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9.もう戻れない


  9.もう戻れない



敵を全滅させてようやく一息つける侠兎の元へ、姚子が駆け寄ってきた。

「なんとかやったわね侠兎、全部やっつけた」

「なんなんだこの変態、俺様の乳を好き放題揉みやがって。

 気持ちいいじゃにゃあか」


 (おいおい)


周囲が落ち着き、妖怪の妖気が急速に消滅していく中にあっても、松子はまだ安心していなかった。

「いや、まだ終わった訳ではないようだ」

「え?」

彼の見上げる先、夕陽を浴びてオレンジ色に染まる雲を遠く背景に望みながら、その手前の宙に何かが浮いている。


 (あれは何?・・・、なんか、人っぽく見えるけど・・・)


ゆっくりと降下してくるそれは、次第にはっきりとした人間の形を成してきた。

やがて、白っぽい服と腰帯、木の杖を手にした長い白髭の老人だと認識出来るようになると、地に足を着くが早いか聞き取りにやや難のあるしゃがれ声で小言をぼやく。

「やれやれ、怪力無双はただの見かけ倒しじゃったか。

 土地神と宣うから期待してみたものの、所詮は神を騙る雑魚の物の怪に過ぎぬ

 わ」


簡単に倒されてしまったマッチョ妖怪を酷評した老人は、明らかに普通の人間でないのが一目で分かる。

姚子が思い描いていた通りの、典型的な仙人の姿をしているからだ。

どうやら、この仙人とマッチョ妖怪がグルになって、ヤンキー共を操って侠兎を襲わせたと推察出来る。


老仙人は、白く長い眉に隠れそうな目で、一点に侠兎を睨み続けていた。

「ワシの妻を慰み者にした罪、女の姿になったうぬの体で償って貰おうではないか」

「はあ?

 何言ってんだジジイ」

「ジジイではない、我は崋山が神仙、葉羹ようかんなり」

「神仙だと?

 神仙が嫁なんか持つなよ。

 それに、てめぇの嫁ったらとっくにババアじゃにゃあか、そんな皺くちゃに用

 はにゃあっつの」

「黙れ極悪人!

 汝の如き悪逆非道の不徳義漢に報いを受けさせる機会を待っておったのじゃ。

 浄義じょうぎも、太備たびも、参崇さんすうも、同様の被害を訴えておる。

 己が手で直に雪辱せずば気が済まんという者達が犇めいておるわ」


「お婆さんまで?」

老婆にまで手を出すとは、どこまで節操がないんだと憤る姚子。

言葉通りに解釈してしまった彼女を松子が正す。


「いやいや、侠兎が言ったのはただの嫌味だよ。

 天上の住人は自分の理想とする容姿体型をずっと維持し続ける事が出来るから、

 女神や女仙は一番美しいとされる二十歳前後の姿のままでいる事が多い。

 役職や個人的な事情で年配に装う者もいるが、実年齢は不明だから生殖能力が

 あるかは疑問だ。

 男性の場合は、むしろ老人の姿の方を好む傾向にある。

 その方が威厳や雰囲気があるし、方力があるうちはそれで何も困る事はないか

 らね」

「じゃあ、あのお爺さんも天から降りてきたんですか?」

「そういう事になるね、お互い面識はないだろうけど」


 (う〜ん、今までの中で一番信用出来る・・・見た目だけは)


見知らぬ神仙に過去の悪行の一端を突かれて、侠兎は少し苛立ちながらも不審を抱いていた。

「ちょっと待てジジイ。

 俺が誰だか分かって言ってんのか」

「知らぬでか、放蕩危険分子の皎侠兎であろう。

 須弥山にて弁才天様の罰を受け、姿を変えられ下界に堕とされたと聞き及びて

 以来、この時が訪れるのを待ちつつずっと汝を探しておったのじゃ」

「じゃ、なんでここにいるって分かったんだよ」

「汝の知った事ではないわ」


葉羹が吐き捨て、それに反応して侠兎は即座に振り向いて松子を睨んだ。

松子は、肩を窄めて不可抗力を主張する。


「あーあ、いつかはこういう時が来ると思ってたんだ」

「おみゃあが俺の居場所をバラしたんだろうが!」

「僕には、お前の監督を依頼した師匠に報告する義務がある。

 その義務を果たしただけだ、他には話していない」

「ならその葉っぱジジイが言い触らしやがった」

「そこまでの責任は負えないな。

 師匠の行動にまで制御は及ばないさ。

 だが、師匠が寿星様に伝えるのは良しとして、そこからどう拡散するのかは理

 解に苦しむ。

 自ら身内の恥を触れ回るとは思えないからな」

「ヘン、どうだかね」


そうこうしているところへ、またまたどこからか上空から、一人の人物がフワフワ漂うように葉羹の傍らへ舞い降りてきた。

今度は、鮮やかな色彩の衣装も目映い長い黒髪の美少女だった。

「どうもー。

 葉羹様、もう色情淫獣退治はお済みですかぁ?」

「これから取りかかるところじゃ」

「良かった、見物に間に合ったんですねぇ」


少女は、近くにいる姚子達が見えていないのか、完全無視して老仙人と親しげに話していた。

加勢が現れた事に侠兎は憤慨する。

「おいこらっ!

