【最終章】小さなメッセージ
「すまぬ、チャーリー。わらわの戦いに最後まで付き合わせてしまって……」
「何を謝っている? そう言えば、デルタとエコーから聞いたぞ。顔を真っ赤にしながら、利用するだけ利用して捨てると言ったらしいな。その姿が可愛かったから、捨てられないよう役に立って認めて貰うらしい。アルファはこの状況を楽しんでいるし、フォックスも最後まで見届けたいそうだ。ブラボーなんて、忠興を大学の研究チームに誘うと息巻いていたな」
「げっ!? 俺は勉強が嫌いだから無理だよ」
忠興は勘弁してくれと呟き、ばつが悪そうに頭をかいた。
「ガラシャ、どんな手を使って丸め込んだ? 僕でも手を焼くほど我の強い奴ばかりなんだが」
「わらわは何もしておらぬ。まったく……この時代は変な奴らばかりじゃのう」
「お前もな。じゃあ、行くとするか」
それぞれが同じ目的に向かって動き出す。その先には四百年にも亘り争い続けた飛緑魔の影が待ち構えていた……
※※※
「お前たち、どうしてここに来た? 今日は休むように伝えたはずだ。利家は目覚めたばかりだし、ガラシャも傷が深いと分かっているだろう。だいたい……」
屋敷に入るとチャーリーが強くまくし立ててくる。当然のことで、忠興と利家は何も反論できない。そんな中、玉姫はせがむようにチャーリーを見つめた。
「わらわは大丈夫じゃ。頼む、状況を教えてくれ」
チャーリーは大きなため息を一つ吐き、歩くのも辛そうな玉姫にソファーへ座るよう促す。
「隣町で大きな力が確認された。アルファ、ブラボー、エコーが直接確認してくれたんだが、発見できたのは力の痕跡のみ」
「力の痕跡?」
「飛緑魔が呪術を使用する時に発生した残留思念のようなもので、暫くは消えずに滞留する。それが力の痕跡。残された痕跡は二つで、一つは異常なまでに大きな力、もう一つは人間よりも小さな力だった」
人間よりも小さな力という言葉に、忠興と利家は同じ飛緑魔を思い浮かべる。それは図書館で遭遇した飛緑魔、終姫。
「忠興たちが想像している飛緑魔の可能性が高い。大きい力が始姫、小さい力が終姫。さらに他の地域でも痕跡が残されていると分かり、アルファたちに調べて貰っている。僕は残って連絡と指示役だ。ガラシャたちに今できることは無い。分かったか? 分かったなら……」
チャーリーは玉姫に近寄り、素早く額に護符を貼った。玉姫は気を失い、そのままソファーに横たわる。驚く忠興たちに向かい「この護符の力でもそれなりに回復するはず。本当は病院で診て貰うべきだが、病院を抜け出されても困る。アルファたちが帰ってくるまでは寝かせておこう。何か飲み物を持ってくる」と返事も待たず部屋を出ていく。張りつめていた糸が途切れ、忠興は押し寄せてくる脱力感に抗えず座り込んだ。そして運ばれてきた麦茶を喉へ一気に流し込む。
「ふう……生き返った。利家、もう体は何ともないのか? そう言えば魔鏡の呪いが掛けられているんだよな」
「ちょっと体は怠いけど、特におかしなところは無いな。それと、魔鏡の呪いはチャーリーに解いて貰ったよ。俺には必要ないものだ」
「そうか。まあ不死身になる訳じゃ無いし、力が強くなる訳でも無いから必要な能力では……そうだ、チャーリーに聞きたいことがあったんだ。俺たちが貰った飛緑魔の力を得られる丸薬は、副作用が無いように改良された物だと言っていたよな?」
質問の意図に気づいたチャーリーは目線を逸らし、口を噤んだ。
「隠しても無駄だぜ。改良前の薬をくれ」
「……無い。もう全て使った」
「嘘だ。それなら、何ですぐに答えようとしなかった? 黙らず最初から無いと言えばいい。渡したくないと考えたから答えなかったんだよな。今の丸薬では戦いについて行けないどころか足を引っ張っている。約束する、どうしようもない時にだけ使用すると。黙って殺されるくらいなら奥の手として用意しておきたいんだ」
その理論は尤もで、殺されてしまっては意味がない。リスクを知っておけば無駄に使用することも無いだろう。忠興の揺るがない信念を感じ取り、チャーリーは鍵付きの棚から紫色の小袋を取り出す。
「この袋には飛緑魔の力を封じ込めた小さな護符が入っている。心臓に当てれば体内へと入り込み、丸薬とは比べ物にならない力が出せるはずだ。だが、丸薬に順応した忠興でも耐えられる可能性は五割程度。力を制御できなければ体が灰となって崩れる……いや、それならまだマシな方だな。自我を失い、飛緑魔のように人間を襲うかも知れない」
「もしそうなったら、チャーリーが俺を消してくれ……そんな怖い顔するなよ。使わないで済むなら、そうするからさ。俺だって死にたくないから。そうだ、もう一つ聞きたいことがあったんだ。飛緑魔の情報ってどこから仕入れている?」
「新聞やテレビ、インターネットなどの媒体、情報屋に書物など様々だ。その中から怪しいものを選別して調べている。最近は特に多くの情報が出回っているようだ。飛緑魔が活発に動いている証拠だな。そんなことより、今はリスクの話を……」
まだ言い足りないチャーリーを宥めていると、偵察に出ていたエコーが戻ってきた。その手には不釣り合いな鞄が握られている。
「忠興くん、これ……」
「珠子の鞄!? エコー、どこでこれを……」
「暴走した時の珠子さんと似た力を感じて調べたら、道路に鞄だけが放置されていたんだ」
念の為に中を調べると、珠子の私物やスマートフォンが出てきた。
「残されていた痕跡は珠子さんのものではなかったから、そいつに連れ去られた可能性が高い。ただ、少し妙なんだよ。もう一つの力を僕は知っている。それは、珠子さんの暴走を止めようとして、丸薬を飲んだあの子……」
忠興と利家の顔から血の気が引いて行く。二人は直接見ていないが、玉姫から詳しく聞いていた。ゴルフ場で暴走した珠子の状況を。それを止めようと、丸薬を飲んで対抗した茉の話を。利家は加速する鼓動を無理やり押さえ、額に汗を浮かび上がらせ茉へと電話した。しかし、どれだけコールしても繋がらない。その様子を見ていた忠興が駆け出そうとして、チャーリーが止めた。
「止めるな! 珠子と茉が危険な目に遭っているかも知れないんだ」
「冷静になれ! 闇雲に探しても無駄だと分かっているだろう!? ガラシャならいざ知らず、お前がそんなことでどうする!?」
普段声を荒げる事の無いチャーリーの気迫に、忠興と利家は反論の声を飲み込む。
