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たまひめ!!  作者: 大滝タクミ
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【第二章】異質な力

「切腹しろ」

倒れている忠興の顔の横へ、玉姫が包丁を突き刺す。見下す瞳は氷のように冷たく、美しい黒髪が頬に触れるたび恐怖を感じる。

「まっ、待て! 誤解だ!」

「安心しろ。苦しまぬよう介錯してやる」

「助けてくれ!」

「さあ、覚悟を決めよ」

忠興は天井を仰ぎながら、涙目で助けてくれと訴え続けた。

※※※



「いただきます」

 忠興、珠子、玉姫たまひめがテーブルを囲んでいる。これから朝食のようで、メインのおかずは三人の中心に置かれた卵焼き。

「どうだ?」

「うん、美味しいよ」

「ふわふわじゃの」

 どうやら、忠興が作ったらしい。

「マヨネーズを入れてみたんだ。成功したみたい……ん? どうした?」

 珠子は嬉しそうだが、玉姫は複雑な表情をしている。

「確かに美味いのじゃが、あのたまご焼きには遠く及ばん。ふわふわなところだけは似ておるがのう」

「そのたまご焼きって、珠子のかあちゃんが作ったやつだろ? 無理だよ。あれは神レベルだ」

「たわけ! 戦う前から負けを認めるとは何事じゃ」

「ハイハイ、さっさと食べてくれ。この後に聞きたいことが山ほどあるからな」

 たった半日足らずで、忠興はお転婆姫の扱いに慣れたようだ。無理に相手をせず軽く受け流している。その余裕が鼻に付く玉姫は、忠興の手をじっと見つめた。そして、忠興が卵焼きを取ろうとする横から奪う。ひたすら奪う。お前には一口たりとて渡さない……そんなどうでもいい意志が強く伝わる。忠興も意地になり、フェイントを織り交ぜ対抗した。

「お味噌汁も美味しいね」

 無言の激しい攻防にまったく気づかず、珠子は呑気に微笑む。そして忠興は一欠けらも味わえず、たまご焼きは消失してしまった。

「甘いのう。栗饅頭より甘い奴じゃ」

玉姫は勝ち誇ったように笑みを浮かべている。

「クッ、俺のたまご焼きがお亡くなりに……って、そんな事はどうでもいい。昨日の話の続きを聞かせろ。魔境がどうとか言ってたよな?」

「おお、そうじゃ。風呂敷を忘れて取りに行ったきりじゃったな。わらわは飛緑魔を倒して父上の仇を打つべく二つの秘宝を使った。一つは既に伝えておる魔鏡という秘宝。わらわの肉体と魂を十七の時から止めておる。もう一つはこれじゃ」

 風呂敷から勾玉の付いた首飾りが取り出された。見た目は普通のアクセサリーだが禍々しい気配を感じる。忠興は怪しい雰囲気に圧倒され唾を飲み込んだ。

「これは時の勾玉といって、時を超え近しい魂を持つ者の場所へといざなってくれるのじゃ」

 頭がついて行かず「あうあう」言いながら戸惑っている珠子の横で、忠興は素早く情報を整理して考察する。

「近しい魂? 時を超えて……つまり、前世や子孫のところへ連れて行ってくれるという事か。だから子孫である珠子の前に現れた」

「おお、理解が早いのう。わらわは時の勾玉を使い、成長した娘と共に飛緑魔を追った。じゃが、魂は齢を重ねる毎に色を変えていく。先ほども言うたが、わらわの肉体と魂は十七で止まっておるのじゃ。時を超えて再会した娘も十七じゃった。そして、娘が二十を迎える頃には魂の波長が合わなくなり元の時代へ戻されてしもうた。勾玉に制約があるのか分からぬが、何故か同じ時代には二度と行けぬ。次は孫の世代へ飛び……」

「それでも父親の仇が打てず、時代を飛び続け今に至るってわけか。ここに居られるのも数年だけなんだな」

 珠子は理解するのをあきらめ、急須で熱々のお茶を注ぎつつ相槌だけ打ち続ける。

「玉姫が珠子の母ちゃんを知っていた理由が分かったよ」

「うんうん。タッくんは分かったんだよ」

「うむ、理解したようじゃの」

「凄いでしょ」

「玉姫は一緒に戦ってたんだな。珠子の母ちゃんと」

「私のママと一緒にね」

「優しくて、それでいて芯が強かった。先祖として鼻が高いぞ」

「そっか、ママは優しくて……」

……

……

「珠子、どうしたのじゃ?」

「……ママに会ったの!?」

 驚いた珠子は急須を放り投げ、中に入っていた熱々のお茶が忠興の顔面にクリーンヒットした。

「ギャー!!!」

「玉姫ちゃん、どういうこと?」

「グワァァァァァ」

「ママに会ったんだよね」

「あっ、熱っ、熱!」

「タッくん、ちょっと黙ってて」

 断末魔の叫びをあげながらゴロゴロと転がる忠興。構わず、珠子と玉姫は話を進める。

「ねえ、もっと話を聞かせて」

「うむ、良いぞ。珠子の母、香澄かすみは……」

 楽しそうに会話を弾ませている横で、瀕死の忠興は洗面所まで這って行く。頭から水を被りようやく落ち着いた頃には蚊帳の外となっていた。聞きたい事はまだまだあるが、無理やり話に割り込むのは気が引ける。でも、黙って待つのも辛い。

