2.お礼を言おう
2.お礼を言おう
あれから一週間ほどが経った。
姚子は、もうあの日の事はスッキリと忘れていた。
当日こそは、あの女の子は一体誰なんだろうと考え続け、家族にも聞いたりしてみたが何も得られなかった上、翌日は翌日で学校で笑い話のネタとしては使えた。
あのような出来事にはとんと縁が無かった彼女の話は、友人達には驚きでもあり、かつ滑稽でもあった。
真面目で身持ちが堅いと思われていただけに、ナンパとか不思議少女の話題は姚子のキャラクターに合わず、意表を衝かれたからだ。
そのため、誰一人としてそれを真剣に聞く者はおらず、たわいのない一過性アクシデント話と片付けられてしまった。
姚子自身も、それ以降は特にどうする事もなく、また新たな展開が起こる訳でもなかったので、いつしか自然消滅的に頭の中から消えていった。
情報が乏しい時には、往々にしてこんな事はよくある。
せめてお礼は言っておきたかったな、とか考えていたのに・・・。
機会は予告なしに訪れる。
その日、彼女は、いつも通り寄り道もせず帰宅の途についていた。
普段通りに最寄り駅で降り、駅に通ずるこぢんまりした商店街を通って家路を歩く。
そこにあるのは、なんでもない、ごく普通の、ありふれた真っ当な日常的光景。
夕飯の買い出しの主婦、老人、子供達。
適度な混み具合で行き交う、およそ不道徳とは無縁そうな人達の中に身を置いていると、日頃はさほど意識しておらずとも、やはり安心する。
なんてったって地元だし。
そう思いながら、なんの気無しに少し先の惣菜店に目を遣る。
すると、その店先に、見覚えのある白いジャージ姿が視界に入った。
(あ、あれは・・・、いたぁ!)
茶色のショートカットの髪、くりくりした目、間違いない、あの子だ。
(でも、あんなに小さかったっけ?)
そんなに小柄だったという印象はなかった。
あの時より背が低く感じるのは、着ているジャージが男物なのか、妙にブカブカで全然体に合っておらず、袖や裾を捲り上げてようやく手足を出している格好を見たせいだ。
おかげで余計に可愛く見えるし、見た目だけでは、とてもとてもあんな凶乱痴気な性格とは思えない。
それにしても、なんでこんな所にいるんだろう。
まさか、同じ町に住んでたって事はないよね・・・。
だったら見覚えくらいはあるはずだ、同い年くらいだし。
どこかから引っ越してきたのかな?
とにかく、そこら辺の事は置いておいても、この前結果的には助けてもらった訳だし、お礼は言っておきたいと思った姚子は、少し歩を早めて彼女の方へ向かった。
歩きながら観察していると、その子は、店頭をちょっとうろついていたと思ったら、あろう事か店のおばさんの目を盗んで、ガラスのショーケースの上に置いてあったトレイから鶏の唐揚げを三つ四つパクパクパクッと口に放り込み、
何食わぬ顔で向こうへ走り出した。
(ヒドい!、盗み食い!)
なんでこんな悪い事をするのか。
売り物を盗むなんて、現場を目撃してしまった以上は放っておけない。
姚子は、気付いた時には彼女を追って走り出していた。
なぜだか正義感に火が着いてしまった。
今までなら、あーあやっちゃった、くらいに思って見過していたかも知れない。
でも、この時ばかりは足が勝手に動いた。
きっと、なんでもいいから理由をつけてあの子と話がしてみたいと、意識のどこかで考えたのだろう。
捕まえて代金を支払わせてやる・・・、ついでにお礼も言おう。
リスのように頬をパンパンに膨らませて走る唐揚げ泥棒が商店街の端に差しかかったちょうどその時、その先の道路に一台の車が急停止した。
そこから血気盛んに降りてきたのは、この前彼女にボロ雑巾のようにされた3人組の男達。
「いたいた!、見つけたぞ!
