08:魔女見習い、庭へ行く
アベルたち一行は、王宮を出、黙々とひたすらに外を歩いていた。が、一向に目的地にはたどり着かない。それどころか、アベルの足取りが遅いので、メアリは一人、彼の後ろでむくれていた。ならばアベルを置いて先に行けばいい、と言われそうだが、残念ながら、メアリは庭園の場所を知らない。そう、最初こそメアリが張り切って先陣を切っていたのだが、自分は庭の場所を知らないということに気付き、すごすごと後ろに引き下がった。呆れを通り越して、哀れなものを見る目でアベルはその様子を見ていた。
しかしそろそろメアリも我慢の限界。ついに口から不満が流れ出た。
「まだ庭につかないんですか~。王宮広すぎですよ」
慣れている者ならすぐのことでも、行き先までの道のりを知らない者からしてみれば果てしなく遠く感じてしまう。せめてどれくらいで着くかなどの返答は欲しかった。が。
「ここが庭だ。とっくの昔に着いてる」
「え……ええっ、ここが!?」
慌てた様子でメアリは周囲を見渡した。広がる緑、緑。
「わたしの想像と違うんですけど……」
「むしろどう思っていたんだ」
幼少の頃より慣れ親しんだこの庭園が想像と違う、という言葉はアベルにとって聞き捨てならない物だった。しかしそれはメアリも同じである。
「だって、庭っていう物は囲いとか柵とかいろいろあるものでしょう。ここはそういう物が一つもないですし、何より草木が奔放過ぎますよ」
「ああ、そういうことか。これは母の趣味だ。いかにも人が手入れをしたという庭は好みじゃないらしい」
「だから花とかもないんですか?」
「そうだな。野花なんかはあるだろうが、いかにも大衆が好みそうなものは無い」
「へえ~、変わった趣味ですね」
「庭師も大変だろうな。手入れをしたと思わせないよう適度に成長させ、そして見苦しくない様に適度に剪定する。母の注文は調整が難しくて困るとよく嘆いている」
「想像とは違いましたけど、こういうのも良いですね。野原を歩いている感じで」
「……そうだな」
二人の間に、珍しく緩やかに沈黙が流れた。いつもはすぐに口喧嘩やら取っ組み合いやらを始める二人だったので、今回ほど和やかに会話をし、ゆっくり歩いたことなど皆無だった。こういうのも悪くはないな、とフッとアベルは笑う。
しかしすぐにその優しい時間も、メアリの興奮したような声にかき消されることとなった。
「あっ、王女様いらっしゃいましたよ!」
メアリは興奮したようにアベルの裾を引っ張った。
「今度こそちゃんとしてくださいね!」
「言われなくても分かってる」
まるで母親のような物言いに少々ムッとしたアベルは、彼女の手を振りほどき、そのままエリスの方へ向かった。残されたメアリは落ち込む風でもなく。
「思春期の扱いは難しいですねー」
楽観的だった。
母親のような感情を抱きながら、メアリがアベルの行く先を見守っていると、ぎくしゃくながらエリスの側まで近寄ることに成功したのが見え、拳を握った。
現在メアリが立っている場所からは彼らの後ろ姿しか見えないので、その会話まではもちろん聞こえない。しかし。
趣味とか聞いてるんだろうか。
先ほどの自分の的確な助言を思い出し、メアリはにんまりと笑った。
そんなメアリの上に一つの影が差した。ニヤニヤとひとりでに笑っている彼女に、勇敢にも声をかけてくる人間がいたのである。胸に隣国の腕章を付けている男性だった。
「先ほどアベル殿下とご一緒に来られるのを見たのですが……侍女の方ですか?」
「えっ、え、わたしのことですか?」
青年はにこやかに頷く。
「え……っと、そうですね。殿下の侍女です」
何と答えればいいのか分からなかったので、メアリはオウム返しに返事をした。
「そうなんですか。殿下はずっと部屋にいらしたのですか?」
「え……そうですね。部屋にいましたけど」
どこか青年の口調が尋問めいているのを感じ、メアリは少し警戒した。しかしすぐにそれに気づいた青年が、苦笑する。
「すみません、言葉がきつかったですね。詰問するつもりはないんです。ただ、殿下とご対面のお時間なのに、エリス様がお一人で庭園に出られたので何かあったのかと……」
「ああ、そういうことですか」
メアリは途端に笑顔になった。ここにも一人、主の行く先が心配な者がいたようだ。
「大丈夫です。思ったより会話が弾まなくて、気分転換に出てこられただけだと思いますよ」
「そうですか、それなら安心です」
「わたしもさっき殿下にお灸を据えたばかりですから、今回こそはちゃんと王女様と仲良くなってくださる筈です!」