「……悪い、頭に血が上っていた。利家、お前は茉が家に居るか調べてくれ。俺は珠子が帰ってないか調べてくる。その後は一度ここへ戻ろう。チャーリーの言う通り闇雲に探しても非効率だからな。エコーの調べてくれた力の痕跡が関係しているとすれば、アルファたちの持ち帰る情報から何か分かるかも知れない」
「分かった」
それぞれが個別の動きを見せ、一時間後には屋敷へと集まり始めた。玉姫も目を覚まし、チャーリーを中心に話し合いが行われる。その中で最初に手を上げたのはアルファだった。
「じゃあ、僕から話すね。調べたのは北にある採掘場。力の痕跡はハッキリと残っていて、最初に調べた場所と同じような状態だったよ。不思議に思ったのは痕跡が弱くならないこと。時間と共に小さくなって消えて行く力とは違うみたいだ」
続けてブラボー、デルタ、エコーが調査した結果を伝える。三人とも似通った内容だったが、エコーが珠子の話を付け加えると玉姫は激しく動揺した。
「家にも帰ってなかったのじゃろう!? 絶対に飛緑魔の仕業じゃ。早くあやつらを助けてやらねば!」
「落ち着けって。飛緑魔の仕業って仮定するなら、みんなの情報を纏めるのが一番近道なんだよ」
忠興と利家に宥められて落ち着いた玉姫を横目に、フォックスが口を開いた。
「僕はアルファたちが最初に調べてくれた場所へ行ってみた。小さな痕跡は図書館で会った終姫という飛緑魔のもので間違いなかったよ」
全ての情報が集まり、ブラボーが逸早く法則に気づく。それを証明すべくチャーリーの机に置かれていた地図を使い、力の痕跡があった場所へ印を付けた。
「最初に調べたのは南西に位置する場所だったな。俺が調べたのは東、アルファたちが調べてくれたのは、北、西、東南。全てを線で繋ぐと五芒星になる。そして、消えない力の痕跡……チャーリー、これは儀式じゃないか?」
「ああ、そうだな。始姫と終姫は何か……」
突然、フォックスが立ち上がり窓の外を見つめた。
「チャーリー、感じない?」
「これは、終姫の力か。近いな……海辺の方角から感じる」
その力はとても小さく弱々しいものだったが、フォックスとチャーリーは見逃さない。全員が顔を見合わせ、風の様に屋敷を飛び出した。人気のない海岸付近まで駆けると、浜辺に始姫と終姫の姿が見て取れる。その横には、黒いオーラを纏う茉が立っていた。
「茉!」
利家が勢いよく飛び込み、忠興たちも後に続いた。
「貴様ら、茉に何をした!?」
「この娘のことか? 心に穴が開いていたから利用しただけ。もう要らぬ。欲しければ持って行くがよい」
始姫は大きな毬を空へと放り投げ、六体の屈強な赤鬼と青鬼が姿を現す。鬼はチャーリーたちへ襲い掛かり、洗脳されている茉は利家へと襲い掛かった。利三が倒した赤鬼や青鬼よりも遥かに強いのか、善戦するもチャーリーたちの動きは止められてしまう。茉は力こそありはしなかったが、手を出せない利家は防戦一方で押さえつけるのが精一杯。まともに動けるのは忠興と玉姫のみだ。
「始姫、終姫、逃がさぬぞ」
「中々の気概よのう。だが、たった二人で我と戦おうと言うのか?」
「倒せぬとも足止めできれば良い。時間を稼げば、仲間が貴様を倒してくれるであろう」
「馬鹿正直に話すのだな。良いだろう、時間稼ぎとやらに付き合ってやる。ガラシャ、お前はどうやってここへ辿り着いた?」
「力を検知したのじゃ。上手く隠していたようじゃが、わらわたちの目は欺けぬぞ」
「ほう、力を検知したとな。なるほど」
二人の会話を忠興は黙って見守る。同時に、頭の片隅でずっと抱いていた疑問の答えを導き出そうとしていた。
「こんどはこちらが問うぞ。お主、怪しい儀式を行おうとしておるな? 何を企んでおる?」
「そこまで気づいたか。流石よのう。勿論、答えるつもりは無いが……まあ、我が言わずともすぐに分かるであろう。終姫、例の物を」
終姫は銀色の粉が入った小瓶を始姫へと渡す。それを見ていた忠興が「あれは、明紫が使っていたもの……」と呟いた。
「上出来だ。多くの秘薬を作らせてきたが、その中でも一番大きな力を感じる。これならば我の呪いを増幅させられるであろう」
始姫が何を考えているのか見当がつかない。でも、絶対に止めなければならいことだと感じる。玉姫が更に追及をしようとしたところで、鬼を倒したチャーリーたちが傍らへと並んだ。
玉姫は「終わりじゃな。貴様らがどれだけ強いとしても、この人数には敵うまい」と仲間を背に啖呵を切る。
「フム、これは少々骨が折れそうだ。こちらの準備も整ったことだし、無理にお主らの相手をせずともよいだろう」
言葉とは裏腹に、始姫は大きな鎌を出現させ手にする。チャーリーたちが身構え、緊張の走る中で忠興が叫んだ。
「終姫を守れ!」
その言葉の意味が理解できず全員が固まる。始姫は無表情のままゆるりと鎌を振り下ろし、終姫を貫いた。傷口から黒煙が立ち上り、終姫の体が揺らぐ。始姫はフワリと姿を消し、忠興は倒れこむ終姫を支えた。
「大丈夫か!?」
「……あなただけは気づいていたのね」
忠興は終姫を抱きかかえ、悔やむような表情を見せた。それに気づいた終姫は忠興を押し退け、素早く利家と茉の下へ近寄る。そのまま茉へ金色の粉を振り掛けると、覆っていた黒いオーラが消えた。
「これで大丈夫。暫くは意識が戻らないと思うけど、目を覚ました時には元に戻ってるから」
不可解な状況に頭がついて行かず、玉姫は「どういうことじゃ?」と忠興に説明を促す。
「謎が解けたんだよ。ずっと疑問に思っていた『最後の晩餐を楽しみましょう』という言葉のな。最後の晩餐って作品は裏切者を示唆している。だから裏切者が俺たちの中に居るかも知れないって勘違いした。終姫……本当は自分が裏切者だと伝えたかったんだろ?」
「正解よ。情報のことも気づいていたの?」
「ついさっき気づいたばかりさ。前に比べて最近は飛緑魔に関わる情報が多くなったって聞いた。あんたが流していたんだろ? 始姫に気づかれないよう細心の注意を払いつつ、俺たちへ情報を伝えたかったから」
まだ忠興以外は信じられないと言った顔をして、口を挟めず傍観している。それを察して、忠興は核心に迫る質問を投げ掛けた。
「なんで始姫を裏切ったんだ?」
「最初から仲間なんかじゃない。私は陰陽師に作られた特別な飛緑魔で、傷を癒したり、呪いを解いたり、眠らせたり……様々な薬を体内で作れるだけの存在。暫くは陰陽師の治療役として使われていたのだけど、家族を惨殺された陰陽師から、始姫を消滅させるよう命じられたの。始姫は呪力増強の薬を欲しがっていたし、他の飛緑魔は始姫と一緒に居る私を恐れていたから、潜入後も深く詮索はしてこなかったわ」
