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たまひめ!!  作者: 大滝タクミ
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【第一章】たまひめ参上!

「切腹しろ」

黒髪パッツンの可愛らしい女子高生が包丁を投げつける。包丁は男の髪をかすめ、飾り気の無い真っ白な壁へ突き刺さった。見下す瞳は氷のように冷たく、腰まで伸びた髪が揺れる度に恐怖を感じる。

「まっ、待て! 話せば分かる!」

「言い訳は聞かぬ」

珠子たまこ、助けてくれ!」

「珠子は気絶してもうた。そんな事より、着替えを覗いた罪で切腹じゃ」

腰を抜かした男は項垂うなだれ、大きなため息を吐いた。

※※※


柔らかな風が頬を撫でる季節。桜並木の川沿いを歩く人々はどこか顔が綻んで見える。その中で、ひときわ春を感じさせる雰囲気の女の子が呟いた。

「タッくん、空が綺麗だね」

「お前は本当に呑気のんきだな。今の状況が分かっているのか?」

「今の状況? タッくんと一緒に桜並木を歩いてるよ」

タッくんと呼ばれた細川忠興ほそかわただおきは頭を左右に振り、子供を諭すように明智珠子あけちたまこを見つめた。

「珠子、俺たち同じアパートで暮らしているよな?」

「うん」

「嫌じゃないのか?」

「何で?」

真新しい制服のスカートを揺らし、珠子は不思議そうに忠興を見上げる。


細川家と明智家は家族ぐるみで仲が良く、忠興は珠子を妹のように可愛がっていた。だが、二人の別れは突然訪れる。珠子の両親が不慮の事故で他界し、小学生だった珠子は親戚へ預けられた。中学生の忠興にできる事は無く、時が経つにつれ大切な記憶も薄れていく。

月日は流れ、大学生になった一年目の春。その日は雨が降っていて肌寒く、大学の講義を終えた忠興は足早に家へと帰っていた。すると、傘もささず呆然と佇む少女が視界に飛び込んでくる。それは高校生なった珠子だった。事情を聴いて要約すると、行く当てのない珠子を押し付けられたと言われ、迫害を受けていたらしい。今も、些細な事から家を追い出されたと言う。それでも優しい珠子は叔父と叔母を庇う言葉ばかり並べ、虐待による傷を隠し、ずぶ濡れになりながら笑顔を作っていた。居場所が無く困っているはずなのに。



「あの時、俺のアパートに住めばいいなんて勢いで言ったけど……やっぱり不味い気が……」

「叔父さんと叔母さんを気にしてるの?」

珠子を虐めた奴らなんてどうでもいい。そう思いながら言葉を濁して続けた。

「そうじゃなくて、俺たちは付き合っているわけじゃないし……その……珠子が嫌なら……」

「嫌じゃないよ。あっ、もしかして迷惑だった? ごめんなさい。鈍感だから気づかなくて」

「違う違う違う! 迷惑だなんて、これっぽっちも思って無い」

純粋な珠子の潤んだ瞳に見つめられ、焦った忠興は必死に弁明する。通りすがりの人には別れ話をするカップルに見えているかも知れない。

「でも、家賃は払えないし、ご飯も食べさせて貰ってる。そうだ、私がアルバイトすればタッくんも少しは楽になるよね?」

「だから、違うって。お金の事なんて珠子は気にしなくていいよ」

可愛い珠子と一緒に暮らして理性が持つのだろうか? そんな事を考えていただけなのだが、話は別の方向へ行ってしまった。周りを見渡すと心配そうに眺める人たちが見て取れる。やはり、彼女を捨てようとしている男だと思われたらしい。困っていると背後から叫び声が上がった。

