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たまひめ!!  作者: 大滝タクミ
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【第三章】忠義の士

「忠興……もう少しだけ……このまま……」

 玉姫は忠興の胸に顔を埋めポタリポタリと涙を落とした。熱を帯びた雫は悲しみの色を乗せ、忠興の心に深く刻まれる。

「強がらなくていい、全部受け止めてやる。俺が、全てを終わらせるから」

「……うん」

 忠興はそれ以上語らず、玉姫の心を包み込むよう優しく抱きしめた。


※※※


「無い……無いぞ……コンビニで買った高級スイーツが消えてる!」

「なんじゃ、朝から煩いのう」

 窓から差し込む光や頬を撫でる風が気持ちを高揚させる春の朝。穏やかではない忠興の叫びで目を覚ました玉姫は、眠たそうに眼を擦りながらテーブルの前へ座る。

「玉姫、冷蔵庫に入ってたケーキ食べたか?」

「知らぬ。そんな事より早よう朝食の支度をせよ」

「へいへい……おっ、珠子も起きたか」

 振り返ると、バツが悪そうにモジモジする珠子が見て取れた。

「どうした?」

「あのね、えっとね、その……タッくんのケーキ食べちゃったの……私なの。生クリームの上に乗ってるイチゴさんがね、食べて欲しそうに見てたから……」

「……」

 別に怒っている訳ではないのだが、無言の圧力が怖くて縮こまる珠子。見かねた玉姫が助け舟を出す。

「名前を書いておかぬのが悪いのじゃ。この狭い部屋に三人も住んでおるのじゃぞ」

「お前が転がり込んできたからだろ……って、おい。何を食べてるんだ?」

「そこの棚の上に置いてあった菓子じゃ」

「俺の苺大福じゃねーか!」

 食後の楽しみとして用意していたものが全て無くなり、忠興は両手両膝を床につけ絶望した。珠子は申し訳なさそうにオロオロするが、玉姫は情の欠片も無く見下す。

「甘い、甘いのう。この苺大福より甘い奴じゃ。ほれ、いつまでもウジウジせず朝食を作れ。たまご焼きを忘れるな」

「分かったよ。ちょっと待ってな」

 玉姫の小言に慣れてしまった忠興は反論せず、気を取り直して朝食の用意に取り掛かった。手際よく進む作業風景を玉姫は目で追う。

「何度見ても素晴らしいのう。お主、家事をする為に生まれてきたのではないか? わらわの屋敷で使用人として雇ってやってもよいぞ?」

「それはそれは、光栄の極ですよっ……と。ほら、朝飯ができたぞ。珠子も落ち込んでないでこっちに来い。別にケーキ食べられたくらいで怒らねーから」

「わーい! 頂きます」

 小さな焼き魚と味噌汁、たまご焼きにお漬物。そして、恒例になりつつある忠興と玉姫のたまご焼き争奪戦が繰り広げられた。結果は玉姫の圧勝という平穏な時間が過ぎていく。

「お漬物、美味しいね」

 相変わらず珠子は気づきもしない。

「さて、本日の行動を伝えておこう。お主は利家と一緒に斎藤と言う人物を探るのじゃ」

「斎藤って、利家が言ってた怪しい奴だな。今回は別行動なのか?」

「うむ。但し、無理は禁物。危険だと感じたらすぐに退いてくれ。わらわと珠子はチャーリーの屋敷で情報収集を行う。後で合流しようぞ」

「了解。でも、情報収集なら俺一人で十分だ。利家から詳細は聞いてるから……」

「呼んだか、忠興!(マイブラザー)

「おっじゃましまーす」

 玄関に目を向けると、利家がウザいポーズを決めている。その後ろでは茉が可愛らしく微笑んでいた。タイミングが良すぎる。恐らく、ドアの外で待ち構えていたのだろう。

「利家、今から出かけるんだ。悪いけどまた今度来てくれ」

「ホワイ!? 俺と一緒に出掛けるのだろ!?」

「そうじゃぞ、忠興。では、わらわたちはチャーリーの屋敷で待つ。行くぞ、珠子、茉」

「えっ? 玉姫ちゃん、ちょっと待って」

「ちょっと押さないで……キャア」

 無理やり珠子と茉を連れ出して消え去る玉姫。

「……逃げやがった」

「ハッハッハ、仲が良くて羨ましいな。友達って本当に素晴らしい。忠興、俺たちも見せつけて……ん? 忠興?」

 一時的に飛緑魔の力が得られる丸薬を飲み込み、忠興の全身にどす黒い力が駆け巡る。死ぬほど辛い筋肉痛など気にしない。今、この場を切り抜ける為だけに全てを犠牲にする覚悟で走り出した。

「まったく、お茶目さんな奴だ。追いかけっこがしたいのなら言えばいいのに」

 利家も迷い無く丸薬を飲みこむ。

「ウォォォォォォォォォ」

「アハハハハ。待てよ、忠興」

 振り切れない。忠興の身体能力よりも利家の方が上のようだ。光の速さで駆け抜け、気が付けば斎藤の住むアパートの前まで来ていた。

「ハァ……ハァ……こいつ、余裕でついてきやがった」

「面白かったな。親友としての絆が深まった気がするぞ」

 利家を振り切ることは諦め、呼吸を整えアパートに目を向ける。何の変哲もない建物で、怪しいところは見当たらなかった。

「利家、どの部屋だ?」

「一階の一番手前だったはず」

「取りあえず行ってみるか」

 ドアの前まで移動してインターホンを鳴らすが反応は無く、暫く待っていたが帰ってくる気配も無い。

「出かけているのか? 仕方がない、出直そう」

 拍子抜けした二人は張りつめていた感情を緩ませ、アパートを後にする。直後、全身が粟立つ気配を感じて身構えた。視線の先には黒の衣類で全身を固めた男が立っている。フードを目深に被っており顔までは確認できないが、背中にはゴルフクラブケースを背負っているようだ。