「よし、やるか」

手持無沙汰を解消するべく、使用済みの食器を片付けて洗い始めた。そのまま洗濯、掃除へと移行していく。その姿に玉姫が気づき、話を止め近づいてきた。

「ほう……わらわの時代では考えられぬが、男が家事をそつなくこなせるのは感心じゃの。よいぞ、よいぞ」

「タッくんは良いお嫁さんになれるね」

「へいへい。それで、話は終わったのか?」

「それが終わらぬ。続きは後にして話を戻そうかと思うのじゃが」

 楽しそうに話す珠子の邪魔をする気は無かったが、終わらないのでは仕方がない。忠興は家事を中断し会話に加わった。

「それでは続きを話そう。わらわは時代を超える度に子孫と協力者を探し、仇である飛緑魔を追った」

「協力者って誰だ?」

「キリシタンであり陰陽師でもある賀茂在昌かものあきまさに弟子入りしたと言ったのを覚えておるか?」

 忠興は話の内容を思い出して頷く。覚えていない珠子もつられて頷いた。

「その賀茂在昌の子孫が協力してくれる。お主、珠子をさらった飛緑魔の強さはどの程度だと思う?」

「本気を出した時の動きはヤバかったな。まったく見えなかった。かなりの強さだと思う」

 玉姫は首を横に振り、小さなため息を吐く。

「中の下じゃ」

「中の下? ちょっと待てよ。お前より遥かに大きい力だって言ってたよな?」

「戦闘は苦手でのう。だから各時代で賀茂在昌の子孫に協力して貰った。キリシタンと陰陽師の二つの力を使えるから強いぞ。心当たりは無いか?」

「心当たりって言われても」

 そんな怪しい人物は知り合いに居ない。仮に居るとすれば、既に頭の中で浮かび上がっているだろう。 

「二十数年の間に大きく変わっておるが、ここは珠子の母が住んでいた町じゃろ? ならば近くに居るはずじゃ」

「俺は知らないけど、あいつなら何か……ん?」

 突然、玄関のドアが勢いよく開いた。

「俺を呼んだか、マイベストフレンド!」

「お兄ちゃんってば、いきなり押しかけて迷惑だよ」

 長身の男が断りも無く部屋へ入って来る。眼鏡をクイッとさせる仕草は、映画やドラマに登場するインテリ官僚を想像させた。その後ろにはポニーテールの可愛らしい女の子の姿が覗く。

「忠興、この変な男は誰じゃ?」

「知らん」

「ホワイ!? おいおい、よしてくれよ。このベストフレンドにメールを送ってきただろ?」

 男はスマートフォンを取り出し、無機質な文字の羅列を見せつけた。


『明日になっても連絡がなければ、俺のアパートに居る女の子を助けてやってくれ』


 忠興は飛緑魔と戦う前に最悪の状況を想定し、いざとなったら珠子だけでも逃がそうと知り合いに連絡していたようだ。

「ああ、忘れてた。もう解決したから帰っていいよ」

「なんですと!? 何度電話しても出ないし、メールも送れないから心配したんだぞ」

利家としいえの電話は着信拒否してるし、メールは迷惑メールへ直行するように設定してるから」

「……ジーザス」

 利家と呼ばれた男は両手両膝をついて絶望する。その後ろで妹が驚いた顔をしていた。

「あれっ? もしかして、珠子ちゃん?」

まつちゃん!? すっごく可愛くなってたから分からなかった」

 事故で両親を失い叔父に引き取られるまでは同じ小学校に通っていたらしく、茉は利家を押し退けて駆け寄り喜び会っている。

「ビックリした。お兄ちゃんが変に興奮してたから心配になってついてきたけど、珠子ちゃんに会えるなんて思わなかった。転校した後、急に連絡取れなくなったから心配したんだよ。嫌われちゃったのかなって」

「ごめんね、色々あって連絡できなかったの。茉ちゃんは今でも私の親友だよ」

テンション上がりすぎてピョンピョン跳ねる珠子と茉。這いつくばって悔し涙を流す利家に、無視し続ける忠興。狭い部屋でのカオスな状況を見かね、玉姫が一括した。

「ええい、静まれい! お主ら、先ずは名乗らぬか」

 ここでようやく、利家と茉は玉姫の存在に気づき目を丸くする。

「たっ、たっ、珠子ちゃんが二人!?」

「落ち着け、茉。この子は双子なんだろう。一卵性の双子など別に珍しいものではない」

 そう言いながら何度も珠子と玉姫を見比べてしまう。このままでは話が進まないと感じ、忠興が間に入った。

「こいつは俺の《《知り合い》》、前田利家」

「《《親友》》の前田利家だ。宜しくな」

「ポニーテールの方が妹の茉。俺も珠子の友達とは知らなかったけど」

「茉です。ねえ、珠子ちゃん。姉妹はいなかったよね?」

「あっ、えっと、その……」

「玉姫……こいつらに全部話そう。信じてくれないだろうけど、利家は友達欲しさに怪しい知り合いをたくさん作ってる」

「ほう。有益な情報が得られるかも知れぬな。よかろう。利家、茉、ここに座るのじゃ。忠興、説明してやれ」

 玉姫の素性と昨日の出来事を詳しく伝える。からかわれていると思われても仕方のない内容だったが、利家は口を閉ざし最後まで真剣に話を聞いてくれた。

「なるほど。その協力者を探し出したいと」

「こんな話を信じるのか?」

「俺が親友の話を疑うはず無いだろう。そうだな……心当たりは二つある。一つは家の近所に住む斎藤さいとうという男。仕事もせず夜中にフラッと出かけ、怪我をして帰ってくるという噂がある。それと、隣の家の爺さんが化け物を見たかと聞かれたらしい」

