第五十九話 破壊
「エリクから離れろぉ!」
最高速度で突っ込んできたノアの方に注意が逸れたのか、俺の肩を掴む手が緩んだ。すかさず地面に伏せると、ノアの拳が俺の脇を突っ切り、前方の家屋が吹き飛んだ。崩壊は隣家に波及し、時折ノアと色白の誰かの姿が見え隠れする。
起き上がろうとした俺はリエイの脇に抱えられ、直後に俺の視点は市街地を見下ろす形になった。
「状況は」
またも脇に抱えられている俺だが、その無様さに文句を言う余裕は無い。
「進化といって差し支えない変化をしたみたい。色白で小柄になったクセに一撃は重いし動きは速い。あの薄皮の中に無理矢理詰め込んでるんでしょうね」
「結局ノアしか抵抗できないのか?」
「そうね。折っても切っても捻じっても治るから、私じゃ無理よ。エレも無理ね、単純に頑丈だから」
「お前らよく四万年前のノアに勝ったな……」
「ノアも再生能力は高いけど、瞬時にって訳じゃないの。小一時間おとなしくなってくれたら、封印は簡単なのよ」
「じゃああの化け物に封印は」
「無理ってこと。ノアが抑えてくれるなら出来なくもないけど、多分巻き込むことになるから。嫌でしょ?」
「当たり前だ」
となればどうする。今なお戦塵の途切れない地上からは、戦況が伝わってこない。しかし聞けば聞くほどノアには分が悪い。視界も足場も悪く、重い一撃を受けると復帰が効かないのだ。考えている間にも地上戦は激しさを増し、市街地の面影を失った平地で戦うノアの姿が見えた。
ノアは炎の魔法で牽制を挟んではいるが、敵はおよそ気にせず突っ込んでいく。そして拳がぶつかり合うと、お互いに後方へ吹っ飛ぶ。このやりとりで相手は腕を吹き飛ばされているがすぐ再生してしまう。
非常にまずい状況だ。六本の腕を持つ相手に格闘で立ち回っていることから、技量は確実にノアが上だ。だが毎度回復され仕切り直しされるとなると、体力が削られ始めたノアはいつか追いつめられる。ノアがありったけの力を叩きこむことができれば、このジリ貧な状況は一気に終結するのだが。
「リエイ降りよう。策を思いついた」
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「上手くいくと思うか」
「多分ね。ノアに余裕が無い時しか使えないんじゃない? あの子、勘がいいから」
「そうだな。普段ならバレるだろうさ」
ノアが戦い続けている中、俺達は仕掛けを用意して機を待っていた。危惧していた事態も杞憂に終わり、後はタイミングを見計らうのみとなっていた。
「よし今だ!」
リエイの術でノアと奴の間、ちょうど拳がぶつかり合う所にあるものを瞬間移動させる。
「止まれ!」
分かっている。もう二人の勢いは止まらない、だが何でも良かった。一言さえ伝えることが出来れば俺の役目は終わりだ。
拳がぶつかり合った時、それはもう原型を留めていなかった。飛び散った破片はノアの炎に巻かれ、灰になって風と共に消えた。
「あ……」
後方に吹き飛んだ奴をよそに、ノアは消えゆく灰の欠片を掴んだが、それもすぐに崩れ去った。
「あぁぁあっぐぅ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ノアの叫びと呼応するように、空気が、空間が揺れている。ノアは青白いオーラを纏い、奴の元へと歩き出した。
一歩足を踏み出すごとに周辺の家屋が崩れていく、揺れによるものではなく、建つことを諦めるかのように全てが砂へと還っていっている。もはや比喩には留まらず、死を撒いて歩いているのだ。
対峙する奴に恐怖心は無いのか、再び起き上がりノアに向かって駆けだした。ノアは身構える様子もなく、飛び込んできた奴の拳を目前まで迎え入れた。
そこでやっとノアは動いたのだが、速度がこれまでの比ではなく、まばたき一つ挟むと奴は地面に叩きつけられていた。奴を中心にして地面に亀裂が走り、地面は大きく沈み込んだ。
「砕いたのが泥人形と分かったら……僕ら殺されるんでしょうか」
