良星とルシュフの冒険
闇の中で俺たちを待ち受けていたのは、急こう配の下り坂であった。
岩から削り出されたそれは、表面が鏡の様に磨かれていて、ウォータースライダーより滑らかに、俺たちを下へと運び続ける。
「うわああああ」
「ひぃええええ」
滑り台は起伏に富み、急カーブも多数設置され、俺たちに新鮮な恐怖を提供しつづけた。
そのスリルの質は、どこぞの大手遊園地のコースターと比較しても、遜色ない。
ただ、この巨大滑り台には、娯楽用には成りえない、致命的な欠陥があった。
(な、なんて殺意に充ち満ちたスライダーだ!)
安全性に不備ある、というか、ハナから安全思想がない。
必須のはずの転落防止対策が皆無で、それどころか、転落しやすいように傾斜までつけられている始末である。
傾斜は、特にカーブの膨らみに顕著で、乗客を振り落としたい欲求が明白だ。
「ぐ、ううう」
ここが迷夢宮内である以上は、落ちた先にクッションがあることだけは、絶対に期待してはならない。
精で強化した感覚と筋肉を駆使して、俺はどうにか滑り台にへばりついていた。
「ひやややや」
ルシュフは、その小さな身体が幸いして、転落の心配が俺よりは少ない。
そう思っていたのだが。
「あ!?」
奴の背中のハリが一本、スライダーの亀裂に引っかかった。
高速で移動する物体は、ごくわずかな衝撃で、簡単に不安定になる。
高速走行する自転車が、横からのわずかな接触によって、大事故を起こすようにだ。
それと物理的にまったく同じことが、今ルシュフの身体に起きていた。
「た、助けてくれえええ」
軌道を乱し、左ギリギリから右ギリギリへと、危険なジグザグを辿る。
あいつの眼前に迫るのは、本日一番の急カーブである。
「あぁぁれえええ」
カーブの頂点で、ルシュフの愛らしい身体が、ついに空中に投げ出された。
「く、……くそお!」
こういう時、無心に行動できる人間を、俺は心から尊敬している。
『事故にあった人を助けたい一心でしたね。自分の身なんてまるで顧みませんでした』
こういう英雄的セリフを、人生で一度くらいは吐いてみたい。
もっともそれは高望みである。
俺に出来るのは、自分の命も助かる算段をした後で、葛藤の果てに救助に向かうのが関の山。
「え、えええいいい!」
ルシュフがすっ飛んだ所から、俺も自身の身体を飛び出させる。
「あ、天屋?」
空中で、そのカワイイ身体を、ラグビーさながらにつかみ取った。
「君は戻っていろ!」
そのまま、ルシュフの身体をスライダーに投げ返した。
これでルシュフの救助は完了。
問題はここから。自分自身の救助。
俺のスライダーへの復帰は絶対に不可能だから、このまま地の底へ着地するしかない。
中空の俺は、必要な情報を必死に集める。
高度は?!
