしていたのを引退後、住みやすいこの街へと越してきたクチだった。
オハナはここ最近で街をにぎわせている張本人、サチエについて思い出すように考える。
穏やかで、しかし停滞したこの街で、サチエの存在は瞬く間に広まっていった。
突然現れた、小人族のように小柄な女性。
少女なのか熟女なのかは一見して判別がつかない。
幼げな容姿は愛らしいが、その振る舞いは立派な成人に見えた。
サチエを初めて見た者は、見たこともない服と持ち物が気になったという。
布ひとつとっても、意匠ひとつとっても斬新で、そしてどんな一流の針子店よりも優れた技術で作られたことがわかるものを身に着けていた。
街の人々が遠巻きにサチエを見て数日が経過した頃、事件が起きた。
以前より王都周辺を騒がせていた盗賊団の殲滅の折、王都軍が頭領を取り逃がしてしまったという。
そしてあろうことか、恐ろしい頭領その人がこの街へ逃げ込んだというのだ。
領主様はすぐさま御布令を出して多くの憲兵を動かした。
そして、頭領は呆気なく捕まった。
当時はまだ謎の人物だったサチエの活躍によって。
盗賊団の頭領は相当な実力者だったらしく、捕縛のために戦闘になった憲兵三名を返り討ちにして再度逃亡。
追いかける憲兵長ゴードンからもあわや逃げおおせようかという時、そこにサチエが現れたのだ。
サチエの姿を見て逃げろと叫ぶゴードンに対し、サチエはなんでもないような仕草で振り返ったように見せかけ、肘の一撃で頭領の腹を強襲!
頭領はなすすべもなく昏倒した。
さらにサチエは「あらあら、まあまあ、どうしましょう」などと言いながら頭領の肩口を押さえ込んで拘束、憲兵長ゴードンへと引き渡したという。
サチエのその後の対応も誠実で、ゴードン経由で伝えられた領主様からの褒賞の申し出も辞退。
曰く、「お巡りさん、いえ、憲兵さんたちのおかげで平和に暮らせてますから」と憲兵団の活躍を称賛し、鼓舞したという。
盗賊団頭領の捕縛に一役買ったサチエは 小さいながらも立派な人物だと街の人々に好意的に受け入れられ始めた。
そしてそんな折、今度はまた全く想像もつかない方法でサチエは活躍して見せたのだ。
その日は街の中心で、老舗の食事処『豊作亭』のおかみが困り果てていた。
食事処はたくさんあれど、豊作亭はこの街の顔のような店だ。
おいしいのはもちろんのこと、大衆が毎日通いやすい価格で日替わりで選べるほどメニューが豊富。
この街出身の者からすれば、母親の味に並ぶ故郷の味といったところだろうか。
その店の料理人である旦那が倒れたというのだ。
幸い命に別状なく数日で治るという話だったが、おかみと見習いたちだけでは店を開けることはできないという。
休日であることもあって人の入りが多いだろう上、料理長である旦那が仕込んだ分はあっても、それを使って調理をするのはこれからだという。
売上だって見込めるだろう休日でも店を閉めるしかないと、客相手に頭を下げていたおかみに声をかけたのが、他でもないサチエだった。
「仕込みもしてあるんでしょう。もったいないわあ。おせっかいでしょうけどね、おばさんの話聞いてくれるかしら」
「え、ええ。はあ」
先日の大捕り物の件を知っていたおかみは店にサチエを招き入れた。
色んな意味で無下にしていい人物ではないと思ったからだし、なによりサチエが豊作亭や旦那の用意した食材のことを心から心配してくれているのが分かったからだ。
「まあまあまあ。これだけあれば、なんだって用意できるわあ」
小さな体に見合わず豪快に笑ったサチエは、それから腕まくりをしてしっかり手を洗うと、呆気に取られるおかみ達の前で信じられない速さで次々に食材を料理に変身させていったという。
煮物、焼き物、付け合わせもスープもなんだって出来上がっていく。
それも、旦那が用意していた材料を余すことなく使ってだ。
店が開ける!
