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禿山の花婿

「禿山の一夜」を知っているか?

 ムソルグスキーが原曲を作った、交響詩が一番有名かな。聖ヨハネ祭の前夜、不思議な出来事が起こるという言い伝えが元になっているらしい。

 え、「真夏の夜の夢」? 察しがいいな。かのシェイクスピアも、この言い伝えをモチーフに、例の作品を作っているようだ。

 聖ヨハネ祭は、夏至の日とほぼ同じタイミング。その前夜には妖精などの神秘とうたわれしものたちが姿を現し、一夜の夢を見せて去っていくのだという。「禿山の一夜」もそれらを題材にしているようだ。

 しかし、人の身で禿山を歩むことは苦行。見えざる者の加護を自ら断った人間は、その辛くも厳しい道程を、己の力で切り開くことを余儀なくされた。

 つぶらや。今日はお前に、この近辺に伝わる「禿山の花婿」の話をしようか。


 かつて奇跡が、より人の近くにあった時代。神の怒りを鎮めるため、選ばれし者たちが生贄となった世界。犠牲は常に尊く、人々はそれに対する畏敬の念を絶やすことはなかった。

 やがて文字が伝わり、「源氏物語」などの小説が作られるようになると、人柱とは違った神への捧げものが考案されるようになる。

 詩歌。そして文章だ。歌い、書き記した者たちの魂よりの叫び。これを神に捧げることで、怒りを鎮めようとした。

 ほれ、有名なもので言えば、遣唐使廃止を提案した菅原道真。彼が最終的に大宰府に流されて長く祟ったのは知っているだろ。

 彼の怒りをおさめるために、一時は完成を迎えたはずの「古今和歌集」。あれに新しい歌を加えられて、二度目の完成を迎えたという話だ。それでも容易にはいかなかったようだがね。


 そして、源氏と平氏が雌雄を決する、数十年前のこと。

 霊地の一つとしてあがめられていた山の頂に、落雷があった。その電熱は何本もの木々を炎に巻き、山肌を焦がしつくしたんだ。幸いにも雨が降り、どうにか火事は止められたが、山の片側は、見るも無残に禿げ上がってしまった。

 付近の人々は考えた。この山は山伏たちが修行を行う場所でもある。天の怒りに触れたこの山に、一刻も早く神代の空気を取り戻さねばならない。

 陰陽師による占いで、出た結果。それは、言の葉を捧げよとのこと。


 山に緑が戻るまで、若き男の澄んだ御霊、宿りし文をしたためよ。

 神の見守る膝元で、花を呼び込む「花婿」を。

 魔をも泣かせる、情のともがらを。山に捧げよ。


 多くの者の中から、その若者は選ばれた。名前は残っていない。

 彼は老いた母と共に暮らし、ヒバリと戯れながら歌を詠む、貧しくも清らかな青年だった。彼は自分が選ばれた時、進んで支度を始めたとのこと。それで、再び神が山に戻るのならば、喜んで、と。ただ母とヒバリを手厚く世話してくれるように、周りの者に頼み込んで。


 案内に従い、青年は山の頂上の焼け残った社に、閉じこもることになった。若者は当時、神宝とも言われた、火打石などの着火道具と燃えると煙の色を緑色に変える、粉末を渡されたらしい。

 山に緑の兆しある時、その証を携えて、火を焚け。それまで、毎日、文をしたためて、社の神棚におさめよ。それまで、俗世に交わること、まかりならん、との仰せ。

 半年に一度、山伏が彼の様子を見に来る取り決めで、青年は「禿山の花婿」となったんだ。

 山伏の用意する精進料理。それらを大事に大事に味わいながら、彼は詩を書き、歌を詠んだ。


 しかし、運命のいたずらか。緑の気配はなかなか現れなかった。

 青年は詩歌を読むかたわらで、命の芽吹きを信じ、荒れた山を練り歩いた。でこぼことした山道は、そのたびに彼の体力を少しずつ削り取っていった。

 体が飢えていく。わずかに残る木の根を掘り出し、雨水をためて飢えをしのぎながら、青年は緑を待ち続けた。

 半年に一度訪れる山伏から、祖母とヒバリの無事を聞き、詩歌の成果を見せて、青年は「花婿」であり続けたんだ。


 そして、十年余りの時が流れた。

 青年の母親は病に倒れてしまったんだ。熱病のたぐいだったらしい。かの平清盛と同じように、いくら水に漬かっても、湯となってしまうほどの呪いじみたもの。

 だが、青年のもとに山伏が赴いたのは、ほんの一カ月ばかり前のこと。決まりに従い、次に青年のもとを訪れるには、あと五ヶ月待たねばならない。

 誰がどう見ても、母親は持たない。かといって、禁を破り、再び神の怒りに触れれば、今度は何が起こるか分からない。

 情と神への畏れ。この二つに人々が揺れ動く中、物見やぐらから声が上がった。

 山頂から、件の煙が立ち昇ったと。


 すぐに身を清め、修験道具に身を包んだ山伏たちが山へと登った。数日前の雨で地面はぬかるみ、ところどころ崩れた岩壁は、頂上を目指す者たちを大いに拒んでいた。

 それらを乗り越えた山伏たちは、社の前で焚かれた炎のそばで、倒れ伏す青年の姿を認めたんだ。

 青年はやつれていた。一ヶ月前から、何があればこのようになるのだというくらいに、手足は枯れ枝のようにやせ細り、艶やかだった黒髪は、すっかり白くなっている。

 このような姿で、緑を探せるはずがない、と誰もが思った。しかし、青年の手には芽吹いたばかりと思しき、小さな双葉が握られていたんだ。


 ほどなく青年は息を引き取る。社の中から見つかった、ここ一カ月の詩歌は、いずれも母を思い、彼女に会いたいという願いが詰まった歌ばかりが詠まれていたとのことだ。

 山伏たちが青年の亡骸を背負って山を下りた頃には、青年の母もこと切れていたらしい。だがその死に顔は、今までの苦悶がまるでなかったかのように、安らかなものだったという。

 そして、十年間を生き抜いた青年のヒバリは、その日の朝。どうやったのか籠を抜け出し、姿を消していたとのことだ。

 しかし、今でも季節が巡り、木々の葉が移り変わる時、どこからともなくヒバリの声が辺りの山々にこだまするのだと。

 むかし、むかしの言い伝えさ。


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