こんな所にいやがったのか、コラ!」
どうやら、前回の遺恨を晴らすために捜し回っていたようだ。
般若の如く目を吊り上げ、怒り狂った顔つきで少女を取り囲んで行く手を遮ろうとする。
それを見て、少女はスッと横の細い路地へ進路を変え、男達は後を追って走り出した。
なんたる偶然。
あの日出会った人達が、ここに再び集結している。
これを、どう解釈したらいいのだろう。
もしかしたら、ただ知らなかっただけで、みんな元々同じこの町に住んでいた。
それぞれがそれぞれの世界の中でそれぞれに生活しながら、気付かぬまま日常を過ごし、すれ違ったりしていた。
それが、何かの偶然で次元が重なり、出会ってしまう。
そう考えると、世の中の巡り合わせとは斯様に不思議で奇妙なものなのかと思わないではいられない。
などと感慨に浸っているうちに路地に辿り着いた。
そこで姚子が見たものは・・・、前回と全く同じ光景。
男達が少女のスニーカーのソールの下で、アスファルトを布団代わりに大の字で伸びていた。
どんなに相手が喧嘩に強いとはいえ、この僅かな時間でまたまた敢えなく玉砕してしまったとは、この男共はよほどのヘタレか。
少女は、横たわる男を軽く足で小突きながら、何事も無かったように平気な顔で口をモグモグさせていた。
食後の腹ごなしにもならなかったと見える。
姚子は、また勘違いされて攻撃されるかも知れないとの懸念を抱き、暫し躊躇いつつも、意を決して声をかけた。
「ち、ちょっとあんた」
「あ、おみゃあ、べ・・」
姚子に気付いた少女は、再び驚いたようなリアクションを見せた。
この男達が現れると必ずついてくる女は、やっぱり仲間とでも思っただろうか。
ただ、姚子を見る時の少女の目は、男達を睨む時とはまるで違う。
まだ二度目だから確信は持てないが、その大きな瞳の奧に、どこか恐れに似た感情を潜ませているようにも感じる。
何かに怯えているような・・・。
それを覚られまいとしているのか、少女は咄嗟に姚子に背を向け逃げ出そうとした。
「ちょっと、逃げないでよ!」
少し強めに声を出すと、いたずらが見つかってトンズラしようとしたところを波平に呼び止められたカツオのように、ビクッとしてその場に立ち止まった。
「お金払いなさい」
「は?、金?」
「盗んだでしょ、唐揚げ」
「・・・金なんか持ってにゃあ」
(にゃあ?)
姚子が悪事を指摘しても、ふてぶてしい、というかふてくされたような顔つきで視線を逸らす。
それにしても態度が悪い。
開き直って知らぬ存ぜぬを押し通すつもりか。
(こいつ、警察にでも突き出してやろうか)
自分がお礼を言うはずだったのを忘れた時、背後、というか頭の上を飛び越えて男の声がした。
「やっと見つけたぞ、キョウ。
こんな所にいたのか」
驚いて振り向くと、そこにスーツ姿の背の高い一人の男が立っていた。
倒れている3人組とは違う、スラリとした細身で落ち着いた声の持ち主は、真っ直ぐ少女を見つめていた。
「何をやっているんだお前は、やんちゃばっかりしてるんじゃないぞ」
(うわ、何この人・・・、めちゃめちゃカッコいい)
サラリとした黒髪、白い肌、スッと通った鼻筋、切れ長の目と長い睫毛、強く主張しない程度にキリッとした細い眉。
まるで映画俳優、というより少女マンガの世界から抜け出してきたかのような、超現実離れした美男子。
理想を遙かに超越する、こんな完璧な造形がこの世に存在するものか。
姚子は、思わず見とれてしまった。
この素敵な男性は誰なんだろう。
目を見張ったのは姚子だけではない。
「お、おみゃあは!」
少女の顔色が変わった。
どうやら知り合いのようだ。
「っておみゃあ誰だ?」
(あれ?、違うのかな?)