「見つけたぞ!」

振り返って目を丸くする。その視線の先にはジャージ姿の珠子。前を向くと制服姿の珠子。もう一度振り返ればジャージ姿の珠子……

「たっ、たっ、珠子が二人!?」

二人の珠子に挟まれ、驚きの余り声が裏返ったようだ。

「あれっ? なんでこんな所に鏡があるの?」

「鏡なわけないだろ」

「でも、私だよね?」

目の前の現実を受け止められないのか、天然なのか分からないが、珠子も混乱している。だが、それも仕方の無いこと。一卵性の双子ではないかというくらい似ていた。

「まったく、ごちゃごちゃ煩いのう。ほれ、あそこで話をしようぞ」

「えっ? あっ、はい」

言われるがまま後ろについて行き、近くのベンチへ腰を下ろす。頭がついて行かず、もう一人の珠子を無言で見つめてしまった。

「さてと、何から話したものか。先ずは名乗っておこう。わらわはガラシャ、細川ガラシャという。うぬらは?」

「細川ガラシャ? それって、明智光秀の……」

忠興が呟くと、ガラシャと名乗った少女は強く睨みつける。

「たわけい! わらわが名乗っておるのに無視するとは何事じゃ!?」

「すっ、すみません」

「うむ、まあ良い。改めて聞こう。名は?」

珠子にそっくりだけど、よく見れば珠子じゃない。歴戦の猛者のようなオーラを纏っている。忠興は警戒しながら、ゆっくりと口を開いた。

「えっと、俺は細川忠興。こいつは、明智珠子……うわっ!?」

無理やり言葉を遮られ、今度は強引に胸ぐらを掴まれる。

「細川忠興じゃと? それは、わらわが愛する人の名。不愉快じゃ、即刻改名せよ」

「何の話だよ! おい、放せって」

 力づくで腕を振りほどき、珠子を庇うように前へ立って睨み返す。

「話がしたいんだろ? でも、こんなんじゃ何も話せねーよ」

「それもそうじゃ。すまなんだ」

反論されると思ったが、予想に反して素直に引き下がった。だが、まだ安心はできない。いつでも逃げられるよう目を逸らさず身構える。

「悪かったと言っておろう。そう警戒するな。お主、先ほど明智光秀と口にしたな?」

「ああ、言ったよ。細川ガラシャって、明智玉子の事だろ? 明智光秀の娘でキリシタンの洗礼を受け、ガラシャの名を授かった」

「おお、その通りじゃ。正しく伝えられた歴史は聞いていて気分が良いのう。よいぞ、よいぞ」

さっきまでとは打って変わり可愛らしく微笑む。その笑顔に悪意は感じられず、忠興は僅かに警戒を解いた。それと同時に、忠興の服の裾を珠子が掴む。

「ねえ、タッくん。お家で話さない? この人、悪い人じゃないと思うから」

珠子に話しかけられ辺りに目を向けると、いつの間にかギャラリーに囲まれていた。痴情のもつれと勘違いして注目する視線が痛い。

「そうだな。おい、俺の家で続きを話そう」

「うむ、良いぞ」

こうして謎だらけのまま、忠興は二人の珠子をアパートに連れ帰った。

※※※


「狭い部屋じゃな」

ガラシャは部屋に入るなり周囲を見渡し、ため息と共に悪態を吐く。

「煩いな。俺と珠子が住むだけなら十分なんだよ」

「部屋の真ん中にある仕切りはなんじゃ?」

「珠子が着替える時とかに使うカーテン……じゃなくて、そんな事はどうでもいい。お前は何者なんだ?」

小さなテーブル越しに目を合わせると、珠子が台所からお茶を運んできた。

「タッくん、落ち着いて。ガラシャさん、お茶をどうぞ」

「珠子は可愛くて気が利くのう。丁度咽が渇いておったのじゃ。遠慮なく頂くぞ」

美味しそうにお茶を飲むガラシャと、それを見て微笑む珠子。何度見比べても同一人物としか思えないほど似ている。

「うむ、旨い。茶の淹れ方を心得ておるとは、流石わらわの子孫」

「えっ? 子孫?」

「わらわは珠子の祖先の明智光秀が三女、明智玉子じゃ」

「……」

ぶっ飛んだ話について行けず、忠興と珠子は声を詰まらせた。

「まあ、いきなり信じろと言うても無理な話じゃの。順を追って伝えよう。お主らは織田信長公の最後を知っておるか?」

「本能寺の変だろ? そんなの誰でも知ってるよ。明智光秀が謀反を起こし、本能寺で自害した」

「そう伝わっているようじゃが、真実とは異なる。黒幕であるあやかしが信長公を手に掛け、わらわの父上に罪を擦り付けた。これが本当の歴史じゃ」

 ガラシャは少しだけ寂しそうな表情を見せる。その顔が雨の中で再会した時の珠子と重なり、反論しようとしていた忠興は言葉を飲み込んだ。

「その後も巧みに誘導され、父上も殺された……同じ妖にな。そして、何も知らぬ秀吉公によって明智軍は滅んだ。黒幕である妖は飛緑魔ひのえんまと言う。目立つ事を嫌い、狡猾で証拠や痕跡を残さぬ。わらわも初めは父上が乱心されたと思っておった。そんな折、賀茂在昌かものあきまさと名乗るキリシタンに出会ったのじゃ」

