【5章】パパドポロスと皇帝の弟・カイ
5章 パパドポロスと皇帝の弟・カイ
「それでは、本日の会議を始めましょうか」
初老の男性が、玉座の間にて言い放つ。
彼は、白銀の髪と長い髭の男性だった。ゆったりとした穏やかな声音は、誰もが聞き取りやすい。声音からも穏やかそうな人物であることは理解できるが、悠然とした態度から、彼の威厳さが見て取れる。
会議の開始を告げたことで、彼が皇帝陛下から重要な職を与えられているのがわかる。他の臣下達とは明らかに違う、灰色のローブを身にまとっている。
コナツは、リオの左脇から、階段下にいる臣下達を見下ろした。リオは玉座、その右脇には当然のようにクロノスが侍っている。
ピロス部屋にタロウを連れて行った後、コナツは玉座の間へ戻ってきた。
(リオ様、エレニ様と何をお話しになられたのかしら)
もうエレニは玉座の間にいなかったが、リオはどうエレニと話したのかが気になる。無論、自分からリオにそんな質問をすることなどできない。
「ありがとうございます、パパドポロス」
リオはコナツの気持ちなど知らず、階段下の臣下達を見下ろしていた。
パパドポロスと呼ばれた初老の男は静かにリオを見ると、かしこまって頭を下げた。合わせて、階段下に集められた臣下達は頭を下げる。
(皇帝陛下の御前で会議しなくちゃいけないなんて、大変よねぇ)
コナツはどこか他人事で、階段下の臣下達に目を向けた。
グリックラン皇国の慣例らしい。皇帝の前で会議をし、皇帝から意見を賜る。それも毎日同じ時間に会議は設定されており、臣下達は毎日皇帝と顔を合わせなきゃいけない。歴史上、会議をサボっていた皇帝も存在したらしいが、リオはかかさず毎日出席している。
「本日は2点ほど、私からも議題を提示させて頂きます」
リオは優しい笑みを浮かべたまま、言った。臣下達が、身構える。
しかも、彼は当然のように議題を提示してくる。
本来ならば皇帝は聞き役に徹し、臣下から意見を求められれば応えるものだ。彼はいつも気になる議題を提示し、臣下達に適切な命令を行う。
「まずは1つに、今後、我が国が抱える魔術師軍を削減する方針をたてたいと思います」
「え?」
これには、右脇にいるクロノスも驚きを隠せなかった。彼の真顔は変わらなかったが、彼の低い声が驚きを隠せていない。
「魔術師軍を削減ですか。先帝の時も、そのような話が持ち上がったことはありましたな」
パパドポロスは穏やかな口調で、思い出すようにして言った。
彼は至極落ち着いているが、彼こそがグリックラン皇国の魔術師軍の筆頭である。
限られた才能を持つ者だけで構成された魔術師軍。
彼は先帝の時代からずっと魔術師として皇帝に仕えている。
「皇帝陛下は魔術師軍の削減を、どのようにお考えになられたのでしょうか?」
「限られた才能を持つ者を、皇宮だけが占有するのはどうかと思っています」
「それは、皇帝陛下をお守りするのに必要なことです。ウェールズ連邦など、魔術師の数は我が国の3倍はおります」
パパドポロスは穏やかだ。若い皇帝の考えを読み取るようにしている彼に対し、リオは飄々としている。
(確かにウェールズ連邦は魔術師の数は多い。本場だもの)
コナツにも、リオが何故このような方針を考えたのか、わからない。わかるのは、ウェールズ連邦は戦争でも強く、魔術師の数も多いと聞いている。リオの考えがわからず、黙ってコナツはリオとパパドポロスの話に耳を傾けた。
「私は、魔術師の数を削減する代わりに、オーブルチェフ帝国から銃の輸入を考えています。かの国の銃は品質が良く、最近ウェールズ連邦との戦争でも圧勝したと聞きます」
「オーブルチェフ帝国の銃、ですか」
パパドポロスを初めとして、玉座の間にいる者は目を丸めた。
オーブルチェフ帝国とは、北にある大国のことである。領地は広大で、南下政策を行っていることでグリックラン皇国にとっても脅威を感じる国だ。
