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たまひめ!!  作者: 大滝タクミ
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【第四章】親友

「心のどこかで、俺は凄いって思ってた……自信があったんだ。分かってたよ……軍師や参謀って奴はさ、常に最悪な状況を考えて行動する……だから、俺も分ってた……いや、分かった気になってたんだ」

「タッくん……」

 俯き項垂れる姿からは表情を確認できない。それでも、握り締めた拳に落ちる忠興の涙が珠子の胸を痛いほど締め付ける。

「こんなにも……辛いんだな……」

「……」

 かける言葉など見当たらず、珠子は忠興の背中から優しく抱きしめる。

忠興は涙を見せたことなど無かった。少なくとも、珠子の前ではどんな時も強がっていた。それが、恥も外聞もなく弱音を吐き出している。まるで、この世から消えてしまいたいと言わんばかりに……


※※※


 始姫との激戦から一週間後。朝食を取る忠興と玉姫は、いつもと違った雰囲気にイライラする感情を隠せなかった。

「なあ、珠子。あそこに置いてあるジャージ、玉姫が着ていたやつだろ? 確か、飛緑魔にボロボロにされてたよな。捨てないのか?」

「ふふっ。あれはね、ママのジャージなんだ。玉姫ちゃんがママから貰って着てたんだよ」

「そうか。じゃあ捨てる訳にはいかないな」

 ジャージなんてどうでもいい。それより他に聞くことがあるだろう? そんな言葉が聞こえてきそうな玉姫の突き刺す視線を浴び、忠興は観念して素朴な疑問を口にする。

「なあ、何で……利家がここに居るんだ?」

「おいおい、連れないな忠興マイブラザー。元気が無いって聞いたから、こうして励ましに来たんじゃないか。それにしても、このたまご焼き美味いな」

 珠子に視線を移すと、とても気まずそうに目を逸らした。

「……珠子?」

「えっ、いや、だって……タッくんと玉姫ちゃん……ずっと元気が無かったから……。相談したら、俺に任せろって……」

 相談する相手が間違っていると、忠興と玉姫は同時に思う。

「ほらっ、見せてみろよ。たまご焼き争奪戦ってやつをやるんだろ。面白そうじゃないか。この俺も全身全霊を捧げて参加しよう。さあ、来い」

 利家が箸と茶碗を持ったまま変なポーズで威嚇してくる。間違いなく、とてもウザい。

「利家、こちらへ来るのじゃ」

「どうした? 争奪戦のルールを教えてくれるのか?」

 玉姫は利家の伊達メガネを外し、そのまま目潰しを喰らわした。

「グワァァァ!」

 激痛に身をよじり、両手で目を押さえゴロゴロ転がる利家。

「ようやく静かになったな」

 まったく静かになっていない。利家の魂の悲鳴が響き渡っている。

「珠子、余計な気を遣うなよ」

「でも、タッくんたち何か変だよ。ねえ……私が気絶している時に何かあったの?」

 確かに色々とあった。珠子の暴走、始姫との遭遇、利三の消滅……どれも珠子には伝えられない内容だ。しかし、それ以上に知られてはならないことがある。それは、雨の中での出来事。

玉姫は思い出す。恥ずかしくなるくらい大泣きして、忠興の胸に身を寄せたことを。忠興も思い出す。勢い余って玉姫を抱きしめてしまったことを。

「二人とも顔が赤いよ?」

「きっ、気のせいだよ」

「そうじゃ、気のせいじゃ。そう言えば、今日は茉がおらぬのう。利家、茉はどうしたのじゃ? 何で転がっておるか知らぬが、早よう答えよ」

 玉姫が目潰しをしたからなのでは? そう思う忠興と珠子だが、あえて口にしない。

玉姫マイマスター、酷いじゃないか。俺は……ん? ちょっと待て、チャーリーから着信だ。はい、もしもし。えっ? 茉がそこに居て……帰ってくれない。ジルと遊んでいて、めうにも会いたいと……なるほど、それは由々しき事態だな……」

 どうやら妹も別の場所で迷惑をかけているようだ。玉姫は深くため息を吐き、利家からスマートフォンを取り上げた。

「ガラシャじゃ。聞きたいことがあるから、今からそちらへ行っても良いか? ついでに茉も回収しよう……うむ、三十分後くらいじゃ」

 玉姫が通話を切ると同時に、忠興が食器を片付け始める。

「まだ食事の途中だったろ。そんなに焦る必要は無い。のんびり行こう」

 お前とお前の妹のせいだ。そう言っても無駄だと分かっているので、忠興たちは何も反応せずアパートを出た。置いて行かれた利家も慌てて後を追かける。

「なあ、忠興。前みたいにさ、お日様に向かって走ろう。一緒に青春しようじゃないか」

「そんなことをした記憶は無い。おい、玉姫。変な顔でこっちを見るな。こいつの頭がイカレているだけだ」

 玉姫は忠興を無視し、珠子を背に乗せ凄まじい速さで駆けて行く。

「待て! 俺を地獄に置いて行くな!」

 忠興は一時的に飛緑魔の力が得られる丸薬を飲みこみ、無我夢中で走り出した。

「おお、今度はみんなで青春か。俺も負けないぞ。天国パラダイスまで駆け抜けよう」

 利家も迷わず丸薬を飲みこむ。

「たっ、玉姫ちゃん……はやっ……速すぎるよ」

「玉姫! 珠子! 頼むから俺を独りにしないでくれ!」

「アハハハハハ! 楽しいなあ。俺は今、青春している。親友たちと青春しているんだ!」

 利家の外見が清潔感のあるイケメンで良かった。これで見た目もおかしかったら職務質問確定だろう。そんな利家を誰も振り切ることは出来ず、気づけばチャーリーの屋敷に着いていた。

「早かったな。電話を切ってから十五分くらいしか経ってないぞ」

「色々あってのう。そんなことより、茉はどこじゃ?」

「隣の部屋に居る」

 チャーリーは呆れた表情で隣の部屋へ続くドアを指さす。その態度を不信に思い、玉姫たちは音を立てず少しだけドアを開けた。

「にゃん、にゃん。にゃん、にゃん。ジルちゃんは可愛いでちゅね」

 勿論、茉は覗かれていると気づいていない。玉姫は無表情のまま、そっとドアを閉めた。

「茉はおらなんだ」

「そうだな」

「茉ちゃんじゃなかったね」

「ああ、俺の妹は居なかった」

 珍しく、利家を含む全員の心が一つになっている。玉姫たちが何事も無かったかのように戻るとチャーリーが本題を話し始めた。

「ガラシャ、聞きたいことがあると言っていたな? それは僕の姉のことか?」

「デルタとエコーから聞いたのじゃな。それならば話は早い」

「場所を変えよう。ついて来てくれ」

 珠子は茉と共に別室で待つよう指示され、玉姫、忠興、利家は屋敷の地下にある部屋へと案内される。そこには大きなベッドだけが置かれていて、小学生くらいの美しい少女が横たわっていた。忠興はゆっくりと近寄り、恐る恐る少女の顔を覗き込む。

「チャーリー、これは……」

「安心しろ、生きている」

「そっ、そうか。良かった」

 安堵する忠興を押し退け、あることに気づいた玉姫が横から割って入った。

「その者が手にしているのは魔鏡か?」

 チャーリーは少女の手から鏡を取りガラシャへ渡す。

「これは元々ガラシャの物だったな。返しておこう」

「一体どういうことじゃ?」

「説明する前に一つ確認しておこう。ガラシャは月姒姫げつじきという飛緑魔を知っているな?」

 玉姫は青ざめた表情で固まり、代わりに忠興が声を上げた。

「おい、もったいぶってないで早く教えろよ。俺たちにも分かるようにな」

「ああ、すまない。一応確認しておきたかったんだ。ガラシャが始姫を追っているように、賀茂在昌の家系である僕も特定の飛緑魔を追っていた。それは月姒姫という飛緑魔だ。賀茂在昌の子孫である僕が、何故か月姒姫でなく終姫を追っている……ガラシャはそこに疑問を感じていた」