「賀茂在昌? 確か歴史の資料に載っていたぞ。陰陽師でキリシタンだった奴だろ。飛緑魔って妖も記憶にある。外見は美しい女性で、男を惑わして滅ぼす妖怪の総称だよな」

「お主、意外と詳しいのう」

「ふふっ。タッくんは勉強できないけど頭が良いの。凄いでしょ」

何故か珠子が誇らしげに胸を張っている。

「勉強ができないは余計だよ。それで、話の続きは? 誰かに助けを求めたのか?」

「わらわが真実を伝えたところで誰も信じてくれぬ。下手をすればその場で斬首されてしまう。ならば、せめてこの手で父上の無念を晴らしたい。そう思い、仇の飛緑魔を倒すべく賀茂在昌に弟子入りしたのじゃ」

 まるで三流映画のあらすじを聞いているかのように、普段の忠興なら聞くのすら面倒だと思う内容だ。信じろと言われても無理な話。しかし、何故か話を聞くほど他人事のように思えず、忠興と珠子は真剣に耳を傾ける。

「飛緑魔は人間の男の生命力を吸い取り永遠に生き続けるという。それでいて用心深く、人間の一生をかけても見つからない可能性が高い。そんな物の怪(もののけ)に対抗するべく二つの秘宝を使う事にしたのじゃ。一つ目は肉体と魂の時を止める魔鏡。そのお陰で、わらわの体は十七の時から止まっておる。もう一つは……あっ!?」

「どうした?」

「わらわの風呂敷が無いぞ。どこじゃ?」

「風呂敷? そう言えば、さっき座っていたベンチに置いてあったような」

「あそこに忘れたのじゃな」

 止める間もなく、ガラシャは玄関を飛び出していった。呆気に取られた忠興と珠子は玄関を見つめ、言葉を交わすこと無く待ち続ける。そして、五分後。玄関のチャイムが鳴った。

「あっ、ガラシャちゃんが帰ってきた。今開けるね」

立ち上がって玄関に向かう珠子の背中を見て、忠興は強烈な違和感を覚える。ここから先ほどのベンチまで走っても五分はかかるだろう。いくら何でも早すぎる。風呂敷は諦めて戻った? 多分、あの慌てようでは諦めない。見つけるまで帰って来ないはず。それに、あの女が律義にチャイムを鳴らすのか? 考えれば考えるほど嫌な予感が膨れ上がっていく。

「珠子、開けるな!」

「えっ?」

 少しだけ開いたドアの隙間から白く美しい手が伸びた。そのまま珠子の腕を掴み、力任せに引きずり出される。

「珠子!」

外に出て大声で叫んだが返事は無く、辺りには人の気配もなかった。忠興は必死に声を絞り出し、珠子の名前を繰り返す。

「何をしておる?」

珠子の声が聞こえて振り返ると、そこに居たのはガラシャだった。

「驚いた顔をしておるのう。わらわの戻りが早かったからか?」

「珠子がさらわれた」

「なんじゃと?」

「細く白い手だった。玄関から引きずり出されて、そのままどこかへ……そうだ」

 忠興はスマートフォンを取り出しGPSアプリを起動させる。

「あいつ、すぐ迷子になるからGPSで探し出せるようにしてたんだ」

「ほう、居場所が分かるのじゃな」

「よし、近いぞ」

 駆け出そうとした瞬間、ガラシャとの会話が頭を過った。ガラシャの話が本当ならば、先ほど見た白く細い手は飛緑魔という化け物。そんなはずはない。馬鹿馬鹿しい。だが、笑い飛ばそうとしても心が受け入れてしまっている。あの美しく禍々しい手はヤバイ生物だと。仮に化け物だったとして、俺が行ってどうなる? 何もできやしない。そうだ、警察に……

「走れ! 珠子を助けたくないのか!?」

 ガラシャの叫びに強く背中を押され、忠興は無意識に走り出していた。そして、人影のない工事現場の前で足を止める。二人の視線の先には明らかに異質な雰囲気を醸し出すプレハブ小屋。ガラシャが忠興に目で合図を送り、近づいて様子を窺った。

