8.へっちゃらだって
8.へっちゃらだって
業平が学校で聞いてきた話を地で行く事件が起こったのは、それから数日後の事だった。
夕方になって、いつも通りに駅前の商店街へ出かけた早苗と侠兎は、普段と変わらず馴染みの店での買い物を済ませ、自宅へ向かって歩き始めていた。
「チェッ、今日は唐揚げじゃにゃあのか」
「昨日も唐揚げだったでしょ、毎日同じメニューじゃ誰も食べてくれないわ」
「俺は毎日でもいいよ」
「侠兎ちゃんはそれでいいでしょうけど、他にも家族がいるのよ。
姚子の好きなマカロニグラタンや、ナリの好きな生姜焼きも出してあげないと
不公平でしょ」
「よしパパは?」
「パパはなんでも文句言わずに食べてくれるからいいのよ。
カレーと筑前煮が好きな人だけど、ちゃんと定期的に作ってるし、なんでも美
味しいって言ってくれるから」
「ナエちゃん、ラブラブだな」
商店街を抜けて、一つ目の交差点を右に曲がって住宅街へ入ったすぐの場所にある児童公園の付近に差しかかった時、以前に侠兎が二度に亘ってぶちのめした柄の悪い3人組に出会した。
男達は、公園のベンチに横柄に座ってタバコを吹かしていたが、目前の道を歩く侠兎を見つけると、途端に目つきを変えて立ち上がり、咥えていたタバコを砂場に放り投げた。
肩を揺らし威圧的な歩き方で近寄ってくるヤンキー共に気付いた侠兎は、ここで先日の業平の話を思い出す。
近隣で問題を起こしまくっているアホ共とは、こいつ等の事だったのか。
そのせいかどうか、いつもは近所の子供達が遊んでいてもいいはずの時間帯にも関わらず、公園には彼等以外人っ子一人いない。
いるだけで迷惑千万この上ない奴等だ。
その歩く姿、挑戦的な態度から意図を読み取って、横を歩く早苗に告げた。
「ナエちゃん先に帰ってな、ちょっとあいつ等と話してくるから」
「誰?、お友達?」
「そんなんじゃにゃあよ」
「あんまりいい感じのしない人達ね」
「ああいうのがいると、ナリが安心出来んって言うからさ」
「でも、一人で大丈夫なの?」
「心配すんなって、すぐ終わるから」
オロオロと狼狽える早苗の背中を押して家路に向かわせ、侠兎は児童公園へ入って行った。
急いで家に帰った早苗は、リビングにいた姚子と松子に事態を説明した後、あたふたしながら電話を手に取る。
「とにかく警察警察、電話しなきゃ。
んもう、こんな日に限って携帯置き忘れちゃうなんて」
対決の結果は見ずとも分かっているが、早苗は侠兎の喧嘩の強さを知らない。
(でも警察沙汰はちょっとまずいかな)
姚子はそれとなく母を諭す。
「放っといていいわよ、そんな大事にしなくていいんじゃないの」
「でも心配で・・・、なんだか怖いのよ」
「大丈夫だって、侠兎はあれでケンカめっちゃ強いんだから。
どうせすぐボコボコにして終わりよ」
「なに言ってるの、相手は3人もいるのよ、悪そうなのが」
「へっちゃらよ、この前の時も3人だったし。
あ、それじゃあ同じ相手かな。
だったら余計に心配要らないわ、返り討ちよ。
ですよね、墨さん」
「そうだな、普通にやったら相手に勝ち目はない。
売る側も買う側も、どっちもまるで進歩のない度し難い奴等だな」
松子の言葉にハッとする姚子。
そうだった、女子としてそれはいかがなものかと口酸っぱく言い聞かせてきた手前、一向に女子らしくしない侠兎を野放図に放任していたのでは、コーチを引き受けた自分の立つ瀬がない。
侠兎の勝手放題をやめさせるのは私の仕事だ。
(じゃなければ、墨さんに見放されちゃう)
考え直した姚子は、電話を握り締めて心配そうにウロウロ歩き回る母を落ち着かせるように言った。
「分かったわよお母さん、そんなに心配なら見てきてあげるわよ」
「じゃあ、僕も行ってみるか。
