殺害狂いの独り歩き
短編初挑戦。
退屈だった―――。
どうしようもないくらいに、退屈だった。
今になっては何を悟ったかのように格好つけてるのかと思いはするけれども、何を生意気なことを抜かしているのかと吐き捨てはするけれども、当時は相当に退屈だった。
退屈で、退屈で、退屈で、退屈で、退屈だった。
自らを賢いと思い込んでいる阿呆を傍で眺め。
進んで阿呆を演じている物好きを流し目で追い。
自分を阿呆だと自覚していない輩を後ろから見て。
自分が一番の―――正真正銘の阿呆であることに気づいていながらも、その立場に甘んじていた。
何かが起こればいいと心で思いながら、何も起きないでくれればいいと星に願う。何かが壊れてくれないかと頭で考えながら、何も壊れないでくれと神に祈る。
結局は、誰も彼も、皆総じて阿呆だということに早くに気づき、そして自らは何もしなかった。
自分が何かをすることで、何かが変わるのを畏れた訳ではなく、自分が何かをすることで、真に自分のことを阿呆だと自覚したくなかったのだ。そして、それを全て『退屈』のせいにしたかった。
たったそれだけだった。
退屈。
それが何に対してのものなのかは、当時は分からなかったが―――今でも分かっているとは言い難いが―――、多分、人間に対して退屈していたのだと思う。
何かをしたいと思い、同時に何もしたくないと思う。
人を傷つけるのが悪いことだと知っていても、なおも他人を傷つける。
醜いものを忌避するくせに、自分はひどく醜くあり続ける。
そんな人間の矛盾さに―――、そんな人間のあべこべさに、ひどく退屈してしまっていたのだ。
そう。
退屈してしまった。
疑問を唱えるのでも、嫌悪感を覚えるのでもなく、ただただ退屈してしまった。
真っ向から立ち向かうのではなく、向き合うまでもなく、最初から諦めてしまったのだ。
今思えば、それこそが原点だったのかもしれない。というか、間違いなくそうだ。
その、世の中の全てに対する退屈さが。
この先、『殺害狂い』と呼ばれることになる一人の少年が一番最初に抱いた、明確で、曖昧で、どうしようもなくどうにか出来たはずの―――人間への殺意だった。
◇◆◇◆◇◆◇
とある日の昼下がり、誰もいない、伽藍とした廃墟だった。
―――退屈そうだね。
不自然なくらいに長い黒髪に、不自然なくらいに整った顔立ち。手も足も異様に長い、針金細工のようなその女は、自らを『殺し屋殺し』と呼称していた。
―――本当に、退屈そうだ。
文学書に目を通していた少年からすれば、その女は読書の邪魔をする存在でしかなかったから、いかにも面倒くさいというような顔を作って、あたかも心底参ってしまったというような風体を装って追い払おうとするのは当然のことだった。
だが、その女にはそういう『ふり』は通用しなかった。
その女は鬱陶しいくらいに付きまとい、結局少年の方が折れて、女の話を聞くことになった。
―――私は、『殺し屋殺し』を名乗っているけれどね、実際のところ、人はあまり殺さないんだ。
当時、既に『裏の世界』に片足を突っ込んでいた少年は、人を殺すという行為に、言葉に、あまり反応しなくなっていた。
それでも、あまり、である。
多少は反応するし、それに、思うところがないでもない。
人間への興味や感心といったものが消え失せてしまったとはいえ、少年は未だに人を一人も殺したことはなかった。
だから、女の、人はあまり殺さないということを聞いても、ふん、と鼻を鳴らすだけだった。
―――じゃあ、何なら殺すんだよ。
カウンターキラーと名乗っているくせに、殺し屋を殺すとのたまっているくせに、人は殺さない?
