【20章】氷のピロス
20章 氷のピロス
「こんにちは、人数分、飲み物を一杯もらえますか?」
リオは酒場に入ると、生き生きとした笑顔で言った。皇帝として玉座にいる時よりも、ひどく楽しそうであった。
人が座っていないカウンターの奥には細身の老女がおり、グラスを拭いていた。白髪の彼女はリオを食い入るように見つめ、「···はいよ」と渋々といった感じで動き出す。彼女と同様に、店内にいた3人の男達も、リオのことを訝し気に見ていた。丸いテーブルに彼等は座り、リオの次に、自分やセゾンを見た。セゾンも同じように視線を浴び、恥ずかしそうに顔を俯かせる。
「異国の人かい?」
「帝都から観光に来たんです。皇国が開国した土地を見たくて」
老女の問いに、リオは答えた。自分達が普通でない団体であると老女は思ったらしく、まだ不審がっているようだった。
「そうなんですっ!さっきそこで石碑も見たんですけど、あれって開国に関するものですか?」
コナツはリオが言った設定に乗っかった。店の者は自分がグリックランの言葉を喋れることに驚きつつも、石碑?と不思議そうにしていた。
「石碑ってあれかい?そこの通りの」
「昔からあるよな。だいぶ昔のピロスらしいけど···」
「俺もじいちゃんから聞いたことがある」
集まっている男達も話に混ざってくる。男達の言葉の中で、コナツ達が聞き捨てならないことを言った者がいた。
「ピロス?あれは昔のピロスのものなのか?」
クロノスが訊いた。
「ああ、昔のピロスの詩だとか」
「人語を喋るピロスということか?いつの時代の?」
「いつの時代かぁわからねぇけど···」
(詩を詠むピロス?人語を喋れるタラコスにだってできなかったのに···)
詰問するようなクロノスの口調に、男達がたじろいだ。詩についての情報を、自分達は今まで得られなかった。やっと掴んだ情報に食いつきたくなる気持ちを、コナツはよくわかる。
「面白いですねぇ、とても興味が湧いてきました。もっとお話を聞かせて頂けませんか?」
リオは老女や男達の話を、輝く瞳で訊いた。彼は氷の花に関する調査というよりか、ピロスの話だから強い興味があるのだろう。
「ぐっ!ぐっ!」
「何よ、タロウ」
タロウが声をあげたが、小さな声音で、老女や男達には聞こえていないようだった。タロウの存在にも気が付いていないようだ。
(え、あれ)
先ほどの石碑の半分しかない小ささの何かが、赤い液体が入った大きなビンを持って店の中から抜け出した。
「ぐっ」
「えっ、タロウ!」
タロウはビンを持った何かを追って、コナツの腕の中から飛び出していった。勢いよく飛び出したタロウを追いかける。
「コナツ?」
「タロウ追いかけてきますっ!」
コナツも店内から飛び出し、店から出た。タロウは太った身体に似合わず、乾いた土地でダッシュしていた。
「待ちなさいよっ!」
大声を発しても、タロウは止まらない。コナツはタロウをひたすら追いかけた。リオを置いてくるのが嫌だった。魔術師のクロノスがいるのだから大丈夫だろうか。
それに、タロウはリオのお気に入りのピロスだから逃がすわけにはいかなかった。
タロウは閑散とした街中を走り抜けた。街の外に行くと、壊れてしまった遺跡があった。皇宮にあるものと同じ様式の柱が、一定の間隔をあけて建ち並ぶ。根元を残して壊れてしまっている柱もあった。
「ぐうぅっ!」
「いてぇっ!」
昔日の遺跡を走り抜け、タロウはあるものに勢いよく飛びついた。コナツは呼吸を荒げ、やっと止まってくれたタロウに近づく。全速力で走ったせいで、喉がひどく乾いていた。
「あんた···ドワーフ?」
タロウが組み敷く何かを見たくて、コナツはかがんだ。手足が短い小人のような人だった。茶色の髪に、同じ色の長い髭。緑色の服はまるで人形のようだった。
実際のドワーフを見たことがなかったが、本で読んだドワーフと酷似していた。
ドワーフは、酒瓶を大事そうに抱え込んでいる。赤い液体が入った瓶を守るように、ドワーフの身体全体で受け止めていた。
「えっ、何じゃ?わしが見えるのか?···魔術師か···?」
ドワーフは顔をあげ、コナツをしげしげと見つめた。自分の姿のようなものを珍しがっている風でもある。
手を伸ばせば、タロウはまた自分の腕の中に戻ってきた。「ぐっ!」と言い、満足気である。
「あたしはあんた達みたいのが見えるだけ。何よあんた、酒盗んでたの?」
酒場にいた人々はピロスが見えないようだった。もし彼等にピロスが見えていたら、間違いなくヤマトから来た風変わりなピロスに反応していたことだろう。