 予想外に的確な答えが返ってきた為、空気が一変して重く感じる。普通に考えれば変質者の類と笑い飛ばすだろうが、実際に飛緑魔を見た忠興と珠子は表情を険しくした。

「もう一つは?」

「偶然だが、大学の食堂で飛緑魔という言葉を耳にした。四人くらいで話していて、他にも化け物を倒すとか聞こえたからゲームの話だと思ったのだが……その内の一人は俺と同じ分野を専攻してる。チャーリーというあだ名で呼ばれていて、無口で不愛想。話しかけるのを躊躇うほど異質な奴だ」

「誰でも友達になろうとする利家が話しかけないって驚きだな。玉姫、どうする?」

 玉姫は腕を組んで俯き、暫く考えてから顔を上げる。

「斎藤という名に覚えがあるぞ。まあ、どこにでもおる名と言えばそれまでじゃが……わらわの知っている人物と所縁があるなら、協力者でなくとも有益な情報が得られるかも知れぬのう。もう一人の飛緑魔と口にした者も気になる。二人とも話を聞いてみよう。利家、どちらからでも構わぬ。話し合いの場を設けてくれぬか?」

「明日の講義はチャーリーも専攻しているものだ。掛け合ってみよう。その代わり、俺の友達になって……」

「すまぬな。宜しく頼むぞ。では、わらわは買い物に出かけてくる。珠子、茉、お主らも一緒に行こう」

 友達という言葉に危険を察知し、玉姫はアパートを飛び出して行った。友達獲得チャンスに失敗して悔しがる利家を横目に、同じく置いて行かれた忠興が呟く。

「お前、何で眼鏡かけているんだ? 視力は良かっただろ?」

「伊達眼鏡だ。近所の眼鏡ショップで働いてる奴に『俺たちは友達だろ?』って眼鏡を勧められてな。友達として色々語りたいんだが、いつも予定が合わなくて話せないんだ。多忙な友達で困るよ」

「……」

 それは、たぶん友達じゃない。そう思いながらも真実を告げると面倒なので黙っている忠興だった。

※※※


 チャーリーと呼ばれる男に話し合いの場を持ちかけてから数日後。忠興、玉姫、珠子、利家、茉の五人は町外れにある大きな屋敷の門の前に立っていた。

「利家、ここにチャーリーとやらが住んでおるのか?」

「そうだと思う。飛緑魔というキーワードを伝えたら教えてくれた」

「茉、お主までついてくる必要は無いのじゃぞ?」

「なんで? 面白そうじゃない。珠子ちゃんも居るしね」

 気楽に話す茉の横で、珠子は複雑そうな表情をしている。できれば巻き込みたくなかったのだろう。だが、天真爛漫で好奇心旺盛な茉を誰も止められなかったらしい。飛緑魔と遭遇している忠興は心配になり、利家にそっと耳打ちした。

「いいのか?」

「忠興も知ってるだろ? 茉は一度言い出したことを絶対に曲げないんだ。無理やり帰そうとしても回し蹴りを喰らうぞ」

「そう言えば空手の黒帯だっけ? 見た目は華奢きゃしゃでほっそりしてるから想像できないけど。もしかして、お前がたまに作ってる青あざは……」

「お兄ちゃん、忠興さん、何を話してるの? 早く行きましょ」

 茉が先頭に立ち門の周りを確認する。何故かここにいる誰よりもやる気は十分だ。しかし、インターホンが見当たらない。珠子も一緒になって探す中、背後に気配を感じた利家が振り返った。その先には無表情な男が腕を組んで立っている。

「チャーリー、外に居たのか」

「……」

 チャーリーは玉姫の顔を見つめ、そのまま忠興の足元へ視線を移した。すると、瞳が怪しい光を放つ。

「力を感じる。招かれざる者も一緒につれてきたか」

 言葉の意味を理解した玉姫は飛び退き、珠子と茉を背中に隠して身構える。すると状況を把握できず狼狽える忠興の影が蠢き、隆起して美しい女へと姿を変えた。理解が追いつかず驚きの余り金縛りの様に動けなくなる。