「敵を騙すには味方から……か。道理でチャーリーが終姫という存在の詳細を知らなかった訳だ。始姫に悟られないよう、陰陽師の中でも極秘にしてたんだな」
「でも、私自身の力はとても弱い。それに加え始姫はあらゆる薬を受け付けない特異体質だった。時間だけが無駄に過ぎていき半ば諦めかけていた頃、信じられない話が舞い込んできたの。そこに居る陰陽師に、始姫と同等の強さを持つ月姒姫が倒されたってね」
月姒姫はチャーリーたちが倒した飛緑魔だ。余程強い相手だったのだろう。口には出さないが、明らかに険しい顔となったチャーリーの反応が見て取れる。
「だから情報を送り続けたのか。さっきも最後のチャンスだと思い、危険を冒してまで俺たちに力を検知させた。始姫は疑問に思ったんだろう。察知されないよう結界を張っていたのに、何故ここに居るのが知られたのかと。玉姫との会話で終姫が裏切っていると確信し、必要な呪力増幅材も手に入れた始姫は不要となったあんたを切り捨てた……こんなところだろう」
謎の全貌が明らかになり、ここでようやくチャーリーが動いた。
「やっと理解できたよ。終姫、消える前に答えて貰おう。始姫は何を企んでいる?」
「結界を張り、日本全土で力の検知ができないようにする……それが始姫の目論見。勿論、あなたたちの瞳でも飛緑魔と人間の区別がつかなくなるわ」
さらりと語られた重大な内容にチャーリーは絶句する。もし力が検知できなかったらどうなるのか? 飛緑魔を見つけられなくなり、命を奪われる被害者が増えるだろう。また、陰陽師たちも暗殺される危険性が増す。世間に紛れる飛緑魔と人間の区別はつかないのだから。仮に飛緑魔を見つけたとしても、一度逃げられたら追う術を失う。
「始姫は私から奪った薬で最後の仕上げに取り掛かる。儀式は五芒星の中心で行われるはず。急いだ方がいい……私はもう……」
「待て! 僕の姉が月姒姫の呪いに侵されて目を覚まさない。術者が消えた後も残る呪いを解くにはどうすればいい?」
「そう……方法は幾つかあるけど、月姒姫の呪いとなると限られてしまう。これを使って」
終姫は金色の粉が入った小瓶をチャーリーへ渡した。
「これは、茉に使ったものか?」
「もう新しく薬を作り出す力は残っていない。でも、一つだけ隠しておいたの。この薬はあらゆる呪いや力を無に帰せる。始姫の掛けた呪いが解けたんだから、きっと大丈夫……最後の一つだから無くさないようにね。それは報酬の前払い……必ず……倒して……」
終姫の体は完全に灰となり、風に乗り空高く舞い上がっていく。核となる宝石が見つからなかったのは、陰陽師の手によって作られた飛緑魔だからだろうか? しかし、彼女もまた与えられた運命を受け入れ精一杯生き延びた。その生き様を見届けたチャーリーは祈りを捧げ、全員に近くへ来るよう呼びかけた。
「もう理解していると思うが、時間が無い。僕たちは全力で始姫の野望を阻止する。指示を出すからすぐ動いてくれ。アルファ、ブラボー、デルタ、エコー、フォックスは調べた力の痕跡へと向かい術式の始動を押さえるんだ。そうすれば術式の始動を遅らせれるはず。その間に、僕とガラシャたちで始姫を倒す」
「了解。僕は北、ブラボーは東、デルタは西、エコーは東南、フォックスは西南へ。みんな、行くよ」
アルファたちは視線を合わせると頷き合い、素早く目的地へ散って行った。チャーリーは利家に視線を移し、ポケットから護符を取り出して渡す。
「利家は茉を家に送り届けろ。この護符を壁に貼っておけば強力な結界が張れる。例え始姫の部下が現れたとしても、結界内であれば襲われる心配は無いだろう」
利家は茉を背に抱え「分かった。後で合流する」と言って駆け出す。残ったのは忠興と玉姫だ。
「僕たちは一度屋敷へ戻るぞ。武器になりそうなものを補充してから五芒星の中心へ向かう……ガラシャ、どうした?」
覚悟を決めた瞳の忠興とは違い、ガラシャは気迫を失い俯いている。
「すまぬ、チャーリー。わらわの戦いに最後まで付き合わせてしまって……」
申し訳なさそうに眉を下げる玉姫に「何を謝っている?」とチャーリーは首を傾げ、突然思い出したかのように話を繋げた。
「そう言えば、デルタとエコーから聞いたぞ。顔を真っ赤にしながら、利用するだけ利用して捨てると言ったらしいな。その姿が可愛かったから、捨てられないよう役に立って認めて貰うらしい。アルファはこの状況を楽しんでいるし、フォックスも最後まで見届けたいそうだ。ブラボーなんて、忠興を大学の研究チームに誘うと息巻いていたな」
「げっ!? 俺は勉強が嫌いだから無理だよ」
忠興は勘弁してくれと呟き、ばつが悪そうに頭をかいた。
「僕は終姫から受け取った報酬分を働くだけだが……ガラシャ、どんな手を使って丸め込んだ? 僕でも手を焼くほど我の強い奴ばかりなんだが」
「わらわは何もしておらぬ。まったく……この時代は変な奴らばかりじゃのう」
「お前もな。じゃあ、行くとするか」
それぞれが同じ目的に向かって動き出す。四百年にも亘り争い続けた飛緑魔との最終決戦が迫っていた……
※※※
屋敷に戻り役に立ちそうな物を選別していく。チャーリーと玉姫は陰陽師の力を増加させる護符や薬など手に取って見定めるが、特別な力を持たない忠興は一般的な武具へと目を奪われた。
「ここは武器庫か? 催涙弾に閃光弾、銃にナイフ、防弾ベストに防護面……物騒なものばかりだな」
「忠興、これを持っていくのじゃ」
玉姫が渡そうとしたのは見覚えのあるゴルフバックだ。
「チャーリーに預けていた、利三の刀が入ってるバックじゃないか。刀なんて振り回すくらいしかできないぞ」
「構わぬ。利三も連れて行ってくれ。わらわの力では振り回すことすら困難なのでな」
顔を伏せ気味に告げる姿に、忠興は「分かった」と素直に頷きゴルフバックを背負う。他にも扱えそうな小型の武器などをバックへ詰め込んだ。それを横目に見ていたチャーリーが、紫色の護符を手に取り差し出す。
「忠興、これもポケットに入れておけ」
「俺に護符を渡しても意味無いだろ」
「御守りのようなものだ」
「神頼みかよ」
「キリシタンだからな。神に頼るのは当たり前だろ。さあ、そろそろ行こう。二人とも準備はできたか?」
玉姫は「大丈夫」と答えて動こうとしたが、それを忠興が止めた。
「ちょっと待ってくれ、確認しておきたいことがある。おおよそでタイムリミットは?」
