私たちの世界
登場する主要キャラクターの見た目
主人公 影宮燐華
高校二年生
茶髪で、ショートヘアー
基本的に表情は明るく、凛々しい顔つき
身長は156㎝
ヒロイン 日向寧々(ひなたねね)
高校二年生
黒髪で、ロングヘアー
基本的に表情は明るく、おっとりとした顔つき
身長は162㎝
「す、好きです! 私と付き合ってください!」
「燐華……。 ごめんね……」
(寧々……。 私のこと捨てちゃうの? そんな……、そんなの嫌だよ。 私のことを捨てないで!)
寧々は私のこと気にもしないでどこかへ歩いて行ってしまう。
私は、苦しくて辛いはずなのに、どこか他人を見ているような感覚だった。
まるで、私ではない誰かを見ているような……。
「はっ! よ、良かったぁ夢か……」
夢だという事に安堵し、そっと胸を撫でおろす。
目が覚めてからすることはいつも決まっている。
机にあるモニターの電源を入れ、映し出された映像を見た感想と共に日記を付ける。
(まだ、6時半かぁ……。 寧々まだ寝てるし、取りあえずこの愛おしい寝顔撮ってプリントアウトしよっと)
寧々の寝顔を眺めているとついにやけてしまう。
様々な角度からの映像を確認し、部屋に変化がないか確認をする。
変化があれば、その都度変化したところと同じ所を自分の部屋もまた同じように変えていた。
部屋の間取り、家具の位置の目に見えやすいところから、雑誌や漫画の置いている場所の普段気にしないような所まで完璧に再現されている。
違うところと言えば、壁一面に寧々の写真が飾られていたり、机の上にモニターやmp3等が置かれている所くらいだろう。
「よし、変化なし」
確認が一通り終わると、プリンターからピーピーと音が鳴っている事に気付く。
「あーぁ、また紙がなくなっちゃった。 ストックまだ残ってたかな」
押し入れを開け、印刷用の紙が無いか探すが、どうやら全て使い切ってしまっていたらしい。
私は直ぐに通販で大量の紙を注文した。
そこそこお金はかかるが、寧々の写真を印刷するためには必要なものだと考えると何も気にはならなかった。
取りあえず、印刷した寧々の寝顔を印刷できた分だけ手に取り、壁の空いているスペースに飾る。
「そろそろ学校に行く用意しなくちゃ……」
「おはよう燐華」
「おはよう寧々」
「寧々、また髪の毛跳ねてるよ。 さては、ギリギリまで寝てたね?」
「違うのよ。 目覚ましかけてたはずなのに何故か鳴らなくて……」
「はいはい。 学校ついたら直してあげるから」
「いつもごめんね」
「もう慣れたよ」
普段から寧々は寝癖を直してこない子だったワケではない。
ここ最近、何故かわざと直さずに来る。
わざとだとわかるのは監視しているからだ。
カメラを付けているのは寧々の部屋だけではない。
リビング、浴室、キッチン等のトイレ以外の場所の至る所に付けている。
浴室と洗面所は繋がっており、毎朝家を出るギリギリまで色んな所を確認する。
寧々はいつも決まった時間に起き、家を出る少し前に髪を整えているのに最近は何故かしなくなった。
残念ながら何を考えて居るのかまではわからない。
聞こうにも何で知っているかの説明のしようがないのだ。
寧々の髪の毛を触れるいい機会ではあるので寧ろ喜ばしい事ではある。
会話一つ一つを楽しみながら歩いていると、一人の男が私に話しかけてきた。
「あ、あの影宮さん。 今、少しいいかな」
(良いわけないでしょう。 寧々との会話を楽しんでいるのに邪魔してこないで。 私と寧々の空間に入って来ないで)
「影宮さん?」
「あ、ごめんね。 いいよ」
「あの、これ! 受け取ってください」
「えっと……」
「お願いします!!」
「分かりました……」
「ありがとうございます」
男は受け取ってもらえたことが嬉しかったのか今にも飛び跳ねそうな勢いで何処かへ行ってしまった。
(気持ち悪い。 吐き気がするわ。 私と寧々の空間に勝手に入ってきたくせに、へらへらと笑って。 気持ち悪い。 本当に気持ち悪い。 私と寧々以外この世から消えてしまえばいいのに……。 さっき受け取るときに少し手が触れてしまったから寧々の髪に触る前にちゃんと除菌しとかないと……。 後、この紙屑も捨てないといけない。 めんどくさい……。 寧々との楽しい時間のはずが、どうしてこんなに気分を害されてしまわなければならないの)
少し遠くから「来てくれるかな?」「あの反応は脈有りだって」のような話し声が聞こえてくる。
「相変わらず、燐華はモテモテだねぇ」
「そんなこと言われても嬉しくない」
「見向きもされないよりは良いと思うけどなぁ」
「寧々はモテたいの?」
「別にそういうわけじゃないよ。 ただ……」
「ただ?」
「ううん。 何でもない」
「何よ、気になるじゃない」
「何でもないのよ。 それより、そろそろ学校に着くし寝癖直すのお願いね」
「……わかった」
教室に着くと教室はまだ静かだった。
私と寧々しかいないのだから当たり前だ。
この空間が永遠に続けば良いのにと思ってしまう。
だけど、この静かな教室はすぐさま賑やかな場所へと変わってしまう。
寧々の髪をブラシで整え終わる頃には周りには人が沢山いるのだ。
「ねぇ燐華」
「なに?」
「さっきの子から貰ったラブレターどうするの? 行くの?」
「行かないよ。 私行った事無いでしょ」
「そうだけど、一応、ね?」
私がラブレターを貰うと毎度のごとく聞いてくる。
そして、行かないと答えると何かに安心したような雰囲気を出す。