「ねえ、ガラシャ。抵抗しないの? 聞いてた話と違うわね」

「人違いよ。お家に帰して」

 珠子の声が外まで届き、無事である事に胸を撫で下ろす。それと同時に止まっていた忠興の思考が動き始めた。だが、この状況でまともな考えなど浮かばず、助け出すビジョンが見い出せない。

「フフッ、何を言ってるのかしら? おさが来るまで大人しくしていなさい。どうしても自分の手で始末したいって言うから生かしてあげてるのよ」

「私、殺されちゃうの?」

「何をいまさら。あなたもそのつもりで追って来ているのでしょ」

「そんな……」

 タイムリミットが近づいている。一か八か突入する? 警察を呼ぶ猶予はあるのか? 額から噴き出した汗が頬を伝いポタリポタリと落ちていく。そんな忠興の様子を見たガラシャが耳打ちした。

「お主は頭が切れるのじゃろう? 策を言ってみよ」

「策って言われても……お前は化け物を倒せないのか?」

「たぶん無理じゃの。中から感じる力は、わらわの力より遥かに大きい。キリシタンの能力を頭部に直接流し込めば倒せると思うが、一人では無理じゃ。体に触れる事すら困難じゃと思う」

 確かに化け物を倒せるのならば、こんなところで聞き耳を立ててはいない。忠興は「そうだよな」と呟き頭を抱えた。

「やっぱり、これしかない。俺が囮になるから、お前が珠子を助けてくれ」

「飛緑魔は恐ろしい速さで動くぞ?」

「珠子との会話を聞く限り知性は高いと見た。上手く話し合いに持っていくから、その隙をついてくれ」

「その策では、お主が助からぬ」

 分かっている。分かっているからこそ体の震えが止まらない。珠子を助けろと全身に言い聞かせ、自らを奮い立たせようとする。すると、静まり返ったプレハブ小屋の中から再び声が響いた。

「来ないわね。そうだ、最後にあなたの願いを聞かせて。あっ、勘違いしないでね。叶えてあげる訳じゃないから。私は人間の欲望を知るのが好きなの」

「お家に帰して」

「頭の弱い子ね。そういう意味じゃないって言ってるでしょ。人間は欲望に満ち溢れている。獲得、達成、支配、自律、保身、承認、優越、非難、秩序、反発、防衛……そして、食欲、性欲、睡眠欲。あげればきりが無いわ。理想の彼氏が欲しい? お金持ちになって裕福な暮らしがしたい? 永遠の美貌なんていうのも捨てがたいよね? さあ、あなたが心に秘めている願いを教えてちょうだい」

「願い……」

 珠子に気を取られている今しかない。そう考える忠興とガラシャに届いたのは耳を疑う言葉だった。



「たまご焼きが食べたいな」



 その声に先ほどまでの怯えはなく、まるで春の日差しのように暖かく感じ、壁に挟まれて見えるはずの無い柔らかな笑顔までもが浮かび上がる。

「卵焼き?」

「うん、ママの作るたまご焼き。私はどんくさくて、何をやっても失敗ばかりで、いつもみんなに怒られて泣いてた。そんな時、ママが作ってくれたの。もう泣いちゃダメ、ママは珠子の笑顔が見たいな……そう言って頭を撫でてくれたんだ」

 置かれている立場を忘れ、亡き母の面影を思い浮かべながら話しているのだろう。全く理解できない内容だ。頭がおかしいと思われても仕方がない。質問した女も呆気に取られていた。だが、忠興の脳裏には優しかった珠子の母の笑顔が甦る。胸が締め付けられ、想いに応えたいと熱く滾った。その横で、ガラシャも顔つきを変える。

「わらわが囮になる。その隙に珠子を助け出すのじゃ」

「いや、囮は俺だ」

「お主も分かっておろう、わらわが適任じゃと」

 ガラシャは少しだけ俯き儚げに微笑んだ。確かに、ガラシャが囮として姿を現すのなら不意を突ける。隙も作り易くなるはず。珠子を抱えて逃げる事も計算に入れると、囮はガラシャが適任と言わざるを得ない。しかし、忠興は頷けなかった。最善の策と言えど珠子に似たガラシャを見捨てる判断は重すぎて答えられなかった。そして、時は待ってくれない。