「日本全土を覆う結界となると、準備ができていても儀式に三十分はかかるだろう。アルファたちが五芒星の力を抑え込めるのも三十分が限界だな」
「足して一時間か。俺たちの準備した時間を引くと残り四十分……もう一つ聞くぞ。始姫はチャーリーたちが倒した月姒姫ってやつと同じくらい強いんだろ? 俺たちだけで勝算はあるのか?」
「かなり苦しい戦いになると思う。僕の『SIX』も利家の心臓を動かす為に使ってしまったからな。だが、悩んでいる暇は無い」
「そうだよな、捕まってる珠子も心配だ……分かった。行こう」
屋敷を飛び出し、五芒星の中心へと駆けて行く。儀式が始まっているのだろうか? 始姫の力が忠興でも察知できるほど膨れ上がっていた。辿り着いたのは人気の無い山の麓。始姫も忠興たちに気づいているらしく、慌てる素振りを見せず迎え入れる。
「やはり来たか。術式が思うように進まぬよう小細工をしておるのだな? 大方、五芒星の軸となる箇所を抑え込んでいるのだろう。まあ、時間の問題……あれを抑え続けることはできぬ。お主らを消して暇つぶしとするか」
「珠子をどうした!?」
「あの小娘のことか? 内なる力を抑えられず暴走したので亜空へ閉じ込めておいた。心配には及ばぬ。結界が作動した後にゆっくりと洗脳し、我の右腕として働いてもらう予定だからな」
「させねーよ。お前をぶっ飛ばして、珠子を返して貰うぜ」
余裕を見せる始姫が、時間の無い忠興たちにとって戦う意思を示してくれたのは好都合だった。チャーリーと玉姫が距離を取りつつ移動し、三人で始姫を囲むように立つ。一斉に飛び掛かろうとしたところで、始姫は赤鬼と青鬼を召喚した。
「先ほどまでの鬼と思うな」
終姫から取り上げたであろう黒い粉を振り撒くと、鬼たちは黒いオーラに包まれる。雄叫びをあげ襲い掛かってくる鬼たちの動きは今までとは比べ物にならない速さをしていた。
「この二体は僕が相手をする。忠興とガラシャは始姫を!」
チャーリーが鬼を引きつけ、忠興は閃光弾で始姫の視界を断ち、玉姫がタイミングを合わせ飛ぶ。しかし、鎌を振る風圧のみで弾かれてしまった。
「小細工など通用せぬ……っ!?」
突然、始姫の足元が爆発した。どうやら、忠興が手榴弾をばら撒いていたらしい。
「俺たちの攻撃は意識を逸らせる為のフェイクだ。この爆発なら始姫だって……」
「我がどうした?」
爆風の中から無傷の始姫が現れる。こんな簡単に倒せるとは思っていなかったが、やはり一筋縄ではいかないようだ。
「まだじゃ!」
あらゆる武器と護符を駆使して攻撃するが、全くと言っていいほど手応えが感じられない。始姫が「もう飽きた」と呟き玉姫の頭上へ鎌を振り下ろす。間一髪、チャーリーが光の盾で弾いた。
「チャーリー、鬼を倒したのじゃな」
「いや、もっと効率のいい方を優先した」
チャーリーの後方には指示を仰がんとした鬼が控えている。その横でフクロウのような鳥が羽を広げていた。
「物の怪を操ることができる式神の鳥夢だ。召喚に時間が掛かるのと、飛緑魔のように考えて行動する物の怪は操れないって欠点があるけどな。鬼はどうにかなったよ。さあ、始姫を攻撃しろ」
チャーリーの声に反応し、鬼たちは始姫目掛けて棍棒を振りかざし襲い掛かる。しかし、微動だにしない始姫の一撃で紙切れのように切り裂かれてしまった。
「まだ力の差が分らぬのか? この程度で我を倒せると思うな」
「思って無いさ。でも、これ以上鬼を召喚して戦わせることはできないぞ」
「なるほど……では、直々に相手してやろう」
三対一となり、息つく暇もなく攻め立てる。チャーリーが加わったことで始姫も動きを見せ始めるが、それでも表情を崩すことなく余裕が窺える。
「本当に月姒姫を倒したのか? 我とまともに戦えるのは陰陽師の小僧だけではないか。以前相手をした利三という侍の方が余程手応えがあったぞ」
無理も無かった。月姒姫はアルファたち全員の力を合わせて倒したのだから、忠興と玉姫の二人だけでは力不足を否めない。用意していた武器や護符も底を突き、忠興たちは距離を取った。
「クソッ! チャーリー、何か手は無いのか!?」
「せめて後一人いてくれたら……」
「ここまでのようだな。せめてもの情けだ、一撃で全員の首を刎ねてやろう」
始姫の呪力が膨れ上がっていく。チャーリーと玉姫は忠興の前に立ち即席の結界を張った。だが、斬撃で結界ごと吹き飛ばされる。チャーリーは傷ついた体を起こして再び結界を張るが、玉姫と忠興は動けない。
「なまじ抵抗せねば楽に逝けたものを。そんなに仲間の死を拝みたいのであれば、一人ずつ確実に殺すとするか」
始姫は玉姫の前まで移動し、首元に鎌を当てた。
「終わりだ、ガラシャ」
玉姫が目を閉じて観念した瞬間「させるか!」との声と共に始姫が槍で穿かれる。振り返ると、利家が槍を手に構えていた。
「利家!」
「すまない、チャーリーの屋敷から使えそうな武器を拝借していたら遅くなった。玉姫、これを」
利家は玉姫の傍らに立ち護符の束を玉姫へと渡す。
「護符の種類なんて分からないからな。取りあえず適当に持ってきたぞ」
「よくやった。これだけあれば、まだ戦える」
一度は死を覚悟した玉姫も立ち上がり、始姫を睨みつけ構えた。同時に、チャーリーが駆け寄る。
「ガラシャ、利家、一分だけ時間を稼いでくれ。奥の手を使う」
二人はコクリと頷き、倒すのではなく足止めをするべく戦いを挑んだ。チャーリーは転がっていた利三の刀を拾い、忠興の下まで移動する。
「忠興、動けるか?」
「ああ、ちょっと頭を打ったけど大丈夫だ」
「御守りと言って渡した護符は持っているな? この刀に護符を貼付けて集中しろ。成功する確率は低いが一か八か降臨術を使う」
「こっ、こうか?」
利三の刀を握り締めて言われたとおりにすると、チャーリーが印を組んで術の詠唱を始めた。暫くして、忠興の頭の中に直接声が響く。
「……少年、よくぞ姫を護ってくれた」
「この声は、斎藤利三か!?」
「先の戦いでは不覚を取ったが、此度は負けぬ。いざ参る!」
意識とは関係なく体が勝手に動き始めた。その異常な状況に逸早く気づいた始姫は忠興へと照準を合わせる。互いの武器が激しくぶつかり合い、耳をつんざく音が響き渡った。防戦一方だった玉姫はあり得ない光景に呆然とする。
「姫、ご安心を。丸薬にて強化されたこの体ならば私の剣技も存分に振るえます」
「まさか……利三!? そうか、チャーリーが魂を一時的に呼び戻したのじゃな。あやつ、そんな高等呪術が使えるとは」