まるで、私に行って欲しくないと言っている。
そんな感じがする。
推測の域を出ることはないものの、そうなんじゃないかと思うだけでニヤけが止まらない。
表情を戻すだけでも精一杯だ。
実際、考えていることが現実だとしたらきっと今まで制御してきたなにかが外れてしまうかもしれない。
冷静になったときには嫌われていて、関わることが出来ない。
そんな気がして今は、押さえているものの、仮に両思いだったなんて考えると冷静でいられる気がしない。
妄想を膨らませすぎて、気がつけば1限の授業が終わっていた。
「寧々、さっきの授業の範囲見せてくれない? 少しだけ書きそびれちゃった所があって」
「いいよ。 書き終わったら返してね」
「ありがと。 直ぐ返すよ」
ノートを受け取るとき少し寧々と手が触れてしまう。
それだけで、舞い上がってしまいそうになる自分を必死に押さえ込む。
寧々は私の反応をみて首を傾げているが、気にしている余裕は今の私に無かった。
(危なかった……。 寧々の手を触ったのっていつぶりかな……)
そんなことを考えながら、自分の手を眺めていた。
授業中も授業に余り集中できず、心ここにあらずと言った感じだった。
気がつけば昼食の時間になっており、寧々に声をかけられなかったら気付かず時間が過ぎている様な気がしていた。
「燐華なんだか今日はずっとぼけーっとしてるけどどうしたの?」
「な、何でもないよ」
「ほんとに?」
「ほんとだよ」
「うっそだぁ。 どうせ、好きな人とやらのことを考えてたんでしょ」
「違うって、それに好きな人が居るって言うのは――」
「告白を断るときが楽だから、でしょ。 何回も聞いたわ、それ」
「わかってるならからかわないでよ、もう」
「だって、実はほんとにいるんじゃないかなって私は思ってるから」
「なんでよー」
「反応見ればわかるのよ。 何年一緒に居ると思ってるの」
「うっ……」
「ほら、やっぱりいるんじゃない」
「もう、からからわないでってば」
寧々と話していると気がつけば昼食の時間が終わっている。
楽しい時間はあっという間に終わってしまうのに、授業は凄く長く感じる。
早く帰って今日会った事を日記に書きたい。
誰にも邪魔されないところで寧々のことをずっと見ていたい。
そして、この気持ちを寧々にさらけ出してしまいたい。
でも、自分のやっていることが正しいことだとは思ってないから伝えよう何て思うと身震いしてしまう。
寧々が自分から離れていってしまうことが何よりも怖いのだ。
自分の欲望を抑え、授業に取りあえず集中することで平静を装った。
本当は寧々の顔を見ていたい。だが、今見てしまうとやっと押さえた欲望があらわになってしまう気がした。
(もっと、確実に私のモノになるタイミングで伝えなくちゃ……)
気付けば授業終わりのチャイムが鳴っている。
後1限乗り切れば帰れる。
必要な教材を鞄からだしていると寧々が急に覗き込んできた。
「うわっ!」
「うわって……。 失礼だよ?」
「きゅ、急に覗き込んでくるからでしょ」
「それくらい良いじゃない」
「悪いなんて言ってないよ。 ただ、ちょっとびっくりしただけだもん」
「ふふっ。 あ、そうそう。 現代文の教科書持ってる?」
「持ってるよ」
「私忘れちゃってさ、一緒に見せてくれない?」
「え……。 いいよ」
「なによ、その間は」
「寧々が教科書忘れたって言うの始めて聞いたから」
「私だって忘れることはあるのよ。 それとも、一緒に見るのが嫌なのかしら?」
「そんなこと言ってないでしょ!」
「そんなに必死にならなくてもいいじゃない。 ちゃんとわかってるわよ」
「寧々は直ぐ私のことをからかうんだから〜」
「あ、予鈴鳴っちゃった……。 もっと、燐華のことからかってたかったなぁ」
「変なこと言わないでよ」
予鈴が鳴り終わり授業が始まる。
寧々は着席して直ぐに私の所に机をくっつけて来た。
教科書を真ん中に置き先生の指定されたページを一緒にみる。
(ち、近い……。 いくら一緒に見ているとはいえ距離がものすごく近く感じてしまう)
私はいつしか教科書ではなく寧々の事を見ていた。
寧々は私の視線に気付く素振りも無く他の生徒が読んでいる所を真面目に聞きながら目で追っていた。
そして、段々私の呼吸が荒くなり、心臓が激しく鼓動していた。
寧々に心臓の音が聞こえているのではないかと心配するが、寧々はこちらに見向きもしない。
自分が今、極度に興奮している事を再認識し、落ち着こうと必死に押さえ込む。
なんとか、ましになって来たものの寧々の方を見るだけで、直ぐに呼吸が荒くなってしまう。
「燐華、どうしたの?」
「――!?」
声にならなかった。
そして、押さえ込んでいたものが再び溢れ始めた。
辛うじて残っていた理性を振絞り声を出す。
「先生! 体調が優れないので保健室に行って来ます」
「付き添いは必要そうか? 誰か、影宮の付き添いになってくれる人はいるか?」
「それなら私が――」
「大丈夫です! 保健室までなら一人で行けます」
そう言って教室から飛び出た。
しんどいと言いつつ飛び出てきたら不振に思われるかもしれない。
だけど、そんなことを考える余裕は今の私には無かった。
「影宮ちゃんどうしたの? 顔真っ赤じゃない」
「先生……。 あの、ベッド借りていいですか?」
「うん、少し寝てなさい」
「ありがとうございます」
段々とぼやけていた視界がはっきりと見えるようになってくる。
