7.とろける・・・
7.とろける・・・
枢一家は4人家族。
父・良相、母・早苗、長女・姚子と弟・業平。
なんの変哲もない、ただの一般家庭に過ぎない・・・、つい先日までは。
隣人の侠兎は、今ではほぼ一日中、朝から晩まで姚子の家に入り浸るようになっていた。
保護者であるべき松子が常に留守がちなのがその素因で、一人で退屈するよりも隣家で家を守る早苗と一緒に日がな一日を過ごした方が、何かと都合が良かったのだ。
上げ膳据え膳だし、おやつもある、話し相手もいる。
暇潰しには事欠かない。
夕飯の買い出しにつき合うのもそこそこ面白い。
最近、姚子の好きなマカロニグラタンが食卓に上る機会がめっきり減り、代わって鶏の唐揚げがやたらと増えたのはそのせいだ。
そんな侠兎の暇潰しの最たる物が、居間のテレビに接続されているゲーム機だった。
中学生の業平の所有物で、彼は様々なゲームソフトも持っている。
当然、家族の中で一番操作に熟達しており、手順や遊び方を色々教えてくれるので、侠兎は毎日のように首を長くして彼の帰宅を待ち、ゲームで遊ぶのを心待ちにしている。
人見知りで、普段は家族ともあまり話をしない業平は、初めのうちは、他人の家でも全く物怖じしない侠兎の大雑把な態度とやんちゃぶりに戸惑い煙たがっていた。
微妙な年頃のせいもあり、明らかに無視していたし、関わり合いにならないようにしていた。
それでも侠兎はしつこく食い下がり、技を教えろ一緒に遊べと家の中を追いかけ回した。
最後には業平が根負けして、嫌々ながらつき合わされるのだった。
それが今ではすっかり打ち解けて、「侠兎姉ちゃん」と呼んで親しむようになっている。
その親密度は、ほとんど一緒に遊んでくれない実姉の姚子以上だった。
何度負けても挫けず挑戦してくる侠兎が、常に自分が優位な立場にいるのだという優越感を与えてくれる存在となっているのだろう。
業平自身がそこまで自覚しているのかは疑問だが、自分が必要とされている、頼りにされているという感覚を味わっていたのは確かなようだ。
勝てないとすぐにヘソを曲げてやめてしまう姚子とは違う。
また、サラリーマンの父・良相は、休日を除くと夜にしか侠兎と顔を合わせる事はないが、元来細かい事には拘らない大らかな性格のせいもあり、なんの疑問も抱かずにすんなりと受け入れてしまっていた。
最大の理由は、どうやら話を聞いてくれる相手が出来たからのようだ。
仕事上の話や若かりし頃の失敗談、下らない趣味の話など、家族は誰も聞きたがらない。
そんな話についていくのは侠兎だけなのだ。
ともすれば孤立しそうな立場にある父親を、侠兎が「よしパパ」と呼ぶのを、良相は殊更嬉しそうに聞く。
呑気で大様な夫婦と生真面目な娘、無口な弟。
そこに割り込んできて、瞬く間に馴染んでしまった侠兎。
当然の事ながら、姚子を除く家族全員は侠兎を普通の女の子として認識しているし、そう扱っている。
侠兎の女性らしからぬ粗野な言動は相変わらずだが、それ以外には取り立てて問題もないので、事実を明らかにしていたずらに混乱を招く必要はないだろうと姚子は考えた。
ずっと家にいてくれるから、いちいち女の子講座の為に出向かなくて済むし。
その反面、遅々として進まぬその成果に手を焼く事も多い。
なにせ、風呂上がりに素っ裸で家の中を歩き回るような侠兎である。
さすがに姚子の熱心な説得で多少は自重する事を憶えたとはいえ、それでもバスタオルを巻いただけの姿でリビングやダイニングをウロウロされたら男性陣には目の毒だ。
その、類い希なるプロポーションが丸分かりなのだから。
都合の悪い事は他にもある。
侠兎は姚子と二人きりになると、すぐに男の本能を剥き出しにして隙あらば襲おうと狙っている。
部屋で寝ている時にこっそりベッドに潜り込んできたり、入浴中に堂々と風呂場に入ってくるから手に負えない。
とにかく、無防備な状況の時に限って絡んでくるので、侠兎が家にいる間はゆっくり落ち着いてもいられない。
その日も、女の子講座の為に二階の自室で待っていると、風呂上がりの侠兎がバスタオル姿のまま入ってくるや否や、ラグに座る姚子を後ろから抱き締めた。