ズタボロになりながらも苦笑を漏らすムーランの隣で、俺はひっそりとノアの様子を観察していた。リエイは更なる被害拡大を承知し、同胞の避難誘導にあたっている。
「説教は覚悟してる。俺が一瞬先に現れて瞬時に泥人形と入れ替わったんだし、騙す気満々だからな。前回はノアに気配で気づかれたけど、あの精巧さは余裕がないと分からないものだな」
「どちらにせよ。これでノアさんが奴を倒せなかったら、天界も下層の世界も終わりです。後は流れに任せましょう」
ノアの方に視線を戻すと、ゆっくりと起き上がろうとする奴を思い切り蹴り飛ばしたところだった。そのまま奴は家屋の壁を十数軒貫いてやっと止まったが、ノアは直ぐに追い打ちをかけ、ノアの叩き割った地面のところまで奴を再び吹っ飛ばした。
それでも奴は起き上がる。右半身の半分が吹き飛んでいても、再生にはやはり三秒とかからない。だが、帰ってきたノアの様子は明らかに変わっていた。
青白いオーラの代わりに、青みがかかった半透明のベールを纏っている。いや、ノアの気迫がそう見せているだけで、実体のあるものではないだろう。
ノアは凍てつくような殺気はそのままに奴の元へ歩み寄っていき、掌底で頭を弾き飛ばした。奴は理解が追い付かない様子で、自身の空白を手探りで探していたが、ついには倒れて動かなくなった。
「ノア!」
奴が倒れたと同時にノアの体勢が崩れ、その場にへたりこんでしまった。青いオーラも消えており、もう戦闘状態という感じではない。
ムーランと俺はノアの元へと走り出す。手のひらで小突いた最後の一撃、あれが奴の不死性を「破壊」したのだろうが、こうもノアの消耗も激しい技なのか。
「ノア、おい動けるか!」
背中を支えるようにしてノアに声をかける。俺の方を見てはいるが、ぼんやりとしていて返事は返ってこない。
「眠いのか?」
俺が問いかける前にカクンと力が抜けた。ノアの力を引き出さなければ勝てなかったとはいえ、肉体的にも精神的にも苦労させ過ぎてしまったな。でももう終わった、本当にありがとうノア。
「ノアは俺が背負おうか。ムーラン、リエイを探しに行こう」
「そうですね。ノアさんが起きたら、エリクさんから説明してくださいよ」
「そこまで済ませて作戦完了だな」
後々のごたごたは頭の片隅に残しつつ、俺はノアを背負って城の方へと歩き出した。シロの行方も気になる、もし奴に吸収されていたとしたら、リエイとエレには倒してしまったと伝えるしかないだろう。
「おいムーラン、もういくぞ」
「あの、いやちょっとだけ待ってください。すぐ追いつきますので」
ノアを落とさないようにゆっくり振り返ると、ムーランはまだ奴を眺めていた。
「エリクさん、走れますか」
「それはどういう……っておいおいおい!」
黒いオーラを放ちながら奴は立ち上がっていた。
だがノアの一撃が効いていなかったわけではない。奴は無茶苦茶な再生能力で補っているが、身体のあちこちが何もせずとも崩れていっている。もう放っておいてもいつかは果てそうなものだが、奴に好き放題させて生き残れるとは思えない。
奴が動き出す前に俺とムーランは走り出していた。数秒後には、とてつもない速さで足音が迫ってきた。がそれと同時に、正面から近づいてきた影もあった。
「やっと出番かな?」
「エレ!」
「良いところは全部ノアが持ってっちゃったんだ。時間稼ぎぐらいは役に立たせてもらうよ!」
エレが通り過ぎてから、振り返ることはしなかった。背後で響く爆発音や家屋が崩れているであろう破砕音に背中を押され、走り続けた。
「んん……?」
「起きたかノア! 悪いけどすぐ戦えるか!」
「エリク……生きてるの? ほんとに?」
「んんぁぁ! 俺の撒いたタネではあるが、説明は後だ。俺は生きてるし奴もまだ生きていた。でも一発で終わるはずだ、もう一回重いのぶち込んでやれるか!」
「でも、うん……あと五分あれば、ぶっ飛ばせる……」
ノアはそれだけ言い残し、俺の背に体を預け眠りに落ちていった。
「賭けたぞノア。これからの五分、俺は死んでもお前を守る!」