「忠興!」

 利家の声で我に返り、足を無理やり動かして後退あとずさった。その光景を目で追う飛緑魔は、唇に指を当てクスクスと笑う。

「あらあら、まだ怖がらなくてもいいのよ。ここからが本番だから」

 見開いた目は真っ赤に染まり、牙と爪が獣のように伸びていく。禍々しく変化した飛緑魔は瞬きする間も与えず忠興と利家の眼前に移動し、顔を舐めるよう見定めた。

「うん、二人とも合格。私の体の中で永遠に生きましょう。でも、ちょっと待ってね。邪魔者を排除しちゃうから」

 そのまま踵を返し、玉姫たちに迫る。光の盾を作り身構えていた玉姫をするりとかわし、恐怖で身動きのとれない珠子へ照準を合わせた。

「女に用は無いわ。さよなら」

「させるか」

襲い掛かる牙が珠子の首筋を切り裂こうとした瞬間、チャーリーが間に入り弾き飛ばす。

「グアッ!? クッ……」

 重く鋭い拳を受け、一撃で敵わないと感じ取った飛緑魔は背を向け逃げ出した。

「逃がさない。行け、ジル」

 間髪入れず護符を投げつける。護符は白猫へと姿を変え一直線に駆け、爪はその背中を切り裂く。声をあげることなく倒れ伏した化物へ近付き、頭を押さえキリシタンの力を注ぎ込んだ。

「束縛する鎖を断ち切り、全ての生を解き放て」

 数多の光が天へと昇って行く。抜け殻となった化物の体は灰となり、風に乗って跡形も無く消えた。チャーリーは残された飛緑魔の媒体となる宝石アメシストを拾い上げ握り潰して砕く。飛緑魔が現れてから、たった十数秒の出来事だった。

「どうした、利家。僕に話があるのだろう? そんなところで突っ立ってないで入れよ」

まるで今起きた戦闘が無かったかのように、チャーリーは涼しい顔のまま屋敷の中へと入っていく。忠興たちは誰も声を出せず、放心状態で後をついて行った。

屋敷の広間へと着き、ソファーに座って待つよう指示される。飲み物が用意され、ようやく一息ついたところで最初に声を出したのは茉だった。

「お兄ちゃん、飛緑魔って本当に居たんだね」

「ああ、そうだな。忠興を疑っていた訳じゃないが正直驚いたよ」

 少し震えているようにも、興奮しているようにも見えるが当たり前の反応だ。あんな化物を目の当たりにして冷静になれるはずが無い。

「お主らは無関係なのだから、もう帰って良いぞ。わざわざ危険な目に遭う必要はない。ここに連れて来てくれただけで十分じゃ。いつか礼をさせてくれ」

 玉姫はつり上げていた眉を下げ、怯えさせぬよう優しい瞳で微笑んだ。その表情が利家と茉の胸をグッと押さえつける。

「玉姫ちゃん、お礼なんていらないよ。それに……私は玉姫ちゃんや珠子ちゃんの力になりたい。あんな化物を倒せって言われても無理だけど、何かできる事はあるはず。ねっ、お兄ちゃん」

「フッ、茉の言う通りだ。俺と友達になってくれるだけで十分だよ」

「……嫌じゃ」

「ホワイ!? もう友達だと思っていたんだぞ! 俺の何が不満だ!?」

「なんかキモイ」

 先ほどとは一変して氷の様に冷たい瞳を向ける玉姫。

普通にしていれば問題なかった。寧ろ、利家は長身でルックスも良いからモテるはずだ。しかし、いつも友達欲しいオーラが溢れだしているから残念な結果となっていた。

「何という強力な言霊を放つ奴だ。危うく逝ってしまうところだった。まあいい。マイブラザー(ただおき)、親友の俺に優しい言葉をプリーズ!」

「なんかキモイ」

「グハッ」

 チャーリーの攻撃を受けた時の飛緑魔よりも苦しんでいる。利家はもう駄目かも知れない。

「何を言い争っているんだ?」

 いつの間にかソファーに座っていたチャーリーへと視線が集中した。その横には白猫を抱く長髪の男が立っている。玉姫の額にじわりと汗が滲んだ。油断していた訳ではない。屋敷に入ってから特に神経を研ぎ澄ましている。それなのに、二人の男は気配すら感じさせなかった。

「お主は賀茂在昌の子孫じゃな?」

「そうだ。ガラシャの話も父と母から聞いている。尤も、父と母は飛緑魔の手に掛かってしまったがな……ああ、暗くならなくていい。昔の話だ」

 年齢は忠興たちと変わらないはずだが、どこか言葉や雰囲気に重みを感じる。恐らく想像できないほど過酷な人生を送ってきたのだろう。

 ガラシャたちは簡単な自己紹介をした後、すぐに本題を切り出す。

「単刀直入に言う。わらわに協力してくれぬか? 既に聞いておると思うが、父の仇の飛緑魔を追っておる。その飛緑魔の名は始姫しき。この手で父の無念を晴らしたいのじゃ」

「飛緑魔の始まりと伝えられている奴だな……協力するのは構わない。但し、二つ条件がある。お前たちが始姫を探しているように、僕も終姫という飛緑魔を追っている。その終姫に関する情報を集めて欲しい。それが一つ目の条件。二つ目の条件だが……ガラシャたちが来る前、僕は怪しい気配を感じて外に出た。そのまま屋敷の周辺を確認し、先ほど倒した飛緑魔に辿り着いたんだ。だが最初に感じた気配とは違っていた」