男は「異質な力を感じる。人間の男に化けているのか」と呟き、クラブケースの中から日本刀を抜き出し斬りかかってきた。

「ウワッ!?」

 間一髪で斬撃をかわした二人は間合いを取りつつ必死に声を張り上げる。

「ちょっと待ってくれ!」

「俺たちは話し合いに来たんだ」

「戯言を。お前たちからは飛緑魔の力を感じるぞ」

「えっ? あっ、これは……」

「大人しく成仏せよ」

 聞く耳を持たず再び襲い掛かってきた。だが、動きに先ほどのキレが無い。冷静に男の動きを見定めると、脇腹を庇っているようにも見える。

「怪我をしてるのか……利家、一旦退くぞ」

 今なら逃げられると悟り、忠興と利家は隙をついて駆け出した。男は追って来ず、ある程度離れたところで立ち止まる。

「フゥ……あの様子じゃ話にならないな」

「だが、飛緑魔の存在は知っていたぞ。有益な情報を得られる可能性は高い。どうする?別の方法で接触するか?」

「いや、玉姫とチャーリーに相談しよう。ここで焦る必要は無いさ」

 一筋縄ではいかない、そう感じた忠興は作戦を練るべくチャーリーの屋敷へ向かう。一方で、玉姫は別の任務に当たっていた。


※※※


 忠興たちが謎の男と対面している頃、情報収集の為に屋敷を訪ねた玉姫は、玄関で待ち構えていたチャーリーと対面していた。

「隣町にあるゴルフ場で人の消える事件が相次いで発生している。行方不明者は全て男だ。始姫、終姫の情報が得られるかも知れない。ガラシャ、いきなりですまないが行けるか?」

「構わぬぞ。じゃが、わらわ一人では飛緑魔と遭遇した際に対処できぬ。フォックスが同行してくれるのか?」

「僕とフォックスは別の情報を調べる。代わりに、こいつらを連れて行け」

 チャーリーが道を開けると、二人の男が歩み寄ってくる。一人は帽子を被った短髪の男で、もう一人は優しそうな雰囲気の男。

「デルタだ。宜しくな」

「エコーです。宜しく」

「うむ、宜しく頼むぞ。しかし、お主らは変な名前ばかりじゃのう」

 玉姫はデルタとエコーの顔を交互に見比べ、不思議そうに首を傾げた。

「俺たちはコードネームで呼び合っているんだ。カッコいいだろ?」

「本名を伏せておいた方が何かと都合が良くてね」

「なるほどのう。確かに、わらわの知り合いにも素性を隠して主に仕える者がおった。特に隠密行動を取る者たちは……ん? 珠子、どうしたのじゃ?」

 珠子が玉姫の服の裾を遠慮気味に引っ張り、潤んだ瞳で何かを訴えている。その意味を理解した玉姫は小さくため息を吐いた。

「ダメじゃ。屋敷で大人しくしておれ」

「でも、心配だよ。タッくんもいないし……」

「まったく、珠子は心配性じゃのう。ほれ、こやつと戯れて良いぞ」

 玉姫は風呂敷から護符を取り出して『めう』を召喚した。

「あっ、めうちゃんだ」

 キラキラと目を輝かせ、式神の『めう』を抱っこして笑う珠子。先ほどとは打って変わって上機嫌だ。その様子を見ていた茉は素朴な疑問を口にした。

「ねえ、玉姫ちゃん。めうちゃんってどんな能力を持ってるの?」

「……癒す」

「なるほど」

 一見、何の力も無いように思える。だが、珠子の笑顔を見ていると、不安や恐怖を拭い去る能力なのかも知れないと感じた。どちらにせよ、可愛いは正義だ。

「さて、行くとするかのう。デルタ、エコー、準備は良いか?」

「俺様はいつでもいいぜ」

「僕がゴルフ場まで案内する。行こう」

 吹き抜ける春風に乗り三人は姿を消す。真っすぐゴルフ場へと向かう速さは、常人の目で追うことは不可能なほど早かった。残された珠子と茉は応接室へと案内され、式神の『ジル』と『めう』の二匹と戯れる。

「僕とフォックスは出かけてくる。二人はここで待っていてくれ。隣の部屋に使用人がいるから何かあれば声をかけてくれて構わない」

 そう言い残し、チャーリーとフォックスも屋敷を出て行った。

「ジルちゃんは本当に美人さんだなあ。見てよ、この毛並みなんて……珠子ちゃん、どうしたの? 顔色悪いよ」

 俯く珠子の顔を茉が横から覗き込む。

「茉ちゃん……やっぱり心配だよ。玉姫ちゃんはママみたいに優しく接してくれる。まだ出会って間もないけど、本当の家族の様な温かさを感じさせてくれる。だけど、それが心配なの。優し過ぎて、何でも一人で抱えてるみたいで……」

「分かる。玉姫ちゃんってそういうところあるよね。でも、気にしすぎだよ。デルタさんとエコーさんがついてるじゃない」

「タッくんがいれば安心できるんだ。玉姫ちゃん、タッくんには甘えるから。だけど、他の人はダメなの。きっと、自分を犠牲にしてでも助けようとする」

「珠子ちゃん……」

 めうが珠子の体に触れ、心配そうに頬をすり寄せた。その様子を見兼ねて、茉はジルへ語り掛ける。

「ねえ、ジルちゃん。玉姫ちゃんのところへ連れて行ってくれないかな? 遠くで見るだけ。危ない真似は絶対にしないから」

 ジルは茉の言葉を理解したのかドアの付近に駆け寄り振り返った。その仕草はついて来いと言っているようにも感じる。

「行こう、珠子ちゃん」

「茉ちゃんは待ってて。私一人で行くから」

「珠子ちゃんを一人でなんて行かせられないよ。何かあったら私が守る。これを使ってね」

 茉がポケットから取り出したのは一時的に飛緑魔の力を取り込める丸薬だった。利家の持つ丸薬を一粒だけ抜き取ったのだろう。目を見開き驚く珠子に「内緒だよ」と悪戯っ子の笑みを見せる。