「ええ。力に個人差がある魔術よりも、銃の方が、兵力の増強が行えます。最初は輸入だけになりますが、ゆくゆくはオーブルチェフ帝国から技術者を招いて国産の銃作りを行う学校を開校すべきと考えています」
リオが生き生きと語っている。他の臣下はついていけていなかった。
魔術は最強である。戦争に強いウェールズ連邦は魔術によって南国や他の大陸に植民地を広げている。銃に殺傷能力があるのは皆が認めるが、天賦の才能である魔術に適うわけがないというのが共通認識だった。
何より南に植民地を広げているウェールズ連邦が、そうだったからだ。
しかしリオの言う通り、オーブルチェフ帝国がウェールズ連邦を打ち破ったのは事実である。
「反対だね」
臣下の中の1人が、毅然とした声で言った。
皇帝に対して不遜な口調だ。臣下の中で声をあげた青年に、誰もが目を向けた。しかし彼を見れば、「不敬である」とはコナツも言うことができなかった。
カイ・バシリカ・グリックランは、事実上皇帝の次の権力者だからだ。
「オーブルチェフ帝国から銃を輸入?前例がないことは止めて欲しいな、兄さん」
リオの唯一の弟であるカイは微笑を浮かべ、兄であるリオに対して言った。
彼は、端整な顔立ちをしていた。リオと異母兄弟ながら、兄に負けず劣らずの器量良しである。線が細く、男性ながら女性的な美しさを感じさせる。その顔立ちや、身体的な特徴からは、リオの弟だとわかる者はいないだろう。彼とは美しさの種類が全然違う。
艶のある短い黒髪と、新緑を思わせる緑の瞳も、リオとは似ていない。
彼の裾の長い黒衣には、胸にはグリックラン皇国の家紋である赤いドラゴンの刺繍が施されていた。
「カイ、前例がないことをしてはいけないという法律はありませんよ」
あはっとリオが笑い、カイを見据える。弟であっても、リオの丁寧な口調は変わらない。
「オーブルチェフ帝国はいつ攻め込んできてもおかしくない国だよ?敵国も同然。軍を任されている立場からしても反対するよ」
カイは、軍の宰相の役職についている。7人兄弟の末っ子として生まれたが、リオの即位と同時に臣下におろされた。
事実上、皇位を失っているのだ。
オーブルチェフ帝国が攻め込んできてもおかしくないと言うが――彼は元々オーブルチェフ帝国に隣接している領地の統治権を持っているため、そう感じるのだろう。
「国境付近で睨み合っているだけで敵国呼ばわりとは、早計すぎますね。外交上の参考意見として、取り合うにも値しません」
コナツも感じていたことだが、リオも同じ考えだったらしい。
確かにオーブルチェフ帝国は国境付近に軍を配置しているし、油断のならない国であるとは思う。それでも、まだ何かをされた訳でもない。
カイは、眉を吊り上げた。軽薄な笑みを浮かべ、リオと目を合わせる。
「兄さんは随分オーブルチェフ帝国の肩を持つようだね。母親が帝国の血を継いでいるから?オーブルチェフ帝国贔屓だね」
「なっ」
「――って臣下から影で言われても、おかしくないんじゃないか?急な方針変更は臣下に疑念を持たせるよ」
軽やかに、カイは言った。
嫌味な言い方だ。コナツは思わず声を出してしまった。リオが手で、止すようにと合図を出してくる。
(いつもいつも、カイ様はリオ様に盾突くんだからっ)
カイは涼し気な顔をし、皇国の絶対権力者である皇帝を侮っているような態度である。
確かにカイの言う通り、リオの母親であるガリーナ・イワノフはオーブルチェフ帝国の帝室の血を継いでいる。つまりは、リオはオーブルチェフ帝国帝王とは親戚関係にあたるのだ。
(リオ様が皇帝になったのが、そんなに気に入らないわけぇ?カイ様だって皇子の中では末っ子で、皇位継承なんて無理だったはずなのに)
皇子たち7人兄弟のうち5人は、皇位を争って死んでいった。リオとカイだけが生き残り、兄であるリオが跡を継いだ訳だが―――カイは、リオが即位してからずっと気に入らない様子に見えた。
「私のことは、何を言われようと構いません。銃の輸入は必要と思うから議題にあげさせて頂きました」
リオはカイに対し、何にも感じていないようだった。カイに何を言われても、リオは怒らない。