「ガラシャ、利家、感心している場合じゃ無いぞ! 僕たちも全力でフォローするんだ。この好機を逃したら次は無い!」
一気に形勢逆転となり、この戦いで初めて始姫が表情を崩す。鎌で攻撃すれば忠興と利家が打ち返し、術を発動すればチャーリーと玉姫が封じ込めた。一合、二合、三合……斬り合う度に始姫はジリジリと後退していく。
「ええい、煩い虫どもめ」
そして、忠興の刀が頬を掠めた。返す刃で切りつけると、追い詰められた始姫は鎌を投げ捨てる。
「許さんぞ……我が滅びるなどあってはならぬ! こやつを使い、全て滅ぼしてくれるわ!」
始姫は激高し、右手を地面に翳して亜空間への扉を開いた。現れたのは、力に飲まれ理性を失った姿の珠子だ。
「珠子!」
「ガラシャの子孫よ、あの者たちを消すのだ」
「ゥゥ……ゥァ……」
「何をしておる! 早くせぬか」
「ウワァァァァァァァァァ!!!」
珠子は発狂したかのように奇声を上げ、始姫の首を掴み持ち上げて笑う。
「フフフッ……ゼンブケシチャオウ……。ソウスレバ……ミンナシアワセ……」
「まっ、待て……我は……」
「キエチャエ……キエテシマエ―――!」
「グワァァァ!!!」
珠子の体を纏う黒い霧が始姫の口へと入り込み、一気に体を蒸発させる。珠子は残された宝石を踏み砕き不穏な笑みを浮かべ振り返った。
「ミンナイッショガイイ……イッショニキエヨウ……」
「珠子、目を覚ますのじゃ!」
「ガラシャ、近づくな! その黒い霧を吸い込んだら体の内部から破壊されてしまうぞ!」
ゆっくりと距離を縮める珠子。近づくこともできず後退する玉姫たち。
「忠興、利三の力でどうにか取り押さえられぬのか? わらわの子守唄で珠子の力を抑えられるやも知れぬ」
「さっきから利三が反応してくれないんだ。チャーリー、どうなってる?」
「降臨術は修行を積んだ高位なキリシタンだけが使用できる特別なもの……本来なら僕如きが使える術では無く、利三の強い意志が奇跡を起こしただけ。始姫が消えた今、魂を束縛する意思が消えてしまったんだ」
始姫を倒すという念願が達成されたのに、絶望的な窮地に立たされてしまった。誰もが珠子の動きを警戒する中、忠興だけは思考を張り巡らせる。
「もう利三は頼れない。用意した手段も全て使い切った。やっぱり、これしかねーな。俺が珠子の動きを少しだけ止める。玉姫、後は頼むぞ」
「何をする気じゃ!?」
忠興は紫色の袋から小さな護符を取り出し、強く胸に押し当てた。丸薬を飲んだ時とは比べ物にならない力が全身を駆け巡る。
「グッ……」
「忠興、それは!?」
「いっ……行くぜ!」
忠興は溢れだす力を制御できないまま飛び掛かり、無理やり珠子の体を押さえ込んだ。玉姫も後に続き、珠子の頭を優しく抱きかかえる。
「ハナセ……ハナセェェェ!!!」
「珠子、もう大丈夫じゃ。何も怖くないぞ、みんないる。珠子は独りじゃない」
珠子の髪を手櫛で梳き、黒く染まった力を浄化するように澄んだ声を響かせた。
『頭上に輝く宵の月 あなたを優しく包み込む わたしのもとへ訪れた あなたはわたしの宝物 花の綻ぶ陽の光も あなたの笑顔に勝るものはなく 腕に抱かれる温もりに いつの日もおだやかな安らぎを 柔らかな月の光のような おだやかな安らぎを……』
玉姫の柔らかな言霊が直接珠子の脳へと伝わっていく。次第に体から力が抜けて行き、珠子は玉姫の手を握り眠りについた。
「あれだけ騒いでおったのに、今は赤ん坊のような顔で眠っておる。まったく、困った娘じゃの」
「何とかなったみたいだな……グッ……」
「忠興!?」
「玉姫……珠子を連れて離れろ……」
忠興はヨロヨロと立ち上がり、チャーリーの近くへ歩を進める。
「チャーリー、約束したよな……俺が力に耐えられなかったら……」
「ああ、約束した」
「ダメじゃ!」
玉姫が駆け寄り背中から強く抱きしめる。忠興の背中に熱が伝わり、じんわりと染み渡って行った。
「玉姫……離れてくれよ……」
「嫌じゃ! 絶対に離れぬ!」
「……まあ、これも悪い気はしないな。チャーリー、やってくれ」
こんな結末は望んでいない。犠牲を払った勝利など誰も求めていない。しかし、決断しなければならない。無情にもチャーリーの右手が忠興の額に触れた。玉姫が声にならない悲鳴を上げた次の瞬間、忠興の体を金色の光が包み込む。暫くすると、黒く禍々しい力は跡形も無く消え去っていた。
「これは……そうか、終姫から貰った薬があったんだ」
「僕が《《仲間》》を見捨てるはず無いだろう?」
「でも、それはお前の姉ちゃんを助ける……ウワッ!?」
玉姫に押し倒され、胸ぐらを掴まれながら「忠興! 忠興! 忠興!」と激しく揺さぶられる。
「振り出しに戻っただけだ。姉さんを助ける方法は一から探せばいい。勿論、忠興たちにも手伝って貰う……」と話し続けるチャーリーの肩を利家が掴み「もう聞いてないぞ」と呟いた。地面に何度も頭を打ち付けられ気絶した忠興を見て「そのようだな」と言葉を切る。そして、二人は冷たい視線を玉姫へ向けた。我に返った玉姫は顔を真っ赤にして、忠興を乱暴に投げ捨てる。
「こっ、これは違うのじゃ。わらわは……えっと……そっ、そうじゃ! 忠興が腑抜けたことを抜かすので喝を入れておったのじゃ。フハハハハ」
相変わらず、とんでもなく可愛い反応をする玉姫。だが、チャーリーと利家には通用せず冷たい表情で流されてしまう。
「おい、無視をするでない! わらわは……」
「分かったから落ち着け。始姫は倒せたが、中途半端に作動している術式の解除もしなければならない。取りあえずアルファたちと合流しよう。利家は忠興と珠子を頼む」
「うむ、それなら得意分野じゃ」
「了解だ。忠興たちが目を覚ましたら合流しよう」
こうして、玉姫の四百年に亘る戦いは幕を閉じた。チャーリーたちは始姫の結界を完全に封印すると屋敷へ戻っていく。茉は操られていた時の記憶を持っておらず、死んだと思っていた兄との再会に涙した。一方で、意識を失った珠子は目を覚まさない。そして、数日が経過した……
始姫との戦いを終えてから三日後の朝、利家と茉は目を覚まさない珠子の様子を見に来ていた。
「ねえ、忠興さん……珠子ちゃんは本当に大丈夫なの?」
「寝ているだけらしいぞ。そのうち起きるから気にするなって」
暴走によって破壊された組織を修復している為、暫く目を覚まさないだろうとチャーリーは言っていた。余計な心配を掛けまいと簡潔に伝えたのだが、納得がいかない茉は珠子の頬をつねって引っ張る。すると「ケーキを食べたのは私じゃない……」と寝言が聞こえてきた。