「さあ、行こう」

 ジルが部屋を飛び出すと、茉も合わせて走り出した。めうを抱きかかえ、珠子も慌てて後を追う。その頃、一足先にゴルフ場へとたどり着いていた玉姫は飛緑魔の気配を探していた。


「何も感じないのう」

「日曜の昼間だっていうのに誰も居ねーぞ。どういうことだ?」

 玉姫とデルタが辺りを見渡していると、事務所の周囲を確認していたエコーが戻ってくる。

「改装工事が入るから今月末までは休みらしい。飛緑魔の気配も感じないし、ここは外れだったのかもね」

「何だ、無駄足かよ」

「断言はできない。もう少し探してみよう」

 あても無くゴルフ場のコースを歩いている最中さなか、玉姫はデルタの顔をじっと見つめた。

「どうした? 俺に惚れたか?」

「そんな訳無かろう。一つ質問して良いかの? わらわは父の仇を討つ為、始姫という飛緑魔を追っておる。お主たちは何故、終姫という飛緑魔を追っておるのじゃ?」

「えっと……それは、その……」

 言い淀むデルタの代わりに、前を歩いていたエコーが答える。

「チャーリーのお姉さんを助ける為だよ」

「おい、それ言っていいのか?」

「聞かれたら答えてくれって。自分から話さなかったのは、ガラシャさんたちに余計な気遣いをさせたくなかったんだと思う」

「なるほどのう。では、その先はチャーリーから直接聞こう。それにしても、お主らはお人よしじゃな」

「ガラシャさんもね。僕たちを助けたいから聞いたんでしょ? 最初にチャーリーから話を聞いた時、不思議に思ったんだ。人を疑ってかかるチャーリーが全面的に信用しているから。でも、直接会ってみて分かった。ガラシャさんは柔らかな花の香りがする、とても優しい人だってね」

 エコーは軽く微笑み、なるほどと納得したデルタはニヤニヤ笑いながら玉姫を覗き込んだ。素直になれない玉姫は顔を赤くして俯く。そして、可愛らしくモジモジする……はずがなく、デルタの顔面にグーパンチを叩き込んだ。

「痛たっ!」

「おっ、お主らの勘違いじゃ! えっと、その……そうじゃ。わらわは全てを利用する。お主たちも利用するだけしてポイじゃ。すっ、捨てられたくなければ尽力して我に仕えるがよいぞ!」

 真っ赤な顔のまま必死に訴える姿が可愛らしく、デルタは殴られた痛みなど忘れてしまう。まさにツンデレの極。

「ガラシャ、お前……メチャクチャ可愛いな」

「なっ、まだ侮辱するのか!? デルタ、お主は切腹じゃ……むぐぐっ」

 声を荒げて興奮する玉姫の口を突如エコーが押さえた。異変に気付いたデルタと玉姫も感覚を研ぎ澄ませ、意識を集中させる。

「大きな力を二つ感じる」

「エコー、俺にやらせろ」

 デルタが前に進むと木の陰から同じ顔をした二体の飛緑魔が現れた。デルタとエコーの瞳が怪しい光を放つ。飛緑魔の姿は既に戦闘時のものとなっていて、禍々しいオーラを放っている。

「双子か? まあいいや。る前に一つ聞きたいことがある。お前たちは人間と共存したいか? それとも、人間を餌としか見ていないのか?」

 デルタの言葉を聞き、玉姫は驚きの余り目を丸くした。飛緑魔は倒すべき対象としか見ていない玉姫にとって、それは当然の事だろう。

「エコー、あやつは何を言っておる? 情報収集と時間稼ぎ以外で飛緑魔に語り掛けるなど無駄じゃ。人間の命を己の寿命と美貌を繋ぐための物としか思っておらぬのだぞ」

「そうか、君は知らないんだね。信じられないだろうけど僕たちは出会ったんだ。生存する欲望に抗い、僕たちを助けようとして命を散らした飛緑魔に」

「まさか、そのような飛緑魔なんぞ本当に居るのか?」

「居たよ。でも、稀なケースだと思う。殆どが僕たちの前に居るような悪意の塊だからね」

 エコーの視線を辿ると、クスクスと笑う飛緑魔たちがいる。そして、あざ笑うかのように甲高い声を響かせた。

「ねえ、黄澄きすみ。この坊や変な事を言ってるわ。人間なんて美貌を繋ぐ餌に決まってるじゃない」

「フフッ、面白いわね。気に入った。青理あおり、この子は私にちょうだい。やんちゃな子を躾けるのが最高に好きなの。それに、若く元気な男の子の生命力を吸えば数年分の寿命となるわ。ゴルフ場に来るおじさんの生命力だけじゃ物足りなかったのよ」

 エコーの言う通り、目の前の飛緑魔たちからは悪意しか感じられない。デルタは「仕方ねーな」と呟き無防備のまま近づく。

「おい、一人で大丈夫なのか? 相手は二体じゃが、フォックスが撃退した飛緑魔よりも遥かに強い力を感じるぞ。あやつもフォックスと同等レベルの力を持っていると言うのか?」

 焦る玉姫を横目に、エコーはその場から動く素振りを見せず答えた。

「確かに、フォックスなら少し苦戦するかもね。彼の能力はサポートタイプだし、身体能力も僕たちの中で一番下だから」

「何じゃと?」

「デルタはチャーリーやフォックスの様に器用な真似はできない。だけど正面からぶつかり合った場合、僕たちの中で一番強いよ」

 飛緑魔は尋常じゃない速さに加え、見た目からは想像できないパワーとタフさを持っている。だからこそ隙を作り、弱点であるキリシタンの力を頭部へ直接流し込み倒してきた。だが、デルタは小細工無しの真っ向勝負を挑もうとしている。