 助太刀呼んでんじゃにゃーよジジイ!」

その声で、ようやく少女はそこに侠兎がいると気付く。

「あらやだ、皎侠兎、いたんですね。

 気付きませんでしたよぉー、バレちゃいましたぁー」

「そいつが嫁か、まるで見覚えがにゃあぞ」


松子はすぐにある事を察知した。

「違うぞ、そのお方はもっと上のやんごとないお方に仕える女仙だ。

 神仙の妻などであろうはずがない」

「なんだと?」

「あのお召し物は最高級ブランド羽衣だ、一般の女仙では羽織る事すら叶わない。

 須弥山から来た事を物語っている。

 もしや、サラ様の直属・・・」


 (ブ、ブランドなんてあるの?、天界に?)


「よく分かりましたね地仙君。

 私はマリーシャ、サーラ様に仕えるアプサラスでぇーす」


アプサラスとは、弁才天に仕える最高位の側近、水仙達の総称である。

見た目は愛らしく笑う少女でも、彼女は松子を上から目線で君付けで呼ぶくらいに高い地位にある。

天界の住人でさえ、お目にかかるのは滅多にないとも言われるような存在なのだ。

須弥山で弁才天の沐浴を覗き、欲情して襲いかかった侠兎を捕縛したのも彼女達であった。

その時、その場にマリーシャが居合わせたか定かではないが、彼女は侠兎の顔を知っているのに侠兎には面識がない。

これほどの美少女の顔をスケベな侠兎が忘れるはずはないから、恐らく本当に知らないのだろう。


「炎帝様は地仙君に犯罪者の保護をお命じになられたようですけど、私はサーラ

 様のお言いつけで時々隠れてそーっと様子を見にきてたんですよぉ」

「ストーカーかおみゃあは!」

つまり、葉羹に侠兎の居場所を教えたのは、このマリーシャだったという訳だ。

ちなみに、炎帝とは墨松子の師匠の別称であり、本名をきょう、一般には神農として知られる。


「エロ悪魔がボコられるのが見られないのは残念ですけど、でも見つかっちゃっ

 たから逃げまぁーす」

マリーシャは、無邪気に照れ笑いを浮かべつつ、フワッと舞い上がって宙の中に溶け込んで消えていった。


 (テヘベロしてったよ、今)


マリーシャが消えて、再び静寂と共に侠兎と葉羹の対峙する構図が形成される。

本来であれば、神人である侠兎が神仙クラスの歯が立つような相手ではないというのは歴然としている。

神人と神仙では、何もかもレベルが桁外れに違い過ぎるのだ。


「しかし、今の侠兎では手も足も出せないまま終わるだろう」

松子の懸念する通り、方力を封じられた侠兎に勝ち目がないのは火を見るよりも明らかだ。

それでも、侠兎は絶対に退かないだろう。

自分がこてんぱんに叩きのめされると分かっていても。

或いは、陵辱される可能性が高いと分かっていても。

相手は因縁を晴らす為にわざわざ崋山から馳せ参じた神仙だ、お尻ペンペンで済まされる事はないだろう。

ただ、それは松子にとっても面白い事ではない。

侠兎が更生する道を絶たれる事にも繋がる上に、師匠から与えられた責務の放棄と見なされてしまうかも知れないし、

第一自分の計画にはない。


姚子にも、次第に同情する感情が芽生え始める。

いかに侠兎が傍若無人で邪悪な卑劣漢だったとしても、女の姿に変えられ無力化された今、ただ無惨に辱められる姿を見るのは女性として忍びない。

気が付いた時、姚子は侠兎を庇うように葉羹の前に立ちはだかっていた。

咄嗟に体の方が先に動いてしまった。


「も、もうこれ以上はやめて下さい。

 侠兎はボロボロなんです、こんな状態で戦うなんて卑怯です」

「なんじゃと、人間の小娘が。

 其奴がどれほどの悪人なのか分かっておらんようじゃの。

 其奴は天界仙界のありとあらゆる場所で、無数の娘達を強姦し倒した獣じゃぞ」

「それは聞いてます。

 でも今はもうそんな事出来ないんです、ちゃんと神様の罰を受けてるじゃない

 ですか。

 それなのにまだ何かしようなんて、そんなのただのいじめです」

「なんとでも言うがいいわ。

 ワシはこの手で直に恨みを晴らさねば気が済まんのじゃ。

 あの日以来、妻が其奴に惚れてしまって、ワシなど相手にもしてくれぬように

 なってしもうた。

 それまでは仲睦まじく暮らしておったというのに、あの日で全てが狂ってしま

 ったのじゃ。

 小娘如きにワシの気持ちなど分かるまいがの。

 じゃから、その見事な乳の侠兎をワシの性奴に躾けてやるのも一興かと」


 (それが本心か、ならあんたも同罪だ)


要するに、寝取られてしまったという事か。

あたかも妻が穢され、その恥辱の念に苛まれていると連想させるような発言は、単に自分の不甲斐なさを転嫁させているだけなのではないか。

もちろん、それで侠兎が罪を免れる事にはならないだろうが、これまで散々に言われてきた彼の極悪人のイメージは、誰かが故意に増幅させた可能性があるのかも知れない。

まあ、手癖が悪いのは事実だし、その一端を姚子の体は知っているので、全てを否定する根拠にはなり得ないが。


突然、何の前触れもなく姚子の体から力が抜け、立っていられなくなってその場にペタンと座り込んだ。

 (な、何?、何が起こったの?