男は、平然と涼しげな笑みを浮かべた。
「まあ、知らないのも無理はないか、初対面だしな。
僕の名は墨だ」
「ボクはボク?、ふざけとんのかおみゃあ」
「墨松子って言うんだよ、アホ」
名を聞いて、少女は何か思い当たる節があるようだ。
「ボク・・・ショーシ・・・、どっかで聞いたような・・・。
おみゃあ、もしかして神農んとこのか?」
「ふん、よく分かったな」
「松子って言ったら赤松子の奴しか知らにゃーもん。
なんだ、あの草ばっかり食ってるヨボヨボのじじいの舎弟か。
って事は、おみゃあは神仙か」
「姜師をバカにするな」
「へン、神仙如きが俺様に説教するなんて100万年早いわ」
「だが、今のお前は僕以下だ、いや、地仙以下だ。
何の方術も使えはしまい」
「全部あのベン子のせいだろうが」
「ベン子?、サラ様の事か」
「サラ様だぁ?
そんなお上品なもんじゃにゃーって、あの女は」
「人のせいにするんじゃない。
そもそもお前が原因だろ、サラ様を怒らせるような事をするからだ」
「あれぐらいで怒る方がどうかしとるんだ、ヒステリー女め」
「普通誰でも怒ると思うぞ」
「で、その薬剤師の見習いが何でここにいるんだよ」
「お前を捜してたんだよ」
「なに!、じゃあ元に戻しにきたのか?」
「無茶を言うな、そんな事出来るはずがなかろう」
「なんだ、役立たず」
(?????、なになに?、日本語?、何言ってるの?)
いきなり始まった意味不明な会話。
姚子は首を傾げる以外にない。
この人達は一体なんだ?
なんで、初対面なのにこんな訳の分からない単語が飛び交う会話が成立するんだ。
共通の知人がいるっぽい話しぶりに聞こえるが、それにしてもこの少女の口の利き方の悪さはなんだ。
行動も粗雑だが口も乱暴だ。
黙って微笑んでいれば本当に可愛いのに。
そのイケメン、自分達の会話の横で目の前で起こっている事が理解出来ずにボーッと突っ立っている姚子に気付いて誰なのか尋ねると、それに呼応するように少女が姚子を指差して怒鳴りつけた。
「ところで、そちらは?」
「そうだ!、おみゃあベン子だろ!」
(へ?、な、な、なに?、ベン子って誰?、私の事?)
驚いた姚子、だがすぐに自分は誰かに間違われているのだと気がついた。
だから、あの日少女は自分を見て急に逃げ出したりしたのか。
ベン子って、一体誰なんだろう。
一方、イケメン男はあっさり少女の言葉を否定した。
「バカかお前、サラ様がこんな所にいるはずがなかろう」
「だってこいつ・・・、違うんか?」
「当たり前だ。
確かに、どことなく似ているような気もしないではないが、向こうは天上で
こっちは普通の人だ。
ちょっと見れば分かるだろ」
「なぁんだそうなんか、ビックリして損した」
ホッとして安堵しつつもどこかつまらなそうな表情を見せる少女を尻目に、男は姚子に優しい視線で言葉をかけた。
「このバカに何か用かな?」
姚子は著しく舞い上がった。
見つめる男の美貌にたちまち頭が沸騰してしまって思考が定まらず、一言答えるのがやっとだった。
「あ、は・・、あの・・・か、唐揚げ・・・」
「唐揚げ?」
「た、食べたの・・、お店の・・・勝手に・・・」
その単語だけで状況を察した墨松子という美青年は、少女の方へ目を遣ると、やにわにその首根っこを捕まえた。
「盗ったのか、唐揚げ」
「・・・うるさいな、おみゃあには関係にゃあ」
目線を合わせず言葉を濁す少女。
その姿は、なんだか母猫に後ろ首を噛まれた子猫みたいだった。
(ミャーとかニャーとか言ってるし)
「なるほど、そうやって今まで食い繋いでいた訳か。
どこまでも身勝手な奴だ」
「放せこの青二才、舐めるんじゃにゃーぞ!」
「往生際が悪いぞ、諦めろ、見つけた以上はもう逃がさんからな」
男は、姚子に教えてくれてありがとうと礼を言い、代金は自分が支払うと付け加えると、嫌がる少女を引きずるように連れてその場を立ち去って行ってしまった。
(な・・・なんなの?、あの人達)
キョトンとする姚子。
家出少女を連れ戻しに来た親族という感じ、と理解していいのだろうか。
果たして、これで事件解決?
それにしては、変な聞き慣れない単語で会話してたな。
(不思議な人もいるもんだ)
<続>