「いくぜ。六秒でけりをつける」

柔らかな光がデルタを包み込み、張り詰めた空間に時が刻まれた。


一秒、二秒……


 デルタの姿が消え、風を切る音だけが耳に届く。

「消えた!? どっ、どこにいるの?」

「黄澄、後ろよ!」

 黄澄と呼ばれた飛緑魔が振り返った瞬間、デルタの重い一撃が鳩尾へ突き刺さった。あまりの衝撃に飛緑魔の核となる宝石が体から吹き飛び、粉々に砕け散る。それと同時に体が灰となって崩れた。


三秒、四秒、五秒……


「何なの!? あなた、本当に人間なの!?」

「最後に一つだけ聞く。始姫、終姫という飛緑魔を知ってるか?」

「知らないわ! そんな事より私の……」

 最後まで話を聞かず、残された青理という飛緑魔に掌打を喰らわせる。その破壊力の前に為す術無く、青理も核が砕け灰になった。


そして、六秒。


「五秒で十分だったな」

 玉姫へ視線を送り、ニカッと笑うデルタ。あっという間の出来事に玉姫は呆然と立ち尽くし口をパクパクさせている。

「いっ、今のはなんじゃ?」

「俺の『SIX』、金剛だよ。六秒間だけ身体能力が何倍にも上がるんだ。シンプルで分かり易いだろ? さてと、帰るか。始姫と終姫の情報は得られなかったけど、悪い飛緑魔は倒せたから良しとしよう……ん? エコー、どうした?」

 軽い足取りで帰路へ向かおうとするデルタに対し、エコーは鋭い目つきで茂みの奥を見つめていた。視線を追っていくと、その茂みから珠子と茉が飛び出す。

「お主ら、どうしてここへ!?」

「ごっ、ごめんなさい」

「あははは。玉姫ちゃんが心配でさ……そっ、そんなに怒らないでよ」

「……まったく、お主らは屋敷で説教じゃ」

「まあ許してやれよ。飛緑魔は倒したしさ」

 呆れる玉姫と笑うデルタ。その横で、エコーは険しい表情を崩さず叫んだ。

「そこから離れろ!」

 珠子と茉は理解できずに強張る。と、珠子の後ろから腕が伸び、白い手のひらが口を塞いで後方へ引き寄せ拘束した。

「油断したわね」

「倒した飛緑魔と同じ顔をしているな。お前が本体か」

 人質を取り脅してくる飛緑魔に対し、エコーは冷たく重い声を発した。その様子は、これまでの優しく話していたエコーと別人のように感じる。

「フフッ、ご名答。私の名は赤羅せきら。黄澄と青理は私の分身よ。性能は少しだけ劣るけど一度に四体までなら作り出せるの。こんな風にね」

 赤羅が懐から宝石を取り出し放り投げると四体の分身が現れ、一斉に襲い掛かってきた。先ほどの見下した態度の分身とは違い、新たな分身たちは鋭敏な動きを見せてくる。デルタは一度に三体を相手し、エコーは動きについて行けない玉姫を庇いながら残りの一体の相手をした。

デルタの『SIX』が使えれば打開できたかも知れない。超人的な力と速さで、分身を無視して珠子を拘束する本体を叩くのも可能だっただろう。だが『SIX』を使えるのは日に一回。能力を発動せず、複数の分身を搔い潜って本体まで辿り着くのは不可能だ。

「エコー、お主の『SIX』でどうにかならぬのか?」

「僕の能力は戦闘向きじゃないんだ」

 迂闊に手を出せば珠子に危害が及ぶ状況で、エコーたちは少しずつ追い詰められていった。

「あら、粘るわね。どれだけ耐えても結果は変わらないのに」

赤羅は鋭い爪を珠子の首筋に押し当てる。恐怖で涙を流す珠子を見て、茉は腰が抜け座り込み狼狽えた。私の責任だ。私が玉姫ちゃんのところへ行こうとしなければ、こんな事にはならなかった。私が何とかしないと……

茉はポケットから丸薬を取り出し、意を決して飲み込む。直後、全身に激痛が走った。

「キャア! アア……ァァ……ゥァ……」

「茉!? どうしたのじゃ! ええい、邪魔をするな!」

 玉姫が駆け寄ろうにも分身が阻む。珠子は必死に首を動かし、押さえつけている赤羅の手を振り解いて叫んだ。

「茉ちゃん! 茉ちゃん!!!」

「ゥゥ……だっ、大丈夫だよ……珠子ちゃん。今……助けるから……」

 飛緑魔の力を得た茉は激痛に耐え、震える体を起こして地面を蹴り、無我夢中で赤羅に拳を振るう。しかし、忠興や利家のように力を制御できないのか、赤羅が強すぎるのか、その攻撃はかすりもしなかった。

「当たらない……じっ……ジルちゃん、お願い!」

 茉の悲痛な声に、木陰で様子を窺っていた式神『ジル』が飛び出した。不意を突かれた赤羅は『ジル』の爪をかわそうとするも、完全には避けきれず頬を掠めた痛みに逆上する。

「私の美しい顔に……許さんぞ、この畜生が!」

 赤羅は真っ赤な目を吊り上げ、背を見せる『ジル』のしっぽを掴んで勢いよく地面に叩きつけた。木陰で丸くなっていた『めう』も『ジル』を助けようとして飛び掛かるが、指先一つで簡単に弾き飛ばされてしまう。