あれから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。
起き上がろうとするとお腹の辺りに何か重たいモノが乗っているようで上手く起き上がれない。
なんとか起き上がり見てみると、寧々が俯せになって寝ていた。
(心配かけちゃったかな……)
「燐華起きたのね」
「うん」
「急に行っちゃうから心配したんだよ?」
「ごめん」
「あのとき、私の事避けたようにしか感じられなくて……」
「うっ……。 寧々ごめん。 一緒に帰ろ?」
「うん」
起き上がり、寧々が持って来てくれた鞄を取ろうとすると急に何かふわっとした感触が全身を覆われるような感覚に襲われる。
抱きしめられていると直ぐに理解することが出来なかった。
(一体何が起こって……)
「燐華、これからもずっと一緒に居てね」
「!?」
「……寧々?」
「どうしたの?」
「……なんでもないよ」
少しずつ自分の中の理性が壊れ始めている事に気付く。
(今すぐにでも、この気持ちを伝えたい。 寧々を私のものにしたい。 こんなに苦しい事から解放されたい)
「寧々、今日この後用事ある?」
「ないよ」
「だったら、私の家に来ない?」
「行きたい」
「わかった。 行こう」
帰り道、お互い口数は少なかった。
ただ、手を繋いで歩いているだけで私は抑えきれなくなっていた。
これから寧々に私の全てをさらけ出す。
そして、受け入れて欲しい。
もし、ダメだった時は最終手段を使うしかない。
本当はもっと時間をかけて必ず成功させる自信があるとき行う予定だったのだから。
そうこうしている間に家に着いていた。
いつも遊びに来るときの私の部屋とは別の部屋に連れて行く。
「入って」
「……ここは?」
「私の部屋だよ」
壁一面には寧々の色んな写真が飾られていて、家具の位置、家具の種類は寧々の部屋と全く同じなのだ。
寧々が困惑している様子だ。
(やっぱり、まだ早かったのかな……)
「ねぇ燐華。 ここって私の部屋と全く同じだよね?」
「そうだよ」
「どうなっているの?」
「寧々の家に小型カメラを何カ所かに付けてそれで監視してたから」
「そんな……いつ……?」
「時間は凄くかかったよ。 始めた時期で言うなら高校に入ってからだけど、準備は中学に入った時からしてたのよ」
「そう……」
「私ね、寧々のこと大好きなの。 近くに寧々が居るだけで興奮するし、理性が飛びそうになるくらい。 今日直ぐ隣に寧々が居るだけで何も出来なくなっちゃってそれで……」
(怖い、凄く怖い。 全身が震え上がるほど怖い。 次の言葉が出てこない。 考えが纏まらない……寧々に嫌われるのが怖い……)
まただ、柔らかいものに覆われる感触。
「燐華、ごめんね」
「やっぱり……。 だめなの?」
「ううん。 気付いてあげられなくてごめんね」
「寧々……。 こんな私でも受け入れてくれる?」
「当たり前じゃない。 私だって燐華のこと大好きだから」
「!?」
涙が止まらなかった。
しばらくの間、寧々の身体に顔を埋めて泣きじゃくった。
寧々は拒絶すること無く私をずっと包んでくれていた。
「ねぇ燐華。 私今日ここに泊まってもいい?」
「え!?」
「だめなの?」
「いいけど……」
「いいのね。 今日は、ここに泊めさせてもらうわ」
「でも……」
私はまだ、怯えていた。
これだけのことをして貰ったのに何処かで離れてしまうんじゃないか不安だった。
(やっぱりあれをするのが確実だよね……)
「燐華」
「なに? ――!?」
寧々に呼ばれ振り向いた瞬間、唇に柔らかいモノが当っている。
とっさのことで考えが纏まらず、後ろに下がると壁にぶつかってしまう。
中々離してくれず、私はただされるがままに身体を委ねることしか出来なかった。
急なことで驚きこそしたが、私はいつの間にか満たされていた。
不安がっていた自分は何処かに行ってしまい。
かわりに、寧々とのこれからのことばかり考えている自分がそこにはいた。
その後、一緒にご飯を作ったりお風呂に入ったりした。
私は終始興奮していたけど、今まで我慢していた苦しさは無く前よりも開放的だった。
寧々のことは離さないし、誰にも渡さない。
私だけの寧々。
「燐華、今日は楽しかったね」
「そう……だね」
「まだ不安なの?」
「ううん。 嬉しすぎて」
「そう。 今日はもう遅いし、一緒に寝よ?」
「うん!」
「おやすみ」
「おやすみ」
私は直ぐには寝れず、寧々の寝顔を眺めていた。
こんなに近くで寧々の寝顔が見れるなんて夢を見ている様だ。
これからもずっとこんな時間が続けば良いのに……。
翌朝目が覚めると寧々の顔が視界一面を覆っていた。
(あぁ、昨日は夢じゃ無かったんだね)
寧々の顔を見ていると段々身体が火照ってくる。
少し我慢していたが、結局我慢できず寧々に抱きつく。
抱きついた状態で寧々が起きるのを待っている内に二度寝してしまった。
「燐華。 起きて」
「寧々……。 おはよう」
「おはよう。 そろそろ学校だよ」
「寧々、ぎゅーってして」
「そしたらちゃんと起きるんだよ」
「ふぁ〜い」
眠い目を擦りながら寧々の方に寄ると抱きしめて貰い、それだけで心が満たされていくのがわかる。
寧々に癒やされていると、気がつけばまた寝てしまっていた。
しばらくして目が覚めると私の隣には誰も居なかった。
(寧々……?!)
「寧々! 何処なの?!」
慌てて飛び起き、家中をひっくり返すかのような勢いで探し回る。
(何処にも居ない……。 寧々、何処に行ったの?)