何を言っているのか、まだ何も狂っていない―――狂っていたとしても、その『狂い』はまだ決定的ではない―――少年には、女の言葉がちっとも理解出来なかった。
―――人を殺さないとしたら、一体、何を殺すって言うんだよ。
少年のその問いに、女はこう答えた。
―――『殺意』さ。
―――人を殺すには、多少なりとも殺意が絡んでくる。ましてや殺し屋になるような人間は、世間に対して、世界に対して、或いは―――自分以外の全てに対して、殺意を抱くんだ。たまーに殺意を持たずに人を殺せる、なんてほざく馬鹿もいるけれど、そりゃあ嘘だ。殺意を持っていないのなら、それはそもそも人を殺すという行為の必要性がなくなってしまうからね。
正論のようで、どこか破綻していた。
理解できるようで、全く持って意味が分からなかった。
だから、少年は、ふーん、と話を聞いているのか聞いていないのか曖昧な返事を返し、すぐに手元の書籍に視線を戻した。
そして、文章を目で追いながら、尋ねた。
―――それで? そんな形の無いものを殺せるのかは別に、もし殺意を殺したとして、その目的はなんなんだよ。
ふむ、と針金細工のような女はその長い腕を組んで、少しばかり言葉を選ぶようにして、
―――殺意を殺すことが出来れば、その人は何に対しても殺意を抱かなくなる。つまり、人を殺さなくなる。私が狙っているのは―――つまり私の目的は、それさ。
―――殺し屋を、生まれさせなくする?
少年の口から漏れた言葉にからからと笑い、女はぱちぱちと拍手した。
―――そう。だから、君の前に現れたのさ。君が人殺しにならないようにね。
―――あっそ。
つまらなさげにページをめくる。
女はそれを眺めながら、勝手にぺちゃくちゃと言葉を紡ぐ。
それが、少年と女の出会いだった。
少年は読書しながら女の話を聞き流し、気になるワードがあればその話題を広げていった。
女は読書している少年を眺め、自分の知っている知識を話した。
少年は退屈を紛らわすために。女は人殺しをさせないために。
結果として、少年は浸かりかけていた裏の世界から抜け出し、女との会話を楽しむようになっていった。
何かに対してつまらないと思いはしても、少なくとも、退屈だという言葉は、いつの間にかその口からは発せられなくなった。
◇◆◇◆◇◆◇
しかし―――。
そんな日常は、まもなく消え去った。
少年とカウンターキラーが知り合って3年が経過した頃、2人が逢う機会は明らかに減っていった。
少年がもう人を殺すような殺意を持たなくなったと思ったのか、それともどうしようもなくなってしまったのか。その真相は分からないが―――、
少年は、女と逢わなくなった次の日から、人を殺し始めた。
◇◆◇◆◇◆◇
初めて人を殺した感覚は、決して忘れられるものではないと思う。
齢19歳の少年が一番最初に殺したのは、母校の恩師だった。いや、少年からすれば恩師でもなんでもなかったのかもしれない。彼にとって何かを教えてくれた存在というのは、『殺し屋殺し』の女を除いて誰一人としていなかったのだから。
一度を人を殺してしまえば、後は単純だった。
次は同級生とその家族。その次はぶつかった一般人。その次は追いかけてきた警官。その次は声を掛けてきた人殺し―――。
殺し屋というには技術もへったくれもなく、殺人鬼というには美学もくそもない。
誰が呼び出したのか、少年は『殺害狂い』と呼ばれるようになった。
武器も統一せず、その場で出来る最も悲惨な殺し方で人を殺す。
殺害狂い、とはよく言ったものだ。
そして、その日も、彼が人を殺した帰りのことだった。
ふらっと立ち寄ったバーで、彼は奇妙な輩と出逢った。
―――アンタがウワサの『殺害狂い』かい?