アベルの言い分では、仲良くなってはいけないのだが、すっかり青年にほだされて、メアリは拳を作って断言した。
「実は心配していたんです。エリス様が思い詰めたようにベンチに座ってらしたので……」
「それは……すみません。きっと殿下があまりにも口下手なせいで、王女様も緊張が増したんだと思います」
まるで息子のことを謝るかのようにメアリは申し訳なさそうにした。それに慌てて青年は手で制止する。
「いえ、こちらこそ出過ぎた真似を……。当人同士のことですもんね」
「大丈夫ですよ。王女様しっかりなさってますし、きっと殿下の手綱を握ってくれると思います!」
そしてあわよくば殿下といい感じになてくれればお役御免も夢ではない。
メアリは心中で真っ黒な画策をする。相棒に裏切られているとも思わないアベルは、呑気に彼女に後ろ姿を晒していた。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。私はエリス殿下の護衛、ウィリスと申します」
青年が深く礼をする。驚き、メアリも慌てて頭を下げた。
「あ、いえ、ご丁寧にどうも。わたしは……っと、アベル殿下の侍女……のメアリです」
滑らかに自己紹介をしたウィリスと反して、メアリの方は盛大に口ごもる。何せ、自分だってアベルとの関係が未だよくわからないので、相手にも説明しようがない。
しかしウィリスは特に気にしなかったのか、にこやかに受け流した。
「メアリさんはもう随分長い間アベル殿下の侍女をやっておられるのですか?」
「え……っと、いえ、そういうわけでは……。今日だけお試し、と言いますか……」
当たり前だが、事実を話せない分、歯切れが悪い。ウィリスもそれを察したのか、それ以上の追及はしなかった。代わりにとでもいう様に空を見上げた。
「しかしだいぶ日が昇ってきましたね……」
「そうですね。暑くもなってきましたし」
メアリの普段着は藍色のローブなので、熱を吸収しやすい。よって今着ている侍女服の方が断然涼しい……筈なのだが、それでも真上から差す日差しは暑い。空を見上げながら、額に流れる汗を拭った。
「やはり、このまま屋外にいらっしゃるのなら……対策をしなければなりませんね」
ウィリスは近くにいた侍女に一言二言話し、下がらせた。すると数分も経たずに彼女は手につばの広い帽子を持って現れた。
「あ、王女様に、ですか? いいですね。日差しは女の敵ですから」
「しかし……お二方の談笑の最中にお邪魔するのは気が引けますね……」
遠い目でウィリスは二人を見つめた。つられてメアリもその方を向いたが、ゆっくりと首をかしげる。
「談笑……?」
沈黙の間違いではないだろうか、とメアリは心の中で呟やく。アベルとエリスは肩を並べてベンチに座ってはいるが、実際それだけで、会話の一つもしていないように見える。それどころか視線が互いに反対方向に向いている。この人の目は節穴だろうか、とメアリは真剣に隣のウィリスの視力を心配した。
「あ~、ならわたしが行ってきましょうか?」
「本当ですか? そうしていただけると助かります。私にはどうもあのお二人の時間に割っている勇気はないので」
苦笑しながらウィリスは言った。
「大袈裟ですね。帽子を渡して帰るだけじゃないですか」
任せてください、とメアリは自分の胸を拳で叩いた。しかし、まさかそんな簡単な任務が遂行できないとは、この時のメアリには思ってもみなかった。
エリスに帽子を渡し、いざ元いた場所へ戻ろうと踵を返したら掴まれたのである。侍女服の裾を。エリスから見えない位置で。しかめっ面のアベルに。
「何ですか」
小声でメアリは問う。
「助けろ」
アベルも同じように返す。
「何から?」
メアリは首をかしげる。
「沈黙から」
しかめっ面になった。
「わたしにどうしろって言うんですか……」
「気まずいんだ。姫に日が出てきたから屋内に戻ろうとでも言ってくれ」
「――わたしが言うんですか? この手で帽子を持ってきたわたしが言うんですか?」
あんまりなアベルの頼みに、メアリは少々呆れが生じてきた。それくらい自分で言ったらどうだと反発心も生まれる。
「――今日の俺の夕餉のメインをやるから。確か、今日は高級な牛の肉らしいなあ……。ここへ来る途中、ずいぶん香ばしい香りがしていたなあ……」
「仕方ないですね。この魔女見習いメアリ、殿下たってのお願いを聞いて差し上げましょう」
