【序章】余命は30日です。
序章 余命は30日です
「あなたの余命は、あと30日です」
余命を宣告され、言葉を失うしかなかった。
黒髪の少女は、ベッドの上で半身を起き上がらせた状態で硬直していた。
黒い瞳を見開き、神妙な顔をする初老の男を見つめる。
いくら男を見つめても、男は嘘だとは言わなかった。辛そうに眉間にシワを寄せ、首を横に振る。男は、自らの髪と同じ色の白い髭を指先でいじっていた。
彼は医師である。白衣を着ており、ベッドの横に置いてある椅子に腰掛けていた。
窓の外は漆黒の闇夜に閉ざされていて、城下の街の明かりも少ない。店が開いているような時間でもないからだ。
「なん···?は···?」
「誠に、残念です」
少女は、言葉を押し出そうとしたが、初老の男が声を被せてきた。
医師は、余命を宣告することに慣れているのだろうか。少女の動揺とはよそに、彼はひどく落ち着いていた。
「この奇病にかかる若い女性は多いんですよ···」
(奇病、ですって?)
少女は眉を吊り上げ、自らの左の胸に触れた。自分の指先に力が入らなかった。
少女の左肩から胸にかけて斬り傷がくっきりと残されている。鋭い刃で斬ったような跡は、昔のものだろう。傷は塞がっている。
少女の手は傷跡を通り過ぎ、冷気を発する胸の“それ”には確かに触れた。
左の胸だけはだけさせたパジャマから見えるのは、氷の花だった。
6枚の薄い花弁を持った氷の花。
薄い花弁は、力なく触らないとすぐに折れてしまいそうだった。
厚みがないことに不安感を覚えるほど繊細な花を撫でると、指先がじんわりと痛みを覚える。
「見た目通り、氷の花の病と言われています」
医師は言った。
氷の花の病ーー名前や、姿は美しい。
氷の花の姿はとても美しいけれど、それが咲いた時から、少女の左胸は冷たさに痛みを感じていた。
鋭い痛みというよりは、時間をかけてじわじわと蝕まれるような痛みだ。
「この花が咲いたら30日で死に至ります。薬はなく···発生原因も、治す方法もわかっていません。何もかも未知の病で···」
「···ざ···」
「誠に、残念です」
重ねて、とても残念そうに医師は言った。自分が口を開こうとしたのに、神妙な面持ちで言葉を重ねてくる。
その態度に、少女は口をへの字に曲げた。
ーー呆然としていた少女の黒い瞳に、ギラリとした光が灯る。
「···ふざけないでよ」
「わかります。お若いのに···」
「あんた···ざけんじゃないわよ···っ!!」
「···へ?」
少女が腹の底から唸るように声を上げると、医師がぽかんと口を開けた。少女の大きな黒い瞳が、呆けている医師を鋭く睨む。
愛嬌のある可愛いらしい顔をした少女の顔が、怒りの顔つきに変わる。
「あんた医者でしょぉ···?何をさじ投げてるのよ···!?」
「え···」
「30日の余命があるなら、調べなさいよ!『あなたの余命は、あと30日です』で済ませんじゃないわよっ!!」
医師は、ムッとしていた。
無理もない。医師は特権階級である。
例え自分が皇宮に勤めていようと、自分とは、格が違う。
それは自分の黄色の肌を見れば明らかだろう。医師の肌もそうだが、この国の多くの人々は透き通るような白い肌の人間ばかりだ。
自分の黄色の肌は、東の国から連れてこられたということを意味する。
「“ピロス”の仕業ではないかという疑いはありますが···本当に何もわからないんです!」
医師は声を張り上げる。自分にきつく言われて苛立ったのもあるだろう。仕方ないだろうとは言いたげな態度に、少女はまた腹が立つ。むくむくと、焦りと苛立ちが募る。
ーー余命30日だと?
(“ピロス”の仕業ではないかって···本当に何もわかってないんじゃない···!)
少女は拳を握りしめる。
「ふざけないでよ···あたしはまだ···死ぬ訳にはいかないのよ···!」
医師は、少女に対して哀れみの目を向けていた。無礼な態度を取られたことに医師は怒りを覚えながらも、余命を宣告された少女を気の毒とは思っているようだ。
例え、少女が奴隷であろうとーー。
(まだ死ぬわけにはいかない···)
そう、少女はまだ死ぬわけにはいかなかった。
(皇帝陛下のお役に立たなきゃ···)
少女が考えているのは、たった1人の男性のことだった。
幼い頃から仕えている主人のことを思うと、胸に咲いた氷の花が痛みを訴えてきたような気がした。痛む胸を、少女はそっとおさえる。
きっと、これは氷の花だけが原因ではない。
少女は、この国の皇帝のことを思い出す。
(まだ恩返しができていない···リオ様に、まだ何も返せていない···っ)
やっと、この皇宮に暮らし始めて1年になる。皇子時代から仕えてきた彼が即位し、たった1年だ。
(1年程度で返せる恩じゃない···!リオ様···!)
少女は、ぎゅっと唇を噛みしめる。
死の恐怖よりも、皇帝への忠誠心が少女の胸を苦しめた。
「···皇帝陛下には、私から申し上げましょうか?」
医師は、苦しむ少女に気を遣うように言った。
「あなたは皇帝専属の奴隷ですが、余命30日では精神的に仕事にもならないでしょう。皇帝陛下は慈悲深い方ですし、事情を話せば、仕事をせずに済むのでは···」
医師の言う通りだった。
少女が知っている皇帝ならば、余命が宣告された奴隷を、きっと開放するだろう。
(そう、リオ様は優しい···。奴隷のあたしにも、皇宮で仕事をしやすいように役職をくれて···)
そもそも、この国の奴隷は他の国と比べて特殊である。
仕事で成果を出したり、能力次第で地位を約束される。昔、南の国から運ばれた褐色の肌の奴隷が、軍を率いる宰相になったこともあるという。
少女は、奴隷として買ってくれた皇子が皇帝に即位したことにより、皇宮で勤めることになったのだ。
「明日の朝、皇帝陛下には私から申し上げましょう」
「···待って頂戴」
少女は静かに言った。医師は目を丸める。
(でも、30日しか余命がないのなら、あたしはリオ様のお役に立ちたい···っ)
仕事から解放されたところで、少女は嬉しくもなかった。
「···これ、感染したりしないでしょぉね?空気感染とか、接触感染の可能性、ある!?」
「な、ないです!若い少女にだけかかる奇病で···その心配はないです!」
「若い少女···確かね!?」
少女が凄むと、医師は確かに頷いた。
(皇帝陛下に伝染る心配がないなら···!)
少女は、決意した。胸の氷の花をおさえ、医師を見つめる。
「お願いよ···このことを、誰にも言わないで···っ」
「えっ」
医師は驚いていた。皇帝に進言しても良いと言ってくれるならば、少女のことを気遣ってくれていたのだろう。それを、言わないでとお願いされるとは思わなかったらしい。
「特に、皇帝陛下にだけは、知らせないで頂戴···っ!!」
部屋の中に、少女の声が響き渡る。部屋の中にいたのは少女と医師だけだった。
少女が誰にも話さず、医師が口を噤めば、誰もこの秘密を知り得ないだろう。
(絶対に死ぬもんか···っ)
奇病で余命宣告をされても、むざむざ死ぬわけにはいかなかった。
少女は強い意思で決意する。
少女の意思とは真逆に、氷の花は無情に咲き誇っていた。