そのおちゃらけた男は自らを『情報屋』と名乗った。
―――オレぁ、アンタのファンだからさ、1つだけ忠告させてもらうぜ。
何故かその男に殺意を抱かなかった彼は、その忠告とやらを聞いて、少しだけ胸が高鳴った。
―――この近くに『殺し屋殺し』がいるから、人殺しのアンタは気をつけた方がいいぜ。
それを聞いた瞬間、彼は金だけを置いてすぐに駆け出した。
胸が高鳴っている。
これほどまでに嬉しいとは、思いもしなかった。
―――早く、速く、疾く。
―――あの人に、逢いたい。
◇◆◇◆◇◆◇
昼下がり、誰もいない、伽藍とした廃墟だった。
―――退屈そうだな。
今度は、彼から声を掛けた。
彼は、自分のことを『殺害狂い』だと名乗ってから、かつての会話をなぞるように続けた。
―――本当に、退屈そうだ。
―――久しぶりだね。それとも、初めまして、かな? ロンリーウォーカー君。
―――俺の方こそ、カウンターキラーの方は初めましてだな。
そういうと、女はからからと楽しそうに笑った。それに合わせて彼もからからと本当に楽しそうに笑った。
―――じゃあ、始めようか。
―――ああ、終わらせよう。
2人はそれぞれの得物を構えて対峙した。
もとより人を殺すものと、人殺しを殺すもの。
2人が殺し合わない理由など。どこにもなかった。
『殺害狂い』は、愛しい人を殺すため。
『殺し屋殺し』は、不始末の責任を取るため。
必然的に、彼らは殺し合いを始めた。
女が振り回すのは、時代錯誤な日本刀だった。
遠心力を乗せ、人を叩き斬ることに特化した肉厚な日本刀。
対して彼の扱う武器は、一振りの傘だった。
雨や雪を凌ぐ、傘。
市販の―――しかもコンビニで売っているような―――、傘だった。
ただ、少しだけ違うところがあるとすれば、先端が少し尖っていることだろう。
彼には決まった得物がなかったものの、『殺し屋殺し』と対峙するためにこの体が勝手に選んだのは、この市販の傘だった。
繰り出される斬撃を、刀の腹に傘を押し当てるだけで躱し、鋭い先端で喉元を的確に突く。それを彼女は何でもないように避ける。
こんな殺し合い、否、殺し愛に胸が高鳴らないのは、嘘だった。
ずっとこの瞬間が続けばいいのに、と思っていた矢先だった。
傘の先端が斬り飛ばされ、刺突を繰り出せなくなった。
ここぞとばかりに繰り出される必殺の一撃。
それを、彼は―――。
―――何!?
女の驚愕の声が聞こえた。
それもそのはず、なぜなら彼は―――、傘を、開いたのだから。
女の斬撃は傘を斬り裂き、わずかに逸れる。その瞬間に、彼は女に肉薄し、懐に仕込んだナイフを――――――。
ざくり。
彼の体を、短刀が貫いていた。
懐刀。
それを仕込んでいたのは、彼だけではなかった。
―――負け、ちゃった、か………。
ばたりと地面に倒れ込む彼を、女は寸前で受け止めた。
女は泣きそうな顔をしていた。
―――そんな顔、すんなよ。分かりきっていた、こと、だろう………?
そう。
分かりきっていたことだった。
『殺害狂い』が『殺し屋殺し』よりも弱いなんてこと、分かりきっていたことだった。
それでも、それは承知の上で。
彼らは、殺しあったのだ。
そして、愛を確かめあったのだ。
『殺害狂い』のこれまでの人生は、そのほとんどが1人だった。
独りだった。
生まれてから、これまで。『殺し屋殺し』と触れ合った時間でさえも、彼は独りでその人生を歩んできた。
『独り歩き』、とはよく言ったものだ。
彼は、結局、心を許せる仲間とも、家族とも出逢えなかった。
独りきりだった。
だから―――。
彼は、女の唇を奪った。
―――っ。
息を飲む声と、柔らかい唇の感触。
数秒もないその接触を経て、彼は言った。
―――ああ、独りで歩いてきたけれど。『独り歩き』だったけれど。
―――最後くらいは、独りじゃなくても、いいよ、な………。
こうして、『殺害狂い』は齢19歳という若さにして、死んだ。
彼の人生のほとんどが独り歩きだったけれど、彼のことを想う者なんて一人もいなかったけれど。
最後の最後で或る女に深い爪痕を残し、狂いに狂った彼の、『殺害狂い』の独り歩きは静かに幕を下ろした。