「とことん頭の悪い子ね。もういいわ。泣き叫ばれても面倒だから口を塞いでおきましょう。もの凄く痛いと思うけど我慢してね。死んじゃ駄目よ」

 飛び出そうとする忠興を牽制して留め、ガラシャは大きな石を拾って小屋の正面へ移動した。そのままドアに向かって勢いよく石を投げつける。

「何なの!?」

驚いた女は小屋を飛び出し、更なる衝撃に目を丸くした。

「あっ、あなたは」

「何を驚いておる?」

「……そう、中に居るのは影武者なのね」

うぬを倒す為の時間稼ぎじゃ」

 予想通り女の意識は全てガラシャへと向いている。忠興は素早く小屋の中へと潜入し、珠子の手を引いて脱出した。

「あら、仲間もいるのね。逃げられちゃったけど……まあいいわ。私の獲物は、あ・な・た。その目、最高ね。ぞくぞくする。幾つもの修羅場を潜り抜けてきたのでしょう? ねえ、あなたの願いを聞かせて。四百年もの間、その小さな体の中で膨れ上がった欲望を聞かせてよ」

「父上の無念を晴らすこと。それ以外に無い」

「そんな願いの為に戦い続けてるの? 敵討ちなんてリスクが高いし何も手に入らないじゃない。アハハ、面白いわ。少し興味が湧いてきた。あなたの言う願いに嘘はない。でも、それだけじゃ無いでしょ? 長から聞いた話だと何度も同じ地獄を味わっているはず」

 ガラシャの脳裏に鮮明な描写が浮かび上がる……それは、火の海に包まれた屋敷と涙を流すおのれの姿。愛すべき人たちの断末魔の叫びが響き渡り黒煙と共に倒れて行く、見るに堪えない光景。

「あら、表情が固いわよ。フフッ、どうしたのかしら?」

「……」




 ガラシャが時間稼ぎをしている間、忠興は無我夢中で走る。人通りの多い道まで一気に駆け抜け、ようやく動きを止めた。

「珠子は警察に行って事情を説明しろ。俺はガラシャの様子を見てくる。万が一、帰って来なかったら……」

 スマートフォンをポケットから取り出し、電話帳を開いて珠子へ渡す。

「この、前田ってやつを頼るんだ。ちょっと変わってるけど必ず助けてくれる」

珠子は忠興を見上げて頷いた。その眼差しに後ろ髪を引かれる。普段の忠興だったら絶対に逃げ出していた。でも、ガラシャの顔が忘れられない。愁いを帯びた表情が珠子と重なり離れてくれない。だから逃げる訳にはいかなかった。

「行ってくる」

 忠興は動き出す。その後ろを珠子がついてくる。忠興が止まる。珠子も止まる。忠興が駆け出す。珠子も必死に追いかける。忠興が急に止まる。珠子が派手に転ぶ。

「大丈夫か……って、おい! 何でついてくるんだよ!?」

「痛たた」

「お前、人の話を聞いてたのか?」

「えへへ。もちろん聞いてたよ。前田さんって友だちを紹介してくれるんだよね」

「言ってねーよ!」

 先ほどまでのシリアスな感情はぶっ飛び、忠興は大きなため息を吐いた。

「もう一度言うぞ」

「うん。私もガラシャちゃんを助け出せるように頑張る」

 瞳をキラキラと輝かせ、真っすぐに忠興を見据えている。

「……一つ聞いていいか? 何で珠子を連れて逃げたと思う?」

「馬鹿にしないで欲しいな。私だってそれくらい分かるよ。えっと……その……うーん……そうだ! あのお姉さんに、ごめんなさいってさせるんでしょ? そうだよね、反省して貰わないといけないよね。タッくんは、その作戦を考える時間が欲しくて逃げた。当たってる?」

 予想の斜め上を行く発想だった。逃げ出すのですら命からがらだったのに、ガラシャを助けるどころか化け物を倒したり説得するなんて不可能だ。そうツッコミたかったが、冷静に考えれば全て間違っているとは言えない。このまま逃げ出した場合、その後はどうする? 化け物にアパートの場所は知られている。どう伝えても警察は信じてくれないだろう。珠子を連れて、どこか知らない街へ引っ越すのは? それは無理だ。叔父と叔母も近くに住んでいると知っているから放っている。姿をくらませば流石に騒ぎとなるはず。下手をすれば、忠興は誘拐犯とされてしまうだろう。つまり、導き出される答えは一つ。今まで通り平穏に暮らすなら倒すしかない。