「ようし、始めるぞ!」
「な、何すんのよ」
「決まってる、おみゃあの性奴隷講座だ」
「違う!、あんたの女の子講座をやるんでしょ」
「そっちは後回しでいいだろ」
「駄目、何考えてんの」
「いいだろ、堅い事言うな。
おみゃあだってそこそこいい乳してんだから遠慮すんな、俺には及ばんけど」
「遠慮なんかしてない。
どさくさに紛れて巨乳アピールするな」
「そう言うなって、おみゃあだってウブを装って実はけっこう楽しんでんだろ?」
「楽しいかバカ。
さっさと家帰れ」
「今日は泊まってく」
「勝手に決めるな」
このように、少しでも油断すると即座に抱き付きマウントポジションを取りにくる。
それは、ただのスキンシップではない。
胸を触り、揉み、尻を撫でる。
しかも、繰り返し、陰湿に、淫蕩に。
松子の解説を信じるなら、さすがに天界で女仙達を相手に不埒三昧を繰り返したエロ神人だ。
女の体の弱い所、敏感な所の責め方に一切の無駄も躊躇もない。
「あんた、まさかウチのお母さんにまで変な事してないでしょうね。
昼間もずっと一緒にいて・・・」
「アホか貴様、ナエちゃんは特別だ。
俺様の味方だからな、貴重な味方を性奴隷にして何の得がある。
唐揚げだってパンケーキだって、作ってくれるのはナエちゃんだけなんだぞ」
「わ、私だって敵じゃない、パンケーキぐらい作れる」
「じゃあ今度作ってみ、ナエちゃんのとどっちがうみゃあか比べてやるよ」
(流れでつい変な約束させられた・・・)
「ナリは可愛いな、おっぱい見せたら真っ赤な顔してモジモジしてた」
「お、弟を変に刺激するな、バカ」
「だがおみゃあはダメだ。
どっちにしてもおみゃあの運命はもう決まってんだ。
もう決めたんだ、何が何でも俺が食ってやるってな。
ほらみろ、もうグショグショだ。
おみゃあだって欲しくてたまんにゃあだろ、素直に言ってみな、もっと素直に
なれ」
体型的には大差ないのに、侠兎は思いの外腕力が強い。
剣道で鍛えてきた姚子でさえ、押さえ込まれてしまうと簡単には逃れられないくらいだ。
血気盛んな男を相手にしても喧嘩で負けない事といい、やはり並みの女の子ではないと認めざるを得ない。
弁才天による封印は、首のチョーカーと両手首のシルバーのブレスレットの他に、両足首にも同様のアンクレットがあり、更に両腕の上腕には少し幅広のシルバーのアームレットまでもが着けられているという事が裸を見て分かった。
そこまで念入りに封印せねばならなかったというのを、その身体能力の高さが証明している訳か。
体の上では同性同士なので、直接貞操に危機的な状況が訪れる事はないにしろ、姚子にその手の趣味や願望はない。
そもそも自分好みに調教しようという魂胆が気に入らないし、その対象になるのはまっぴらご免だ。
(さ、最悪だぁー)
侠兎は、自分に罰を与えた弁才天に容姿が似ている姚子を宿敵に見立てて、まるで疑似意趣返しでもするかのように、不敵な笑みで楽しそうに目を輝かせ、姚子の意思を無視して執拗にその体を弄び続けた。
半ば強引に、強制的にエッチな気分にさせられる。
せめてこれさえなければ、姚子も他の家族と同様に、もっと素直に侠兎を受け入れられたかも知れない。
この現状を変えるには、世俗と隔絶した精神修養ブートキャンプにでも強制収容させてしまうしかないだろう。
その意味においても、周囲に目のある環境は、歓迎はしないが捨て難い。
家族の中で過ごしている間は、侠兎が牙を剥く事はないのだから。
ただ、侠兎の愛撫が姚子の体に忘れ得ぬ感覚を植え付けたのは否定し難い事実だった。
力が抜け、抵抗する気力すらも失われた時、静かな薄暗い部屋の中で、フワフワとした浮遊する感覚に包まれながら、次第に意識が遠退いていく。
数日後。
学校からの帰路にあった姚子に、後ろから声がかけられた。
「姚子ちゃん」
振り向いた目線の先には、あの超イケメンの爽やかな笑顔があった。
「あ、墨さん」
暫くぶりに見るその凛々しいお姿に、一挙に絆され頬が緩む。
この人がいるからこそ、問題児の先生役などという厄介で面倒この上ない役割を引き受けたのだ。
(待ってました目の保養!)