彼が人に対して怒るということは、滅多にないことだ。
「他に意見はありますか?皆様方」
カイ以外の臣下に話を振ったようだが、誰も何も言わなかった。今のリオとカイの前では意見など言いづらいのだろう。
「では私が臣下達の意見をまとめて、後ほど皇帝陛下へお伝えいたします。よろしいですかな?」
他の臣下達が黙る中、パパドポロスはまとめるようにして言った。他の臣下達のことを気にし、兄弟の間に立つようにしたのは、流石というべきだろう。
(さすが先帝の皇帝付き魔術師。ぶれない)
「いいでしょう。皆さんの意見を聞きたいので、パパドポロスがまとめてくれるのを待ちます」
「では、次の議題にいきましょう。皇帝陛下が気にされているもう1つのこととは、何でしょうか?」
パパドポロスは次の議題を促す。
「氷の花という奇病についてです」
(えっ)
リオが静かに言った。コナツは驚いて胸に触れかける。
「胸に氷の花が咲くと、30日間で死に至るという奇病です。若い少女達だけがかかる病だそうですが、医師では治療法がわからないそうです」
氷の花の奇病。
人から人に病が伝染るということもなく、若い少女だけがかかるという病。
グリックラン皇国内で流行っていることが、ついにリオの耳にも届いたのだ。
コナツはごくりと固唾を呑み込んだ。
「この病は、ピロスの仕業である可能性が高いと思われます。医師も治療法がわからないですし、患者はグリックラン皇国内に広がっている、そして若い少女にだけかかるという点が、ピロスの仕業ではないかと考えられます」
「私も気になっておりました。そうですね、他国の魔術師による攻撃なのかとも疑いましたが、魔術では不可能な感染の広がり方です」
パパドポロスが同意するように頷いた。
魔術では不可能。
魔術には制限があることを、魔術師軍の長であるパパドポロスは理解していた。
魔術とは、魔術師の視認できる範囲でしか魔術を使うことをできないからだ。
「いや、ピロスの魔法でも不可能ではないかな?こんな、広範囲な感染は」
カイが言った。
ピロスは魔法を使う。
しかし一概にピロスだから絶対的に魔法を使えるかと言われれば、そうではない。個々の特性によるのだ。それも魔術師が使う魔術のように、ピロスの視認できる範囲内でしか魔法を使えないというのが、一般的である。
「広範囲の魔法が使えるピロスは、500年前に大陸全土の民に呪いをかけ、滅ぼされた魔女くらいだろう。そういうピロスはとっくに滅ぼされたはずだ」
そう、カイの言う通りだ。
昔のピロスだったら、個体が視認しない範囲でも魔法を使うことができるものもいた。おとぎ話で出てくるようなピロスがそうである。カイが話した魔女のことも、おとぎ話として語り継がれながらも現実で起こった話だと聞いている。
「広範囲魔法が使えるピロスは、過去に滅ぼされましたからなぁ」
パパドポロスが首をひねり、自らの顎から生えた髭に触れた。髭を梳かすような仕草だ。
「考えられるのは、広範囲魔法が使えるピロスがまだ生存していた可能性。または数がいる可能性ですね。若い少女だけに病をかけているピロスに数がいた場合、理論的には魔術師にも可能は可能ですが」
クロノスが冷静に分析した。リオが首をかしげる。
「パパドポロスが否定した、魔術師の仕業の可能性もあるということですか?」
「可能性は薄いです。先ほど皇帝陛下が仰られた通り、魔術師には個人差があります。若い少女にだけ、平等に30日間の余命を与えることはできません。パパドポロス様がかけたら30日になり、私がかければ40日間の余命になる――魔術は、力に差があるものです。そもそも、氷の花が咲くような魔術なんてものは俺が知る限りありません」
魔術には、個人差がある。
パパドポロスは強い魔術師だと聞く。コナツから見てクロノスも優秀な魔術師だと思っていたが、パパドポロスとは差があるとクロノスは自負しているのだろう。
「魔法であろうと魔術であろうと、若い少女達が死んでしまうなんて痛ましい話です。原因の解明、問題の解決を、皇帝として命じます」
