【7章】恋敵へのプレゼント
7章 恋敵へのプレゼント
「あー···、これ本当邪魔だわ···」
コナツはげんなりして胸に咲いた氷の花を見つめた。
黒いドレスからはだけた胸に、薄い氷の花が咲いている。指先で突けば、氷の花の冷たさに顔をしかめざる得ない。
使用人用のトイレの中で、コナツは便器の上に蹲りながら、大きなため息をつく。皇宮では、貴族の侍女用と、使用人専用トイレは別れており、使用人用のトイレは明かりが少ない。
(無理やり取ったり、割ったりしたら死ぬっていう報告があがってるのよねぇ)
無理矢理に氷の花を胸から剥がすことも考えたが、既にそれで死んでしまった少女がいるらしい。もし自分の胸にある氷の花を引きはがしたり、割ったりしたらと思うと、コナツはゾッとするしかなかった。
(とりあえず、図書館で調べてみようかしら。同じような症例がないかどうか)
今自分にできることを考える。
せっかく皇帝直属で、自分の病について調べることができるのだ。
皇宮の図書館に行き、氷に関係するピロスを調べよう。他にできることといえば、氷の花の患者に会うとかだろうか。病にかかった少女たちの共通点を調べることも、必要だろう。
「コナツ様、皇帝陛下が呼んでいます、です!」
トイレの外にいるセゾンが、大きな声を出し、遠慮がちに扉を叩いてきた。見えてはいないとはいえ、慌ててコナツは胸を隠した。
「はーい!すぐ行くわよぉ!」
コナツは身支度を整え、セゾンと共に玉座の間に戻った。リオはずっと玉座の間にいることが多い。大使の謁見、臣下達の会議に続いて、一日中玉座の間で皇帝の仕事をしなければならない。
「リオ様、失礼いたします」
コナツはセゾンと共に玉座の間にに入室した。
「ああ、コナツ、手伝って下さい」
玉座には座らず、リオは階段に腰かけていた。クロノスの姿はない。玉座の間にいるのはリオと、控えている黒い肌の側用人だ。
「クロノスはどちらに?」
彼も四六時中リオの傍に侍っている訳ではないが、基本は一緒にいるはずだ。
「皇宮の図書館に行きましたよ。氷の花について調べるそうなので、私が許可を出しました」
クロノスも氷の花について、最初は図書館で調べようと思ったのか。自分も後で合流しようと考えながらも、コナツはリオに対して首をかしげて見せた。
「何をしておいでなのですか?」
コナツはリオに近づく。彼は、階段に色とりどりの布を広げていた。赤や蒼、緑色に桃色――上等な布地の柄は、花や蝶をあしらった女性的なものばかりだ。
「エレニに贈る服の布地を選んでいたところです」
「エレニ様?」
「はい。彼女が後宮入りしまして、私に挨拶と贈り物をしてくれたんですよ。パパドポロスにお返しはドレスが良いんじゃないかと助言を受けまして、布地を選んでいたところです。一緒に選んではくれませんか?」
何気なくリオは言ったが、コナツは顔に感情が出ないようにあえて努めなければならなかった。
わかっていたことである。エレニが後宮入りしたと言っていたのだから、嘘を言っているはずがないのだ。
(わかっていたことだったけど、本人から言われるのは)
コナツは小さく唇を噛む。想像できたこととはいえ、コナツは努めなければ冷静を装えない。
「皇帝の仕事で、女性のドレスの生地選びなんてものもあるんですね」
リオは自らの腕に桃色の布地をかけ、面白がるように見つめた。桃色の布には黄色い蝶が刺繍され、とても可愛らしい。少女趣味の布地は、きっとエレニに似合わないだろう。
「エレニ様が、後宮入りをされたんですね」
「ええ、ずっと後宮を空にできないとパパドポロスが無理矢理入れたようですよ」
パパドポロスが、リオとエレニを繋ごうとしているのか。
リオが皇帝になってから後宮は空だった。先帝には1人の皇后と、6人の側室がいた。それぞれ1人ずつに子供を産ませ、7人もの子宝に恵まれている。
後宮とは、次の皇位継承者を産むために必要なシステムである。リオだって元々は側室の子供として皇宮で産まれ、スモリペン島で育ったのだ。
「面倒臭いですよねぇ」
リオは優艶な笑みを浮かべ、生地を撫でて言った。
「···リオ様」
大使に対しての言葉でもなく、臣下達に対しての言葉でもない。
彼の本音に、コナツはホッとした。
政治方針を話す皇帝ではなく、本音を漏らすリオである。優艶な笑みは、いつも通りだ。
「まだ私には、やるべきことがたくさんあります。それが後宮とか、皇后候補の女性にドレスを贈れとか、面倒臭いですよ。まだ必要ありません」
