第六十話 五分
背後は常に警戒しつつ、俺とムーランは丘の上にある城へと向かっていた。遠くに逃げるという意味でもそうだが、リエイに見つけてもらいやすいようにという意図もあった。
「五分ですか、エレが何分稼げるかにかかってますね。奴ほどの再生能力は無いので、風穴を開けられでもしたら半日は起き上がってこれませんが」
「人間から見たらそれでも異常に早いんだがな」
エレが倒されて接近戦になれば、俺は即死する上にムーランでは恐らく歯が立たない。リエイであれば多少なりとも時間は稼げるはずだ。それでも一分稼げるかは不明だが。
「そうだムーラン、泥人形を街中に置いて奴を混乱させるってのは」
「それだと足跡を残していっているようなものです。エリクさんと別行動するなら可能ですが、瓦礫なんかから確実に守れるように隣に居たいです」
そういったそばから石片が飛来し、ムーランが泥の壁で防いだ。どうやら、守ってもらわないと前に進むことも怪しいらしい。
「走りましょう、五分はすぐです」
「あぁ、行こう」
今のところ、時間稼ぎは順調だ。後方でまだエレが戦っていることは音でわかる。気がかりがあるとすれば誰も時計なんていう高級品を持っていない事だ。緊張のせいで自分の時間感覚が信用できない。
そうこうしている間に城への坂道にさしかかり、一気に足が重くなる。そこまできつい傾斜ではない、ここで根性を見せなくては。一瞬で詰められる距離だとしても、距離を離せば精神的に余裕ができる。
「エリクさん代わりましょうか?」
「……ペース上げるわ」
坂道の半分ほど来て、一度後ろを振り返る。ここまで来ると街を見下ろす形になり、戦場はまだ火事に落雷、雪崩に洪水でまだまだエレが抵抗を続けていることがわかる。だが逆に、エレの猛攻の中にあっても奴はまだ生きているということでもある。
エレが倒し切ってくれるかもなんて思ったが、ノアでないとトドメは務まらないようだ。
なんとか城に到着した俺とムーランは、数体残っていた黒マントの残骸を片付けて待ち構えた。
「では、お二人が入れる程度のドームを作りますので、エリクさんはノアさんのそばにいてください」
「お前は?」
「城壁を補強しておきます。薄皮を張る程度ですが、投石ぐらいではビクともしないようになりますよ」
「分かった。危ないときは逃げろよ」
「もちろんです」
ムーランが俺とノアにすっと手をかざすと、泥のドームに包まれた。天井に小さく採光の穴が開いているので暗闇ではなく、空気も入る。外の状況のすべてを音で判断しなければいけないのは不安ではあるが、ただ座ってその時を待つよりかはマシだろう。
だが、外にいるよりも時間がゆっくり進む。ムーランが砂利の上を歩く音だけ聞こえてくるがそれだけだ。気を紛らわそうとノアの寝顔を見るが、どうにも落ち着かないのでやめておいた。
ムーランの足音が鮮明に聞こえる。どうやら視覚が寂しくなると聴覚が鋭くなるらしい。それにしてもこれは、雑音が足りない。違う、エレの戦う音が完全に止まった。攻撃の合間に数秒静かになることはあっても、これは確実に二十秒経っている。
だがそれだけ時間が経過したともいえる、ノアが目覚めるまでもう一分も無い筈だ。
「ムーラン、状況は?」
空気孔に向かって質問を投げると、ムーランの足音が近づいてきた。
「どうだ、奴は向かってきてるか?」
ドームの前で足音が止まる。そして三秒ほどの沈黙、どうして声を出さないのだろう。
「おい?」
「エリクさん! そいつ……は! 僕じゃ……ない!」
ムーランの声だ。だが足音と比較しても声は数十メートル離れている。
声の主と、足音の主が違う。
「お前……誰だ?」
直後、風船が弾けるように俺とノアを包んでいた泥のドームが消えた。それからまばたきする間もなく、俺は宙を舞っていた。地面に俺の足が置き去りだ。ちゃんとついて来いよ、生まれたときから一緒だっただろ右足。
今度は背中に強い衝撃が走り、回転のかかっていた視線が定まった。あぁそうか、俺は城壁まで吹っ飛ばされたのか。ぶつかれば勢いは止まるよな。
「あ、う。あ」
声が出ない。壁に激突してまともな呼吸の仕方を忘れたらしい。幸いなことにまだ痛みは感じない。二秒後には痛みに気づくのだろうなと思うと怖い。
壁に叩きつけられた体がずり落ち、顔から地面に突っ込んだ。これはさすがに痛い。足はもうよく分からないな、本当に落としてきたのか。
顔を持ち上げ、様子を確認しようとするが、視界が悪い。
理由としては目の前に足があるからなのだが、たった今振り上げられたことを見るに俺の足ではないらしい。
蹴られて死ぬ職業は馬飼いだけだと思っていたのだが、盗賊も追加になりそうだ。
目を閉じ、沙汰を待つ。右足が痛み出し、唇を噛む。
やるなら早くしてほしいのだが、先に痛みが引いてきた。
痛覚が麻痺したからしたからではない、右足の先まで感覚はある。そして誰かに触られていることも分かる。
俺はゆっくりと目を開け、右手で起き上がりながら後ろを振り返った。
「助けに来たよ。エリク」
次回、最終話