「ジルちゃん、めうちゃん! もうやめて! みんなを傷つけないで!」

 珠子の願いを歯牙にもかけず、赤羅は茉を睨みつける。

「この畜生をけしかけたのはお前だな?」

「茉ちゃん、逃げて!」

 蛇に睨まれた蛙の如く、茉は身動きが取れない。赤羅は拘束していた珠子を突き飛ばし、右腕を刃物へ変化させ迫った。

「いけない! デルタ、こいつを頼む」

 エコーは赤羅の分身をデルタの方へと蹴り飛ばし、茉の下へと向かう。だが間に合わず、無情にも赤羅の手は茉の腹部を貫いた。

「いやぁぁぁぁぁぁ!!!」

 珠子の叫びが響き渡り、赤羅は恍惚の笑みを浮かべる。エコーは倒れこむ茉を抱きかかえ、生々しい傷口を右手で押さえた。

「アハハハハ。一足遅かったようだね……ん? 何だい、その光は?」

 エコーの右手が柔らかな光に包まれ、絶望の中に希望の時を刻む。


一秒、二秒……


吹き出した血が茉の体内へと吸い込まれていく。


三秒、四秒……


傷が塞がり始め、茉の肌に精気が戻ってきた。


五秒……


破れた服までもが元通りに再生する。


そして、六秒。


「……あれっ? 私……何で……」

「もう大丈夫だよ。君の時間を六秒だけ戻した」

「じっ、時間を?」

「僕の能力は『逆再生リバース』。右手に触れたものを六秒だけ巻き戻せる。それがどんな状態であってもね。さあ、下がって」

 奇跡を目の当たりにした赤羅は「ありえない」と呟き、我に返って再び珠子を拘束した。

「動くな! この娘がどうなってもいいのか!?」

 エコーの眼力を本能で恐れ、珠子を盾にするよう前へ突き出す。そこで赤羅は大きな違和感を覚えた。エコーの表情に恐怖の陰りを感じ、その視線は自分ではなく珠子へ向けられている。

「何だ? どうしたと言うのだ?」

「ゥゥ……ユルサナイ……。ミンナヲ……キズツケルノハ……」

 耳に届く絞り出すような声に腕の中へ目を向けると、珠子の体から黒い霞のようなものが噴き出していた。皮膚の色が黒く染まり、顔に精気は見られず、瞳は光を失っている。高圧的であり、それでいて魅了する力に、幾度となく死線を超えてきたエコーですら恐怖に震えた。

「チャーリーと同等レベル……いや、それ以上だ。キリシタンの力が暴走しているのか?」

「キエテ……ネエ、キエテヨ……」

 珠子は右手を揺らし、赤羅を囲うように黒い霧を動かした。舐めるように渦巻く霧の中で重力が何倍にも増し、逃げる間もなく地面に叩きつけられる。這いつくばる赤羅は硬直した体を必死に動かそうとするが微動だにしない。

「嫌っ、触らないで!」

 悲鳴じみた声で抵抗を試みるが「キエテ……」と珠子の右手に頭を押さえつけられ、莫大な力が注がれた途端に赤羅の体は灰となり、核である宝石も粉々に砕け散る。それと同時に分身も消えて無くなった。

対象となる敵は全て殲滅されたが、それでも珠子の暴走は止まらない。

「ゼンブキエレバイイ……キエテシマエバ……ダレモカナシマナイ……」

 ゆらゆらと正体も無く動き、黒い霧と共に次の獲物を探し出す。

「駄目だ、意識を失っている。このまま力を使い続ければ命も危ない」

「珠子ちゃん、やめて! 正気に戻って!」

 正面に立ちはだかる茉の叫びも珠子には届かず、庇おうと前に出たエコーは跳ね飛ばされる。珠子は茉を一瞥して不気味に微笑み、片手で首を掴んで持ち上げた。

「たま……こ……ちゃん……」

 メキメキと鈍い音が響く中「やめろ!」と駆け付けたデルタが珠子の腕を力尽くで振り解く。

「どうなってんだよ!?」

 デルタに気の逸れた隙をつき、背後から玉姫が飛びついて押さえ込んだ。

「ゥゥ……ウゥ……」

「珠子、もう大丈夫じゃ」

 その場へ崩れ落ちるように座り込み、玉姫は珠子の頭を胸に抱いて優しく髪を撫で、透き通る声を響かせた。



『頭上に輝く宵の月 あなたを優しく包み込む わたしのもとへ訪れた あなたはわたしの宝物 花の綻ぶ陽の光も あなたの笑顔に勝るものはなく 腕に抱かれる温もりに いつの日もおだやかな安らぎを 柔らかな月の光のような おだやかな安らぎを』



 それは玉姫が娘に聴かせていた子守唄。そして、珠子が母から聴いていた安らぎの調べ。数百年にも渡り子守唄が受け継がれていたことを玉姫も知らない。その偶然とも呼べる奇跡が珠子の心を優しく包み込んだ。