 チャーリーが視線を合わせると、玉姫は小さく頷く。

「忠興たちに分かり易く説明すると、月姒姫は賀茂在昌の弟子や家族たちを亡き者にした最悪の飛緑魔だ。始姫が初めて作り出した飛緑魔とも言われている。僕の姉、伊吹は幼い頃からキリシタンの力が強く、その力を慢心して月姒姫に挑み敗れた。逃げられないと悟った伊吹は魔鏡の力で肉体と魂の時を止め、キリシタンの力で自らに結界を張り眠りについた」

「つまり、この女の子がチャーリーの姉ちゃんってことか?」

 忠興はもう一度少女の顔を覗き込んだ。確かに、言われてみればチャーリーと似ている気がする。

「寝てるだけなら起こせばいいはず。もしかして、何か呪いでもかけられているとか?」

「鋭いな。僕たちは月姒姫を消滅させ、伊吹を取り返した」

 消滅させたと聞き、固まっていた玉姫が大声で叫んだ。

「月姒姫を消滅させたじゃと!? あやつは始姫と同等レベルの力を持つと聞いておるぞ!」

にわかには信じられないといった反応に、忠興も頷いて賛同する。

「俺たちは始姫と戦った。斎藤が居てくれたから助かったけど、あれと同じような強さの奴に勝ったなんて正直信じられないんだが」

「ギリギリの戦いだったよ。仲間たちの力が無ければ僕が殺されていた。それに、斎藤という男も怪我をしながら後一歩のところまで始姫を追い詰めたのだろう? 倒せない相手では無い。こちらも命懸けだがな……話を戻そう。月姒姫の呪縛を解き、伊吹は意識を取り戻した。それから数ヵ月は何も起きなかったんだ。でも、突然伊吹は倒れた。月姒姫は二重に呪いをかけていたらしい。死の呪縛と言い、呪いをかけた本人が死んでから発動する厄介な術だ。色々と試したが呪いは解けなかった。術をかけた月姒姫は消滅しているから問い詰めることもできない。そんな時、一つの噂を聞いた」

「終姫はどんな呪いでも解くことができる……じゃな」

「知っていたのか。僕たちは終姫を追っている。それは倒す為でなく、伊吹の呪いを解く為なんだ」

 予想よりも複雑で重い内容だった為、玉姫たちは言葉を繋がず沈黙した。暫くして、終始無言だった利家が口を開く。

「呪いを解くカギになる終姫とは、図書館で見た少女の飛緑魔だな。俺が思うに、あの禍々しい雰囲気を出していた終姫が協力してくれるとは思えないぞ」

「捕縛して無理やりでも解呪させるしかない。だが、可能性はある。終姫は『最後の晩餐を楽しみましょう』と言葉を残した。詳しい意味はまだ分かっていないが、向こうからアプローチしてきたのだからチャンスはあるだろう」

「なるほどな。では簡潔に纏める。始姫を倒し、終姫を捕らえる。以上だ」

 当たり前のことを誇らしげに伝える利家に対し、忠興と玉姫は冷ややかな目を向けた。

「お前なあ、簡単に言うけど……」

「そうじゃぞ。もっと真剣に考えねば」

「考え過ぎだ。それでは真の目的を見失い、足を掬われる。勿論、情報は目標を達成する為に必要不可欠。しかし、全てが正しいとは限らない。頭の中で整理しておき、必要な時に最善な行動をする為に使うんだ。特に忠興。いつもそうやってきたじゃないか。チャーリーから得た情報で、今できることがあるのか? あるのであれば俺も尽力を尽くそう」

 余りにもの正論に、忠興と玉姫はぐうの音も出ない。感情表現が乏しいチャーリーまで驚き、クスクスと笑い声を漏らした。

「その通りだな。新たな情報が得られたらすぐに伝える。利家、ガラシャと忠興を遊びにでも連れて行け。十分にリフレッシュさせるんだぞ」

「フフッ、任せろ。実は既に計画していたのだ」

 利家は嬉しそうに口角を上げ、忠興と玉姫の背中を押す。そのまま珠子たちと合流して、説明もなく屋敷を飛び出した。

「ちょっと、お兄ちゃん。どこへ連れてくのよ」

「茉だけには教えてやろう。忠興たちには見せるなよ?」

 そう言って、小さなメモ書きを手渡す。そこには水族館などへ遊びに行く計画が書かれていた。

「えっ、本当!? 珠子ちゃん、今から遊びに連れて行ってくれるんだって」

「みんなで遊びに行くの? わーい!」

 珠子と茉は手を取り合い喜んでいる。遊びに行く気分ではない玉姫と忠興だったが、珠子と茉の嬉しそうな顔を見て反対できず、渋々ついて行った。


※※※


「これが水族館というものか。初めて見るが大きいのう」

「子供の頃に一度だけ来たけど……こんなにデカかったか?」

 電車を乗り継いで訪れた場所は海辺にある巨大な水族館。玉姫と忠興は建物を見上げ、スケールの大きさに圧倒されていた。

「玉姫ちゃん、隣の敷地には美術館もあるらしいよ。さあ、行こっ。私が案内してあげる」

 珠子は玉姫の手を引き、軽やかな足取りで駆けて行く。

「珠子ちゃん、ちょっと待ってよ」

慌てて茉がついて行く光景を、忠興はのんびり眺めていた。

「忠興、どうした?」

「いや、改めて思ったんだけどさ……あいつらってレベル高くない?」

「容姿が整っているといいたいのか? そう言えば、茉は色々な男に告白されているらしいぞ。珠子もモテそうだよな。そうだ、忠興に聞きたいことがあった」

「何だよ?」

「珠子と玉姫、どちらを選ぶんだ?」


……


……


「何の話だ?」

 忠興はとぼけている。

「そうか、悩むよな。玉姫はいずれ元の時代に帰ってしまうだろうし、珠子は恋人というより妹みたいに感じているはず。もしかして、本命は茉なのか? そうだとしたら祝福しよう。お兄ちゃんって呼んでくれて構わない」