「確かに寝てるだけみたいね」
「だろ?」
「玉姫ちゃんは何処へ行ったの?」
「散歩へ行ったよ」
二人が話す横で、利家は何も言わず俯いている。不思議に思った忠興は茉へ耳打ちした。
「あいつ、どうしたんだ?」
「分かんないの。最近は妙に静かで、昔のお兄ちゃんに戻ったみたい……」
騒がしい利家は困りものだが、静かな利家も見ていると心配になる。
「なあ、利家。いつものように馬鹿騒ぎはしないのか?」
「もう無理に明るく演じる必要は無くなったからな」
やはり、クールな利家になってしまったのだろうか? このままでは調子が狂うと、忠興は一計を案じた。
「そう言えば、どうしても利家と友達になりたいって奴が外に来てたぞ」
「……何だと!?」
利家が外へと飛び出して行く。忠興は後ろについて行き、玄関の扉に鍵をかけた。
「おい、誰も居ないぞ! 謀ったな、忠興!」
ガンガンとドアを叩いて開けろアピールしている。やっぱり、人はそんな簡単に変われないらしい。
「なあ、忠興。意地悪しないで開けてくれよ」
「朝から煩いのう。利家、何を騒いでおるのじゃ?」
利家が振り返ると、コンビニの袋を持った玉姫が呆れ顔で立っていた。「帰ったぞ、開けよ」との声に仕方なく玄関の鍵を開けたが、玉姫と一緒に利家も戻ってきてしまった。
「忠興、腹が空いたぞ。朝食はまだかの?」
「へいへい。茉も食べて行くだろ?」
「私もいいの?」
「一人くらい増えたって構わないさ」
「では、俺も頂くとするか」
「……五百円です」
「何で俺だけ金をとる!?」
忠興は冗談だよと笑い、手際よく朝食の準備を進める。
「玉姫ちゃん、コンビニで何を買ったの?」
「茉よ、よくぞ聞いてくれた。この『絶品スイートポテト』と『極チーズケーキ』を買ってきたのじゃ。たまには洋菓子も良いと思うての」
見せびらかすように両手で持ってアピールする玉姫。その声を聞き、どこからか叫び声が上がった。
「スイートポテトとチーズケーキ!? 食べたい!」
全員が驚いて固まり、突然起き上がった珠子へ視線が集中する。
「……あれっ? 茉ちゃんと利家さんが居る」
「珠子ちゃん、体は大丈夫?」
「えっ? 何ともないけど……」
訳が分からない珠子は助けを求めるように玉姫を見つめた。珠子が暴走したことは伏せ、これまでのいきさつを簡潔に話すと跳び上がって玉姫に抱きつく。
「全部終わったのね!? 良かったね、玉姫ちゃん」
「ああ、皆のお陰じゃ。珠子も起きたし、後でチャーリーの屋敷へ報告しに行こうかのう」
感動の場面へタイミングよく焼き魚、味噌汁、漬物、サラダ、たまご焼きがテーブルに並ぶ。忠興の「今日は特別にジャンボたまご焼きだ」という言葉が気になり、茉は一番にたまご焼きへと箸を伸ばした。
「すっごく美味しい!」
「タッくんはたまご焼きの研究をしていたからね。ママの作るたまご焼きと同じくらい美味しいの。それに、お味噌汁も絶品なんだよ」
「本当だ。お味噌汁も美味しい」
ホンワカした雰囲気の珠子と茉に比べ、玉姫、忠興、利家は殺気を放つ。
「わらわのたまご焼きを食べようなど百年早いわ。どうした、利家? 箸が止まっておるぞ?」
「クソッ、なんという速さだ。箸を伸ばした先のたまご焼きが全て消えていく」
「利家、呼吸を合わせろ! 玉姫の動きを分散させるんだ」
「フフッ、甘い……甘いのう。スイートポテトより甘い奴らじゃ。丸薬の力を借りず、わらわの速さについて来れると思うな」
必死に食らいつこうとしたが、健闘虚しくたまご焼きは全て女性陣の胃の中へ収まってしまった。ついでに、焼き魚とサラダも消えていた。忠興と利家は絶望の表情を浮かべながら残された漬物と味噌汁を口に入れる。何故だか分からないが、それはいつもの食事よりしょっぱく感じる二人だった。
「うむ、美味であった。さて、後片付けを終えたらチャーリーの屋敷へ行くとするか」
「玉姫ちゃん、食後のスイーツは?」
「珠子、お主もチーズケーキのように甘いのう。チャーリーの屋敷へ行けば高確率で茶菓子が出てくる。わらわが買ってきたスイーツは夜に回すべきじゃろう」
「そっか、玉姫ちゃんは天才だね」
平穏な日常風景に、忠興から自然と笑みがこぼれた。短い間だったが、まるで飛緑魔との戦いが夢だったのかと思うほど幸福を感じられる。しかし、まだ終わりではない。忠興は頭を切り替えて屋敷へ向かう。そこで迎え入れてくれたのは、チャーリーではなくブラボーだった。
「チャーリーはどうしたのじゃ?」
「仮眠を取っている。昨晩は遅くまで呪術について調べていたらしいからな。起こしてこよう」
「いや、構わぬ。起きるまで待たせて貰おう。ブラボー、茶菓子を用意してくれ」
反論する隙を与えず、客人たらぬ様でいつものソファーに腰を落ち着かせる。
「俺はこの屋敷の住人じゃ無いんだが……」
文句を言いながらもカステラと紅茶が用意される。どうやらブラボーは面倒見がいいらしい。
「珠子、茉、このカステラは中々じゃぞ」
「本当だ。フワフワで、すっごく美味しいね」
「アールグレイの紅茶も美味しいよ。カステラにピッタリ合うね」
カステラ談議をして待っていると、眠そうな目をしたチャーリーが奥の部屋から現れた。
「騒がしいと思ったらお前らか。どうした? お別れでも言いに来たか?」
予想しなかった言葉に珠子、茉、利家は驚いた反応を見せるが、玉姫は動揺せず答えた。
「珠子も目覚めたし、この時代で危惧することは無くなった。チャーリーの姉の呪いを解くのに協力しようとも思ったのじゃが、忠興や利家が居ればわらわの出番は無かろう」
「嘘……玉姫ちゃん、元の時代へ帰っちゃうの?」
「悲しそうな顔をするな。わらわはこの時代を生きる者では無い。元の時代にも帰りを待ってくれている人が少なからず居るのでな」
玉姫は泣き出しそうな珠子の頭を撫で、利家と茉へ視線を移す。
「お主らにも世話になった。優秀な家臣……いや、仲間に出会えて嬉しかったぞ」
「玉姫……」
「玉姫ちゃん、嫌だよう」
続けて、全てを悟っていた忠興と目を合わせる。
「忠興、お主の立てた武勲は最高じゃったぞ。数々の功績があるが、一番の功績は……やはり、わらわの話を信じてくれたことかの。他の時代では中々信じてくれぬ者も居て苦労したのじゃ」
「当たり前だろ。俺も玉姫の子孫なんだから」
サラッと爆弾発言した忠興に対し「なんじゃ、知っておったのか」と返す玉姫。珠子たちは目を丸くしながら、口をパクパクしている。