「私を置いていかないで!!」
モニターで寧々の家を見ても寧々は居なかった。
着ていた寝間着を脱ぎ、急いで外の服に着替える。
急いで、何の宛もなく外へ飛び出した。
少ししてから部屋を散らかしたままにしていたことに気付く。
(今はそれどころじゃない。 そんなことよりも、寧々を探さなきゃ)
まずは学校、寧々と一緒に行ったカフェ、寧々と一緒に遊んだ公園、寧々の帰宅路、寧々の行きつけの化粧品店、寧々の家……。
(寧々……。 寧々……。 寧々……)
「寧々!」
私はただひたすらに探し回った。
何処を探しても寧々は見つからなかった。
どんどん周りが見えなくなって最初こそ人にぶつかると会釈したり謝ったりしていたが今じゃもうなにも感じなくなってしまっていた。
胸にぽっかりと穴が空いてしまった様な寂しさが私を押しつぶす。
(何処に行ってしまったの……)
気がつけば日が沈み、暗くなり始めていた。
帰る分けでもなく、何処に行くわけでもなくただひたすらにフラフラと歩いていた。
(あぁ、寧々は私の傍から離れてしまったのね……。 やっぱり、あの時縛りつけてでもあの場所から離れないようにするべきだった。 最終手段として用意していた手錠を使えばよかった。 躊躇う必要なんてなかったんだ。 どうして気が付かなかったのだろう。 どんな手段を使ってでも、寧々を私のものにする。 私以外関わる人がいなくなってしまえば必然的に、寧々は私のものになる。 待ってて、寧々。 必ず、見つけ出すから。 そして、手足を縛って、私だけしか瞳に映らないようにしてあげる。 どうしても、他の人を見ようとするのなら、目なんていらない。 抵抗しようとするなら手足もいらない。 私、だけを見ていられるようにしてあげなきゃ、寧々の瞳には私だけが映っていればいいのだから……。 お世話だってしてあげる。 何から何まで私がしてあげる。 そのためにも、必ず寧々を見つけ出さないと……)
「燐華!」
聞き覚えのある声がする。
間違えるはずがない。
寧々の声だ。
私を置いて何処かに行ってしまったはずの寧々が汗だくで、息を切らしながら私のほうに近づいてくる。
私と寧々の間に少し風が吹く。
寧々の長い髪が揺れているのが見える。
少しずつ、私の方へ近づいてくる。
日は沈み、暗いはずなのに、なぜか寧々の姿が輝いて見える。
寧々との距離は私が見とれている間に目の前まで縮められていた。
その瞬間、さっきまで考えていたことが一気に崩れ落ちていくような気持になる。
(あぁ、寧々帰って来てくれたんだね。 また一緒に過ごせるよね。 次、こんなことがあったら、私はきっと、理性が飛んでしまう。 だから、二度とこんなことしないでね)
「……ね……ね?」
いざ、寧々のことを呼ぼうとすると声が出なかった。
私は、まだ不安なのだろうか。
寧々が、迎に来てくれたのに、帰って来てくれたと感じたのに、どうしてまだ不安なの……。
「探したよ。 連絡も繋がらないし、何処に行ってたの?」
「私はただ……。 寧々のことを探しに……」
「さては、私のメール見てないね?」
「え? メール?」
「ほらこれ」
『家に取りに帰りたいモノがあるから一旦帰るね。 また、戻ってくるよ』
「そんな……私、知らない……」
「見ずに家を飛び出すからでしょ?」
「うっ……。 でも、私寧々がいなくて、それで……」
「全く……。 鍵も空いたままだったし、部屋も凄く散らかってたし、どれだけ慌てたんだか」
「だって、目が覚めたら寧々が居なくなってて、私から寧々が離れていってしまった様な気がして……」
「私は何処にも行かないよ」
「そんなこと――」
――言わなくてもわかってる。
言おうとしたが、寧々の唇で口を塞がれてしまう。
頭で理解するのは遅かったが、身体は既に従順で、寧々に任せて身動きが取れなかった。
私は寧々のことよく知っている。
私の事を置いていかない事も。
だけど、どうしても不安が拭い切れなくて、この不安が次第に大きくなってしまう。
そんな不安さえもこの一瞬で飛び去ってしまった。
(もう少し、このままで……)
「あっ……」
(まだ、足りない。 もっと、もっと、もっと欲しい)
唇から離れてしまったモノがもっと欲しくて、勝手に辞めてしまった寧々に対してずるいと感じていた。
「これでも、信用できない?」
「……ずるい」
「え、なに?」
「ずるい! 寧々ばっかり不意打ちでして、勝手に辞めて、ずるい!」
「ず、ずるい?」
「そうだよ。 私の気持ちを置き去りにして勝手に満足そうな顔するんだもん! 私はもっとして欲しいのに……」
「燐華」
「なに」
「……好きだよ。 燐華」
「ちょっ、ちょっと! 急に耳元で囁かないでよ」
「いや……だった?」
「嫌なわけ無いでしょ。 寧ろ、ちょっと興奮した」
「聞き間違いじゃないよね?」
「……聞き間違いじゃないよ」
そう言って私は寧々から目を逸らした。
(これ以上見つめていたら、どうにかなってしまいそうだよ)
横目で寧々の事を見る。
頬を赤らめ、手で口元を押さえていた。
今更になって自分のやった事が恥ずかしくなったのかなんなのかはわからないが、その姿を見ていじめたいと感じるほどの可愛さだった。
一瞬目が会いそうになって直ぐに視線を戻す。
寧々の事が好きだという気持ちで溢れている今の私を押さえる自信はない。
このままだときっと学校の時のようになってしまう。
そう確信していた。
「燐華、いつまでそっち向いてるの?」
「あ、ごめん」
「いいよ。 もう夜も遅いし帰ろっか」
「え、帰る……?」
「うん。 帰るよ」
「いや! 寧々と離れたくない。 もう少し……一緒に居て欲しい」
「何を勘違いしてるのよ。 一緒に、燐華の家に帰るのよ」
「え?」
「私、しばらくの間燐華の家に泊めて貰おうかなって。 ダメ?」
「ダメじゃないよ。 しばらくなんて言わずにずっと居て!」
「はいはい。 ほら、帰るよ」
「あっ待って。 手……繋いで欲しい」
「うん。 いいよ」
手を繋いでゆっくり帰った。
繋いでいた手は温かくて心地よかった。
この手を離したくない。
寧々が何処かに行ってしまわないように……。
寧々はずるい。
いつも、勝手に始めて勝手に辞めてしまう。
昔からそうだった。
私に色々な事を誘って置いて先に辞めてしまう。
寧々は私の事が大好きだと言う。