「ぬ、盗んだ訳ではない。ちょっと、借りただけじゃ」
「いや絶対それ盗んだでしょっ。駄目よ、人間のものを盗んじゃっ!」
「か、返せっ!」
コナツはドワーフが持ってた瓶を取り上げた。
コナツも身長は小さい方だが、ドワーフはぴょんぴょんと跳ね、コナツが手に持つ瓶を奪い取ろうとする。
(ドワーフ···石碑を詠んだのはピロスってさっき言ってたっけ···)
「あんたもしかして、詩を詠んだりする?あの石碑って···あんた···?」
ピロスが石碑の詩を読んだと、酒場の男性が言っていた。
目の前のドワーフも人語を話せるようだし、詩を詠んだ可能性があるのではないかと考えた。人語を喋れるピロスは珍しい。
「わしか?わしは、詩など読まん。あの石碑は、ルイーズが詠んだものじゃ」
ドワーフはぶっきらぼうに言ったが、コナツはずいっとドワーフに顔を寄せた。
「ルイーズって、誰?あんた、あの石碑について知っているなら、教えて。あたしは皇宮から調べに来たのよ」
石碑を詠んだピロスのことを、ドワーフは確実に知っている。確信をもって、コナツはドワーフに詰め寄る。折角会えた彼から話を聞かなければと、コナツは真摯に彼を見つめる。
「皇宮?···まさかお前、皇帝の使いかっ!?」
ドワーフは、コナツのことを驚いて見つめた。彼が何故驚くのか、そして「皇宮」という単語に、敏感に反応するドワーフが奇妙に見えた。
「えっ···あたしは皇帝専属の文官だけど···」
「ようやく···ようやく迎えが来たのか!」
「迎えに?いや、あたしは」
「ルイーズはずっと皇帝を待っていた!早く来いっ!」
赤い液体が入った酒瓶を落しても、ドワーフはそんなものなどどうでも良いとばかりにコナツの服の裾を掴み、引っ張った。引っ張られるままに、コナツは戸惑いながら彼の後についていく。
(皇帝を待っていた?リオ様を待っていたということ?)
古都の遺跡から少し歩いた所に、洞窟があった。地面を掘って、人工的に作られた洞窟なのだろう。自然にできた洞窟と違い、綺麗に掘られている。先ほどの遺跡と同じ素材で作られた像の破片などが地面に散らばっていた。
天井から、水が落ちてきた。
「ぐっ」
タロウがまたコナツの腕から飛び出し、洞窟の奥の”それ”の近くに着地する。水が落ちてきた天井をコナツが見上げると、凍っていた。
「氷の···ピロス?」
コナツは信じられないように、それを凝視した。
洞窟の奥にあったのは、氷の塊だった。
乾いた地面の上に鎮座した氷の中には、短い銀髪の少女が、母体の中の胎児のように身を丸め、眠っていた。深く閉じられた瞳は自分達が近づいても起きる気配はない。
少女は人間ではないと、コナツは思った。彼女の髪や、彼女が眠る氷を守るようにして、コナツの胸に咲いた氷の花が、幾重にも重なるようにして乱れ咲いていた。薄い氷の花は、間違いなく自分の胸のそれと同じだった。
少女の年齢は、コナツと同じくらいだろうに見えた。
深窓の令嬢のように線の細い彼女の顔は綺麗で、氷の花さえなければ、どこかの令嬢なのではないかと思わせる。
「何なの、このピロスは···」
氷に近づこうとするタロウを抱き、コナツは少し後ずさる。近づくだけで、冷気が漂ってくるのがわかった。
「皇帝が後宮に入れると約束したピロスだ」
「···えっ!!」
初耳だった。
ピロスが好きなリオだが、そんな話は一度も聞いたことがない。島の時代から一緒にいる自分でさえ――。
「待ってよ、リオ様がそんな約束をしたの?ピロスを後宮に入れるだなんて、あたしは聞いたことないわよ」
「リオ?」
ドワーフは不思議そうにした。
話がかみ合わなかったことに、自分とドワーフは共に驚いた。
「グリックランの皇帝は、ニコラオス様だろう?」
「皇帝陛下は、リオ様よっ!ニコラオス様って、1000年前の」
(グリックラン皇国の開国時の皇帝よね)
コナツはこの何日間かで調べていたことを思い出す。
「リオ?お前は、ニコラオス様の使いじゃ、ないのか」
ドワーフの瞳に、明らかな失望が宿った。
コナツは彼の目を見て、とても自分が悪いことをした気分になった。彼はニコラオスの使いが来ていないことを心の底から残念がっている。
「···あんたは何を知っているの?」
ドワーフは、この氷の中に眠る少女、ルイーズのことを知っているようだった。本にも掲載されていないピロスのことを知っている彼は貴重である。
彼から話しを聞かなくては、氷の花の正体を突き止められない。
「我が一族は、ルイ―ズに頼まれて、一緒にいるものだ」
ドワーフは、神妙な面持ちで、話し出した。