「マ……マ……」

「落ち着いたようじゃな」

「おい、ガラシャ。何をしたんだ?」

「わらわの娘は寝つきが悪くてのう。いつも子守唄を聴かせていたのじゃ。珠子に効くか分からなかったが……ほれ、気持ちよさそうじゃろ」

 デルタが覗き込むと、珠子は玉姫の膝の上でスヤスヤ寝息を立てていた。

「呑気なものだな。まあ、落ち着いてくれて助かったけど」

「可愛い寝顔じゃのう。しかし、この力はどこから出たのか……珠子には力を感じたことなど無かったのじゃが」

「俺も感じなかったぜ。さっきまでは普通の女子高生にしか見えなかったからな。まあ取り敢えずは落ち着いたみたいだし……エコー、どうする?」

「屋敷に戻ってチャーリーに報告しよう」


 かろうじて飛緑魔を撃退した玉姫たち。エコーは珠子をおぶり、デルタは茉を抱きかかえて屋敷へ向かう。最後尾を走る玉姫の表情は暗く、何かを思い詰めているようだった。


※※※


屋敷に戻った玉姫たちは、門の前で忠興と利家に出迎えられた。

「珠子と茉も一緒に居たのか。探したんだぞ、いきなり消えたって聞いたから」

「勝手についてきたのじゃ。こやつらには後できつくお灸をすえなくてはのう」

 玉姫の冷ややかな言葉と視線に、居た堪れなくなった茉はそっと利家の背中へ隠れてしまった。

「まあ良い。茉は珠子についてやってくれ。忠興と利家は一緒に来るのじゃ。お互いの手に入れた情報を共有しようぞ」

「分かった」

 しょげる茉に客室のソファーへ寝かせた珠子を任せ、玉姫たちはチャーリーと合流して話し合う。先ずは忠興が斎藤という人物に接触した内容を話し、続けて玉姫が遭遇した飛緑魔について伝えた。その中でも珠子の力の暴走には全員が驚きを隠せず、忠興が問い質す。

「珠子が化物みたいな力を出したってどういうことだよ。あいつに力なんて感じられなかっただろ?」

「わらわにも分からぬのじゃ。チャーリー、お主はどう思う?」

 いきり立つ忠興と困惑する玉姫に詰め寄られ、チャーリーは一つの仮説を立てた

「キリシタンの血と力は子供たちにも受け継がれていく。ガラシャは子孫たちと共に戦い続けたのだろう? 世代が変わるたびにキリシタンとしての力も濃くなっていくはず。つまり……」

「その世代で身に付けた力は子供へと受け継がれ、激しい戦を経て更に高まっていく。それを繰り返した結果が突然変異をもたらしたということか。有り得ない話ではないのう。では、珠子から誰も力を感じ取れなかった理由は?」

「あの子自身が力を嫌い、無意識に閉じ込めていたかも知れない。だからこそ力を制御できず暴発したとも考えられる。僕のように幼い頃から訓練している訳じゃないからな」

 確かに、珠子の性格からして可能性の高い推測だ。その場に居る全員が異論無く頷いた。

「強大過ぎる力は諸刃の剣じゃ。下手をすれば自分自身すら消滅させてしまう危険がある。あやつには力のことを伝えず封じたままにしておこう。前線に立たねば問題あるまい。話は以上じゃな。わらわは少し風に当たってくる」

 淡々と一方的に話を終わらせ、玉姫は足早に部屋を出て行く。その後ろを忠興が慌てて追いかけた。

「おい、どこ行くんだよ」

「散歩するだけじゃ」

「俺もついて行く」

「……好きにするがよい」

 二人は暫く無言のまま歩き続け、小さな公園へと足を向ける。玉姫は錆びれたブランコへ腰を下ろし、おもむろに空を見上げた。

「どんよりとしておるのう」

「雨が降りそうだな。さっきまでは良い天気だったのに」

 玉姫が何か考え込んでいることは分かる。だが、忠興は口を開かず隣に立つだけ。

「お主、何か聞きたいのではないのか?」

「別に」

「……ならば、わらわから言おう。この戦いから手を引いてくれ」

「嫌だね。それに、俺が納得しても珠子は絶対に引かない」

「……」

 玉姫にとって予想通りの答えだった。忠興の返答を見越して説得する言葉も用意していた。でも、それが声として発せず唇を噛む。

「何が不安なんだ? チャーリーたちの協力は得られたし、飛緑魔の情報も集まってきてるだろ。始姫とかいうやつを倒して父親の仇を討つチャンスじゃないか。俺たちの利用価値はまだまだあると思うぜ」

忠興の強気な言葉に玉姫は突然立ち上がり「死ぬかも知れぬのじゃぞ!」と大声で怒鳴り返した。その様子を見ても忠興は取り乱さず、真っすぐに玉姫を見据える。

「茉のことを言ってるのか? 無事だっただろ」

「偶然じゃ。エコーが居なければ死んでいた。珠子だって、暴走して命を散らしていたかも知れぬ。お主たちは優し過ぎるのじゃ。わらわの我が儘に付き合わせて死なせとうない」

 俯き顔を隠して震える玉姫の肩を、忠興はポンっと叩いて笑う。

「おかしなことを言うなよ」

「何がおかしいのじゃ! わらわはお主たちを……」

「最初に飛緑魔を倒した時、俺たちに褒美をくれたよな?」

「褒美?」

「玉姫と呼ぶことを許そう……そう言ってただろ? あれ、珠子が凄く喜んでたんだ。家来になれって遠回しに言ってるって教えたのに、あいつ『家来って家族みたいなものだよね? 嬉しい! 私、玉姫ちゃんの家来になる』って喜んでた」

 勿論、玉姫も忠興も本気で主従関係を結ぼうなど思っていなかった。場の雰囲気を和らげる為の冗談だ。だが、全てが嘘とは言えない。出会って日が浅く異質な日常だとしても、無邪気な珠子を中心に家族のように過ごす日々を三人は心地よく感じていた。だからこそ、玉姫は二人を心配して突き放し、忠興たちは離れようとしない矛盾が生まれている。

「偶然助かった? エコーが居たから? 違うだろ。玉姫だからこそ、あいつらも全力で応えてくれた。玉姫がいてくれたから珠子の暴走も抑えられた。玉姫に出会わず、何も知らずに珠子の力が暴走していたらどうなってたと思う? それに、飛緑魔は玉姫の子孫である珠子を狙う可能性がある。お前が飛緑魔と戦う理由は仇を討つだけじゃない。子孫たちを危険な目に遭わせない為だ。間違って無いだろ? みんなで協力して、この時代で全て終わらせるのが最善なんだよ。分かったか?」