それも、小学生の頃から。
最初は友達として、だけど中学に入ってからは一人の女性として恋愛対象として好きだったと言う。
きっと、私よりも早くそう感じていたんだと思う。
だからこそ、先に熱が冷めて何処かに行ってしまうのでは? という疑問が消えない。
これだけは飽きさせてはダメだし、ずっと私のそばに居て欲しい。
どんな手段を使ってでも、ここにとどまらせなければならない。
今、私の隣にいる寧々を誰にも渡さない。
燐華は素直だ。
いつも、私のそばに駆け寄って来る。
そんな姿が愛おしい。
燐華が私の為にお金をかけて、私と居るために私に合わせる。
そんな素直な燐華が愛おしい。
燐華が私の事が好きで、私を見るためだけに多大なお金をかけていた事を知った時、驚きはしたけど、嬉しさの方が何倍も大きかった。
あぁ、愛しい燐華。
どうかそのまま。 変わらないままで居て。
私を飽きさせない為にきっと何をしても受け入れてくれる。
そんな素直な燐華のままでいて。
どうか、私を飽きさせないで。
「寧々、これあげる」
「これは、なに?」
「お守り。 寧々が何処に行っても私にわかるお守り」
「それ、GPSって言うんじゃ……」
「この間寧々が何処かに行ったとき、凄く不安だったから……。 基本私がそばに居るけど、もし私がそばに居ることが出来ないときの為に持っていて欲しい」
「わかったよ。 それにしても、このお守り良く出来てるね。 私の名前が書いてある」
「裁縫あんまりしたこと無かったけど頑張った」
「それで、最近早起きしてたんだね。 指も絆創膏だらけだし。 ありがとう」
「いいの。 私が勝手にしたことだから」
「これ、何処に付けとこう?」
「首から提げられるようにしてあるよ」
「ほんとだ。 じゃあ燐華、付けて」
「え!?」
「ほら、早く」
「わ、わかった」
(寧々の髪良い匂いがする。 同じシャンプーとか使っているはずなのに)
髪に気を取られていると寧々から「まだ?」と言われてしまう。
私は何も無かったかのように付け、寧々から離れる。
「ありがと」
「ど、どういたしまして……」
「それじゃ、学校行こう」
「うん」
手を繋ぎ、学校まで歩く。
あの日以来色々な変化が私の周りであった。
第一に寧々が私の家にいること。
他にも、登下校の時手を繋いで最近歩いているせいで私達が付き合っているんじゃないかという噂が広まり、そういう風な目で私達は見られるようになった。
私と寧々はもちろん気にはしていない。
寧ろ、これでいいとすら思っている。
噂が広まり始めて間もない頃に一度こんな会話をした。
「寧々、私たち付き合ってるって噂されてるみたいだね」
「らしいね。 でも、毎日一緒に寝泊まりしてお風呂入ったりして外ではほぼずっと手を繋いで歩いてるから付き合っているって言うのは間違っていないのかもしれない」
「そうだね……」
「燐華は、私が彼女なの、いや?」
「嫌じゃないし、それが良いと思ってる。 だけど、なんだか違う気がしてる」
「そっか」
「付き合っていて恋人同士だとしても、今は本当の恋人同士じゃなくてそれに近い事をしているってだけなのかもしれないから」
「燐華はそんな風に思ってるんだ……」
「何か言った?」
「何でもないよ」
「そう?」
「うん」
「ねぇ、寧々」
「なに?」
「いつか、本当の恋人になろうね」
「うん。 でも、本当の恋人ってなんなの?」
「それは……。 私達にしか出来ない恋愛をする……こと、かな」
「私達にしか出来ない恋愛……。 良くわからないや……」
「それは、これから見つけないといけない事なの。 それが、わかればきっと……なれる、と思う」
「うーん。 面白そうだね」
「面白そうってなによ。 私は真剣に言ってるのに!」
「燐華と一緒に何かをするのって面白いから。 きっと、それも面白いんだろうなって思っただけだよ」
「!?……ずるい」
この日から特に変わった事はなかったけど、前よりも楽しく過ごしている様に感じる。
いつか、必ず本当の恋人になるんだ。
私は胸の奥に深く刻みこんだ。
(本当の恋人になるって具体的にどうすればいいのだろう……。 寧々、今は乗り気だけどいつ飽きるかわからないし、早めに見つけなくっちゃ)
手元の携帯で検索をかけてみるが、何か参考になるモノが見つかるワケでも無く時間だけが過ぎてしまった。
寧々に相談しようにも今隣で寝ているのを起すことを躊躇ってしまう。
ずっと眺めていたい衝動を抑えつつ、何か無いかを思案する。
「燐華……。 おはよう」
「おはよう」
「急に抱きつかないでよ、もう」
「朝の充電なの」
「なによ、それ。 まだ、起きてからそんなに経って無いでしょ」
「朝から元気に活動するために必要な行為だからいいの」
「全く……。 可愛いなぁ燐華は」
「えっ!?」
急に頭を撫でられ、頭が真っ白になる。
(ど、ど、どうしよう。 頭撫でられただけで何も考えられなくなるくらい幸せな気持ちになる)
「さ、そろそろ。 学校に行く準備しないと」
「あっ……」
「どうしたの?」
「もっと……。 もっと、撫でて欲しい」
頬を赤らめ、口元を押さえ視線を少しずらす。
(撫でてとお願いするだけで顔が熱い……)
「仕方無いなぁ」
「寧々、大好き」
「知ってるよ」
寧々の方を見ると寧々も顔が赤くなっているのがわかる。
(なんだか嬉しそう。 照れてる寧々――)
「――可愛い」
「燐華の方が何倍も、可愛いよ」
「!?……ずるい。 ずるいよ寧々は……」
「私思ったこと口に出してるだけだよ」
「いつも、私ばっかり照れてるじゃない、いつも」
「私だってかなり頻繁に照れてるよ」
「絶対嘘」
「そんな言い方しなくていいじゃない。 ほら、私の頬を触ってごらん」
そう言って寧々は私の手を掴み、頬に手を触れさせた。
「熱い……」
「ね? 熱いでしょ?」
「うん。 でも、やっぱりずるいよ」
「どうして?」
「そういうこと簡単にやってのけちゃうんだもん」
(私だってやってみたのに。 いつも、寧々にされるがまま。 それも、悪くない。 寧ろ良いけど、少しはこっちからもやって寧々の照れる所が見てみたい)
ずらしていた視線を戻すと、目を閉じて座っている寧々の姿があった。
何をしているのか聞こうと思ったが、あまりの無防備な姿を前にして聞くよりも先に寧々の唇を奪っていた。