「だから何の話だよ。そもそも、玉姫は既婚者で子持ちだ」

「それは数百年前の話だろ? この時代では関係ないさ。いつまでもフラフラしていると変な男に取られてしまう可能性がある。今の内に決めておけ。玉姫か、珠子か、俺か!」

 さりげなく自分も候補に入れている利家。そこに入る選択肢はお前じゃなくて茉だろ? と言いたくなった忠興だが、利家のペースに巻き込まれたくないので黙っていた。

「黙秘か……いいだろう。今はリフレッシュするのが先決。さあ、俺たちも行こう」

 お前が言い出したんだろうと心の中でツッコミを入れ水族館へ入る。ゲートを通り最初に出迎えてくれたのは、誰もが知る身近な海洋生物たちだった。

「タッくん、これ見て」

珠子の指差す水槽の中ではタコが泳いでいる。

「タコがどうしたんだよ。珍しくも無いだろ」

「このエリアのお魚さんはね、飼育員さんが名前を付けているみたいなの。ほらっ、これ」

 水槽の前に書かれた名札に『タコのタックン』と書かれていた。二人の様子を窺っていた玉姫は、忠興の後ろから顔を出してにやける。

「ほほう。言われてみれば、忠興に似てるのう」

「どこがだよ」

「謙遜せずともよい」

「タコに似てるって言われて、謙遜するやつがどこに居るんだ?」

 段々と普段の調子を取り戻してきたらしい。珠子は幼い子供のようにはしゃぎながら、忠興たちをイカが泳ぐ水槽の前へ連れて行く。

「美味しそうだよね」

「美味そうじゃ」

「刺身……煮付け……イカリング……」

 その横の水槽では小ぶりの鯛が泳いでいた。

「食べたいなあ」

「美味そうじゃ」

「塩焼き……酒蒸し……カルパッチョ……」

 奥の大きな水槽ではマグロが回遊している。

「お腹空いてきちゃった」

「美味そうじゃ」

「寿司……炙り……唐揚げと天ぷらもありか……」

 この三人は水族館の楽しみ方がズレているようだ。

「そう言えば、利家と茉はどこへ行った?」

 辺りを見渡すと、利家と茉がヤドカリの水槽の前で騒いでいた。

「お兄ちゃん、次行くよ」

「待て! このヤドカリが友達になりたそうにこちらを見ているんだ!」

「ちょっと、恥ずかしいから」

「ああ、俺の友達候補が!?」

 茉に服を掴まれ引きずられていく利家。忠興たちは他人のふりをして、さりげなく距離を取った。

「玉姫ちゃん、イルカのショーが見れるらしいよ」

「イルカが芸をするのか? それは気になるのう」

 屋外のスペースへ移動し、みんなでイルカのショーを満喫する。ずっと戦い続けてきた玉姫にとっては、とても新鮮な時間が過ぎていく。

「珠子、あれはどうなっておるのじゃ!? イルカが跳ねて輪の中をくぐったぞ!?」

「イルカさんは頭が良いから色々出来るんだって。飼育員のお姉さんが言ってたよ」

「なるほどのう。海洋生物、侮れぬな……ん? 人がイルカの背に乗っておる! あれは船で移動するより速いのではないか? よし、忠興。お主も試して参れ」

「できる訳ねーだろ」

 背中を押す玉姫と、全力で拒否する忠興。珠子は楽しそうな二人の様子に顔を綻ばせ、横に座る利家を見上げた。

「利家さん、ありがとう」

「なんで礼を言う? 友達を遊びに誘っただけだ」

「そっか、当たり前のことだよね。じゃあ……タッくんと玉姫ちゃんの友達になってくれてありがとう。利家さんが居てくれるから、タッくんたちは笑顔になれるんだよ。これからも、ずっと友達でいてね」

 純粋な瞳で見つめる珠子の頭をポンポンとして、利家は優しい眼差しを返す。

「珠子もな。十年後、二十年後……百年後だって友達だ。忠興だけじゃなく、俺にだって我が儘を言えよ。珠子も、茉も、全力で守るから」

 珠子が玉姫と出会い飛緑魔に襲われたあの日、忠興は『何かあったらこいつを頼れ』と利家の電話番号を見せてきた。その意味が今なら分かる。利家は強く、優しく、忠興の最高の親友パートナーであると。

 気が付けばショーは終わっていて、別の飼育員が観客にマイクで呼びかけていた。

『どなたか、イルカと触れ合いたいお客様はいらっしゃいますか?』

 玉姫が勢いよく手を上げ、利家と茉も後に続く。

『では、そちらの可愛らしい双子さんに触れ合ってもらいましょう』

 選ばれたのは玉姫と、手を上げていない珠子だった。双子と間違われているが、そんなことは気にしない。玉姫は利家と茉を横目に勝利の笑みを漏らす。

「クソッ、俺の気合が足りなかったか」

「玉姫ちゃん、いいなあ」

「フハハハハ。お主ら、水ようかんより甘いのう。わらわのように魅力的な者が選ばれる運命なのじゃ。珠子、行くぞ」

「えっ、えっ、えっ!? わっ、私は……手を上げて無い……」

 珠子の言い分など聞く耳に持たず、玉姫はイルカの泳ぐプールまで走っていく。慌てて追いかけた珠子は辺りを見渡し、観客の視線に耐え切れず縮こまってしまった。

「今日の玉姫ちゃん、いつもと違うよね? 活発というか、元気というか……」

「わらわを楽しませようとしているのじゃろう? ならば、全力で答えるのが礼儀じゃ。ほれ、珠子も触ってみよ。貴重な経験じゃぞ」

「うん……あっ、プニプニしてる。思ってたよりツルツルしてないね」

 まるで本当の姉妹のように仲良く触れ合う姿を見て、忠興は自然と笑みを零す。利家が言っていたように、全てが終われば玉姫は元の時代へ帰ってしまうだろう。でも、有限だからこそ感じられる温かさが心を癒してくれる。

「利家、次は何処へ行くんだ?」

「ペンギンの散歩というイベントがあるから見に行こう」

 その後はペンギンの散歩、クジラやサメなど巨大魚の回遊、海のトンネルなどを楽しみ、併設する美術館へ移動した。水族館とは違う物静かな雰囲気を壊さないよう、玉姫たちは静かに見て回る。その途中で忠興が足を止めた。

「タッくん、何を見てるの?」

「レオナルド・ダ・ヴィンチの作品、最後の晩餐のレプリカだよ」

「有名な作品だよね」

「そうだな。この作品は……いや、何でもない。さあ、次へ行こう」

 忠興は言葉を飲み込み、先へ進む玉姫たちを足早に追いかける。その様子を不思議に思った珠子だったが、追及はせず後をついて行った。

「美術館も水族館とは違った面白さがあったのう。利家、この後はどうするのじゃ? もう帰るのか?」

「ちょっと待て、チャーリーからメールがきた。隣町にある公民館で本を探せと書いてある。明日の朝、十時に集合らしい」

「本? 何か情報が得られるのかのう? まあ良い。少し早いが帰るとしよう」

 玉姫が言葉を切ると、茉が珠子と手を繋ぎ主張する。

「私たちも行く。明日は日曜日だし、公民館で本を探すだけなら危険も無いでしょ?」

「お主ら、何も反省しておらぬな。利家、ちゃんと教育しておるのか?」

「飛緑魔を探す訳じゃ無いし、別に問題無いのでは?」

「まったく……少しでも危険だと感じたら帰るのじゃぞ」

「やったー!」


 束の間の休息を楽しんだ玉姫たちは次の戦いへと意識を切り替える。そして、次の日。待ち合わせ場所に姿を現したのはチャーリーでなく別の男だった。


※※※


 早起きして準備を整えた玉姫たちは隣町の公民館へと向かった。町外れにある公民館の周囲に建物は無く、田んぼや畑などのんびりした風景が広がっている。着いたのは約束の十分ほど前だったが、既に利家と茉の姿があった。

「もう来ておったのか」

「人を待たせるのは苦手なんでね。チャーリーはまだ来てないようだが」

 利家が辺りを見渡すと、少し離れた場所から二人の男が近寄ってくる。

「チャーリーは来ないよ」

「お主は?」

 男は深く被っていた帽子を取り、女の子のような可愛らしい笑顔を見せた。

「僕はアルファ、後ろに居るのがブラボー。宜しくね」

 ブラボーと呼ばれた男は少しだけ頭を下げ、ズレたメガネをクイッと上げる。その姿はクールで知的に見え、玉姫たちは見た目《《だけ》》がクールな利家に冷ややかな視線を送った。

「どうした?」

 利家も伊達メガネをクイッと上げるが、安っぽく感じてしまうのは何故だろう?