リオがエレニが後宮入りしたこと、そして彼女にドレスを贈ろうとしていることを面倒臭がっていることがわかった。
彼はまだ後宮に誰か入れることは必要ないと、思っている。コナツはそれがわかるだけでも、少し気が楽になった。エレニには悪いが、リオのその気がないことが少し嬉しい。
「リオ様は皇帝になるのなんて面倒臭いと言っていたのに、随分仕事熱心になられたんですねぇ」
元々リオは皇帝になる気はなかった。それが今では自分で議題をあげ、皇国の方針を決めているのだ。皇帝になる気はないと言っていた皇子時代とは、えらい違いだ。決して皇子時代に怠けていた訳ではないのだが、彼は7人兄弟の6男として皇位継承などありえないと悟りきっていた。
「それを言うなら、あなただって仕事熱心になりましたね。氷の花の調査をやりたいと申し出てくるとは思いませんでしたよ」
「···あー、だって少女が死んでしまうなんて可哀想じゃないですか」
「そうですね、同感です。心優しいあなたらしい」
リオは桃色の布地をばさりと階段下に落すと、他の布地を手に取った。闇より深いような漆黒の布地である。布地には、細かな白い花弁が散っている。
「リオ様、黒の布地なんて若い女性には不似合いですっ」
黒い布地を奪い、セゾンに渡す。
若いエレニには、漆黒のドレスは不似合いだ。
「そうなんですか?コナツは黒い服を着ているじゃないですか」
「あたしは側用人だからです。若い貴族の女性はあまり黒は着ませんね。まぁ···布地は漆黒でも、白いレースを散らせば若者向けになるかもしれませんが、エレニ様には赤がお似合いになると思いますよ」
エレニの輝かしい金髪には、赤色のドレスが似合うだろう。階段に広げられている燃えるような赤色の布地を拾い、肩にかけて見た。濃い赤色は美しく、肌触りは絹のように滑らかだ。着心地も良いだろう。
「若者向けかどうかは分かりかねますが、黒いドレスも、その赤いドレスも、コナツには似合うように見えますけれどね。あなたは黒い髪が綺麗な分、よく似合います」
リオは自分の頭に、触れた。癖のある黒髪を撫でられる。
よく彼がすることだが、毎回されていても慣れることはない。
(またそういうことを···っ)
反応してしまう自分の早くなる鼓動をおさえたくて、さっとコナツは後ろに引いた。
「あ、あたしのことは良いんです!良いですか?エレニ様にお贈りするのはこちらでっ!」
赤い布地をリオによく見えるようにし、コナツは大きく叫んだ。
リオは頷く。
「コナツに任せますよ、あなたは適切にプレゼントを選んでくれるでしょう」
「じゃあ、こちらにしましょうっ!」
リオの命令を聞き、雑用をこなすことが本来コナツの仕事である。政治の話よりもこういった仕事の方がリオ以外に気を遣うことがないため、正直楽だ。
「···この布で、ドレスを作って!胸元にビーズをあしらって、腰の装飾には銀糸を使うと良いでしょう。他の布は片付けなさいっ」
「かしこまりました、です」
セゾンが恭しく頭を下げると、すぐに周りの使用人も使って部屋を片付け出す。リオは階段から立ち上がる。
「リオ様も、またご衣装を準備しないといけませんね。また近く晩餐会もありますから」
「晩餐会ですか···こうも多いと面倒臭いですねぇ」
皇帝の公務とはいえ、リオはいつも晩餐会などの貴族の集まりを面倒臭がる傾向にあった。
皇帝になってからは皇宮で開かれる晩餐会も圧倒的に増えた。自分たちが過ごした島では半年に一度開かれるかどうかだったのに、まるで状況が違う。
(きっと今のタイミングでドレスを贈ったら、エレニ様は晩餐会で着てくるんだろうなぁ。後宮に入られたことだし)
コナツは1年前から晩餐会に出席するようになった。貴族のように着飾りはせずに、会場の片隅で他の側用人たちと同様に控えているだけだ。
一見きらびやかな晩餐会だが、実際には皇帝であるリオに媚びへつらう貴族たちが来るだけだ。
でも、エレニはきっとリオには媚びない。快活な彼女はリオの隣に、毅然と立つだろう。
自分が選んだ、美しいドレスを着て。
「ついでに、晩餐会の私の衣装も選びましょうか。コナツ、頼めますか」
「そうですね。···男性向けの生地をいくつか用意してっ。あたしとリオ様で選ぶわ」
セゾンに言いつけると、彼女は床に広げていた生地を丸めており、「はいっ、です!」と言って玉座の間から急いで出ていった。