「えっ? えっ? わたっ、私とタッくんは兄妹だったの!?」
「何でそうなるんだよ。調べようが無いほど遠い親戚ってとこだろ」
「いつ気づいたのじゃ?」
「利三が残した言葉で気づいたよ。俺も不思議だったんだ。何で玉姫の言葉を簡単に信じたんだろうって」
確かに純粋な珠子たちとは違い、忠興なら信じられない内容だった。それを魂が受け入れたのかも知れない。玉姫の存在が消えれば、自分の存在も消えてしまうと。
「そっか。だから玉姫ちゃんはタッくんに対して無茶を言ってたんだね。あれっ? 利家さんに対しても他の人とは態度が違ったようだけど……」
「そうだぞ。俺は最初から歩み寄ろうとしていたのに、何度も冷たく遠ざけた理由はなんだ?」
「キモイからじゃ」
「ホワイ!?」
利家は両手両膝を地に着け絶望する。この姿を見るのは久しぶりだ。玉姫は大口を開けて笑い、ソファーに置かれていた風呂敷を手にした。
「やはり、こうでなくてはの。湿っぽい別れは苦手なんじゃ」
「玉姫ちゃん、待って……」
珠子の抑止を聞かず、風呂敷から時の勾玉を取り出し念じる。そして……
……
……
……何も起きなかった。
「玉姫ちゃん?」
「どういうことじゃ……帰れぬぞ!?」
あたふたする玉姫を見据える忠興が「やっぱりな」と呟く。玉姫は天井を仰いで冷静に考察している忠興に詰め寄った。
「前に言ってたよな? 子孫が成長して魂の波長が合わなくなれば強制的に元の時代へ戻されるって。それに、同じ時代には二度と行けないとも聞いた」
「それがどうしたというのじゃ?」
「これは、あくまで推測だぞ。玉姫は珠子や俺の魂に標準を合わせて時を超えた。つまり、俺たちという目的地と道標があった。でも、元の時代に帰ろうとしても道標となる人物がいない」
玉姫は理解が追いつかず、横からブラボーが割って入る。
「なるほど。簡単に言うなら、元の時代へ戻る方法は無く強制的に帰されるだけ。自分の意志では戻れないと」
「そういうこと。他にも色々と考察はあるが……もう聞いてないみたいだな」
ブラボーの解説を聞いて、理解の遅い珠子ですら納得した。カッコつけて別れようとし、帰れないと知って恥ずかしさに赤面しつつ愕然とする玉姫。何とも言えない空気が漂い、それを払拭するべく大声を上げた。
「わっ、分かっておったぞ! わらわは冗談を言っただけじゃ。チャーリーの姉の呪いを解くという課題も残されておるし……のう、チャーリー」
「いや、お前……もう自分の出番は無いって……」
「ええい、煩いぞ! 早く追加の茶菓子を持ってくるのじゃ……これっ、珠子、茉! いきなり抱きつくでない」
珠子と茉は嬉しさの余り玉姫から離れようとしない。ノリで利家も混ざろうとするが、急所を蹴り上げられ泡を吹いて倒れる。巻き込まれたくないチャーリーは奥の部屋へ入ってしまい、身の危険を感じたブラボーは廊下へ出て行く。忠興も玉姫たちから離れ、ブラボーの後を追って廊下に飛び出した。
「ブラボー、待ってくれ。時の勾玉について詳しいことを知りたいんだ。何か資料は無いのか?」
「心当たりはあるぞ。今度一緒に調べるか?」
「助かるよ。なあ、ブラボーは時の勾玉についてどう思う? 心当たりがあるってことは何か調べたんだろ?」
「ガラシャは同じ時代に行けないと言っていたらしいが、俺は何度でも行けると思う。但し、行けるのは子孫と魂の波長が完全に一致した時間にだけ。一度帰ってからこの時代に来ようとすれば、俺たちと出会う前の世界に辿り着いてしまうだろう。それは同じ時を繰り返すという意味に繋がる。ガラシャの言葉を正しく直すなら、一緒に戦って成長した仲間たちの下へは行けない……かな。まあ、推測の域を超えないが」
忠興は的確な推測だと思い大きく頷く。しかし、どこか納得のいかない顔をしていると感じたブラボーは「他に何が聞きたい?」と質問を返した。
「一度に複数の人間が時代を超えるのは可能だと思うか?」
複数の人間という言葉から考えられるパターンを推理し、何を言わんとしているのか理解したブラボーはハッとした表情を見せる。
「まさか、ガラシャの時代に行くのか?」
「あいつ、目の前で家族や仲間が惨殺されたらしい。地獄のような光景だったと思う。普通なら狂ってもおかしくない状況で、子孫たちを護るって決意したんだ。今度は俺の番。玉姫の存在する時間軸を平和にしたい。過去には利三も居るから、希望はあるはず」
確固たる信念が声の強さから窺え、ブラボーは少しだけ口角を上げた。
「可能性はあると思うぞ。例え一緒に行けなくても、別の勾玉を使い過去に飛ぶ方法だって考えられる」
「そうか、時の勾玉が世の中に一つしかないなんて決まってないもんな」
「もし過去に遡れると分かったら俺も同行したいよ。歴史の謎が一気に解明できるチャンスだから」
「帰って来れないかも知れないぜ」
「探求にリスクはつきものだ」
スケジュールを確認してから連絡すると言い残し、ブラボーは屋敷を出て行く。忠興が客室に戻ると……まだカオスな状態が続いていた。
「茉、そのゼリーはわらわの物と言ったじゃろ!?」
「玉姫ちゃんは二個も食べたじゃない。あっ、珠子ちゃん……何か背中に隠したでしょ?」
「えっ、なっ、何も隠してないよ! お煎餅なんて隠してないから」
視線を落とすと、まだ利家が泡を吹いたまま気絶している。もしかして、また逝ってしまったのでは無いだろうか? どうでもよくなり全てを無視してソファーへ座り傍観する。余りの騒がしさに、奥の部屋へ避難していたチャーリーが乱暴にドアを開けた。
「煩いぞ! 僕は仮眠したいんだ。これをやるから出て行ってくれ」
差し出されたのは最新アトラクションが楽しめる室内遊園地の無料券だ。珠子たちは目を輝かせながらチケットを手にする。
「チャーリーさん、本当に貰っていいの?」
「好きにしろ。ブラボーが親戚から貰ったチケットだが、僕たちは興味無いからな」
茉は利家の頬を叩いて無理やり起こし、珠子は忠興と玉姫の手を引き出て行く。残されたチャーリーは魂も細るような深いため息を吐いた。
「これで落ち着いて寝られるね」
振り返った先で、式神の『ジル』、『めう』と戯れるフォックスが笑っている。
「また気配を消していたのか」
「そんなことないよ。ガラシャさんたちが騒がし過ぎて気づかなかっただけでしょ? それにしても、本当に面白い人たちだよね。チャーリーが僕たち以外に心を開くのも珍しいし、いつの間にか友達以上の存在になってる」