 ガラシャは言っていた。「キリシタンの能力を頭部に直接流し込めば倒せると思うが、一人では無理。体に触れる事すら困難」と。言い換えれば、頭部に触れる方法があれば倒せる。おさと呼ばれていた化け物が合流したら絶望だ。今しかない。考えろ、知識を振り絞れ、思考を張り巡らせるんだ……

「タッくん?」

「珠子、確認するぞ。怪我をするかも知れないし、死ぬ可能性だってある。それでも、ガラシャを助け出すと言うんだな?」

「死んじゃうのは嫌だよ。でも、大丈夫」

「何が大丈夫なんだよ」

「今のタッくん、普段は見せないキリって顔してるから」

 珠子は迷いの無い信念の眼差しを向ける。忠興は返す言葉が見つからず、珠子は続けて「その顔をしてる時のタッくんは負けないんだよ。鬼ごっこも、かけっこも、かくれんぼだって絶対に負けなかったもん。私は知ってる。だから大丈夫」と自信満々に答えた。

「どれだけ信用してるんだよ、まったく……珠子、この前渡したアレを貸してくれ。ポケットに入ってるだろ?」

「これのこと?」

「よし、行くぞ。俺のそばから離れるな。危険だと思ったら迷わず逃げろ。いいな?」

「うん!」

 珠子の声が忠興の弱気な感情を搔き消す。その頃、ガラシャは様子を窺いながら逃げる算段をつけていた。

※※※



うぬの言うおさという者の名は?」

「あなたに教える義理は無いわ」

 ガラシャは女から視線を外さず、怪しまれないよう考察する。飛緑魔は目立つ事を嫌うので、人通りの多い場所まで移動すれば逃げ切れる可能性が高い。しかし、闇雲に逃げ出せば追いつかれるだろう。

「わらわは飛緑魔を殲滅させるつもりなどない。父上の仇を取ればそれでいいのじゃ。無駄な争いは避けぬか?」

「そんな要件を呑んだら私がおさに殺されてしまうわ。もの凄く怒っているのよ。自分の部下が次々に消されていくのだから当然だろうけど。そうだ、おさが来る前に実力も試しておきましょう」

 ゆるやかに会話をしていた次の瞬間、女は一気に距離を縮め襲い掛かってきた。ガラシャは光の盾を作り出し、かろうじて鋭い爪をかわす。

「あら、反応速度は上々ね。その盾の強度も申し分ないわ。キリシタンの能力かしら?」

「……」

 ガラシャは精一杯の力を使っているが、女は余裕を見せていた。かすんで見える程の速さから逃げ出すのは不可能。先ほどの一撃も見えていた訳ではない。経験と勘で攻撃の軌道を読めただけだ。そんな万事休すの状況に、忠興が叫びながら飛び込んできた。

「待て、待て、待て! 俺も混ぜろ」

 砂埃を巻き上げ、バランスを崩しながらガラシャの前へと立つ。意表を突かれて驚いた表情を見せたのは、女ではなくガラシャだった。

「お主、何で戻ってきたのじゃ!?」

「飛緑魔って奴をじっくり見たくてね。よく見ると凄い美人だな」

「何をぬかしておる。珠子も居るのか?」

「あいつは逃がしたよ。ガラシャを助けるって駄々こねるから、連れてくるふりして無理やり安全な場所へぶち込んでおいた。そんな事より、この綺麗なお姉さんは本当に化け物なのか? 実を言うと良い人かもしれないぞ。だって、可愛いは正義って言うだろ」