「利家、お主の負けじゃ。もう帰って良いぞ」

「ホワイ!? 負けって何がだ!? それに、まだ来たばかりだぞ!?」

 玉姫たちの茶番を見て、アルファはお腹を抱えて笑い出した。

「アハハハハ。デルタから聞いてたけど、ガラシャって本当に面白いんだね」

「面白いことなどしておらぬ。それより、今日の目的を詳しく教えてくれぬか?」

 目的と聞いてアルファは一歩下がり、代わりにブラボーが前へ出る。

「詳細は俺が話そう。チャーリーの家系である歴代の陰陽師の中に、始姫や終姫と直接戦った者が居た。その陰陽師が闘いの記録を残しているらしい。僅かな情報を頼りに辿り着いたのがここだ」

「闘いの記録か……それがあれば優位に立てるやも知れぬな。よし、探してみるか」

 公民館へ入ると既にロビーが賑わっていた。将棋を指す老人たち、携帯ゲームに夢中な少年に、ノートパソコンを開くサラリーマンや小説を読む若い女性など様々だ。アルファは一通り見回した後、管理室に居る年老いた男へ話しかける。

「すみません。ここの公民館は全国から寄贈された本があると聞いたのですが」

「ああ、毎月たくさんの本が送られてくるよ。案内しよう」

 管理人に案内された部屋はとても広く、その全てが本棚で埋め尽くされていた。

「これは凄いね」

「隣の部屋にもあるぞ」

「隣も!? 仕方がない、みんなで探そう。僕とブラボーは隣の部屋を探す。ガラシャたちはここを探して」

 手分けして陰陽師の手記を探し始める。本はジャンルや作者毎に分けられておらず、ただ本棚に並べられているだけ。人海戦術で片っ端から探すしかない。結果論だが、茉や珠子も連れて来て正解だったと言えよう。

「珠子ちゃん、お笑い大全集って本を見つけた」

「こっちには可愛い絵本があるよ」

「ファッション雑誌もあるね。去年の秋コーデだって」

「あっ、この帽子持ってる」

 戦力外だった。その横で、利家が『楽しい友達の作り方』という本を読みながらブツブツ呟いている。

「忠興、あやつらは何をしておるのじゃ?」

「放っておけ。それより、思ったんだけど……探してるのは本じゃなくて手記だよな? 手記を他の本と同じように並べてあるのか?」

「ふむ、確かに。アルファたちに聞いてみるかの」

 忠興たちが廊下に出ると、タイミングよく隣の部屋からブラボーが出てきた。

「ブラボー、どうしたのじゃ?」

「一通り見て回ったが、それらしい本は無かった」

「まだ探し始めたばかりじゃぞ」

「探しているのは古い手記だ。それらしい本に当たりをつけて探せば中まで見る必要は無い。それに、別の場所へ保管しているとも考えられる」

 忠興はブラボーから目を離さず、玉姫の肩に手を置く。

「玉姫、手記の情報を管理人の爺さんに聞いてくれないか? 俺はブラボーに話がある」

 忠興に何か考えがあると悟り、玉姫は軽く頷いて管理室へ向かった。

「俺に話とは?」

「フォックスに聞いたんだが、仲間は全部で六人だよな? チャーリー、フォックス、デルタ、エコー、そして、アルファとブラボー。チャーリーの話の中ではいつも参謀のような頭を使う存在が見え隠れしていた。それは、ブラボー……あんただろ?」

「……何が聞きたい?」

「終姫が残した言葉について」

 ブラボーは忠興が言わんとしていることを瞬時に理解し、冷静な口調で答える。

「最後の晩餐を楽しみましょう……か。最後の晩餐はイエス・キリストがユダの裏切りを告げている作品だ。つまり、俺たちの中に裏切者が居ると?」

「あんたなら冷静な分析ができるはず」

「裏切者はいない。残念ながら、それを証明するものは無いがな」

 忠興はブラボーの目をじっと見つめ、真剣な表情を崩して笑った。

「いきなりで悪かった。忠告しようと思っただけなんだ」

「別に構わないさ。逆の立場だったら俺も同じことを思っていただろう。この件は、終姫が俺たちを疑心暗鬼にさせ仲間割れするよう仕向ける罠だと思っている」

「そうだよな。おっ、玉姫が戻ってきたぞ。手記は見つかったのか?」

「一応見つけたのじゃが……皆でロビーへ行こう」

 歯切れの悪い答えに疑問を抱きながら、忠興たちはロビーへ移動する。すると、ソファーに座っていた管理人が立ち上がった。その手には古びた書物が握られている。

「これを見せるのは構わないが、何も分からんと思うよ」

 渡された書物を確認すると中身はボロボロに破れていて、無事な箇所も文字がかすれて読めなかった。

「俺に貸してくれ」

 ブラボーが手に取り意識を集中させると、両手が柔らかい光に包まれる。

「アルファ、あれは何をしているのじゃ?」

「ブラボーの『SIX』記憶の追跡だよ。破れた本や壊れた記憶媒体に、起動してないパソコンなんてものまで……どんなものでも情報を読み取れる。最大で六秒、使用時間が長いほど正確な情報に辿り着けるんだ。古い手記だって聞いたから、チャーリーの代わりにブラボーが来たってわけさ……あれっ?」

 六秒を待たずして、両手を包む光が消えてしまった。

「ブラボー、どうしたの?」

「この書物には何も書かれていない。古びた手記に見せるよう加工してあるだけだ。管理人さん、これはどなたから寄贈されたのですか?」

「寄贈された物じゃ無いよ。数日前、ここを訪れた女性から渡されたんだ。見たいという人が現れたら渡して欲しいとな」

 ブラボー、玉姫、忠興の顔色が変わる。

「どんな女性でしたか?」

「帽子を深く被っていたから顔は見えんかったが、若い女性だったと思う。それくらいしか覚えとらん。この年だから物覚えが悪くて、すまんなあ」

「そうですか……管理人さん、頭に埃が付いていますよ」

 ブラボーはさりげなく管理人の頭に触れ、『SIX』の残り三秒を発動させた。どうやら記憶の追跡という能力は人間の脳までも対象らしい。管理人の記憶を読み取ったブラボーは勢いよく振り返り、ロビーを見渡して叫んだ。

「アルファ、小説を読んでいる女だ!」

「了解」

 壁際で小説を読む女性へと一気に距離を詰め、アルファは素早く拳を繰り出した。しかし、拳が触れた瞬間に女性の体は泥となって崩れる。有り得ない光景に管理人は腰を抜かし、慌てて忠興が支えた。

「この公民館はいつもこんなに人が居るのか?」

「いっ、いや……いつもは一人か二人くらいしか……」

 改めて見渡すと異様な光景が見て取れる。多少目にしただけでは気づけないが、誰一人動いていないと。

「ここは危険だ、外へ出るぞ」

 忠興は管理人を抱えて飛び出し、異様な光景に足を止めた。眼前に広がるのは、田舎の風景では見られない大勢の人たち。誰一人動きを見せず声も発しないのが薄気味悪さを増長させる。忠興は管理人を下ろし、一番近くの人へ恐る恐る手を伸ばした。見た目は普通の人間だが泥で形成されているらしく、軽く触れるだけでボロボロと崩れていく。この状況を理解しようと頭をフル回転させるが、その隙をついて眉間目掛けナイフが飛んできた。

「危ない!」

間一髪、アルファがナイフを掴んで止めた。

「すっ、すまん。助かった」

「礼はいらないよ。それより、彼女が気絶しちゃったから守ってあげて」

 振り向くと珠子が倒れていた。驚きの連続で意識を手放してしまったのだろう。管理人、珠子、茉を庇うよう忠興と利家が壁となって立ち、アルファ、ブラボー、玉姫が前へ出る。

「飛んでくるナイフの軌道から敵の居場所を予測するぞ」

 アルファとブラボーの瞳が怪しい光を放つ。この中に飛緑魔が居ることは間違いないようだ。ブラボーの提案によりナイフをかわしつつ探るが、ナイフは多方向から飛んでくるため居場所が特定できない。

「移動しながら狙っているのか、それとも複数の敵がいるのか……アルファ、あれをやるぞ。ガラシャ、ついて来てくれ」

 二人は跳び上がって近くにある大木を蹴り、公民館の屋根へと上がった。

「詳しい説明は省くが、アルファの『SIX』は声の届いた生物の意識を自分へ向けることができる。泥人形は動かないが、飛緑魔は動きを見せるはずだ。耳を塞いで、飛緑魔を見極めろ」