「……分からぬ」

「ああ、もうっ! じゃあ簡単に言ってやる。みんなお前が好きなんだよ。珠子も、利家も、茉も、チャーリーたちも、その……俺もな。だから一緒に戦わせろ!」

「忠興……」

 ストレートな言葉が玉姫の心を強く締め付けた。ずっと抑えてきた感情が溢れだして止まらない。頬に一筋の涙が伝い、想いを口にしようとした次の瞬間、玉姫と忠興は金縛りにあったかの如く動けなくなった。



「始まりは青い鳥 終わりは赤い鳥 青く染まった台地が赤く塗り替えられ やがて終焉を迎える 私たちは飛びたいだけ 自由に飛びたいだけ」



 奇妙な声の聞こえる方へ視線だけ動かすと、着物姿の美しい女性が毬をついていた。

「陰陽師と手を組み、飛緑魔を消滅させているのはガラシャ……お主だな? 我の名は始姫。長きに亘る争いの終止符を打たせてもらう」

 目の前に居るのは数百年の時をかけ追い続けていた飛緑魔。その禍々しい力が紛れもなく本物であると告げていた。

身動きの取れない玉姫と忠興に向かい、始姫は毬をフワリと中空へ浮かせる。すると毬は勢いよく爆ぜ、刃物が飛び出し迫った。玉姫が貫かれる寸前、風が舞い刃物が弾き飛ばされ、眼前に大きな背中が立つ。

「私が相手になろう」

「お前は、斎藤とかいうオッサン!?」

 斎藤は始姫から視線を外さず、玉姫たちを庇い、背を向けたまま話す。

「姫、ご無事で何よりです」

「おっ、お主は……まさか……」

「やはり、姫も魔鏡の力を使われていたのですね。あるじの光秀様が私に課せられためいは、ご家族を安全な場所に避難させお守りすること。ですが、私が不甲斐ないばかりに守り切れず、唯一無事であると聞き及んでいた姫の行方は知れず。生きていると信じ、魔鏡により命を繋ぎ止め探しておりました」

「利三……利三なのじゃな!?」

 斎藤が現れた事により金縛りが解かれ、玉姫は駆け寄って顔を覗き込む。その懐かしい顔を見て玉姫は涙が止まらなくなった。

「とし、みつ……利三、利三!」

「たった独りで、よく頑張って来られました。後は私にお任せを」

 何が起きたか理解がついて行かず、忠興は頭の中を空にして冷静に情報を整理する。

「斎藤……利三……斎藤利三って、明智光秀が最も信頼していた家臣か!?」

 斎藤利三さいとうとしみつは明智光秀の重臣として明智家を支えた勇将で数々の功績をあげてきた。表向きには本能寺の変に加担したとされているが、事実は光秀に家族の護衛を頼まれていたらしい。

「いかにも。少年、先ほどはすまなかった。お主が姫を守ってくれていたのだな。礼を言うぞ」

「あっ、いや、礼なんていいよ。そんな事より、あいつを倒せるのか?」

「姫を守る為、全力を尽くそう」

 勝てるとは言わず日本刀を握りしめて斬り込む。始姫は無表情で毬を繰り出し上空へ軽く放り投げた。大きく膨らむ毬は空で破裂し、煙の中から様々な飛び道具が雨の如く降り注ぐ。齋藤は軌道を見極め、刀で弾きながらかわしつつ距離を詰めた。

「このような小細工など通じぬ」

「……」

 始姫は全く動じることなく手元に二つの毬を繰り出す。両掌から離れて前に浮き留まる毬はグニャリと気味悪く形を変え破裂し、角の生えた二体の精悍な鬼が現れた。一体の鬼は全身が赤く染まり、もう一体の鬼は青く染まっている。

「赤鬼と青鬼か……厄介だな」

 赤鬼は棍棒を振り上げ、齋藤の頭上へと叩き落した。斎藤は攻撃の軌道を見極め刀でなすが、あまりの衝撃に地面が陥没してしまう。バランスを崩し焦りつつも応戦する中、青鬼は玉姫へと迫る。

「忠興!」

「分かってる」

 呪縛の解けた忠興は一時的に飛緑魔の力が得られる丸薬を飲みこみ、青鬼を迎え撃った。赤鬼ほど力は強くない。だが、速さは青鬼の方が上のようだ。忠興たちは攻撃をかわすのが精一杯で、反撃の糸口を見つけられない。

「このままではやられてしまう! 忠興、鬼を倒す策は無いか!?」

「手を出すな! このまま攻撃を避け続ければ勝ちだ。後はあいつが何とかしてくれる。人任せで策なんて呼べるものじゃないけどな」

 青鬼の攻撃を避け、間を取ると同時に地を揺るがす音が響く。棍棒を持つ赤鬼の腕を斎藤が切り落としたらしい。忠興の言う通り、齋藤が加勢するまで持ち応えればどうにかなりそうだ。

「冥界へ戻れ」

 齋藤は怯む赤鬼を斬りつけ、返す刃で両断する。そのまま踵を返し、青鬼も一刀のもとに切り伏せた。

「さすが利三! よし、父上の仇を取るのじゃ」

 余りの強さに興奮を抑えきれず、玉姫は強気に命を下す。斎藤は「仰せのままに」と始姫へ攻撃を仕掛けた。その斬撃の速さに翻弄されてか、始姫はかわすのが精一杯らしく反撃してこない。

「いける。父上の……皆の仇を取れるぞ」

数百年かけた念願が達成されると鼓動が高鳴る玉姫だったが、その横で忠興は青ざめた表情をしていた。

「駄目だ……このままじゃ……」

「忠興、どうしたのじゃ?」

「今ならまだ間に合う! 玉姫、逃げるぞ!」

 目を丸くする玉姫の腕を掴み、公園の外へ向かって走り出そうとする忠興。訳が分からず、玉姫は忠興の手を振り解いた。

「ええい、理由を述べよ! 何故、逃げ出さねばならぬのじゃ?」

「いいか、簡潔に言うぞ。斎藤は怪我をしている。俺と利家に襲い掛かってきた時も脇腹を庇っていた。見てみろ」

 落ち着いて見ると確かに動きがおかしい。鬼を倒すまでに見せていた時とは違い、動きにキレが無かった。始姫も攻撃をかわすのが精一杯ではなく、齋藤が倒れるまで待っているだけのように見える。そして、齋藤の脇腹辺りから血が滲み始めた。