 忠興の軽すぎる雰囲気に流され、ガラシャは呆然と立ち尽くす。張りつめていた糸はプツリと途切れ、女は楽しそうに目を細めた。

「フフフ、あなたも面白いわね。私の容姿が好みなの? いいわ、特別に本当の姿を見せてあげる」

 怪しげな呪文を呟き、女の体が変化し始める。目は真っ赤に染まり、皮膚の色は青く変色し、牙と爪が鋭く伸びた。

「げっ!? やっぱり飛緑魔ってやつなのか」

「私の名前は緑葉ろくは。あなたは?」

「ほっ、細川忠興だ」

「良い名前ね。あなたの精気、残らず吸い取ってあげる」

 緑葉がゆっくりと近づいてくる。意図がつかめず距離を取ろうとするが、何故か足が動かない。慌てて視線を落とすと、地面から不自然に生えた植物のツタが絡まっていた。

「何だよ、これは」

 力任せにツタを引きちぎるが、緑葉が右手をかざす度に際限なく絡みついてくる。

「私は植物を操れるの。あなたたち程度に使う能力では無いけど、すぐに終わったら楽しめないものね。さあ、醜く足搔いてちょうだい」

 思うように身動きが取れず目の前まで近づかれてしまった。柔らかな吐息が頬をかすめ、鼓動までも聞かれてしまいそうな距離で緑葉は微笑む。

「威勢よく出てきた割りに何もできないのね。でも、若さゆえの無謀な行動は嫌いじゃないわ。むしろ好みのタイプよ。私の中で永遠の時を刻みなさい」

 頭のてっぺんからつま先まで、全て見張られているかのような感覚に襲われて動けなくなった。そんな状態を見透かしているかのようにクスリと笑い、緑葉は忠興の胸に手を当てる。その手は徐々に体の中へと吸い込まれていった。傷は無く痛みもない。それどころか快感すら覚えてしまう。だからこそ恐ろしい。

「やめるのじゃ! そなたの相手はわらわじゃぞ!」

「こんないい男を放っておけないわ。そうだ、忘れてた。最後にあなたの心からの願いを教えて。どんな欲望でも構わないけど、見逃してくれとかくだらない願いは言わないでね。もし、私が気になる欲望を聞けたら生かしておいてあげる」

「願い……俺の願いは……」

 忠興は強張る腕に力を込め、震える指先を動かし、恐怖に引きつった表情のまま口角を上げた。

「最後に笑うことだよ!」

 ズボンの左ポケットからスマートフォンを取り出し、緑葉の死角から放り投げる。予め用意しておいたヘヴィメタルの音楽が爆音で響き渡り、緑葉は意識を奪われた。

「っ!?」

 振り返った先にあるスマートフォンを確認し、我に返って視線を戻す。その一瞬を逃さず、右ポケットから取り出した防犯スプレーを目に吹きかけた。

「キャア!」

 視界を塞がれた緑葉は攻撃されると警戒し、闇雲に腕を振り回す。忠興はあえて近づかず、ガラシャのそばまで駆け寄った。暫くして視力が回復し始めた緑葉は、涙を流しながら睨みつける。その表情は余裕から怒りへと変わっていた。