「馬鹿を言うな……まあ、退屈はしないけどな」
ようやくゆっくり休めると思ったところで、デルタとアルファが飛び込んで来た。
「エコーの妹が手料理を振舞ってくれるらしいぜ! チャーリー、フォックス、早く準備しろ!」
「騒がしいのは嫌いなんだ、僕を独りにしてくれ……って、エコーはボヤいてたけどね」
「……」
一難去ってまた一難。チャーリーがゆっくり休めるのは、どうやらまだ先の様だった。
※※※
「玉姫ちゃん、次はどれにする?」
「そうじゃのう……茉はどれが良い?」
「このトランポリンゾーンってところにしようよ。ほら、お兄ちゃんと忠興さんも行くよ」
元気な三人娘とは違い、振り回されっぱなしの利家と忠興はベンチで項垂れていた。
「待て、少し休ませてくれ」
「もう、だらしないなあ。行こっ、珠子ちゃん、玉姫ちゃん」
改めて女子高生の無尽蔵な体力に驚愕する。自販機で買ったペットボトルのお茶を喉へ流し込み、一息ついたところで利家が口を開いた。
「それで、忠興は誰を選ぶことにしたんだ?」
「また、その話か。何度も言ってるけど、玉姫は四百年前とはいえ既婚者だぞ。しかも、俺は玉姫の子孫だ。茉も俺に興味があるとは思えないしな」
「そうでも無いぞ。最近の茉は忠興の話もしている。それに、玉姫の方も大した問題じゃない。既婚者だろうが祖先だろうが、この時代では関係ない。さあ選べ、玉姫か、茉か、俺か!」
またしても、さりげなく自分を入れている。しかも、一番肝心な珠子の存在がどこかへ行ってしまったようだ。
「そんなことより、利家はこの先どうするんだ?」
「何も変わらないぞ。普通に大学を出て、就職して、茉が結婚するまで養う。親の遺産だけを頼りに生きていけないからな。勿論、できる範囲でチャーリーたちの協力はするつもりだ」
「そっか。俺はどうしようかな……」
「もう決まっているのだろう?」
忠興は目線だけを動かし、即答する利家の表情を確認する。
「何をしたいのかまでは分からないが、今の忠興は決意に満ちた目をしている。必要だと思ったら迷わず声をかけてくれ。遠慮はするな。例えどんな状況になっても、いつだって俺は忠興たちの味方だ」
利家は昔から変わらない真っすぐな瞳で見つめ、手を差し出す。忠興は頬を緩ませ、その手を払い除けた。
「馴れ合いは必要無い……だったよな? 必要な時は頼ってやるよ。但し、俺じゃなくて珠子と玉姫を助けるのが優先だ」
「ああ、それでいい」
小学生の頃の自分たちと重なり、腹の底から笑いが込み上げてきた。あの日、忠興がとった行動、利家が下した判断、全て間違っていなかったと心から思える。
「じゃあ、そろそろ俺たちも合流するか。あんまり休んでいると後で馬鹿にされるからな」
その後は忠興たちも全力で遊び、利家たちと別れてアパートへ帰った。部屋に入るなり三人は床へ座り込む。
「さすがに疲れたな。丸薬は使って無いけど、明日は筋肉痛確定だよ」
「丸薬にばかりに頼って普段から鍛錬していない証拠じゃ。そんなことより忠興、腹が空いたぞ」
「へいへい」
だるい体を起こして冷蔵庫の前まで移動し、扉に手を掛けたところで動きを止めた。
「あっ……そうだった。買い出ししてないから冷蔵庫の中身空っぽだ。仕方がない、弁当でも買ってくるか。お前らは何にする?」
「幕の内弁当でよいぞ」
「私は……選びたいから一緒に行くよ」
夕焼け色に染まった街を珠子と二人で歩く。玉姫が来てからはあまり無かった状況に、忠興は少しだけ緊張していた。
「タッくん、どうしたの?」
「いや、疲れたなあって」
「でも、面白かったよね。幸せ過ぎて怖くなっちゃう……本当のことを言うと、ずっと辛かったの。独りぼっちでいつも泣いてた。もう心の底から笑えること何て無いと思ってた。だから、タッくんと玉姫ちゃんに出会えて良かった」
「珠子……」
勢いで珠子と一緒に暮らし始めたが、忠興も最初は距離を縮められずに悩んでいた。悲劇のヒロインを救うという、自分勝手な正義を振りかざしているだけだろうか? 幼い頃の珠子を救えなかった償いがしたかった? 偽善者と言われてもおかしくない状況に苦悩していた日々。そんな壁を突然現れた玉姫がぶち壊してくれた。自分は間違っていなかったと思わせてくれた。傍観者となり穴の中へ隠れていた自分を引き上げてくれた……それだけで、玉姫には感謝してもしきれない。
珠子も玉姫のことを考えていたらしく、立ち止まって夕日を見つめ寂しそうに呟く。
「私ね、夢の中で玉姫ちゃんの子守唄を聴いたんだ。ママと一緒で、とっても優しい声だったよ」
「……そうか」
「玉姫ちゃん、元の時代へ帰っても独りぼっちにならないよね?」
「待ってくれている人が居るとは言ってたぞ」
その言葉が本当かどうかは分からない。珠子たちに気を使い、そう言っただけかも知れない。真実は分からないが、四百年前に戻れば飛緑魔の恐怖に怯える日常が続くのは間違いないだろう。始姫の脅威が無くなったのは、今の時代だけなのだから。
「私……玉姫ちゃんに何もお礼できてない。ねえ、タッくん。私たちで玉姫ちゃんの時代も平和にできないかな?」
「そうだな。考えてみるよ」
珠子も同じ思いだと知って意志をさらに強くする。時代を遡り、玉姫の時代の始姫を倒す。そして、忠興にはもう一つの目的があった。それは、珠子の中に眠る力を完全に消し去ること。過去の終姫に出会えれば可能なはず。
「タッくん、大丈夫? 怖い顔してるよ?」
「ああ、悪い。腹減ったよな? 早く帰って弁当を食べよう」
「うん!」
目的が明確になり、足取りも軽やかに駆けだす。もう迷わない。妥協しない。必ず成し遂げてみせると誓い玄関のドアを勢いよく開けた。その視線の先には、風呂上がりで下着姿の玉姫が顔を真っ赤にしている。忠興は硬直し、そっと玄関のドアを閉めた。
「……入ってもよいぞ」
暫くして、玉姫の低く濁った声が聞こえてくる。珠子はオロオロしているだけで役に立ちそうもない。恐る恐る部屋へ入ると、玉姫が包丁を投げつけてきた。包丁は忠興の髪をかすめ、飾り気の無い真っ白な壁へ突き刺さる。
「切腹しろ」
見下す瞳は氷のように冷たく、腰まで伸びた髪が揺れる度に恐怖を感じる。
「まっ、待て! 落ち着いて話し合おう!」
「言い訳は聞かぬ」
「珠子、助けてくれ!」
「珠子は気絶しておるぞ。そんなことより、着替えを覗いた罪で切腹じゃ」
泡を吹いて気絶する珠子。腰を抜かし、ガタガタと震える忠興。この三人の苦難はまだまだ続いて行く……
【たまひめ!! 完】