  なんで体が、動かせない・・・?)

葉羹の方術のせいだった。

「人間には関わりのない事、暫くその場で大人しくしておれ」


怒る侠兎。

「てめぇ!、姚子に何をした!」

「何人たりとも邪魔は許さぬ、ワシの恨みの深さを知れ」

「姚子は関係にゃーだろ!」

「汝の肩を持つ者は全てワシの敵じゃ。

 その小娘もいずれ、汝の次にワシの房中術の下にヒーヒー喘ぐ事になるであろ

 うがの」

「て、てめぇ・・・」


侠兎に意識を集中させる葉羹は、自分よりも地位が低い松子の存在を眼中に入れていなかった。

そこで、松子は一計を案じる。

不怨鬼の残した糸を逆利用して、それを操り葉羹の体に絡み付かせ動きを封じる事に成功した。

「お!、な、なんじゃ!」

思わぬ伏兵の奇襲に焦る葉羹。

その機を逃さず、一気に距離を詰めた侠兎が渾身の一撃をぶちかます。

モロに食らった葉羹は思いっきり吹き飛ばされ、激しく狼狽する。


「お、おにょれ、幼気な老人に暴力を振るうとは、なんと恥知らずな。

 もっと丁重に扱わぬか」

「今更何言ってんだ、俺の体にエロい事しようとしてたのはどこのどいつだ!

 その上姚子にまで手を出そうなんざ見下げ果てるわ、てめぇの方がよっぽど

 性犯罪者っぽいぞ。

 女を舐めるんじゃにゃー!」


 (あんたが言うな)


「こ、こうなっては今一度出直しじゃ、憶えとれよ色魔狂」

「二度とくるな、因業ジジイ!」

葉羹はたった一撃で戦意を喪失してしまい、捨て台詞を残してそそくさと宙に逃げ帰って行ってしまった。

それと共に、姚子も方術を解かれて自由になった。

「おい、姚子、大丈夫か」

「あ、あれ?、動く・・・」


夕焼け空を見上げ、松子は事態の収束を確認する。

「とりあえず、一区切り付いたな」

「ジジイに糸を絡ませるとは、おみゃあもなかなかやるな」

「お前の為にやったのではない、姚子ちゃんに累を及ぼさぬ為だ」

「あのくそジジイ、今度来たら絶対再起不能にしてやるぞ。

 それまでに力を取り戻せんかな」

「そういう目的の為に方力を回復させるのは無理だと思うぞ。

 まあ、どの道あの神仙は暫くは現れないと思うがな」

「おみゃあ、何かやったな」

「ちょっと禁呪をね。

 彼は今後数年は神経痛に悩まされ続ける事になるだろう」

「悪い奴だな」

「伊達に地仙の真似事はやってないよ」


侠兎は、衣服の汚れや埃をパンパンと叩きながら身繕いをした。

体中に数々の擦り傷や打撲を負っている以外は元気で、こいつの体力は無尽蔵かと思わせる。

「さて、帰るとするか。

 ナエちゃんの晩飯が待ってる」


「ちょーっと待たれい」

その時、それまで公園の砂の上で気絶していた不怨鬼が、いきなりムクッと立ち上がった。

なんだか、神仙が消え去るのを計っていたかのようなタイミングだ。

ニタッと笑う不怨鬼は、侠兎の前で片膝をついた。

「なんだおみゃあ、まだやる気か」

「美しい女体のガール、侠兎さん。

 今よりは、この私があなたの堅牢堅固難攻不落なボディーガードになってあげ

 ましょう。

 麗しのわがままボディーに私の全てを献じ奉らん」


さすがはエロ妖怪、さっきまで敵対していたはずなのに、侠兎の肉体的魅力に悩殺されてあっさり掌を返した。

「アホか、俺より弱いボディーガードなんか要るか、さっさと失せろ」

「遠慮など要りませんよ、ご用の際はいつでもお呼び立て下さい。

 では、さらば!、ハーッハッハッハ・・・」


 (お前は走って帰るんかい!)


神仙、妖怪、そしてアプサラス。

こうも次から次へと現実離れした異界の者達に出会ってしまい、姚子は、これまでの認識を改めざるを得なくなった。

どうせ、話しても誰も信じてくれないとは思うけど。


 (もしかして、神様って本当にいるのかな)


もう、信じていなかった頃の自分には戻れない気がする・・・。


                                                  <終>



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