「もう回復したのかよ」

「許さない……絶対に逃がさない……死ぬより辛い苦痛を与えて殺す!」

 目にも止まらぬ速さで接近し、忠興のみぞおちに重い一撃を喰らわせる。悶絶して膝をつくと、躊躇なく頭を踏みつけた。

「うっ、ぐっ……」

「苦しめ、苦しめ、苦しめ!」

 這いつくばる忠興を何度も蹴りつけ、鋭い爪で切り刻む。目を逸らしたくなるほど一方的に痛めつけられ、見るに見かねたガラシャが飛び込んで覆い被さった。

「あんたはどいてな」

「……」

おさが直々にるから、どいてろって言ってんだよ」

 ガラシャのジャージをボロボロになるまで切り裂く。忠興は必死に手を伸ばし、緑葉の足首を強く掴んだ。

「やめ……ろ……」

「うるさい虫ね。その口をはぎ取ろうか? それとも、ガラシャの目を潰してやろうか? うん、それがいいわ。絶望の顔を見せなさい」

 緑葉はガラシャの髪を掴んで乱暴に持ち上げる。

「や……れ……」

「やめてくれ? 駄目よ。どうしてもって言うのなら力尽くで止めてみなさい」

 もう助からない。これ以上抗えない。ただ殺されるのを待つだけ。その時、緑葉の後頭部に何者かの手が触れる。


「ならば、力尽くで止めてみせようぞ」


 背後に現れたのは珠子……ではなく、珠子の制服を着たガラシャだった。

「なっ!?」

「束縛する鎖を断ち切り、全ての生を解き放て」

 光に包まれたガラシャの手からキリシタンの力が注ぎ込まれる。数多の魂が緑葉の体から抜け出し、天へと昇って行った。そして、体は灰になり崩れていく。

「ふう……ようやく隙を見せてくれたのう。忠興、珠子、大丈夫か?」

「……大丈夫じゃない」

「私も。体中が痛いよう」

「その様子だと致命傷は避けているようじゃな。ほれ、体を起こせ。無いよりはマシな程度じゃが、治癒の力を使ってやろう」

 ガラシャの手は、ほんの少し体が軽くなったと感じる。

「おお、凄い力だな。まだ痛いけど体が動くように……ん? 何か落ちてるぞ」

灰になった体から光る物体を掴み取った。

「宝石? 凄く綺麗だ」

「貸してみよ」

 ガラシャは宝石を受け取り見つめる。そのまま「トパーズか」と口にして、宝石を粉々に砕いた。

「何やってるんだよ!?」

「あれが飛緑魔の本体じゃ。放っておけば再生してしまう」

「あれが本体? 分からない事だらけだな。まあ、いいか。あいつを倒せただけで御の字だ」

「そうじゃの、褒めて遣わす。目潰しをしたタイミングで、わらわと珠子が入れ替わるなどよく思いついたのう」

「あいつ、ガラシャの姿を見た時に驚いていただろ? それくらい見分けがつかなかったってこと。だから上手く入れ替われば気づかれない自信があったんだ」

「まったく、だからと言って無茶しすぎじゃぞ。しかし、及第点とは言えるな……よし、褒美じゃ。玉姫たまひめと呼ぶ事を許そう」

……

……

 今日の出来事で一番意味が分からず固まる忠興。

「ありがとう。よろしくね、玉姫ちゃん」

 何故か、珠子は順応した。

「訳が分かんねーよ。それより気になった事があるんだ。答えてくれ。どうして囮になった? 最初は俺が囮になるって言っても反対しなかったろ」

 玉姫は少しだけ悩み、昔を懐かしむように空を見上げ呟く。

「そうじゃのう。もう一度、あのたまご焼きを食べたい……わらわもそう思ったから」

「もう一度?」

「宝石の事も含め追々話そう。先ずはここを離れるぞ。飛緑魔のおさが現れたら全滅じゃ」

「そっか。そうだな」

 痛む体を引きずり、無言のまま歩いて行く。やっとの事でアパートまでたどり着き部屋に入ると、三人は力尽きたかのように倒れこんだ。

「玉姫、お前も攻撃を受けてたのか?」

「お陰様で怪我はしておらぬ。じゃが、力を使い過ぎた。暫くは動けぬ」

「そうか。珠子は? 病院へ行くか?」

「ううん、大丈夫。切られたところが少し痛むくらいかな。ごめんね、玉姫ちゃん。借りたジャージをボロボロにしちゃって」

 よく見ると、裂かれたジャージの隙間から痛々しい切り傷が見える。

「気にするでない」

「そうだぞ、珠子は頑張った。消毒液と包帯を買ってくるから大人しくしてな」

「タッくんこそ、じっとしていた方がいいよ」

「あの緑葉ってやつ、痛めつけるのを楽しんでいた。手加減して俺が苦しむ表情を見たかったんだろう。最悪だけど、お陰様で酷い傷は無いみたいだ。それに、俺は男だから。お前たちはゆっくり休んでいろよ」

 忠興は強がって無理やり体を起こし、にっこりと笑って見せ玄関を飛び出した。

「何か落ち着いたら腹が減ってきたな。そうだ、弁当を買って帰ろう。あいつらも喜ぶだろう」

 薬局で消毒液と包帯を購入し、珠子と玉姫の分の弁当も買ってアパートへ帰る。そして、玄関のドアを勢いよく開けた。

「ただい……ま?」

 視線の先には顔を真っ赤に染めた下着姿の玉姫がいる。ジャージをボロボロにされてしまったので、珠子の私服を借りて着替えていたようだ。忠興は無言のままドアを閉め、大きく深呼吸する。すると、中から珠子の声が聞こえた。

「タッくん、もういいよ」

 恐る恐る中へ入ると、玉姫がキッチンの前に立っていた。

「アハ……アハハ……えっと、その……」

玉姫は忠興の顔を一瞥し、手に持っていた包丁を投げつける。包丁は忠興の髪をかすめ、飾り気の無い真っ白な壁へ突き刺さった。玉姫の見下す瞳は氷のように冷たく、腰まで伸びた髪が揺れる度に恐怖を感じる。

「まっ、待て! 話せば分かる! 冷静に考えてみろ、ここは俺の家だぞ」

「言い訳は聞かぬ」

珠子たまこ、助けてくれ!」

「珠子は気絶してもうた。そんな事より、着替えを覗いた罪で切腹じゃ」

 玉姫の足元で泡を吹いて気絶する珠子。腰を抜かし、部屋の隅っこでガタガタと震える忠興。奇跡的に飛緑魔を倒した二人だったが、ここからが苦難の始まりだとは気づかなかった。


【第一章 完】



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