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人としての心構え

作者: 竹宮小央里

 障がい者殺傷事件というと、誰しも記憶に新しい残虐な事件だ。


犯人は口の利けない障がい者を殺りくしていく、前代未聞の事件である。


私はその一報を聞いたとき、憤慨して、怒りを収めるのに大きな我慢を強いられた。


人間の価値は一体どこで決めるのか。


家族にとって、ピュアな心の持ち主の我が子は、笑顔をみせてくれて、生きているだけでうれしい存在だったに違いない。と考えている。


詐欺、恐喝などをする、他人に迷惑をかける類の人間より、よっぽど社会の役に立っている。


 けれども、そんな子供がいるだけで、世間体を気にして、施設に預けてしまう家族もいるかもしれなかった。


肢体不自由で、家庭では介護できなかった子も居たと思う。人の命はおしなべて、等しく尊いものだと私は思っている。


 私はかつて、イタリアの『道』という映画を見た。


大道芸人の太鼓を叩く、精神薄弱の女の子が最後に捨てられてしまい、


「自分は生きてても何の役にも立たない。」と泣いて訴えるが、


修道女に「神様は道の石ころさえ、無駄に作ってはいない。何かの役に立つ。


ましてや、人間は必ず社会の役に立っている。」と諭される。聖書のマタイの一節である。


私は人間の価値に上も下もないと考えており、肢体不自由な子供の集団に面会したことがあるが、


その時、自分は五体満足で生まれて、何の取り柄もないが、それ以上では決してないということが、


どんなに幸せかという事を、嫌という程思い知らされた。


職場で発達障害の労働者を、数が数えられないという理由で叩いたり、蹴とばしたりする人達がいた。


私はその人たちを軽蔑し、叩かれた彼をやさしくいたわった。


 だから、これからも私は自分がそんな障害のある人達にやさしくあたたかく接する事で、人として当たり前の人間であり続けようと思っている。


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