狂犬は野放しにしておけないからな」
商店街へ向かって家を出た姚子と松子。
二人は、既に勝負はついているものと思っていた。
どうせ今頃は、前と同じに地面に倒れる男達を足蹴にしながら、腕組みして勝ち誇る侠兎がいるに違いない。
ところが、いざ行ってみると、事態はまるで違う様相を呈していた。
軽やかなステップでファイティングポーズを取る男達に取り囲まれて、今にも倒れてしまいそうにフラフラになっている侠兎がいた。
まさか、以前は何事もなかったように一撃で捩伏せていたのに、同じ相手に手も足も出せぬまま袋叩きにされているなんて信じられない。
一体、何がどうなったのか。
公園の角の塀の陰から様子を窺って驚く姚子の足元に、殴り飛ばされた侠兎が転がってくる。
「き、侠兎、あんた大丈夫?」
侠兎は、口元から流れる血を拳で拭った。
「あいつ等、前と違って格段に強くなってやがる。
動きが読めん・・・」
「もうやめたら?、ボロボロだよ」
「うっせ、売られたケンカを買わにゃあ男がどこにいる」
「あんたは女なんだよ、一応」
可愛かった侠兎の顔が、頬を腫らし鼻血を流し、腿には内出血の青あざが見るも痛々しい。
そんな状態になりながらも、足をよろめかしてまでも立ち向かおうとする侠兎に、姚子は激しい違和感を覚えた。
負けず嫌いなのは気性の荒さから分かっていたが、何をそこまでムキになる必要があるのか。
スポーツの試合でもない、命懸けの決闘でもないただの公園の喧嘩に勝ったからといって、それがなんだというのか。
何も得る物はないではないか。
不良同士の島争いのつもりにでもなっているのだろうか。
(バカじゃないの?
まあ、まともじゃないのは分かってたけど。
めくれたスカートくらい直せ、パンツ丸見えだって)
「墨さんも止めて下さい」
一緒に見ていた松子は、別の方に注目していた。
「何か妙だな・・・」
「何がですか?」
「以前は簡単に倒せた相手が、こんな短期間で立場が逆転するほど強くなるのは
普通では考え辛い。
それに、変わった臭いがする」
「臭い?」
姚子には全くもって分からないが、松子は男達の様子に何か釈然としないものを感じ取っていた。
それを確かめようとしてなのか、彼は足元の道端の砂を一握り掴んで、宙に向かって息を吹きかけて飛ばした。
飛散した砂が舞い上がるにつれて、不思議とどんどん嵩が増えて広がっていき、砂埃となって周囲を包む。
微細な粉塵によるカーテン効果で夕方の太陽光が和らいだ時、男達の体から、それぞれ数本ずつの細い糸のような線が出ていて、背後に向かって長く伸びているのが見えた。
所々でチカチカと反射して光るそれを目で追うと、それらはある一ヶ所に集中していて、その先には、ついさっきまで見えていなかった大きな黒い人影らしきものが、砂塵の中に薄らと浮かび上がっていた。
思わず声を出す姚子。
「だ、誰かいます」
「そのようだね、君にも見えるかい」
「はい、なんとなく」
誰かが糸を使って男達を操っていると察した松子は、指を伸ばした手で数回手首を返したり捻ったりするような動きを見せる。
それに合わせて、張り詰めていた糸のような線が次々に断ち切れていく。
手の届かない離れた位置にいるのになぜ・・・。
松子が方術を使ったとしか思えない。
糸が切れると同時に我に返った男達は、急に動きを止め、キョトンとして周囲を見回す。
どうして俺達はこんな所にいるんだと言わんばかりに、豆鉄砲を食らった鳩のように目を白黒させ、全く状況が理解出来ていないという顔をしている。
自分達がここにいる理由すらも見当が付かないといった様子だ。
その彼等、目の前にフラフラよろめく侠兎を見つけると、急にテンションが上がった。
「あっ、お前、この前の小娘、なんでここにいる」
「今更なに言ってんだ。