「無茶な動きをしたから傷口が開いたんだ。あいつは俺たちを庇う為に戦っている。俺たちが逃げ出せば無茶はせず退くだろう。これ以上、傷が広がらない内に……っ!?」

 悪寒が走り視線を落とすと、玉姫の足元に小さな毬が転がっているのが見える。咄嗟に玉姫を突き飛ばしたが、爆ぜた毬が足元を冷気で覆いつくし、忠興の足は凍り付き地面に固着してしまった。

「俺のことは気にせず逃げろ!」

「嫌じゃ! お主を置いてなど行けぬ」

「クソッ……斎藤! こいつを連れて逃げるんだ!」

 斎藤は攻撃の手を止め、一瞬だけ振り返り刀を鞘へ収める。

「そうだ、早く逃げるんだ」

「悪いが、その命は聞けぬ」

「なっ、何でだよ!? このままじゃ全滅だぞ!」

「そうならぬ為、この一撃に全てを賭けよう」

 斎藤は居合の構えを取り精神を一点に集中させた。その気迫を全身で感じた始姫は、変形させた毬から鎌のような武器を取り出し初めて身構える。

「強き者よ、一つだけ聞こう。お主の主君はあの小娘であろう。何故、退くことをせぬ?」

「偽りの命と容姿を繋ぐ為だけに人を食す化物には分らぬよ。本当の美しさなど永遠にな。これが最後の一撃だ……滅せよ」

 渾身の一撃が始姫を捉えた。だが致命傷には至らず、左腕だけが吹き飛ぶ。そして、無情にも始姫の鎌が斎藤を貫いた。

「見事な太刀だった。今は退いておこう」

 齋藤が倒れるのを見届け、始姫は斬られた左腕と共に姿を消す。

「利三―――!!!」

 玉姫は駆け寄って利三を抱きかかえた。始姫が消えた事により術から解放された忠興も駆け寄る。

「姫……力及ばず……申し訳御座いませぬ……」

「よい、もうしゃべるな。すぐに治してやるからな」

 傷口に治癒の力を注ぐが、溢れだした血は止まらなかった。玉姫は手を真っ赤に染め「絶対に助ける」と繰り返し治療を続ける。

「何故じゃ? 何故、傷口が塞がらぬ? そっ、そうじゃ。忠興、策を……利三を救う策を出すのじゃ」

 涙目で声を震わせ、懇願するように忠興を見上る玉姫。忠興は高ぶる感情を抑え、治療する玉姫の腕を掴んで引いた。

「何をするのじゃ!?」

「今お前がしてやれるのは、齋藤の言葉を聞くことだ」

 忠興の心遣いに斎藤は「すまない」と返し、想いを声に乗せる。

「光秀様の命を受け……応えること叶わず……自らを責め続けておりました。ですが……姫の元気な姿を最後に見ることができ……私は幸せです」

「わらわは元気じゃ。利三が守ってくれたからじゃぞ」

「良かった……これからも息災で……」

「いやじゃ、利三……わらわを独りに……しないで……」

 斎藤は最後の力を振り絞って玉姫の頭を撫で微笑み、視線を忠興へ移した。

「少年……後は頼むぞ……」

「……分かってる。だけど、一つだけ納得してないんだ。教えてくれ。何で玉姫を連れて逃げなかった?」

「お主は姫に対し……一緒に戦わせてくれと願い出ていた……」

「聞いていたのか?」

「すまぬな。お主たちの姿を見つけていたのだが……話に入ってはならぬと感じ、様子を見ていた……。姫の為に戦う……つまり同胞だ。志が同じ仲間を見捨てたならば……光秀様にも……姫にも顔向けできぬ……」

 そんなことでと思う人は居るだろう。仲間を犠牲にしてでも主君を守るべきだと反論する人も居て当然だ。しかし、忠興は何も言えず黙り込んだ。斎藤の言う通り、忠興を犠牲にして逃げていたら玉姫は絶対に許さない。その甘さともいえる優しさが、強い絆で繋がれている明智家の強さだった。

「忠興と呼ばれていたな……。姓を……教えてくれぬか?」

「細川……細川忠興だ」

「おお、やはり……懐かしさを感じたのは……間違いではなかった。お主は……細川殿の……。姫は……独りではありませぬ……。細川忠興……姫を……」

 斎藤の瞼が閉じ、それと同時に体が灰となって舞い上がる。魔鏡を使用したからなのか、その散りざまは皮肉にも無理やり命を繋ぐ飛緑魔の最後と酷似していた。



 二人が無言のまま動かずにいると、ポタリポタリ雨が降り始める。やがて雨が強くなり、忠興が「帰ろう」と口にした。ずっと俯いていた玉姫は立ち上がり、涙でボロボロの顔を忠興の胸に埋める。

「利三は……いつも優しくしてくれた。お腹が空いたと言ったら、すぐに食べ物を用意してくれた。寂しい時には一緒に遊んでくれた。悪戯した時も、あやつだけは笑って許してくれたのじゃ……。わらわにとって……家族と同じ大切な……」

玉姫の熱を帯びた雫は悲しみの色を乗せ、忠興の心に深く刻まれる。

「忠興……もう少しだけ……このまま……」

「強がらなくていい、全部受け止めてやる。俺が、全てを終わらせるから」

「……うん」

 忠興はそれ以上語らず、玉姫の心を包み込むよう優しく抱きしめ続けた。


【第三章 完】


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