リオが命じてくれたことで、コナツは少し気分が晴れた。
(やった!もしかしたら)
皇宮の魔術師が原因究明してくれる――暗い道に一筋の光がもたらされたような気分だ。
「では、魔術師を各地に派遣して調べさせましょう。ちょっと、そこの···」
パパドポロスはかしこまって言い、控えていた使用人を手招きで呼び寄せる。いちいち使用人の名前を覚えていないのだろう。反対などせず、従順にリオの命じた通りに事が運ぶかとーー思われた。
「先ほど魔術師の削減を要求したくせに?それは都合良いんじゃないかなぁ、兄さん」
が、カイが軽薄な笑みを浮かべたまま、言い放った。
ひくり、とコナツは口の両端を吊り上げる。
(こいつ、また···)
余計なことを言わなくてもいいのにーーと胡乱な目でコナツはカイを睨んだ。
「まだ死者が何万人と出ているわけじゃない。現段階では、魔術師を使うほどではないんじゃないかな?」
現在確認できる範囲でも、死者は100人にも満たない。カイの言う通り、小規模ではある。
(でもだからといって無視できる規模でもない。しかも···っ)
コナツは、先程の議題のように後日臣下の意見を取りまとめることになるのを恐れた。毎日同じように会議は行われるが、今のコナツにとっては1 分1秒でも惜しい。
(あたしには、悠長に待ってる暇はないんだもの···っ)
「しかし、この件はピロスが見える者じゃないと対応できないでしょう。ピロスが見えないのでは···」
パパドポロスがカイに反論する。
ピロスが見える者じゃないと···?
コナツはパパドポロスの言葉に食いつくようにして、手を上げた。
自分の右にいたリオとクロノスが、瞳を自分に向ける。
「じゃあ、あたしが調べます!」
「コナツ?」
リオが目を丸め、コナツを見つめた。自分が何故挙手したのか、真意を探ろうとしているようだっだ。
「あたしならピロスが見えますよ!それに魔術師の無駄遣いにもなりません!」
「皇帝専属の文官が調査を?」
他の臣下を始め、パパドポロスも訝しげではあった。特に、カイに至っては怪訝に自分を見ていた。どうして皇帝専属の自分が、このタイミングで挙手をしたのか。
「···まぁコナツは、適任でしょうね。役職は文官ですし、私に即時報告もできます。ピロスも見ることができますしね」
「はいっ!リオ様にすぐに報告しますよ!」
リオは自分が適任だと思ってくれているようだ。
これなら――自分は公務中に氷の花について調べることができる!
「あとは···クロノス。あなたもコナツに協力しなさい」
「···え?」
リオの顔がクロノスに向けられた。まさか、話がクロノスに向けられるとは思わなかった。
「···はっ、俺ですか」
「魔法や魔術の知識がある者も一緒に調べるべきです。どんな危険があるかもわかりませんからね。あなたも一緒に調べてください」
「皇帝陛下のご命令とあれば、喜んで」
クロノスは頭を下げた。リオから命じられたことに対し、彼は従順であった。
「では、氷の花の調査をコナツとクロノスに命じます。早期に問題を解決してください」
「かしこまりました!」
コナツは元気よく答えた。
(クロノスは予想外だけど···まぁ氷の花について調べられるなら、いいわ)
自分が調査ができるなら良い。公務中に調査ができるとなれば、限られた時間も有効に使うことができるだろう。膨大な書籍を有する皇宮の図書館も、堂々と使うことができる。
(あたしは氷の花の治し方を知らなきゃいけない。だって···)
自分の胸には、氷の花が咲いているのだ。
胸に咲く氷の花は自分の胸を冷やし、温度を奪う。昨夜咲いてしまったものは夢などではなく、現実である。無情に咲いた花は、自分の寿命があと29日であることを告げていた。
これが胸に隠されているのは、自分と医師しか知らない。
(絶対あたしは、死なないんだから···リオ様にご恩を返すまでは···っ)
氷の花が咲いた胸に手をやりながら、コナツは誓った。