さんざん殴る蹴るしておきながら」
「なんだヘロヘロしてんじゃねぇかよ。
何がなんだか分かんねぇが好都合だ、この前の礼を返させて貰うぜ」
勢いづいて殴りかかるヤンキー野郎共。
だが、通常の動きに戻った彼等はもはや侠兎の敵ではなく、ものの数十秒で撃沈されてしまう。
どんなにボロボロになった体でも、普通の人間の動きを見誤る侠兎ではなかった。
ホッと安心するのも束の間、周辺に立ち籠めていた砂埃が晴れてくるにつれて、男達を背後から操っていた影が次第にはっきり見えてきた。
白いお面で口元以外を覆った、身の丈2メートルはあろうかという大男だった。
しかも、ボディビルダーの如き超マッチョ体型に、山葵色の全身タイツを身に纏った上から薄黄色の着物を着流し風に羽織っているのに足はブーツという奇妙奇天烈なコーディネート。
まるで、観光で温泉街に来て日本風情を堪能するルチャリブレのプロレスラーだ。
姚子が独り言を呟く。
「あの人がボス?」
松子は違う観測を言う。
「いや、ちょっと違うな。
あいつが操っていたのは確かだけど、親分と手下のような主従関係ではなさそ
うだ。
それに、あいつは人ではない」
「人じゃない?」
「もちろん神でもない。
どうだろう、日本の言葉で最も適当な表現をするとなると、妖怪とでも言えば
いいのかな」
「妖怪?」
妖怪が取り憑いて男達を操っていたのか。
またしても信じ難い生き物が現れた。
ただ、そのマッチョレスラーは、体の大きさの割りには重量感があまり感じられない。
なんというか、大地にどっしり足を着けて仁王立ちという感じでもないし、どちらかといえば空虚感に近い雰囲気が漂っている気がする。
存在感が薄いというか、威圧感がないというか、不思議な印象を受けた。
マッチョ妖怪は、腰に手を当て胸板の厚みを誇示するポーズを取りながら、侠兎に向かって高笑いした。
「フハハハハ、よくぞ私の糸繰りの術を見破ったなガール。
だが、それで私に勝った気でいるなら大間違いだぞ」
余裕の笑みを浮かべつつ一歩踏み出して、自分が使っていた糸に足を絡ませてずっこける。 ドテン・・
「うおっ!、なんだこれは!
こんな所に罠を仕掛けているとは、なんと悪辣な!」
この妖怪、ファッション同様まるで緊張感というものがない。
たちまちシラけた空気が周囲に漂うも、当の本人は我関せずに侠兎を威嚇する。
「可愛いガールよ、其方に恨みはないがここで死んで貰うぞ」
「誰だおみゃあ」
「我が名は不怨鬼、この一帯を治める鎮守山が主である」
「便器?」
「便器ではない!、不怨鬼だ、ブ・エ・ン・キ!
B、U、E、N、K、I。
努々忘れるでないのだぞ」
「何が山の主だ、このアホが」
確かに鎮守山という名前の山が近くにあったな、と姚子が考えているそばから、血気に逸る侠兎がダッシュして殴りかかった。
不怨鬼は、その強烈なパンチをいとも簡単に掌で受け止める。
さすがは妖怪、人間よりも反応速度が段違いに速い。
そのまま侠兎の拳を指で包み込んで捕らえ、逃げられないようにしておきながら、サッと背後に回り込むと後ろからムキムキの豪腕で体を挟み、豊満な乳房をむんずと鷲掴む。
「おおおっ!
こ、このボリュームにして柔らかな真綿の如き感触と弾けるような弾力、そし
てこの麗しき芳醇な香り。
これぞまさしく天女の御肌!
至上の愉悦の担い手、天上でのみ享受せらるる究極の桃夭果!」
「うるせぇよこのエロ野郎!、勝手に揉んでんじゃにゃー!」
プニプニの感触に気が緩んだ一瞬の隙を見て、体の向きを反転させた侠兎のグーパンチが顎にヒット。
その一発で勝敗は決した。
妖怪は白目を剥いてその場に崩れ落ち、大の字に伸びてしまった。
(こんな変態マッチョに操られるヤンキーってなに?)
<続>