いつもはやられっぱなしの分、積極的に動いてみる。
舌を入れ、動かしてみると寧々もそれに反応して舌を動かしてくる。
舌と舌が絡まりあう不思議な感触が心地よく、もっと激しく動かしてしまう。
不意に我に返ったかのように引き下がろうとすると、寧々がそのまま押し倒すかのような勢いで離してくれない。
「今、逃げちゃ……ダメだよ」
「!?」
恥ずかしそうに言葉をかける寧々に私は言葉に出来ない満足感を得る。
一度見たかった、寧々の照れる姿。
取り繕うものもなく素の寧々。
それを聴いて更に興奮してしまう。
もっと見ていたいが、私はそっと瞼を閉じた。
その後、大慌てで学校に向かうも遅刻してしまう。
勢いでやってしまったことではあるが、学校に遅刻してしまうのは良くない。
昼休み、二人きりの時間に話し合い、学校のある朝はするのが禁止になってしまった。
私は反対したが、口論で寧々に負けてしまい、渋々承諾したのだった。
「今日遅刻したとき、先生に凄く心配されたね」
「私達、今まで遅刻はしたことなかったからね。 この間の無断欠席でもかなり心配されたし、やっぱり学校は真面目に行かないとね」
「寧々は真面目なんだから。 私は寧々と一緒に居られるなら何処でもいいし」
「この先の為にも学校はちゃんと行っとかないと苦労しそうだけどね」
「私、寧々の為ならなんだって出来るよ」
「知ってるよ」
いつもと変わらない他愛の無い会話。
だけど、寧々の表情はなんだかいつもより楽しげな雰囲気だった。
本当の恋人がどういうものかまだわからないけど、少しずつ近付いているのかもしれない。
「寧々」
「なに?」
「大好き」
「ど、どうしたの? 急に」
「寧々がいつも私に不意打ちしてくる。 お返し」
「えっ……。 きょ、今日の晩ご飯は何が良い?」
(あ、今話をずらした。 かなり無理矢理だったけど、敢て触れないで行こっと)
「今日は……。 オムライスがいいかな」
「卵、切らしてるって昨日言ったばかりじゃん」
「そうだっけ? じゃあ、今から買いに行こ?」
「ちょっと……。 今日は、やけに積極的じゃない」
「いつも、やられてる分のお返しだよ」
「全く……」
(たまにはこうして引っ張ってみるのも悪くない。 なにより、私に引っ張られてちょっと困ってる寧々が可愛い)
スーパーに行くだけで無く色々な所にも行き、その都度寧々の事を引っ張り回した。
今までにないくらいはしゃいだせいか、かなり疲れてしまい帰りの電車で寝てしまった。
「全く、子供じゃないのだから……」
(でも、たまには引っ張られるのも悪くないかな)
「ほら、燐華最寄り駅ついたよ」
「ん〜?」
「起きて」
「抱っこ……。 抱っこして」
「仕方無いなぁ……」
燐華を抱っこし、電車を降りる。
この際周囲にどんな目で見られようと気にはしない。
駅から家までそう遠くない道のりをゆっくり、燐華を起さないようにゆっくりと歩く。
燐華の寝息が聞こえてくる。
聞いているだけで心が落ち着かない。
燐華を抱えているだけで、少し興奮してしまう。
胸が次第に高鳴っていくのがよくわかる。
燐華に聞こえていないか少し不安になるが、そんな様子は全くなかった。
そんな、ことを気にしている間に、玄関前まで来てしまっていた。
燐華から貰った合い鍵、探している途中燐華を落としそうになってかなり慌てた。
なんとか起さずにベッドまで運び、寝かせる。
「ね……ね」
その声にドキッとしてしまう。
実際燐華の前ではかなり取り繕っている。
無防備な姿を見れば襲ってしまいたくもなる。
(今なら、何しても大丈夫なんじゃ……)
一瞬そんな考えが頭に過ぎるが、直ぐにその考えを振り払う。
「さて、燐華が起きる前にご飯作っちゃお」
「痛っ!」
どうやらベッドから転げ落ちてしまったらしい。
眠い目を擦りながら身体を起す。
ベッドにいる寧々の寝顔でも見ようと電気を付けるが、寧々の姿は無かった。
「嘘……」
目の前にある事実が余りにも衝撃的過ぎて考えが纏まらない。
GPSですぐさま寧々の居場所を確認しようとするも、携帯の電池がなく見ることが出来ないでいた。
どうするべきか考える前に家の中を探し始めた。
「寧々!」
リビングに行くと机にうつぶせになって寝ている寧々の姿があった。
寧々が座っている反対側にはラッピングのかかったオムライスと書き置きがあった。
『起きたら、レンジで温めて食べてね』
私が起きるのをここで待っていてくれていたらしい。
状況が把握できると直ぐに落ち着いた。
寧々をベッドまで運ぼうとしたが、思ったより力が出ず、リビングのソファーに運ぶのが精一杯だった。
オムライスを温めている間に部屋から取ってきた毛布を寧々に掛ける。
温め終わったオムライスにケチャップをかけ食べる。
自分で作ったオムライスの何倍も美味しく感じ、気がつけば完食していた。
余りに早く食べ終わってしまったせいか少し物足りなく感じた。
風呂などの寝る準備を終わらせ、自分の部屋で寝ようとしたが、上手く寝付けず、結局寧々の隣に押し入りそこで眠りに着いた。
「燐華、起きて」
「おはよう〜」
「おはよ。 今朝ご飯の用意をするから着替えておいで」
「わかった」
あれから数日特に変わった事もなく平凡に時が過ぎていく。
本当の恋人に近づいている実感はさほど湧かない。
寧々がいつ飽きてしまうかもわからないこの状況だからこそ早くなりたいという気持ちになる。
(寧々を私なしの生活に耐えられないくらい私を必要としている状況を作れば……)
「燐華〜。 ご飯出来たよ」
「はーい。 今行く」
「ねぇ寧々」
「何?」
「……やっぱり何でも無い」
「気になるじゃない」
「ごめん。 でも、今言うべきことじゃ無い気がするから」
(私以外の誰とも話さないで、笑顔を見せないで。 何て言えない。 それに、私のモノになってなんてもっと言えないよ。 もっと、確実に承諾してくれる様な状況を作ってからじゃなきゃ)
「まぁ、いいや。 いつか教えてね」
「うん……」
(私だけを見てもらうにはどうすれば……)
どうすればいいのかを真剣に思案していると気が付けば学校に着いていた。
家を出てから学校に着くまでの間寧々と会話した記憶がない。
考えすぎて周りが見えなくなってしまっていたことに今初めて気づき、寧々が近くにいないことにショックを受ける。
(避けられた……?)