にわかに活気づいたおかみと見習いも奮い立ち、そうして旦那が帰ってくるまでの数日間、店をもたせることができたのだ。
──おっと。
店をもたせるなんて言い方じゃあ実状にそぐわない。
店はなんとか経営したんじゃない。
とんでもなく繁盛したのさ。
その時の様子を思い出したオハナは口角が持ち上がってしまうのを自覚する。
その数日間、豊作亭で出された料理の数々は、今やちょっとした伝説みたいになっている。
たまたまこの街に来ていた商人なんかが食べた味を忘れられず王都で噂を広め、それを聞いた人や再度訪れた商人なんかが豊作亭に行っては、「前回と違う!」と嘆いているとかなんとか。
サチエの料理はおいしすぎた。
せっかく復帰した旦那はサチエと比べられてかわいそうなほどだ。
同じ食材を使っているはずなのに。
切ったり下処理したのは旦那のはずなのに、サチエの料理は新しく、そしてとんでもなくおいしかった。
「おっと。よだれが出ちまうよ」
オハナは慌てて口元を拭うと、一度口にすることができたサチエの料理の味を思い出すのを一旦やめた。
「魔性の味だねありゃあ」
最近では豊作亭のおかみと旦那が結託してサチエから料理の技術を盗もう……いや、教えてもらおうとしているらしい。
それに、あまりに客がサチエの料理を出せ出せとうるさいから、豊作亭二号店を出してサチエに任せようなんて計画もしてるとかなんとか。
まあ確かに、サチエが店を出すってんなら援助したいやつはこの街にはたくさんいるさ。
あたしもそうさね。
オハナはひとつ頷き、ああ本当に悪くない話だと思った。
よし一つ、店の場所やなんかは用意してやろうかね。
助けられた恩もある。
王都の薬師は高給取りで、余生を過ごすには蓄えだって十分だ。
サチエが望むなら、小間使いの真似事なんかさせていないで、本当に店を出させてやろうと思った。
そう、オハナはサチエに大恩があるのだ。
天気の悪い日だった。
曇天と言っていいその日は季節にそぐわず冷えていて、嫌な予感がしていたのは確かだ。
オハナが王都での栄誉ある職を辞したのは、年のせいだけではなかった。
大変な技術を必要とする上級薬師は、時に危険な魔法材料すら使って調合を行う。
それらひとつひとつであれば害のない調合であっても、それは長い年月を経て降り積もり、いつしかオハナの体に想像を絶する痛みを伴う薬害となって現れていた。
出かけたくもない天気だ。
こんな曇った冷える日は症状が悪化し、痛みが特に強く出る。
しかし急ぎの調合に必要な材料が切れたために、角二つ曲がった向こうまで買いに行く必要があった。
仕方ないかと腰を上げたオハナは店を出て当の店で買い求め、その帰り。
アヅッ。
焼けるような痛みを腰に感じ、オハナは冷たい石畳に倒れこんだ。
痛みはますばかり、意識も薄れ、こんなことをしていればそのうち馬車か何かに引かれちまうと思いながらも動けないでいた時だ。
冷えて固くなった体に、流れ込んだのは包み込むような温かな魔力だった。
「回復、魔法……?」
痛みが無くなり薄くなっていた意識が戻り始めると、魔力の源がはっきりと感じられた。
それは、腰に当てられた手。
それからやっと、声をかけられていることに気が付いた。
『大丈夫? おばあちゃん、腰が痛いの?』
「あ、ああ。手当てをありがとう。だいぶ楽になったよ」
『起き上がれる? 頭は打っていない?』
「崩れ落ちただけじゃて、頭は打っておらんよ。ああ、ありがとう」
不思議な響きをしたその声は耳にとても心地よく、温かくふんわりとしたその者の手を借りて起き上がれば、繋いだ手からまた体を癒す魔力が流れ込んできた。
回復魔法。
それは、希少な魔法使いの中でもさらに希少で、心の底から他者への慈愛を持つ者に授けられる力だといわれている。
しかも、今治療された腰の痛みはただの腰痛などではない。
オハナの腰を蝕んでいたのは、薬師としての仕事のせいで長い年月でもって蓄積した魔毒による汚染なのだから。
王宮の魔法使いでさえも治せる者のいない魔毒汚染を、まさかこんなにあっさりと治してしまう者がおったとは。