「別の飛緑魔がいたと言いたいのか?」

「そうだ。倒した飛緑魔はガラシャを狙っていた。しかし、別の飛緑魔は僕を狙っていたと思う。そいつを見つけ出し倒して欲しい」

 淡々と発せられた言葉に衝撃が走った。協力者を探していた理由は、自分たちでは太刀打ちできない飛緑魔を倒して貰うため。それが逆に倒せと迫られている。驚いた忠興は思わず横から口を挟んだ。

「お前も……えっと、チャーリーも一緒に来るんだよな? そもそも、俺たちは飛緑魔の見分けなんてつかないぞ。普通にしていたら人間と変わらないし」

「僕は今、この屋敷の結界を強力なものに張り直している。留守にすれば隙をつかれ、飛緑魔の襲撃により屋敷の住人を危険な目に遭わせてしまうかも知れない。だから動けないんだ。だが、お前たちだけで行けとも言ってない。フォックス、頼む」

「うん、任せて」

 チャーリーの隣で白猫と戯れていた男が一歩前に出た。アイルドル並みの可愛らしいルックスと体格。お世辞にも強そうだとは言えず心許なく感じる。

「フォックスは敵の気配を察知する能力に長けている。式神の白猫ジルと一緒なら僕を狙っていたであろう飛緑魔の追跡も可能だ。それと、僕たちは飛緑魔を見分ける瞳を持っている。さっき僕の目が光っていたのを見ただろう? あれは飛緑魔を瞳に捉えた合図。普段はカラコンで隠しているけどな」

「なるほどね。フォックスと一緒なら飛緑魔も見分けられるし、そのジルって猫も居るから問題無いと」

 フォックスが抱いていたのは先ほどチャーリーが護符から変化させた白猫だと気づいた。美しい毛並みと気品溢れる仕草が際立っていて、珠子と茉は目を奪われる。

「茉ちゃん、美人さんのニャンコだよ」

「うん。でも、猫じゃなくて式神でしょ」

「式神ってなあに?」

「さあ? 玉姫ちゃんに聞いてみようよ」

 茉が視線を移すと不機嫌そうな玉姫が見て取れる。

「どうしたの?」

「式神とは陰陽師が使役する鬼神の事で、人心から起こる悪行や善行を見定める存在。簡単に言えば、陰陽師が作り出すパートナーの様なものじゃ」

「そうなんだ。玉姫ちゃんも式神を作れる?」

「当たり前じゃ。そこにいるジルという猫よりも立派な式神をな。見ておれ」

 どうやら対抗意識が芽生えていたらしい。玉姫は風呂敷を広げると護符を取り出し前方へ投げつけた。現れた式神を直視して絶句する忠興と利家。

「これは……タヌキか?」

「忠興、失礼だぞ。こんなに可愛らしい子ブタをタヌキだなんて」

 玉姫は拳をプルプルと震わせている。

「違うのか? 分かった、白いアライグマだ」

「白いアライグマなんて居るはず無いだろう。冷静になれ、忠興。こいつはイノシシの子供(うり坊)で間違いない」

 玉姫は無言で忠興を見上げ、そのまま目潰しをした。

「ギャー!」

 逃げ出そうとした利家にはジャンプしてカカト落としを喰らわす。

「グハッ」

「わらわを侮辱した罪で切腹じゃ。部屋の隅で残り少ない余生を楽しむがよい」

 そう言い捨て、二人を蹴り飛ばした。だが、忠興たちの言いたいことは分かる。玉姫が出した白猫はお世辞にも美しいとは言えない。マンチカンの様な短い脚と丸っこいフォルム。額にある黒い模様が垂れ下がった眉のように感じ、しょぼんとした情けない表情に見えた。猫というより、ゆるキャラに近い気がする。

「この子……可愛い!」

「うん、すっごく可愛いね」

 でも、珠子と茉には大人気だ。

「玉姫ちゃん、この子の名前は?」

「そやつは式神の『めう』じゃ。わらわの美的センスを理解できるとは、お主らは分かっておるのう。存分に戯れるがよい。さて……フォックスとやら、行くとするか。チャーリー、珠子たちを頼むぞ」

 フォックスの背中を押し、玉姫は足早に部屋を出ようとする。その手を珠子が掴んで止めた。

「玉姫ちゃん、私も一緒に行く」

「ダメじゃ。情けないが、わらわの力では珠子たちを守る余裕など無い。ここで大人しく待っておれ」

「でも、心配だよ」

「分かってくれ。危険な目に遭わせとうないのじゃ」

 子供を諭すように優しく微笑む玉姫。珠子はオロオロして忠興の下へと駆け寄り、潤んだ瞳で訴えた。

「タッくん」

「……ああ、分かってる。利家、行くぞ」

「了解」

「忠興、利家、冷静になれ。普通の人間が飛緑魔に勝てるはず無かろう。犬死にじゃ」

 きつく諭す言葉に忠興は一歩も退かず、玉姫のそばから離れない。見かねたチャーリーが立ち上がり、忠興と利家に小袋を差し出した。

「この中には丸薬が入っている。飲めば一時的だが僕らに近い力を得られるだろう。但し、体に大きな負担がかかるし副作用もある。それに、本来なら力を使いこなすには相当な鍛錬が必要だ。服用しても戦力になるほどの力を引き出せるか分からない」