「何日も留守にしてしまって申し訳ない、どうしても手が放せない用事があった
ものでね」
「どこ行ってたんですか?」
「僕にも今までの生活というものがあってね。
住んでいた所から突然姿を消してしまったら、周囲の人が不思議がってしまう
だろ。
だから、こっちに引っ越すための下準備というか身辺整理というか、そんなと
ころだね」
「じゃあ、こっちに越してくるんですね」
「出来るだけ早いうちにそうしようと思っている」
松子は仙人ではあっても地上の人間の世界で生きている、と本人は言っている。
真実なら、普段は人として社会の中に溶け込んで生活しているはずである。
何か仕事もしているだろうし、身なりが立派だからそれ相応の社会的地位とかもあるのかも知れない。
ただ転居するだけてはなく、仕事も変えてしまうつもりなのだろうか。
(どっちでもいい、毎日会えるようになるなら)
「奴の訓練は上手くいっているかい?」
「まあ、ぼちぼちですかね・・・、順調、とは言い難いです」
「そうか・・・。
想像していた通りとはいえ、ずいぶん迷惑をかけているんだろうね」
「あ、でも、ウチのお母さんと買い物に出かけたりすると、いつもすんごい可愛
い服とか買ってくるんですよ。
セーラー服みたいなのとか」
「ほお、あいつが進んで着るのかい?」
「はい、だからお母さんも喜んじゃって、もう何着もあるんですよ。
昼間もずっとウチにいるから、私よりもお母さんの方が先生になっちゃったみ
たいに色々教えてます」
ほぼ一日中一緒にいるせいか、侠兎と早苗は驚くほど親しくなっている。
早苗は侠兎の事が可愛くて仕方がないらしく、自分好みの衣装をまるで着せ替え人形のように着せては喜んでいるし、侠兎は侠兎で、姚子より早苗の言う事に従う方が遥かに得になると考えているようで、与えられる服には何の躊躇いもなく袖を通す。
姚子は、母の少女趣味にはついて行けないと感じて以来、ファッションセンスの面では一定の距離を置くようになっていたとはいえ、侠兎に対する入れ込みようが本当の娘の如く過剰になりつつある現実は、決して気分のいいものとは受け取れずにいる。
そのうち振り袖まで買うと言い出す事が予想され、これまでは弟よりも優遇されているという自負があった正真正銘の長女としては、突然梯子を外されたような複雑な心境に陥ってしまう。
「自分のセンスに合わん物だからってダサいと決めつけるのは簡単だ。
だが、そこにポリシーを持っている奴だっているんだぞ」
以前、そのように語った侠兎の言葉が詭弁だと分かっていたのに、言い返す事が出来ない自分がいたのを思い出す。
家のリビングで業平とゲームで遊んでいた侠兎は、入ってきた松子の顔を見るなり舌打ちして小言をこぼす。
「チッ、また小うるさい説教野郎が来やがった。
せっかく面白楽しく暮らしてたのに」
「人を小姑みたいに言うな。
お前こそちゃんと姚子ちゃんの言う事を聞いていたのか」
「当たりみゃあだ、しっかり聞いてきっちり対応」
「いかん、政治家の使う最も信頼性のない副詞の使い方を習得している」
「姚子の教育も順調だぞ。
こいつはウブな子ウサギみたいだからな、日に日に成長する手応えがある」
「い、要らん事は言わんでいい!」
姚子は赤面し、必死で打ち消した。
弟のいる前でその発言は、要らぬ誤解を招きかねない。
「つまり、お前の手癖の悪さは全く直ってないって事だな」
「泥棒扱いすんな、何も盗ってにゃあぞ」
「商店街で唐揚げを盗んだ事があっただろ、罪の意識がないのは致命的だぞ」
「気にすんな。
惣菜屋のおばちゃんも肉屋のオヤジも、今じゃ商店街のお友達だ。
行けばいつも何かくれるし、値引きもしてくれるからナエちゃんも大助かりだ
と喜んでる」
その言葉で、侠兎のアイドル的ルックスが町の人達に受け入れられ、本人もそれを巧みに利用している実状が窺える。
早苗がよく買い物に連れ歩くのも、その辺りに理由がありそうだ。
商店街という言葉で何かを思い出した業平が、学校で聞いてきた話を切り出した。
以前から町の周辺で悪い事をして暴れていた不良なヤンキー共が、最近また目立つようになり始めたというのだ。
ここ数日で、ひったくりや暴力事件が頻発していると警察から警告があり、特に商店街の周辺で被害が続出しているとの事で、生徒達にも気をつけるようにと、ホームルームの時に先生から注意喚起があった。
「ただ気をつけろって言われても、何をどう気をつけたらいいのか分かんないよ」
と、具体性のない形だけの通達に不満そうに口を尖らせる業平に、侠兎が自信たっぷりに公言してやる。
「心配すんなナリ、そんな奴俺がぶちのめしてやるよ」
「ホント?、侠兎姉ちゃんケンカ強いの?」
「当然だ、殴り合いなら誰にも負けん」
「そうなの?、お姉ちゃん」
「私に聞くな。
まあ、間違ってないとは思うけど」
「任せとけって、何かあったらすぐ俺に言いな。
ゲーム師匠の頼みならなんだって聞いてやるよ」
「うん」
大見得を切る侠兎に松子が釘を刺す。
「おいおい侠兎、お前は女の子らしくするんじゃなかったのか。
それでは従来とまるで変わらんではないか」
「やかましい、てめぇの指図は受けにゃあよ」
「その単純な気性のせいで今のお前があるとまだ分からんのか」
「気にすんな、ケンカぐらい女でもやる。
ブラジャーのおかげで前より乳が暴れずに済むしな、バンドの所が痒いけど」
「やれやれ、その調子で一体いつ元に戻れるのやら」
まだまだ、侠兎を真っ当な性格に直す道程は端緒についたばかりなのだと実感する松子であった。
<続>