 準備が整い、アルファはSIXを発動させる。

「いくよ……この僕に注目しろーーー!」


一秒、二秒……


 声を聞いた忠興、利家、茉、管理人が意識を奪われ、アルファへ視線を向ける。


三秒、四秒、五秒……


 二つの泥人形が首を動かし、ブラボーと玉姫が動いた。


そして、六秒。


「散れ」

「終わりじゃ」

 ブラボーと玉姫が隠れていた二体の飛緑魔にキリシタンの力を注ぎ込む。飛緑魔は意識を奪われたまま身動きが取れず、そのまま灰となって崩れ落ちた。

「ガラシャ、核の宝石も破壊しろ」

 核となる宝石を砕くと泥人形も消え、辺りには平穏な景色が戻ってくる。時間にして数分。緊張の糸が途切れた瞬間、どっと疲れが押し寄せてきた。忠興たちはその場に座り込み大きく息を吐き出す。

「まさか、罠だったとはな。玉姫、どうする?」

「アルファ、ブラボーはどうするのじゃ?」

「チャーリーに報告してくる。この状況から推測すれば、僕たちの動きが敵にバレてるってこと。こんな大がかりな罠を張るくらいだから、まだ完全に把握されているとは思えないけど……早く対策を練らないとね」

「そうか。わらわたちは珠子が起きたら合流しよう」

 アルファたちは立ち上がって服の埃を払い、風のように姿を消した。忠興は気絶した珠子をロビーのソファーに寝かせ、興奮する管理人にインターネットの動画撮影だと言って誤魔化す。

「ようやく一息付けるな。でも、何か……」

 冷静になって何か引っかかりを感じた忠興は、自販機で買った缶コーヒーを片手に考え出した。その様子を見て、玉姫は外へ出て行こうとする。

「どこへ行くんだよ?」

「考えるのはお主の仕事じゃろ? わらわは気晴らしに行ってくる」

 止めても無駄だと知っている忠興は利家に目配せして、玉姫の後を追わせた。

「何でついてくるのじゃ?」

「迷子になったら困るだろ?」

「子ども扱いするでない。見た目は十七で止まっておるが、お主より遥かに年上なのじゃぞ」

「それはすまない。見た目が珠子と一緒だから、つい……な」

 利家も疲れているのだろうか? いつもと違う雰囲気が気になった玉姫は立ち止まり、木陰にある大きな石の上に腰を下ろした。

「お主、何を考えておるのじゃ? わらわの戦いが危険なものだと重々分かっておろう。一つ選択を間違うだけで命を失うほどにな。理由を述べて見よ。忠興の友達だからなんて言われても納得いかぬぞ」

 利家は玉姫の横に座り、昔を懐かしむような表情で空を見上げる。

「ただ、忠興と珠子の力になりたいだけさ」

「そういうことでは無いと言っておろう。もしかして、忠興のことを好いておるのか? それなら分らぬでもない。わらわの時代にも少なからず居たからな。人生は長い。一緒に添い遂げる可能性もあると思うぞ」

「そうじゃ無いんだ。俺の夢は昔から一つだけ。玉姫には話してなかったが、俺の親は事故で他界している。その時から家族と呼べるのは妹の茉だけになった。忠興から話を聞いている。珠子は親戚の家で辛い目にあったらしいな。俺たちもそうだった……」




―――遡ること十年ほど前。その訃報は幸せな家族を引き裂いた。

「ねえ、お兄ちゃん。パパとママは何でねんねしてるの? 早く起こしてお家へ帰ろうよ。お腹空いたよ」

 小学生になったばかりの茉は状況を理解できず、利家の服の裾を掴んでせがむ。両親を失った絶望と言える悲しみの中で、小学四年生の利家が最初に思ったのは『妹を守る』だった。体を震わせながら気丈に振舞い、たった一つになってしまった宝物を力強く抱きしめる。

「……パパとママはね、まだ眠いんだってさ。お爺ちゃんの家で何か食べさせて貰おう」

「うん! 茉はね、オムライスが食べたいな……お兄ちゃん、どうしたの? ねえ、苦しいよう」

「ああ、ごめんな」

 暫くして母方の祖父母が現れ二人は引き取られた。そこで、両親は周囲に祝福されて結婚したのではないと知る。格式高い家で育った母は若くして利家を身ごもり、両親に追及され半ば駆け落ちのように家を出ていた。


祖父母は娘の死を悲しんだが、その孫に対して愛情を注ごうとしなかった。あてがわれたのは敷地にある離れのみ。利家にとって幸運だったのは、祖父が「汚らわしい」と言って放棄した父の遺産があったこと。それは二人が成人するまでの十分な財産だったが、それでも小学生が大人を頼らず生きて行くのは困難を極めた。茉に悲しい思いをさせないよう家事に奮闘し、生活に必要な知恵を独学で学び、生き抜く為に奔走する。


小学校も転入せざるを得なくなり、新しい学校では目立たないように過ごした。部活で汗を流したり、自由気ままに遊びまわるクラスメイトを羨ましいとは思わず、ただひたすら茉の為、父と母の代わりをこなす。それから数か月がたったある日、下校中の利家と茉をクラスメイトの男子たちが取り囲んだ。

「お前、教室で料理の本を読んでただろ? そんなことをしてまで女子にモテたいのか?」

「いつも早く帰るのは洗濯や掃除をする為だってな。イケメン様はやることが違うなあ」

 ヘラヘラと嫌味を言うクラスメイトに「だからどうした? 妹が怯えている。道を開けてくれ」と毅然とした態度を返す。容姿端麗な利家は、多感な年頃であるクラスメイトの女子から人気が高い。それだけでも逆恨みされやすいのに、女子に興味のない態度が余計に男子をイラつかせた。

「いつも妹と一緒に居るよな。そんなに好きなら妹と結婚すればいいじゃないか」

「それはいいアイデアだ。シスコン利家は妹が大好きな変態ってみんなに教えようぜ」

 自分のことは何を言われても構わない。我慢して済むならそれが一番楽だ。しかし、妹を巻き込むのが許せなかった。利家は拳を握り締め振り上げる。それと同時に、近くで叫び声が上がった。

「コラッ、お前たち何をしてる!?」

「ヤバッ、逃げるぞ」

 担任教師の怒声を聞き、クラスメイトの男子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。しかし、利家が辺りを見渡しても先生の姿は無く、一人の少年が携帯電話を片手にニヤついているだけだった。

「あいつら馬鹿だな。録音した声を流しただけなのに」

「……」

「俺は隣のクラスの細川忠興。前田利家って転校生をからかうから一緒に来いって言われた」

「それで?」

 利家は茉を背中に隠し、鋭い目つきで睨みつけ威嚇する。

「料理の本を読んでいるんだろ? 気になってさ」

 こいつも奴らと同類かと身構える利家だったが、続けて忠興から出たのは予想外の言葉だった。

「俺も料理の本を読んでる。だから話が合うかなって。これから知り合いの家に行くんだ。おばさんが最高に美味しいたまご焼きを作ってくれるんだよ。なあ、利家も行こうぜ」

「……馴れ馴れしく名前で呼ぶな。行きたければ一人で行け。お前の趣味に付き合う時間は無い」

「趣味じゃねーよ。今の内に生きてく術を身に付けたいんだ。例えば無人島に取り残されたとする。料理の知識と技術があれば生存率は上がるだろ?」

「俺は無人島になんて行かない」

「例えの話だってば。今はグローバルな時代だ。人種や性別なんて関係ない。知識と技術を身に付けて使える奴が生き残るんだよ。だから、先ずは料理を覚える。生きていく為の有効な手段としてな。でも、誰も俺の考えに賛同してくれねーの」