「死ぬわけじゃないんだろ? 上等だ」

「まっ、待つのじゃ」

 玉姫が止める間もなく袋の中身を取り出し飲みこむ。直後、忠興と利家が発狂したかのように苦しみ始めた。

「チャーリー、何を考えておる!? これは飛緑魔の力を基に作り出した秘薬じゃろ!」

「焦るな、ガラシャ。これは秘薬を改良したものだ。飛緑魔の力の暴走を抑え、極力副作用が出ないようにしてある」

「だからと言って……」

 忠興は取り乱す玉姫の眼前に手を伸ばし、牽制して言葉を遮る。

「だっ、大丈夫だ。フォックス、行こう」

 フォックスは小さく頷き足早に部屋を出た。息を整え姿勢を正した忠興と利家も後に続き、玉姫は慌てて追いかける。そのまま屋敷の外に出て立ち止まり、辺りを見渡した。

「ジル、どう思う?」

 フォックスの肩に乗っていた式神のジルは太陽の沈む方角を見つめている。

「西か……ガラシャさん、忠興君、利家君、ついてきて」

 少し不安げな表情の忠興を横目に「安心して、ゆっくり走るから」と呟いて駆け出した。その速さは尋常ではなく風のように突き進む。忠興と利家はついて行くのがやっとだったが、ガラシャだけは余裕を見せ並走した。

「フォックス、質問してよいか? チャーリーは忠興たちに薬を渡す際、僕らに近い力と言っておった。あの薬は飛緑魔の力を吸収して作られたものじゃ。つまり、お主たちは飛緑魔の力を取り込んでおるのだな? 他にも仲間はいるのか?」

「僕とチャーリーを含めて六人、全員が力の保有者だよ。『SIX』も使える。チャーリーなんて陰陽師に加えて、キリシタン、飛緑魔の三つの力を使えるよ。歴代最強の陰陽師だと思う」

「ほう……まさか『SIX』まで使えるとは思っておらなんだ。それに、賀茂在昌の子孫で歴代最強の陰陽師か」

 何度も時空を超え、数百年もの時を駆け抜け果たせなかった願いに光明が差す。玉姫は高揚を隠し切れず口元を綻ばせた。

「おい、フォックス。『SIX』って何だ?」

 振り返ると、忠興と利家が真後ろに迫っている。

「もう力に慣れたのかい? 凄い適性だね」

「血の巡りと同じようなものなんだろ? どす黒い力が全身に駆け巡っているのを感じる。だったら、それに逆らわず受け流せばいい。脳や心臓に到達した時だけ注意すれば制御できたよ。まあ、利家は本能で理解したみたいだけどな。そんな事より質問に答えろ」

「『SIX』は飛緑魔が使う魔法みたいなものなんだ。使い手によって効果は様々。君たちが出会った飛緑魔も不思議な力を使ってなかった?」

 思い返せば、珠子をさらった飛緑魔は植物を自由に操っていた。

「その能力を一日に一回、六秒間だけ使える」

「六秒だけ?」

「六秒以上は体が持たない。飛緑魔は別だけどね」

「なるほど。フォックスの能力を差し支えなければ教えてくれ」

 話を聞く限り『SIX』は切り札となる重要な能力。さすがに個人の能力詳細まで教えてくれないだろう……そう思いながら聞いた忠興だったが、フォックスは躊躇なく答える。

「僕の能力は『透視の瞳』って呼ばれてる。六秒間だけ全てがスローモーションで動いて見える能力なんだ」

「スローモーションで動いて見える? そんな能力が役に立つのか?」

「目に映る情報から次に起こる事を予測できるよ。さあ、おしゃべりはここまで。ついたみたいだ」

 フォックスの視線の先には町の図書館が見える。そこで違和感を覚えたガラシャが立ち止まった。

「どういうことじゃ? 大きな力を三つ感じるぞ」

「図書館の中に二つ、外に一つ。それに……ガラシャさん、忠興君、利家君、慎重にね」

 加速する鼓動を抑え、図書館の周りを慎重に探る。すると、どこからか不気味な声が聞こえてきた。

「私たちと同じ匂いがする。でも、仲間じゃない……」

 辺りに人影は見えない。フォックスは目を閉じ、集中して気配を辿る。そのまま地面に落ちていた石を拾い、何の変哲もない図書館の壁へ投げつけた。それと同時に壁から美しい女が飛び出し、視界に捉えたフォックスの瞳が怪しい光を放つ。

「フフッ、バレちゃった?」

 飛緑魔はクスクスと笑い、舐め回すように全員の顔を品定めした。

「あら、良い男が揃ってるじゃない。特に、あなた。女の子みたいな顔をして可愛いわ。私の中で永遠の時を過ごさない?」

「残念だけど、お断りさせて貰う。君からは悪意しか感じない」

 フォックスは一瞬で距離を縮め、素早く拳を繰り出す。しかし、拳が触れる前に再び壁の中へと逃げ込まれてしまった。

「焦らないで。あなたは分かっているはず……今の状況をね」

 意味深な言葉を残して飛緑魔の気配は消える。

「フォックス、どうする? 壁の中なんて攻撃できないぞ」

「忠興君、落ち着いて。壁の中に居るんじゃなくて、壁をすり抜けてきただけ。飛緑魔は図書館の中だよ。問題は、あいつの残した言葉の意味」

「今の状況って言うのは、たぶん人質の事だろ? 図書館の中に居る人を盾にできるって脅しに聞こえたよ」

 次の言葉を待たず、忠興は話を繋げた。それに驚きを見せるフォックス。

「君の頭の回転は本当に早いね。そう、だから困ってる。ここで倒さなければ次は警戒されるはず。もっと人の多いところへ行くかも。それに、敵は一人じゃない。ガラシャさんは気づいてるよね?」

