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地上の星

 おっと、時間切れか。展望台の有料望遠鏡って、ついつい覗いちまうんだよな。

 つぶらやはどうだ、何か面白いものでも見えたか?

 ワカラナイホウガイイ? なんだ、そのロボットみたいな片言は。

 ははあ、さては壊れたな。

 壊れた機械は埋めてやらなきゃなあ。あらら、こんなところにお土産で買った木刀が。

 俺は裁判所みたく、狂った奴なぞに、情状酌量しない。

 狂って、人さま傷つけるなら、この世の辛さも喜びも、何もわからず消えてゆけい! それがお前の幸せだァ!

 ふはは、目が覚めたようだな。噂になっている「くねくね」とやらのリスペクトか?

 一昔前は、人面犬や口裂け女で騒がれ、現代は「くねくね」か。

 つぶらやもその手の話に興味を示すのはいいが、引き際をわきまえろよ。

 もし、お前が怪異の仲間入りをしちまったら、被害を出す前に俺が闇に葬るから。そういう心得、あるし。遺書は残しとけよ?

 さて、お前の中二病はくすぐれたか? そんじゃ探求者たるお前に、俺も真実の一片を授けてやるか。

 その「くねくね」の源流の一つであろう、言い伝えをな。


 望遠鏡が「遠眼鏡」という名で、民間に広まったのは江戸の末期という話だ。これが戦国時代だったら、ますます活躍しただろうが、歴史のお情けって奴かもな。

 西洋渡来の遠眼鏡。まだまだ高価なものに違いはなく、持っている奴は珍しがられて、回し読みならぬ、回し覗きをされたんだってよ。

 だが、ある時期、一つの噂が流れ始めた。

 遠眼鏡越しに覗く風景の中、時々、見たことのない生き物が入り込むんだと。

 手のひらに乗りそうな愛らしいリスに見えるんだが、額に埋め込まれている緑色の宝石が、光を放つんだ、と証言が一致している。

 あまりにかわいいから、目撃した子供たちが、お菓子をあげることもあったらしい。

 そして、もう一つ。その生き物がいた場所にいくと、まれに天を衝くほどの大きさの、醜い入道が現れる。逃げようとすると、その入道は大声を出しながら追いかけてくるらしい。幸い、捕まったものは誰もいない。

 目撃情報は細々と、民たちの間で広まっていった。


 とある大きな菓子屋。ここの主人は若い頃、禁止されていた外国船との密貿易を成功させ、その資産を元手に、家族を持ったことをきっかけにして、カタギの経営を行っていたらしい。

 そんな彼の愛娘。父親の遠眼鏡をよく借りて覗くらしいんだが、ある日、覗いた後で菓子を片手に出ていこうとしたんだと。その不審さに主人は娘を呼び止める。

 娘から、遠眼鏡越しに見えた生物について聞いた主人。噂を耳にしていたこともあり、その真相を確かめようとしたらしい。

 留守番を任せ、懐剣を忍ばせて、娘のあとについていく。たどり着いた場所は、街はずれの緑を残した小さな空き地。

 話に聞いた通りの小さな生き物が、そこにいた。リスと大差ないが、その額に蠱惑的な輝きを持つ宝石が、星のごとく微笑んでいる。

 その瞬きに吸い寄せられるように、娘は手にした菓子――せんべいが三枚入った、小さな布包み――を生き物目がけて放り投げる。それを小さな口で器用に受け止めた生き物は、さっさと背を向けて帰っていく。

 話によると、この後に怪物の入道が出てくるらしい。

 主人は万一を考え、娘に自分が戻らなかった時の備えをやんわりと話して帰らせると、生き物の後を追った。そいつに警戒されないような、さりげない動きで。


 やがて茂みの中へと姿を消した生物を追って、奥へと分け入った主人が目にしたもの。

 巨漢だった。太い樹の幹に背中を預けて、息を荒げている。

 身の丈は、今で言うと二メートルほど。樽のように太った体。そして、この世の悪意すべてが意図的に叩きつぶしたかのような、醜い顔をしていた。

 足元には先ほどの生き物。せんべいの包みを解き、中から一枚取り出すと、巨漢の足から肩へと駆け上がり、せんべいを口に押し込むのだ。巨漢はそれを力なく咀嚼する。

 主人はどうすればよいのか、とっさに判断ができず、立ちすくんだ。やがて、うっすらと目を開いた、不細工な巨漢が、弱弱しい声で主人に問うたらしい。

 自分を見て、逃げださないのか、と。

 それを聞いて、主人は確信した。こいつは化け物ではない、人間だと。

 確かに、忌み嫌われることの多い風貌だろう。だが、主人は彼よりも更に異様な風体を持つ、多くの異人たちと渡り合ってきたのだ。容色でひるむことなど、なかった。

 主人は足早に近づき、彼の額に手を当てる。すごい熱だ。

 医者へ行かなければ、という主人の言葉に、彼は首を振る。

 金はないし、何より、化け物を診察するいわれはない、と逃げられた。そして、道行く人々は自分を避けるばかりだったと。


 主人の判断は早かった。自分の家で看病する、と申し出たんだ。

 男の重さは並大抵ではなかったが、主人も伊達に密貿易で修羅場をくぐってきていない。

 彼の巨体を背に負って、しかも極力、彼を人目にさらさぬ道を通りながら、裏口から自分の店に戻ったんだ。

 事情を聞いた、妻と娘も協力した。普段から商いの魂が染み込んでいる家族。手際よく、彼が寝泊まりできる部屋を用意した。

 彼の心傷を考えて、家族以外は立ち寄らない、奥まった場所に。

 数日の看病により、彼はとうとう自分で立ち上がれるまでになった。

 そして彼は涙を流しながら、感謝の言葉と共に、主人たちへ告げる。


 貧乏百姓の生まれだが、この巨体と醜い容姿のために、幼いころから、家族にすら疎まれていたこと。

 とうとう無一文で家を追い出され、生きるあては相撲取りくらいしか思い浮かばず、実家から遠い、この町にある相撲部屋を目指していたこと。

 今まで出会った人々に避けられ続け、夜半に賽銭や供え物を盗み、命をつないでいたこと。

 それでも足りず、道中で何度か死にそうになった時、あの生き物が現れて、自分に菓子を届けてくれたこと。

 そして、ここまで来たのに、熱に倒れて動けなかったこと。


「あの生き物が、自分の命を信じてくれた。そして、皆様が自分の命を救ってくれた。生まれて初めての情け。これに応えてみせる。必ず土俵入りして、あの生き物と、この店に恩返しをする」


 主人たちは、なじみ客の一人である相撲取りに、彼を紹介したそうだ。


 それから数年の後。角界に新たな力士が現れた。

 美しいとは程遠いが、粘りのある取り組みで、ついには大関にまで上り詰めたんだ。

 力士は殿さまから禄をもらい、部下を持つようになっても、一つの菓子屋を生涯ひいきにし続けたらしい。

 必ず一人分だけ、多く菓子を買っていくことを忘れずに。



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