「うっ……」
想定よりも地下が深い。
着地までは、マンション十階、十五階、二十階、……いや、もっと高い。
いかに精を用いても、人体では耐えられない高さである。
重力による加速で、俺の身体は、みるみると降下速度を上げていく。
「あ、天屋!」
スライダーを滑る、ルシュフの声が、はるか頭上からした。
(大丈夫。大丈夫だ。実地訓練はまだだけど、助かり方は九谷さんから学んでいる)
高所からの落下訓練は、迷夢宮に潜る白魔封士にとっては、必修科目の一つであった。
『いいか、天屋くん。自分の精の限界を超えた高度から落ちた場合には、両足で着地しても絶対に助からん。衝撃を受け止めるのではなく、いなすことを考えろ』
足の裏に、みるみる硬い岩盤が迫って来る。
恐怖の悲鳴を必死にこらえて、俺はタイミングを図る。
「ここっ!」
両つま先に硬い感触があったと同時に、俺は自ら、地面に向けて前転をかけた。
もちろん、この神業も、精の恩恵あってこそである。
落下の衝撃を、回転に転換して、逸らす。
どうにか即死だけは免れた俺だったが、命の危機はまだ続く。
「う、うわああ」
落下による運動エネルギーは、方向を変えただけで、消滅したわけではない。
よって、そのエネルギーが、今度は、俺の身体を激しく回転させようとする。
(地面と一点で接するな。多点で、面で触れろ)
九谷さんの教えを、心の中で暗唱する。
一点で接触すれば、負荷の集中で、骨すら簡単にへし折れる。
複数個所で地面に接して、その衝撃を分散させることで、俺は五体をバラバラにできるようなエネルギーをどうにか受け流していく。
「ぐう! がはっ! げぇっ!!」
身体が回るたびに、激しい衝撃が、内臓まで揺さぶる。
「――――」
落下地点から十数メートルを経て、ようやく、全てのエネルギーを、地面との摩擦力に変え尽くした。
「う、うう」
全身が激しく痛むが、奇跡的に骨に異常はないようである。
「だ、大丈夫か、天屋!」
スライダーを無事滑り降りて来たルシュフが、俺が巻き上げた砂埃を、突っ切って来る。
「ダ、ダメかもしれない」
俺は咄嗟に弱弱しい声を出していた。
「ああ、なんてことだ。俺を助けようとして、自分が犠牲になるなんて。天屋! お前こそが皆が見習うべき、白魔封士のお手本だったぞ」
ルシュフが感極まって涙をこぼす。
「た、頼みがある、ルシュフ」
「何でも言ってくれ。末期の人間の頼みを無下にするほど、俺は冷たい悪魔じゃあないぞ」
「い、一度だけでいいから、君の身体を思う存分撫でさせてもらえないか?」
「なんだ、そのくらい……、え!?」
「た、頼む!」
「ああ、待ってくれ、天屋。お前も知っているだろう。俺にとってこの外見は最悪のコンプレックスなんだ。それを撫でまわさせたら、最悪、俺の自我が崩壊してしまうかも」
「うう、苦しい。げほげほ。お、折れた肋骨が肺に刺さったのかもしれない」
「ああ、天屋。う、ぐうう。い、致し方ない。命を助けてもらった恩がある」
ルシュフが生娘のような仕草で、俺の手元にやってきた。
「ど、どうぞ、お好きに!」
微かに声を震わせて言う。
俺は野獣のように、その愛らしい姿形にむさぼりついた。
「ああ、このフワフワのほっぺた。ポカポカのお腹。全身どこに触れても極上の感触だ。背中のハリのチクチクさえ心地よい」
俺の指先は、この時たしかに天国に在った。
「う、ううう」
俺は、小さく悲鳴を上げるルシュフの全身を、くまなく撫でまわし、頬ずりをし、最後はキスをしようとする。
「むちゅうう」
「うぎゃああ!」
ルシュフの背中のハリから、電撃が迸った。
「ぐおおおお!」
顔面に電気を流され、俺はその場を転げまわる。
「な、なんてことをするんだ。死にかけの恩人に通電させるだなんて」
「い、いきなり気色悪い顔を近づけるからだ。……というか、なんだ、お前。随分と元気に動き回れるじゃないか?」
「あ……」
「く、くそ、俺をはめたな」
「ま、まあ大目に見てくれよ。命の恩人なのは確かだし。ははは」
「ははは、じゃない」
雷を帯びたハリを、白く輝かせながら、ルシュフが俺をにらみつけた。
「はい。おふざけはここまで。今からは真面目なお仕事の時間です」
「お前が仕切るな!」
「それにしても、随分と奇妙なところに迷い込んだね」
「聴け!」
言いながらも、ルシュフは、俺につづいて周囲を観察する。
「……確かにな。なかなか厄介そうな空間じゃあないか」
地底深くにて、俺たちを覆いつくすのは、色を完全に失い、半透明となった岩盤。
そこに坑道のような通路が入り組み、複雑な岩の迷路を構成していた。
「ここからボスと遭難者を探しださなきゃならんのか? 気が滅入るな」
うんざりとした様子で、ルシュフの声が重たい息を吐いた。