「先ほどの飛緑魔とは別の力を二つ感じるからのう。ほれ、忠興。早う策を出せい」

「急かすなよ。さっきの奴は俺たちを舐め切ってるし、そもそも飛緑魔は目立つ事を嫌うんだろ? だったら、俺たちが動くまで大人しくしてるさ」

 そう言いながらも、飛緑魔が大人しくしている保証なんて無い。ここまでに得た情報を素早く整理し、忠興は一つの考えを導き出した。

「玉姫、飛緑魔を図書館に閉じ込めることは可能か?」

「その手の類の術式は得意じゃ。一刻ほどなら建物全般に結界を張れるぞ」

「じゃあ、中央の出入り口以外は全て封鎖してくれ。その後は……」

 全員に細かく指示を出して動き出す。中央入り口から館内へ突入すると、フォックス以外は分散して消えた。フォックスはタイミングを見計らい、ロビーに設置されている非常ベルのボタンを押す。けたたましいベルの音が響き渡ると、忠興、利家、玉姫は煽りを入れながら駆け回った。

「ここは危険だ、中央出入り口へ!」

「中央の出入り口は安全だ! 早く逃げろ!」

「中央の出入り口へ逃げるのじゃ!」

 幸い人の数は少なく、軽いパニックにはなったものの客や従業員はスムーズに逃げて行く。寧ろ、混乱しているのは飛緑魔だった。

「何なの!? 壁も抜けられないし、何が起こったって言うのよ!」

「これは、結界!?」

「ここもダメ。忌々しいキリシタンめ……」

 三体の飛緑魔は脱出できる場所を探し、手当たり次第に動き回る。大幅な時間ロスをして中央入り口へ辿り着いた時には全ての人が避難した後だった。

「待っていたよ」

 臆することなく三体の飛緑魔を睨みつけるフォックス。

「邪魔よ!」

 苛立ちをあらわに爪を伸ばし、一斉に飛び掛かってくる。フォックスは焦る素振りを見せず『SIX』を発動させた。柔らかな光が体を包み込み、瞳に映し出された空間の中で時が刻まれる。


一秒……二秒……


スローモーションで映し出される世界に感覚を走らせ、飛緑魔の利き腕、利き足、息継ぎ、重心、跳躍、研ぎ澄まされた爪、鋭い牙などをインプットし、それぞれの些細な情報も見逃さない。


三秒……四秒……


視界は外さず攻撃をかわし、振り上げた拳、瞬発力、視線、息継ぎ、呼吸直後の挙動、唇を噛む癖、それらを元に敵の行動パターンを構築していく。


五秒……


無機質に並ぶ机や椅子、所々に破損が見られるコンクリートの壁、窓から入り込む風、普段なら視界に入る事の無い蛍光灯や換気扇までも認識し、全てを一つに纏め合わせた。


そして、六秒。


フォックスを包み込む柔らかな光は消え、導き出された未来を見据えて動き出す。

「もう君たちは僕に触れることさえできない」

 凄まじい速さで攻撃を繰り出す三体の飛緑魔。フォックスはインプットした情報を使い紙一重でかわしていく。一般人の避難を見届け合流した忠興たちは信じられない光景を目の当たりにし、衝撃の余り呆然と立ち尽くした。

「後は任せるよ」

 フォックスは視線で合図を送り、二体の飛緑魔を強く蹴り飛ばす。アイコンタクトを受けた忠興と利家は、吹き飛んできた飛緑魔を羽交い締めで拘束した。

「わらわの出番じゃな」

玉姫は身動きの取れなくなった飛緑魔たちの頭上へと飛び上がり、空中で反転し、腕を伸ばして各々の頭を抑え込む。直接頭部へ力を流し込まれた飛緑魔たちは為す術も無く灰となった。残り一体となった飛緑魔は動揺を見せ、近くのテーブルの下に潜り込む。そこから小学生くらいの幼い少女を引きずり出し、首を絞めて叫んだ。

「こいつがどうなってもいいのか!?」 

「しまった、逃げ遅れた子供がいたのか」

 少女を盾のように突きつけられ、忠興と利家はたじろぎ身動きが取れない。しかし、フォックスは顔色一つ変えずゆっくり近づいて行く。

「聞こえないのか!? 動くな! こいつを殺すぞ!」

「好きにすればいい」

 静かな声音に気圧された飛緑魔は、フォックスに向けて少女を投げ付け逃げ出そうとした。

「無駄だよ」

 避ける、又は抱き止めて助ける……そう考えた飛緑魔の目論見は簡単に崩れ去る。フォックスは少女を地面に強く叩きつけた。予想外の行動に飛緑魔は硬直し、フォックスは床に伏して動かない少女へ視線を落とす。