 忠興は目線を落とし、ポケットから飴を取り出して茉に差し出す。

「おい、茉を菓子で釣ろうとするな! ずる賢い奴だな」

「茉って言うのか。茉、フワフワでメチャクチャ美味しいたまご焼きを食べたくないか?」

 忠興の笑顔に悪意は感じられず、茉は美味しそうなたまご焼きを想像して頷いた。

「よし、交渉成立。行くぞ、利家」

「腕を引っ張るな! 俺は茉の為に……茉?」

 茉は両手で口を押さえ、クスクスと笑っている。利家と忠興のやり取りが面白かったのだろう。

「茉の為って言うなら過保護はダメだ。女だって強くならなくちゃいけない。そうだ、空手を習わせてみるのはどーだ?」

「理解できん。何で茉が空手を……」

「メチャクチャ強くなるかも知れねーだろ?」

「メチャクチャなのはお前の言動だ。それに、俺は友達を作らないと決めている。他の奴を探せ」

「別に友達じゃなくてもいいよ。必要なのは知識と技術を共有できる存在が居ること。それだけで効率は何倍にも膨れ上がる。さあ、行こう」

 強引に背中を押し、利家と茉を珠子の家まで連れて行く。そこには利家が忘れかけていた家族の温かさがあった。

「利家、最高に美味かっただろ? 俺を褒め称えていいぞ」

「お前が作った訳じゃ無いのに何で称えないといけないんだ……まあ、美味しかったけどな。おばさん、ご馳走様でした。茉、帰るぞ」

 このまま居心地の良さを感じていては戻れなくなる。そう感じた利家は無理やり茉の腕を引くが「もっと珠子ちゃんと遊ぶの!」と抵抗されてしまった。

「別に急いで帰らなくてもいいだろ。この後、用事があるのか? それとも門限があるとか?」

「門限など無い。洗濯に風呂掃除……家でやらなければならないことがあるんだ」

「俺も手伝うよ」

「何でだよ。お前の言動が全く理解できない」

「じゃあ、分かり易く言ってやる。俺の仲間になれ」

 忠興から差し伸べられた手に戸惑い、利家は目を丸くした。

「一人じゃダメなんだ。仲間がいるからこそ競い合い、助け合って強くなれる。父ちゃんが言ってたよ。会社で嫌いな奴がいるんだけど、そいつが助けてくれたからミスをカバーできたって。嫌いだけど頼れる仲間だってね。友達じゃなくていい。馴れ合いなんていらない。困った時に助けてくれる仲間が欲しいんだ」

「がっ、学校に居る奴を誘えばいいじゃないか。俺は妹の面倒を見なければならないんだ」

「ダメだ。さっきバカにしてきた奴らを思い出してみろよ。あれじゃ話にならない。それに最初の仲間は強い信念を持ってる男って決めてた。茉に笑って欲しいんだろ? だったら頼れよ。俺は利家を見捨てない。何だって協力する。だから、俺が困っている時は全力で助けてくれ!」

 話している間、忠興は一度も目を逸らさず、差し伸ばした手も引かなかった。利家は珠子と遊ぶ茉の姿をじっと見つめる。そこには両親が他界してから見たことの無い茉の笑顔があった。利家は少しだけ口角を上げ、忠興の手を払い除ける。

「馴れ合いは必要無いんだろ? 仲間とやらにはなってやる。だが、妹を泣かせるようなまねは絶対に許さないからな」

「ああ、それでいい」


 頼れる人などいなかった。周りを見る余裕など無く、茉を守れるのは自分しかいないと思い込んでいた。そんな利家の黒く濁った瞳に光が差す。

忠興は小学生とは思えないほど知識が豊富で、利家の視野を大きく広げてくれた。親の承認が必要な書類は偽造し、生きる為の知識と技術を身に付けるには手段を選ばず、話術を駆使して必要なものを手に入れる。それは決して褒められる内容では無かったが、身内を頼れない利家にとって人生を変えるほどの大切な時間になっていた―――




「忠興は気づかなかったみたいだが、俺は茉と珠子が友達になっていたことを知っていたよ。いつも茉が楽しそうに話してくれたからな。忠興と珠子には感謝してもしきれないほど助けて貰った。だから絶対にあいつらを疑わないし裏切らない。例え世界中の人がノーと言っても、忠興がイエスと言えば俺もイエスだ」

 玉姫は利家の言葉が切れたのを確認し、立ち上がって大きく背筋を伸ばす。

「なるほどのう。どうりで飛緑魔の話を簡単に信じたわけじゃ。ところで一つ疑問に思ったのじゃが、いつから友達を欲しがるようになったのじゃ? 過去のお主は今と違い過ぎておるぞ」

「俺は変わってないぞ。変わったのは忠興だ。珠子が転校した後、何もできなかったと自責の念に駆られてな。俺と茉の時とは状況が違う。仕方の無いことだと何度も言ったが、自分が許せなかったんだろう。不器用な俺の説得など聞かず、人の陰に隠れて生きるようになってしまった。だから俺が仲間を作って、生きる為の情報を集めていた。例え役に立たなくても、あの頃の忠興が戻ってきてくれると信じて。嬉しかったよ、忠興が珠子を守る為に俺を頼ってくれて。あの頃と同じ目で一緒に戦える……全部玉姫のお陰だ」

 そう、利家は変わっていない。忠興の為にできることをしていただけ。仲間を作り情報を得ると言っても、幼い子供でなければ心を開いてくれないだろう。だからこそ利家は、友達を作るという苦手な選択肢を迷わず選んだ。

「茉の笑顔を守ること。あの日から変わらない、たった一つの夢……いや、今は三つ。忠興、珠子、玉姫、みんなが笑顔になれるなら何だってやるさ」

 臆面もなく言い切る利家に、玉姫は静かにポケットから飴を取り出して渡す。

「褒美じゃ。お主が居なければ、わらわたちは飛緑魔にやられていたかも知れぬ」

「玉姫……」

「気に入らぬのか? 茉と違って厳しいのう。ならば特別待遇じゃ。利家と茉を正式にわらわの家臣とする。嬉しかろう?」

 利家も立ち上がり、無邪気に笑う玉姫を柔らかな表情で見つめ返した。

「光栄の極みだ。玉姫あるじの為に尽力しよう」

「良い心がけじゃ。さて、戻るとするか」

 いつの間にかモヤモヤした気分は晴れ、軽い足取りで歩きだす。しかし、公民館の方角には怪しい気配が漂っていた。


※※※


利家が昔の話をしている頃、忠興は飛緑魔との戦闘について考えていた。泥人形を使う飛緑魔は倒したが、大事なことを見逃している気がする。しかし、それが何か分からない。

「……思い過ごしか?」

空き缶を捨てようとソファーから立ち上がったところで、管理人に声をかけられた。

「ちょっといいかい? 買い出しに行ってくるから、わしを訪ねてくる人がいたら待って貰うように伝えてくれんか? まあ、誰も来ないとは思うけど」

珠子に目を向けると、気持ち良さそうにスヤスヤ寝息を立てている。まだ当分動けないと思い「構いませんよ」と答えた。

 管理人は軽く頭を下げ、そそくさと公民館を出て行く。入れ替わりで外の様子を見に出ていた茉が戻ってきた。

「お兄ちゃんと玉姫ちゃん、近くに居ないみたい。どこ行ったのかなあ?」

「放っておけよ。そのうち戻って来るさ」

「珠子ちゃんは寝てるし暇なの。忠興さん、何か面白い話でもしてよ」

「面白い話って言われても……そうだ、一つ聞いてもいいか? さっき泥人形を使う飛緑魔と戦った時、何か気づかなかったか? どんな細かいことでもいいからさ」

「うーん、そうね……人形が本当の人間みたいで怖かった。たくさん人形があるのに凄い静かで不気味だった。それから……あっ!」

 茉は胸の前で両手を組み、うっとりとした表情で目を輝かせ始めた。

「忠興さんに向かってナイフが飛んできた時、アルファさんがバシッて止めたでしょ? あれ、カッコ良かった。アルファさんって見た目は女の子みたいで好みじゃないけど、戦ってる時のギャップに憧れちゃう。クールなブラボーさんもカッコいいし、私を助けてくれたエコーさんも王子様だし、あのメンバーってみんなレベル高いよね」

