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マヨヒサワにて晩酌を

 先輩、すいません、こんな夜遅くにお邪魔しちゃって。つい電車を乗り過ごしちゃうなんて、不覚です。

 こちらこそ、汚いところですまん? いやいや、僕のところはもっとひどいですよ。本当に「足の踏み場」しかありませんからね。そこ以外は、かなりごちゃごちゃしていると自負します。

 でも、僕こういう空間好きですよ。

 ああ、汚いものがいいってわけじゃないんです。生活感があるというか、人の気配がするというか。たとえ、僕以外の人間がいなくってもです。

 マヨヒガでも同じことが言えるか? ええと、確か誰もいない山の中の屋敷。マリー・セレスト号みたいに、気配はすれど姿はあらず。で、そこから家具を持ち帰ると、億万長者の足掛かり、でしたっけ。

 似たような話、色々ありますよね。うーん、まあその時は、その時ですね。

 そういえば、僕の地元にもありますよ、マヨヒガの言い伝え。とはいっても、厳密には「マヨヒサワ」なんですけどね。

 先輩、小説書くんですよね。じゃあ、このお話、おみやげということで話してもいいですか?


 むかしむかし、あるところに猟師がおりました。

 彼は日々、山の中で獣を追い、それを生活の糧としていたとのこと。毎日が同じことの繰り返し。今日もまた、昨日と同じように暮れてゆくのだろうと思っていたのです。

 しかし、昼過ぎ。森の奥深くに入り込んだ彼は、全身が虹色に輝く鶴が、川の中ほどで羽を休めているのを見たのです。

 明らかに、この世ならざるもの。猟師の胸に恐怖と好奇心が、同時に湧きました。

 そしてしばらくの後に勝ったのは、後者だったのです。けれども、彼が一歩踏み出したとたん、鶴は翼をはためかせて、川の上流へと飛び去って行くではありませんか。

 猟師は鶴を追いましたが、途中で見上げんばかりの大岩が立ちふさがり、諦めざるを得ませんでした。

 鶴に夢中になっていた男は、辺りが夕闇に包まれ出したことに、気づくのが遅れてしまいます。

 このまま、オオカミなどに出くわしたら危険だと、川を頼りに元いた場所へと戻り始めたのでした。


 ふと、猟師はのどの渇きを覚えました。無理もありません。昼過ぎから夕暮れまで、鶴を休みなく追っていたのですから。

 彼はそばを流れる川に、改めて目を向けました。先ほどの大岩の下から流れている、この小川の水。飲んで潤いを取り戻そうと思ったのです。

 しかし、猟師は水を口にした瞬間、我が身、我が舌を疑いました。

 それは酒。清水のような匂いと口当たりのために、ごまかされそうになりますが、丹田を沸き立たせる、この熱さ。猟師が愛する、天の美禄そのものだったのです。

 今度は酒に夢中になりかけた男でしたが、次の瞬間には思考が冷え切ります。

 あの虹色の鶴は、この酒の流れに足を踏み入れていたのかと。ならば、この川もまた尋常ならざるもの。

 猟師は水筒代わりに使っていた竹筒に、川の水を入れ、猟師特有の様々な目印を刻みながら帰り道を急ぎました。


 翌日。水筒の中身を確かめると、中身はあの酒のまま。まやかしではないと、分かった猟師は、気心の知れた仲間の一人に酒と川の存在を打ち明け、相談しようとします。

 酒を飲んだ仲間の猟師は、直にこの目で川を見るべく、彼に案内を乞うたのです。昨日の目印通りに進むと、果たして川は存在しました。虹色の鶴はいなかったものの、流れているのは紛れもなく、件の酒。

 酒が流れる川。この得体の知れない存在。果たして知らしめて良いものか。

 猟師たちは、結局、自分たちが住んでいた村の者に、口外無用という条件付きで、川の存在を教えたのです。

 その夜、川のほとりで多くの火が焚かれ、酒を愛する者たちによる、ささやかな宴が催されたとの話。

 迷い込んだ猟師が見つけた沢ということで、酒の川は「マヨヒサワ」と呼ばれることに相成りました。


 まだ終わりではありません。

 その日以来、しばしば川を訪れる者はいました。ですが、時折、帰ってこない者が現れたのです。

 酒を飲み続けて、眠ってしまったのだろうと最初は軽く見ていた者も、何日も過ぎて音沙汰がないという事態に、次第に恐れを抱き始めていました。

 やがて、家族の帰りを待ち望む一人の村人によって、この辺りを治める殿さまに、酒の川の存在が伝えられました。

 おそらくは魑魅魍魎の類。そう判断した殿さまは、自分の一番の家来に、清められた霊剣を与えて、数名の兵と共に、川の調査に向かわせたのです。

 件の猟師の先導によって、川にたどり着いた家来たち。そこには、あの時と同じ虹色に輝く鶴がいました。そして、やはり家来たちの姿を見つけると、上流へと飛び去って行ったのです。

 鶴を追おうとする兵士たちを、家来は止めました。そして刀を抜くと、流れの中にその刃を突き立てたのです。

 やがて、家来は酒に濡れた刀身をしばし眺めると、鶴が去ったのとは逆方向。川の下流目がけて駆け出しました。

 そして十歩ほど進んだところで、気合と共に、刀を何もない空間に向かって振り下ろしました。

 刀身が麗しい袈裟懸けの軌跡を描くと、地を揺るがすほどの断末魔が、辺り一帯に響き渡りました。

 その叫びが止んだ時、空を切ったはずの刀には、明らかに人のものではない、青みがかった血がついていたとのことです。


 姿なき鬼。酒の川と虹色の鶴で気を引き、人を呼び込んで貪り食らう、もののけの仕業。

 初めて川を見つけた猟師が食われなかったのは、より多くの人に川の存在を知らしめて、おびき寄せるためだろう、と家来は猟師に告げました。

 鬼が一匹とは限らない。猟師たちは川の存在を忘れ、この地を離れるように命じられました。殿さまのはからいもあり、彼らは滞りなく新しい生活を得ることができた、との話です。

 

 しかし、今となってはこの村がどこに残っているかは分かっていません。

 ただ、あまりに昔だからというだけではありません。

 あの川の酒を呑んだ者たち。次の殿さまの時代も、次の次の殿さまの時代も変わらず生き続け、やがてどこかに姿をくらませてしまったとのことです。

 どっとはらい。



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