自分の出せる全速力で教室に向かう。
一階、二階と足を止めることさえ忘れて階段を上る。
いつもなら、気にもしなかった階段がものすごく長く感じる。
四階に着くころには汗だくで、息もかなり上がっていた。
教室の扉を勢いよく開け、寧々の名前を呼ぶ。
「燐華、おはよう。 どうしたの? そんなに慌てて」
「隣に寧々が、いなかったから走って来たの……」
「そう……。 でも、燐華がいくら呼んでも反応してくれないから」
「ごめん。 考え事してて、聞こえてなかった」
「分かってるよ。 すごく真剣な顔してたから、邪魔しちゃ悪いかなって思って先行っただけだよ」
「一声かけてくれればよかったのに……」
「私かけたよ。 先行くねって」
「聞こえてなかった。 ごめん……」
「いいよ。 気にしないで」
「私……、私??」
「私がいいって言ってるんだから泣かないの」
「ごめん…… ごめんね……」
「泣かないの」
寧々が私のことを包む。
寧々に包まれていると全てがどうでもよくなって、落ち着く。
私のものにしなくちゃいけないだとか
飽きられないようにだとか
どれも私の中では大切なことで、必ずやり遂げなければならないものなのに……。
今、寧々に包まれている瞬間だけは、考えていることが何もかもどうでもよくなってしまう。
きっと、離れてからしばらくしてすぐに同じことを考え始めるだろう。
だけど、今は??
「どうでもいいや」
「何が?」
「なんでもないよ。 それより、もう少しだけこのままでいさせて」
「クラスの人結構来ちゃってるし、さっきから色んな人に見られてちょっと恥ずかしいんだけど……」
「そんなの気にしなくていいよ。 私は、もう少しこのままがいいの。 大体、先に抱き付いてきたのは寧々でしょ。 ホームルーム始まるまで離さないからね」
「全く……」
「そろそろ、ホームルーム始める……ぞ……。 影宮と日向、何やってるんだ?」
先生の声で慌てて寧々から離れようとする。
しかし、寧々の手が私を強く包み離そうとしてくれない。
離れかけていた身体を強引に寄せられ、耳元で囁かれる。
「大好きだよ」
「??!?」
「先生すいません」
寧々は先生に軽く頭を下げて席に座る。
私は、寧々に囁かれた言葉が脳内で永遠と再生されて、思考が完全に停止していた。
先生に呼び掛けられるまでその状態が続いていた。
休み時間、いつもと変わらず寧々と喋りながら昼食を食べていると横やりが入った。
「日向さん。 現代文のノート見せてくれない? 昨日、休んでて、空いちゃってるんだよね」
「いいよ。 はい、どうぞ」
「ありがとう。 授業が始まるまでには返すね」
「はーい」
(会話を聞いているだけで、イライラする。 寧々のものに私じゃない誰かが触れるだけで私の寧々が汚されてしまったような気さえする。 この気持ちは、嫉妬……なのだろうか)
「燐華、どうしたの? 暗い顔して」
「なんでもないよ」
「そう?」
「うん」
「そう。 話したくなったら教えて」
「うん……。って、何も隠してないってば」
「私は何も言ってないけど?」
「もう……」
寧々はにっこり笑って、食事に目を戻す。
何事もなかったかのように食事を再開し、何事もなかったかのように私に話かけてくる。
それ自体は、別に何も思わないし、むしろいいとさえ思う。
ただ、すごく不安を感じずにはいられなかった。
放課後、ホームルームも終わり、寧々と一緒に校門をくぐろうとしたところで休み時間話しかけてきた女がまた寧々に話しかけてきた。
「日向さん。 これ、ありがとね」
「あ、忘れてた。 ありがとう」
「よかった。 じゃ、またね」
「うん。 またね」
(今、寧々笑ってた。 私じゃない誰かに笑っていた。 どうしよう。 どうしようもなく、寧々が私から離れて行ってしまうような感じがする。 このままじゃ、だめだ。 この状況を打開しないと……。 私の寧々が、離れて行ってしまう。 早く、早く……)
カバンの中、ポケット、上備していたはずのスタンガンを探す。
どこにも見当たらなくて、私は焦っていた。
(いつも、カバンの中に入れてあるのに、どうして大事な時に限って見当たらないのよ。 早くしないと、寧々が……。 寧々が……)
「燐華、どうしたの?」
「えっ!? ど、どうしたのって何が?」
「何か、すごく慌ててるみたいだからどうしたのかなぁって」
「い、いや。 なんでもないよ。 私、ちょっと先帰るね!」
「あ、待ちなさい!」
走りだそうとして寧々に手を握られる。
(今は、こんなところで足止めを食らうわけにはいかないのに……。 早くしないとダメなのに……。 でも、私じゃこの手を振り払えない。 この手を振り払うなんて私にはできない……)
「燐華。 何をそんなに急いでいるの?」
「……」
「大慌てでカバンの中を漁っていたけど、もしかしてこれを探しているんじゃないの?」
寧々の手の中には私が探していたはずのスタンガンがあった。
真剣な目つきで私のことを見る。
私は、寧々から視線を逸らすことしかできなかった。
「燐華、こっちを見て」
「……ごめん」
「謝ってなんて言ってないでしょ。 私は、こっちを見てって言ってるのよ」
「うん……」
恐る恐る視線を寧々に戻す。
(やっぱり、怖い……)