 何を言っているのだろう? 「これだから女子高生は」と、ため息を吐く忠興の脳裏に茉の言葉が一つだけ残った。それは、『静かで不気味』という言葉。ここは畑や田んぼばかりの物静かな風景が広がっていて、普通に歩いているだけでも足音が聞こえる。

飛緑魔と戦っている時はナイフの軌道を確かめようとして、意識を集中させていたはず。しかし、多方向からナイフが飛んできても物音がしなかった。飛緑魔は動いていなかったのだろうか? 動かずに多方向からナイフが飛んでくる状況……つまり、飛緑魔は他にも……

「デルタさんもカッコよかったけど、ちょっとチャラいかな。フォックスさんは……あれっ? 何か甘い匂いが……」

 嬉々として喋る茉が突然ふらりと倒れた。驚いた忠興が駆け寄ろうとするが、何故か体が言うことを聞かず膝をつく。

「こっ、これは……」

朦朧とし始める視線を巡らせた先に、突如現れたツバ広帽子を被る女の姿。

「始姫様から頂いた痺れ薬の効果は絶大ね。さて、お目当ての子は……」

 始姫の名を口にするということは、玉姫を狙っているはず。最初に狙われるのは玉姫にそっくりな珠子だ。忠興はソファーで眠る珠子に視線を移し、打開策を練ろうと考察する。体は殆ど動かない。大声を出して助けを呼ぼうにも、口から呼吸をするだけで精一杯だ。この状況で導き出される策は一つだけ。玉姫たちが戻るまで時間を稼ぐしかない。

「まっ、待ってくれ。お前は始姫の仲間か?」

掠れた声で話しかけ「始姫様の仲間? 仲間なんて恐れ多い」と飛緑魔がその場から動かず答えたことを確認し、安堵した些細な感情を悟られないよう言葉を繋ぐ。

「始姫が俺たちを狙う理由は?」

「さあ? あなたたちが始姫様の下僕を消したからじゃないの? 理由なんて興味無いわ」

 飛緑魔を怒らせてはならない。逆上したら耳を貸さなくなる可能性が高くなる。かと言って、だらだらと話を聞き続けてくれることは無いだろう。

会話の流れで質問には答えてくれると分かった。怒らせず興味を持たせ、会話に集中させる質問を投げ掛けるのがベスト。先の会話から推測すると、この飛緑魔は命令に従っているだけ。始姫の話をこれ以上続けるのは無理だと分かる。そう考えると、ターゲットとなる玉姫の話も興味を持ってくれないだろう。ならば、別の話で興味を惹くしかない。

「あんた、泥人形を作った飛緑魔だろ? 俺たちが倒した二体の飛緑魔は部下だった……違うか?」

「……フフッ。何でそう思うの?」

「飛緑魔の数に対してナイフの軌道と数が合わなかったんだよ」

「あなた、頭が切れるのね」

 上々の反応だ。この飛緑魔は面と向かい戦おうとしていない。つまり、忠興と同じで頭を使って戦うタイプ。ならば、その考えを看破すれば興味を持つはず。勿論、確実ではない。予想が外れた場合、その時点で会話は途切れただろう。だが、賭けに出たのが功を奏したようだ。

「俺たちが飛緑魔を倒した直後、泥人形は全て崩れた」

「……」

「だからこそ、全ての飛緑魔を倒したと錯覚した。だが、事実は違う。あんたが能力を解除し、タイミングよく泥人形を崩したんだ。俺たちに泥人形使いの飛緑魔はもういないと思い込ませるためにな」

「全部正解、素晴らしいわ。あなた、名前は?」

「細川忠興だ」

「私は明紫あかし。飛緑魔の力を取り込んだ坊やが二人居たでしょ? あの二人の強さは計算外だった。それに、飛緑魔を見分ける瞳の保持者……だから作戦を変更したの。始姫様の指令はガラシャという女を殺すこと。だったら、あの二人が居なくなったところを狙えばいいじゃない」

 明紫と名乗った飛緑魔は機嫌を良くしたのか饒舌になり、気づけば完全に忠興のペースとなっていた。後は少しでも長く会話を続ければいい。そう思ったところで、二つの影が飛び込んできた。

「間に合ったようじゃの」

「新たな飛緑魔か」

 玉姫と利家が駆けつけ、それぞれが珠子と茉を守るように前へ立つ。

「玉姫、利家、そいつは……」

「痺れ薬を撒いたのじゃろう? ならば、これじゃ」

 玉姫はポケットから護符を取り出して念じた。すると風が巻き起こり、澱んだ空気が外へ逃げていく。

「お主のような飛緑魔とは何度も遭遇してきた。小細工を弄するのは力が足りない証拠。わらわの力でも十分に倒せるぞ。現に、お主からは力が感じられぬ。観念するのじゃな」

 玉姫の言葉が勝利を確信させる。しかし、忠興は強烈な違和感を覚えた。冷静になって明紫を見つめると、確かに力が感じられない。そして、現れてから一度も動きを見せず同じ体勢だと気づいた。

「まさか……玉姫、そいつは泥人形だ!」

 忠興が叫ぶと同時に、ソファーで寝ていた珠子が玉姫に襲い掛かる。不意を突かれた玉姫は背中をナイフで切り裂かれた。

「玉姫!」

「フフッ……ハハハ……アーッハッハッハ!」

 高笑いする珠子の体が崩れていき、中から別の少女が姿を現す。

「私が明紫だよ。ガラシャの子孫はここだ」

 明紫はソファーの影から気絶している珠子を引きずり出した。

「細川忠興、あんた最高だよ。お前たちだけじゃ私に気づけなかっただろう? 飛緑魔を見分ける瞳が無いからなあ。ガラシャが来るまでの時間稼ぎができたと思ったかい? ソファーで寝ているのが私だと気づかなかったろ? 手の上で転がされていた感想ってやつを教えてくれよ!」

 勝ち誇り見下す明紫の隙をつき、珠子を助けるべく利家が飛び込もうとする。その気配を察知して、明紫は珠子の首筋にナイフを当てた。

「卑怯だぞ」

「ククッ、殺し合いに卑怯もクソも無いだろ」

 明紫は懐から小瓶を取り出し、中に入っていた粉を振り撒く。甘い香りが漂い、唯一まともに動けた利家までもが痺れて膝をついた。

「これで全員始末できる……ん? お前、私好みの顔をしているな」

 珠子を床へ投げつけ利家の側でしゃがみ込み、おもむろに利家の眼鏡を外してじっとりと顔を見定める。暫くして「気に入った、コレクションに加えてやろう」と言い放ち、別の小瓶に入っていた粉を利家に振り掛けた。

「これは始姫様に頂いたお気に入りでね、少しずつ心臓の動きを鈍らせていく。最後は心臓だけが止まり、外傷の無い綺麗な人形の出来上がりって訳だ。確か利家と呼ばれていたな。利家、私のような最高の女と永遠の時を過ごせるなんて名誉だろ?」

 睨みつけることが精一杯な利家の後ろで、茉が必死に手を伸ばす。

「お……お兄ちゃん……」

「お兄ちゃん? こいつは妹か……よし、優しい私が最大の譲歩をしてやる。利家が私に従うのであれば妹だけは助けてやろう。どうだ? まあ、お前たちに選択権は無いけどな」

 明紫は下卑た笑みを見せ、重なるようにして倒れている玉姫と珠子の前に立った。右手でナイフを握り締め、無情にも玉姫たちへ振り下ろす。だが、ナイフが突き刺さったのは玉姫たちを庇うように飛び込んだ利家の背中だった。

