第一話 神話
「えぇっと……?」
「だから! 私は女神です!」
「いや問題はそこじゃなくて」
「二人ともリアクションに欠けますね」
「いやそこでもない」
俺はゆっくりと立ちあがりながら、状況を整理する。
異様な赤い箱から出てきたのは自称女神の女性。
あの異様な箱から出てきた辺り、そんな話も直ぐには否定できない。
ランタンで照らされたその顔は繊細そうな白い肌と銀髪で、場所が場所だけに依頼にあった幽霊な感じも否めない。その容姿と、箱から出ている頭から腰のバランスから見るに16から18歳ぐらいだろうか。女神と称されても、おかしくないような汚れを感じさせない純潔そのもののようないでたちではあるが、まさかたとえ話ではなかろうな。
ともかく、まともに会話が出来そうなので後は質問での確認にシフトすることにした。
「いくつか質問させてもらおうか?」
「待った」
「なんだ」
「まずは自己紹介でしょ」
「あ、そうですね……」
手が伸びてきたときには死が目の前に迫ってくるという感覚に襲われたほどだった。
しかし緊張感をぶった切るような自称女神の出現に、頭痛もやわらいできた。
「俺はエリク。帝都ファータシュバンを中心に物盗りや狩猟をして生きてる。まぁ盗みは褒められた生き方じゃないが、それに関する技術はそれなりにあ……どうした?」
「帝都ふぁーたしゅばん?」
そのふにゃふにゃな発音から、想定していた問題が再浮上する
「もしかして時代にズレがあったりする?」
「というか私から話始めるべきだった。記憶が無いわ。
自分は女神で、名前はノア。ジルグラッド四楔で。あと常識とか言語は知識として備わってるみたいなんだけど。私の記憶は今が開始点になってて、それ以前が全く出てこない。記憶が無いのに、なんで記憶を無くしたという事実を理解してるんだって話だけど。」
ジルグラッド神話のノアといえば子供でも子守歌で知っているレベルだ。
宗教として今も根強い信仰を集めている。
ただ、40000年は前の話とされている。
とすればノアの年齢は言わずもがなで、容姿から推測した年齢は外れていた。
老齢の容姿であっても40000歳など当たるはずがなかったのだが。
「最初に会った時からある冷静さはどこから来るの」
「いやぁ人間が私に何かできるはずもないという認識が落ち着かせてくれますから」
それなら本能的に見下されてるのか、と俺が勝手に嫌な顔をしているとあちらからも質問が飛んできた。
「ねぇ、これからどうする?」
「これから?」
何も発見できませんでしたでまたファータシュバン周辺の町に移ろうと思っていた。
しかしこのノアが現れたからには話が変わってくる。
本当に女神サマなら、金になる特技や能力を持っていそうなものである。
いや、それより前にこの箱だ、どう考えても1級魔術。
いやそのさらに上、神威レベルの術式が施されているに違いない。
まだタンスの天板でその一端を垣間見ただけだが、物体を消滅させるなど聞いたことが無い。
だから箱の確保は確定。それからはどうしようか。
「女神様、その箱また入れる?」
と聞くとノアはスルリと箱の中に消えていく。
俺はノアが入ったのを見計らって、内側に向かって布切れを投げ入れる。
数秒するとノアが布切れをもって出てきた。
どうやら内部は、ノア以外でも行き来が可能らしい。
俺がふむふむと呟きながら考察していると、ノアから耳寄りな情報が得られた。
「中は白い世界がいくらでも広がっているので、量にも制限はないようです!」
なんだもう最高だ。
ソロで活動している盗賊は当然一人分の荷物しか持てない。
欲張って盗みすぎると動きは鈍くなり追手の追跡を許してしまう。
そのため、盗むのは大抵宝石類や魔導書など軽いもの。
高価なナイフや短剣は自身のものとすり替えているが、それでも盗める数に限りはあるし、武器の類は重くて盗めない。
そういう理由で所持数に制限が無いのはエリク含め、盗賊が夢にまで見る能力であった。
「よし、じゃあ話を戻そう。
色々方針が定まってきた。これから俺は一攫千金目指してもっとデカい盗みを働く! そのためにはその箱の力が必要だ!」
「あれっ、私の力は必要ない?」
「あっ、特技とかありますか?」
「急に面接みたいになってしまいましたがいいでしょう、なんか力を出せそうなポーズで……」
ノアはそう言って左手で右手首を掴みながらう-んうーんと唸り始めた。
「記憶がないって言ってたけど、体に染みついてる魔術とかだったら思い出せるかも」
と俺は励ましの言葉をかけてその姿を眺めていた。
「何か出せたら勝手に付いていきますから」
ノアは右手を見つめながら返事をした。
この時点で俺はノアが俺に付いて来ようとしていることを察した。
ノアは俺以外の人間を知らない。
だが人間という生き物は知識として知っている。
友好的で敵意を向けない俺を人間の中でもよさそうな奴、と感じてくれたのだろうか。
俺はあった時からノアと一緒に旅をしようと思っていた、しょぼい盗人人生に光が差したような気がしたからだ。
日々を人並み程度に生きていければいい。
なんて思っていた自分には、自称女神でも運命の運び手だと信じて疑わなかった。
俺は浮上してきた問題に思考を巡らせる。
ここでノアがなにもできなかったらどうしよう、という話だ。
その白銀を想像させる肌と髪はどうしても目立ってしまう。
そのため、もし特技が無いのなら俺の盗人としての生活に利点が無さ過ぎる。
動かず、ずっと箱の中にいてもらわざるを得ないのである。
しかし戦闘ができるなら話は別。
ノアと別行動ができることになり、ノアの目立つ容姿を活用できる。
俺はその間にひっそりと盗みを働き、颯爽と逃げられる。
そんなことを考えているとノアが黙ってしまった。
どうやら魔術の発動はかなわなかったらしい。
と思ったがそうではなかった。