「逸らさないの。 私、別に怒ってるわけじゃないから」
「……」
「燐華が探しているのはこれ?」
「……。 どうして、寧々がそれを持ってるの……?」
「燐華がいないときにカバン落としちゃって、外に出た荷物を直すときに出てきたの」
「そう……」
「これで、何をしようとしたの?」
「……」
「はぁ……。 ここで、話していても立ってるのがしんどいだけだし、一旦帰ろ?」
「うん……」
帰り道、私は何も考えられなくなってしまっていた。
寧々がスタンガンを見つけたことで、私に落胆し、離れて行ってしまう。
そんな考えが脳内をぐるぐると回り続けていた。
家に帰り、部屋に行く。
寧々がベッドのところに座り、隣に座りなさいと言っているかのように、隣を手で軽くたたく。
私は、それに従うほかなかった。
隣に座った瞬間、寧々が私にいきなり抱き付いてきた。
「寧々!?」
「燐華、何をそんなに焦っているの? 私はどこにも行かないよ」
「!? そんな確証がどこにあるの?」
「私はもう、寧々なしじゃ生きていけないのよ」
「そんなこと……」
「だって、燐華に触れていないと落ち着かないし、こうして抱きしめていないと寂しい気持ちになる。 朝だって、少しの間燐華と離れただけでものすごく寂しくて、辛かった」
「寧々……」
「だからね、燐華。 私の傍から離れて行かないで。 私の手の届く範囲から出ないで」
「私、寧々にひどいことしようとしてた」
「うん」
「早く本当の恋人にならないと、寧々が離れて行ってしまうと思って焦って。 今日、寧々が私じゃない人と喋っているのに嫉妬して。 寧々が他の人に笑いかけているのに嫉妬して、このままじゃ私から寧々はいなくなって、私のものじゃなくなる。 そう思っていたから……」
「いいのよ。 そんな風に思ってもらえて私は嬉しい。 私のわがままを聞いてくれてるからね。 今日は、なんでも聞くよ」
「ほんと!?」
「ほんとよ」
「じゃあ……。 私以外の人と会話しないで」
「うん」
「私以外の前で笑わないで」
「うん」
「私以外に物を貸さないで、渡さないで」
「うん」
「私以外と触れないで」
「うん」
「それから……。 それから……」
「分かった。 分かったよ。 燐華、その気持ちはすごくうれしいし、そのわがままは私、ちゃんと守るよ」
「うん……。 ありがとう」
「ねぇ、燐華」
「なに?」
「キス……していい?」
「うん」
寧々の唇が少しずつ近づいてくる。
唇が触れる直前に、そっと私は目を閉じた。
唇が重なって少ししてから舌が私の中に入ってくる。
それに反応して、私も舌を入れる。
舌と舌が絡み合い、身体が熱くなってくる。
寧々の腰に手を回し、身体を抱き寄せる。
寧々の身体も熱くなっているように感じる。
(もう少し、このまま……)
寧々が離れようとするところを今度は私が押し倒す。
「まだ、だめだよ。 私がシたりない」
「今日は、すごく甘えてくるね」
「……。 恥ずかしいから言わないで」
「可愛いね」
「もう……」
それから数分間、私が満足するまで続いた。
気づけば、日は沈み始めていた。
「寧々、見て夕日が綺麗」
「ほんとだ。 綺麗だね」
「夕日って私久しぶりに見た気がする」
「私も久しぶりかもしれない」
「寧々、写真撮らない?」
「いいね。 カメラある?」
「あるよ。 カメラをここにセットして……」
「こんなカメラあったんだね」
「うん。 寧々のことを撮るためだけに買ってたんだけど、意外と使う機会なくてね」
「そうなのね」
「うん。 ほら、撮るよ」
シャッター音が鳴る。
私たちの思い出の一枚。
背景の夕日が綺麗で、私たちを包んでくれている気がする。
この一枚には二人の沢山の思いが詰まっている。
私の強すぎる愛情。
寧々の強い独占欲。
お互いの離したくない思い。
私たちはこれからもずっと、この思いを抱えて、時には吐き出して過ごして行くだろう。
本当の恋人がどんなものがまだわからないけど、私たちは私たちなりにきっとこれからもこんな感じで過ごして行くのだろう。
いつかきっと本当の恋人になれると思う。
焦らずゆっくりと、近づいていけばそれでいい。
今はそう思える。
そして、今日のことは今までの思い出以上に濃いものになるだろう。
「ねぇ、寧々」
「何?」
「大好きだよ」
今できる精一杯の笑顔で微笑む。
「私も大好きだよ。 燐華」
二人は目を瞑り、そっと唇を重ね、そして抱き合った。
私はここが私たちの全てであり世界だと思っている。
ここには誰も踏み入れはさせない。
邪魔者がいれば、躊躇いもなく排除するだろう。
私は、寧々がいればそれでいい。
他には何も要らない。
寧々の長く綺麗な髪をそっと撫でながら、微笑んだ。
(愛しの寧々、どうかこのまま変わらないで、私だけを見続けていて。 そうでないと、私は寧々に手をかけてしまうから。 いつまでも、いつまでも、変わらず私のことが好きな寧々でいてね……)
はい、恋夢です!
今回は、百合に始めて挑戦してみました。
うまく書けてるかな、本当にこれでいいのだろうかという不安ばかり気にしていましたが、なんとか私自身としては納得のいく形で書き上げられたとおもいます!
これを読んでくれた方々が楽しく読んでいただけたら幸いです。
それでは、また次の作品でお会いしましょう!