「なっ!? お前、なぜ動ける!?」

「グッ……この二人は……俺が守る……」

「そうか、一時的に飛緑魔の力が得られる薬を使ったな? 多少の抗体ができていたのか。綺麗なままコレクションに加えてやろうとしたのに、自分から傷つきやがって。まともに動けないなら大人しくしていろ」

 何度も蹴りつけられ、その度に利家の苦しそうな声が漏れる。

「何で庇うんだよ? こいつらは他人なんだろ?」

「他人ではない……親友の大切な人なんだ……」

「ハァ? 意味が分かんない。親友って言うのは、そこに転がっている細川忠興のことかい? あいつが私の作戦を見破れなかったから、こんな状況になっているんだぞ。親友なんてやめておけ。使えない奴を見捨てるのが人間だろ?」

「人間は……誰もがミスをする生き物だ……。仲間に頼り生きていく……独りじゃ生きられない……それを忠興が教えてくれた……。完璧な人なんていないさ。でも……成長する」

「……何が言いたい?」

「次は忠興が勝つ……だから、ここは俺が守る……。忠興の生きる理由は……消させない」

 ずっと笑っていた明紫の顔が、見る見るうちに怒りの表情へと変わっていく。

「どうせ死ぬなら親友の為にってか? 反吐が出るね。あと数分ほどで心臓が止まると思うけど……気が変わった、直に殺してやる。あの世でも友達ごっこしてな!」

 誰もが諦めかけた状況で、心臓目掛けナイフを突き刺そうとする明紫の手が寸前で止まった。手からナイフがすり抜け反転し、明紫の顔面目掛けて飛ぶ。ギリギリで避けながら振り返ると、ロビー入り口付近で右手を翳すチャーリーの姿があった。後ろにはアルファとブラボーも見える。

「チッ、仲間を呼んでいたか」

 互いの姿を目にした途端、机、椅子、ゴミ箱、泥人形までもが明紫を狙い飛び交う。

「物質の遠隔操作……人間が『SIX』と呼ぶ能力か、厄介だね。それに三人は分が悪い」

 不規則に迫りくる障害物をかわし、大きく跳躍して壁際まで移動した。

「次は確実に殺す!」

 捨て台詞を吐き、窓から逃げ出す明紫。咄嗟に追おうとするアルファをチャーリーが止めた。

「飛緑魔は放っておけ、ガラシャたちを助けるのが先だ。アルファ、ブラボー、全員を一か所に集めろ」

 チャーリーは一人一人の状態を確認し、ガラシャの背中に護符を貼って念じる。すると出血が止まり、傷口が綺麗に塞がった。続けて忠興と茉の額に護符を貼付け念じると、二人の体の痺れが少しずつ取れていく。動けるようになった忠興はよろよろと立ち上がり、チャーリーに詰め寄った。

「チャーリー、助かったよ。玉姫は無事だよな? 早く利家と珠子も直してやってくれ」

「ガラシャの傷口は塞いだが、血を流し過ぎているから病院で輸血しなければならない。珠子は眠らされているだけだから問題無いだろう。利家は……」

「そうだ、あの明紫とかいう飛緑魔が言ってた。心臓の動きが少しずつ鈍くなっていくって。お前なら治せるだろ?」

「……」

「おい、治せるんだよな? 黙ってないで答えてくれ」

 その無言が全てを物語っている。でも、忠興は理解しようとせずチャーリーの胸ぐらを掴んだ。

「飛緑魔が言ってたんだよ、あと数分で心臓が止まるって。なあ、早く治してくれ。何で黙ってるんだよ!」

「……利家の体は強力な呪いに蝕まれている。呪いを解くのは可能だが、最低でも十日は必要だ」

「十日って……じゃあ、利家は……」

 アルファとブラボーはかける言葉が見つからず顔を伏せる。茉も放心状態で声を出せない中、玉姫が利家のそばへ歩み寄った。

「利家……まだ逝ってはならぬ……」

 玉姫はポケットから魔鏡を取り出し、横たわる利家の胸に置く。そして印を結び、呪文の詠唱を始めた。

「永久の時を司る神に願う……生命の理に反し、悠久の時を経て……」

 その様子を見ていたチャーリーが驚いた表情で「そうか、魔境の力を使えば」と声を漏らした。

「魔鏡の力って、どういうことだ?」

「魔鏡は肉体と魂の時間を止める。利家の心臓が時間と共に弱っていくのなら、それを止められるかも知れない」

 諦めかけていた状況で、たった一つの光明が差し込む。玉姫が呪文の詠唱を終えると魔境は光り輝き、強く発光したのち元の状態へ戻る。無理をした玉姫は「契約は完了じゃ」と呟き意識を失った。代わりに、チャーリーが利家の体を確認する。

「チャーリー、どうだ? 利家は助かったんだろ?」

「契約は成功した。利家の肉体と魂は活動しながら時を止めている……だが、遅かったようだ。魔鏡の力では、止まった心臓は動かせない……」

「……嘘だろ?」

「……」



 全ての希望が潰え、恐ろしいほどの静寂に包みこまれる。暫くして、チャーリーが重々しく口を開いた。

「アルファは茉を、ブラボーは利家を屋敷へ運んでくれ。俺はガラシャを病院へ連れて行く」

「親御さんへの連絡はどうするの?」

「急ぐ必要はない。利家は俺と同じで……いや、後で話そう。早くしないとガラシャの命も危ない」

 チャーリーは珠子の体を起こし、首筋に力を流して眠りから起こす。

「……あれっ? チャーリーさん? 私は……玉姫ちゃん!? 利家さんと茉ちゃんもどうしたの!?」

「敵に襲われたんだ。急いでガラシャを病院に運ばなくてはならない。忠興を頼めるか?」

「えっ? あっ、はい」

 チャーリーは玉姫を抱え風のように消える。アルファとブラボーも利家たちを背負い、公民館を後にした。残された忠興は俯いたまま動かず、珠子が心配そうに覗き込む。




「大丈夫?」

「……」

「タッくん?」

「……なあ、珠子。昔さ、利家を珠子の家に連れて行ったんだ」

 利家に何があったのかを伝えないといけない。でも、忠興の口から出たのは利家との思い出話だった。

「うん、茉ちゃんに聞いたよ。そんな昔から利家さんと出会ってたなんて知らなかった。へへっ、私って相変わらず鈍感で失礼だよね」

「利家ってさ、小学生の頃から何も変わってないんだ。真っすぐで、強くて、カッコよくて……俺に無いもの全部持っていてさ、憧れてたんだ。だからどうしても友達になりたくて、無茶苦茶な理由で珠子の家に連れて行ったんだよ。料理に興味があるなんて嘘を吐いて……美味しいたまご焼きが食べれるぞって茉を誘惑して……でたらめばかり並べて……俺って最低だよな」

 声が詰まり、体の震えは押さえ切れず、せめて涙は見せないよう珠子に背を向ける。

「何で最低なんて言うの? タッくんは友達を作る為に頑張ったんでしょ? 利家さん、言ってたよ。十年後も二十年後も、百年後も友達だって」

「百年後か……やっぱり利家は凄いな。心のどこかでさ、俺は凄いって思ってた……自信があった。玉姫の時代に居る軍師や参謀って奴はさ、常に最悪な状況を考えて行動するんだ……だから、俺も分って……いや、分かった気になってた。玉姫が何度も忠告してくれたのに……」

「タッくん……」

 俯き項垂れる姿からは忠興の表情を確認できない。利家が死んでしまったことを知らず、落ち込む理由も分からない。それでも、握り締めた拳に落ちる涙が珠子の胸を痛いほど締め付ける。

「こんなにも……辛いんだな……」

「……」

 何も答えることができず、珠子は忠興の背中から優しく抱きしめる。

忠興は涙を見せたことなど無かった。少なくとも、珠子の前ではどんな時も強がっていた。それが、恥も外聞もなく弱音を吐き出している。まるで、この世から消えてしまいたいと言わんばかりに……


【第四章 完】


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