オハナは驚き、そして自らに手を貸しているその治癒魔法の使い手を目にして再度驚いた。
サチエだ。
年老いた自分と変わらない背丈に、肉付きのよい体。
ふくふくとした柔らかな手はとても温かい。
こちらを気遣わし気に見てくる瞳は澄んでいて、含んだもののない純度百の善意なのだと分かる。
「ありがとう。あんた、サチエだろう? 噂に聞いているよ」
『あらいやだ! いったいどんな噂? 恥ずかしいわあ』
オハナのかけた言葉に表情を大きく変えて恥ずかしがるサチエは少女にも見えるし、こういっちゃあ悪いが何人も子どもを育て上げた熟達の女性にも見える。
噂どおりだと思いながら、治癒魔法の礼を言えども、サチエはポカンと分かっていないような顔をしていた。
とぼけているなら大したものだが、もしかすると本当に魔法を使った意識がないのかもしれない。
聞いたことがある。
かつて神から直々に祝福を受けた加護持ちがいたと。
その者は自身の持つ力が強大すぎるために、よく無意識に魔法を使ってしまうことがあったとか。
オハナは一瞬そう思うもののかぶりを振ってその考えを霧散させた。
まさかそんなおとぎ話の登場人物のような者がそこいらにいるはずがない。
そう思いつつ、自分を助けてくれたサチエという存在は特別なものに思えた。
『よくな~れ、よくな~れ、痛いの痛いのとんでいけー』
不思議な節を付けてサチエが腰を擦ってくれる度、自身を蝕んでいた薬の毒、魔毒が体から抜けていくのが分かる。
『おばあちゃん、動けそう?』
「ああ、もう随分いい。サチエのおかげさ。すぐそばにあたしん店があるから連れてっておくれ、茶ぐらい出させてくれ」
『いいのよう、そんなこと。でも心配だからお宅まで送るわね』
サチエは朗らかで、欠片もオハナを疑っていない。
行き倒れの詐欺だったらどうするんだい、なんて思いながら、オハナはすっかりサチエを好ましく思っていた。
サチエとの出会いに思いをはせていたオハナは、現実に意識を戻すと今日頼んだ手伝いをしてくれているサチエを見やる。
難しい魔力制御が必要な材料の下処理も、何の問題もなく行ってくれていた。
こうして手伝いやお使いの名目で色々とさせてみたが、サチエは器用で熱心で真面目な人柄だ。
そして、とんでもなく優秀。
彼女とも親しい間柄になったことだし、そろそろ彼女に店を持たないかと提案してみようかとオハナは考える。
豊作亭のやつらは二号店を任せたいらしいが、あたしとしてはぜひとも薬茶なんかも出す軽食屋にしてほしいもんだ。
そうすりゃあたしも口が出せる。
オハナはこれからを考え、口端が緩むのを感じた。
まあ、全てはサチエのしたいこと次第だ。
この街を暴漢から救ったことに始まり、あっちでもこっちでも街の住人を助けているサチエはみんなの大切な人間だ。
サチエが自ら稼いで身を立てたいと常から言っているのだから、みんな協力的にもなるだろうとオハナは明るい未来を夢想した。
後日、オープンしたサチエの食事処『おいしくな~れ』は盛況に次ぐ盛況ぶりで、この街だけでなく国中で話題になるほどおいしい料理が食べられる店として有名になる。
そして時にはそのあまりに美味しそうな匂いに釣られてやってきた古代竜が街にやってくるなど驚くような出来事もあったが、そのどれもをサチエがあっさり解決してしまうものだから大した騒ぎになることもなく順調な経営ぶりだ。
その後も古代竜は住処に帰ることはなく、サチエの三食の食事を条件に街近くで防衛を担ってくれることになる。
この街は古代竜に守られた世界一安全な街となったのだ。
サチエの店では、キッチンに立つサチエが『おいしくな~れ』と一声かけるごとにただでさえおいしい料理がそのおいしさを増すともっぱらの噂だ。
サービス満点のサチエによる五回のおいしくな~れが施された料理で昇天するほどの美味を味わったオハナが本当に昇天しそうになることなど、今のオハナはまだ知らないのだった。
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