「何がおかしいの?」

 冷たく重い声を発すると、少女は起き上がって下卑た笑みを見せた。その異様な光景に一度は警戒を解いたガラシャたちも身構える。

「フフフッ。いつから気づいてたの?」

「テーブルの下に隠れている時からだよ……いや、もっと前かな。建物に入って気配を探した時、人では無い力が四つ感じられた。その内の三つは飛緑魔のもの。もう一つは僕しか気づけないくらい弱々しく異質な力」

 その言葉にハッとするガラシャ。確かに少女からは大きな力を感じないが、人が持つ最低限の力も読み取れない。

「あっ、あっ……あなた様は……」

 少女を投げ飛ばした飛緑魔はガタガタと震え、その場にくずおれた。

「今頃気づいたの? 震えていないで、一人だけ生かされている理由を考えなさい。三秒待ってあげる」

終姫しゅうき様、お待ちを! じっ、時間さえ頂ければ必ずや」

「一……」

「ご期待に沿えてみせます! 何卒、お慈悲を」

「二……」

「……」

 少女の禍々しい圧力に怯み、飛緑魔は蒼白のまま自らの爪で胸を貫いた。その手で核となる石を握り潰し、悲哀の色を浮かべ灰と化す。

「それでいい。あなた程度の力では、捕まって尋問されるだけ……」

 恍惚とそう呟いた瞬間、少女の気配はフォックスの背後へ移る。誰も目で追う事はかなわず場が凍りついた。

「安心して、あなたには伝言を頼みたいの。賀茂在昌の子孫へ……最後の晩餐を楽しみましょう……」

 ささやくような声を耳元に残し、終姫と呼ばれた少女の気配は消え去る。それと同時に纏わりつく不快な空気が薄れていった。フォックスは額の汗を拭い、注意深く辺りを見回す。

「もう大丈夫みたい。みんな、今の内に裏口から脱出しよう」

「ちょっと待ってくれ。監視カメラは大丈夫か? 後で面倒なことになるかも知れないぞ」

「問題無いよ。予め飛緑魔が壊している。さあ、急ごう」


 玉姫が結界を解き、風のような速さで館内から脱出した。そして、一直線にチャーリーの待つ屋敷へと駆けて行く。忠興たちは珠子と茉の顔を見て緊張の糸が途切れ、大きく息を吐きだし座り込んだ。チャーリーは全員の顔を見回し、フォックスへ視線を送る。

「フォックスが一緒に行ってその様子だと何かあったな」

「うん、僕たちが追っている飛緑魔に遭遇した。最後の晩餐を楽しみましょう……そう、チャーリーへ伝えてくれって」

「……そうか」

 体の芯からあふれ出す感情を抑えきれず、チャーリーは冷静を装いつつも口角を上げた。

「フォックス、詳しく話を聞かせてくれ」

「分かった。でも、ちょっと待って。忠興君が何か言いたそうだよ」

 フォックスの視線を辿ると、這いつくばりヒクヒクと懸命に腕を伸ばす姿が見て取れる。

「チャーリー……体が……動か……」

「ああ、そろそろ薬の切れる時間だな。副作用があるって言っただろ? 安心しろ。死にたくなるくらい辛い筋肉痛が一時間ほど続くだけだ。ゆっくり休んでいけ」

「いっ、一時間……ギャー!」

「グワァァァ!」

 忠興の横で利家も苦しんでいる。安心しろと言われても無理な形相だ。

「タッくん、大丈夫?」

「お兄ちゃん……生きてる?」

 珠子と茉が恐る恐る声をかける。この二人に心配を掛けてはいけない、そう思った忠興は最後の力を振り絞り仰向けに寝がえった。そして、強がって笑う。

「しっ、心配するな。これくら……い?」

 その視線は仁王立ちしている玉姫のスカートの中へ吸い込まれていく。

「ほう……少しでも痛みが和らぐよう回復の術をかけてやろうと思ったのじゃが……何をニヤついておる? わらわを辱めて楽しいか?」

 タイミングが悪すぎた。珠子たちを心配させないよう強がっただけなのに、スカートの中を覗いてニヤつく変態だと思われている。

「タッくん、いくら玉姫ちゃんが魅力的だからってダメだよ」

「忠興さん、不潔です」

「まっ、待て! 違うんだ」

玉姫は風呂敷の中から包丁を取り出し、倒れている忠興の顔の横へ突き刺す。見下す瞳は氷のように冷たく、絹糸のように艶のある黒髪が頬へ触れるたび恐怖を感じる。

「切腹しろ」

「待てって! 誤解なんだよ!」

「せめてもの情けじゃ、苦しまぬよう介錯してやる」

「チャーリー、フォックス、助けてくれ!」

 ……返事がない。どこかへ行ってしまったようだ。

「さあ、覚悟を決めよ」

「利家、助けろ! 俺たち親友だろ!?」

「……」

友達の為なら命も惜しまない利家ですら、明後日の方向に顔を向け見て見ぬふりをしている。万事休す、絶体絶命、為す術無し。忠興は天井を仰ぎながら、涙目で助けてくれと訴え続けるしかなかった。


【第二章 完】


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