むふふ、と涎を垂らしそうな勢いでメアリは言った。そしてその勢いのまま、どうやってこの場を切り抜けようか策を練る。ただこの二人をここから移動させるだけでは意味が無いだろう。きっとこのへたれ王子のことだ、部屋でも大した会話はできるまい。ならば、いっそのこと、ここで自分が会話を盛り上げなければ。
誰もそこまで言っていないのだが、肉料理しか頭に無いメアリには、老婆心さながらの奉仕精神が溢れかえっていた。
「あの、王女様の王宮のお庭ってどんな感じなんですか?」
メアリは無難な問いを投げかけてみる。何の関係もない一介の侍女が趣味やら好きな食べ物やら込み入ったことを聞くのはさすがにおかしい。よって、まずは身の回りに転がっている話題を振ってみたのである。
一方エリスは、急にメアリに話題を振られたことに驚いたのか、目を瞬かせた。しかしすぐに穏やかに微笑んだ。
「そうね、ここほど広いものではないけれど、四季に合った花々が花壇に植えられているわ」
「やっぱりそうですよね? わたしの知ってる庭もそんな感じなんです。庭に柵をこさえたり花を植えたり、果ては薬草や食べれるものを植えてみたり」
エリスの中の庭の印象もメアリと同じものの様なので、勢い込んで続ける。
「だから初めてここの庭を見た時びっくりしましたよ。柵も花もないし。野原と見間違えちゃうくらいに植物が自由に育てられていますからね」
「私も驚いたわ。どこの庭園も花壇があるのが普通だと思っていたから」
「ですよね! なんとこれ、お妃さまのご趣味らしいですよ」
「まあ、そうなの?」
「はい。いかにも人が手入れをしたという庭はお好きじゃないそうです」
「変わったご趣味なのね」
「はい! 庭師さんも大変です、よねー……」
ここまで会話をし、はたと気づく。
何だか、この会話、既視感を覚える。
恐る恐るアベルの方を見てみると、彼はボーっと彼方を眺めていた。その目に光は宿っていない。ただの屍のようだ。
その様子を見、メアリはやっと当初の目的を思い出した。沈黙を何とかするはずが、なぜか女性陣だけで話が盛り上がってしまった。しかも先ほどアベルから聞いた内容で。
非常に気まずい。
その一言に尽きる。わざとアベルの話題を奪ったわけではなく……不可抗力であって!
メアリは無言でアベルの視線に言い訳した。アベルにしてみれば、疎外感を感じるので黙ってメアリを見つめていただけなのだが、それはメアリにとっては声なき批判に見えてしまったようだ。
何か話題を、とメアリは慌ててメアリは周りを見渡し、そして見つける、次なる話題を。
「あ、ここ、池もあるんですね! すごい!」
わざとらしく大声を上げながら池の近くまで歩み寄る。
「水、すごく澄んでますね……。毎日水を変えてるんですか?」
メアリは振り向いてアベルに尋ねた。突然話題を振られ、アベルは言葉に詰まったが、すぐに態勢を整えた。
「……ああ、そうだな。近くの川から水を引いてきて、その水を循環させてる。そうしないとすぐに淀んでしまうからな」
「へぇ~そうなんですか。わたしの村、井戸から水をくむのが面倒だから、穴を掘って雨をそこに貯めようって計画したことがあるんですけど、すぐにそこに虫やら蛙やらが蔓延って使えたもんじゃないって諦めたことがあったんです。やっぱり水は循環させないといけないんですね」
「そうね」
エリスもメアリに近寄り、その隣にしゃがみこんで池を眺めた。
「私の国でも治水事業を行っているのだけれど、度重なる干ばつでなかなか前進しないの。この国は水が豊富で羨ましいわ」
「そうか? こちらとしては、エルウィン国の資源が羨ましい。アクロイド国は資源が少ないから、何を作るにしても輸入品に頼るしかないんだ」
「そうね、確かに輸入先の大半を占めているのはアクロイド国だわ。でもその分温暖で水も豊富だから、作物もよく育ってる。アクロイド国の野菜や果物や、こちらでもよく食べられているの」
何だか小難しい話になってきており、メアリはなかなか話に入れない。しかしそれが逆に良い。
なかなか良い雰囲気ではないかとメアリはにんまりと笑う。実際のところ、良い雰囲気というよりは真面目な対談をしていると言った方がピッタリなのだが、悦に入っているメアリはそこまで見ていなかった。そして深く考えないまま、思いついたままの言葉が口を出る。
「あっ、そういえばわたし用事があったんです! ここは殿下にお譲りした方が良さそうですね。後は若いお二人でごゆっくり~」
くふふ、と仲人ばりの台詞を吐くメアリ。その気分は上々だ。何せ、アベルとエリス、二人の会話を成立させるという大挙も成しえたうえ、ご褒美に肉料理が貰えるという。
そんなメアリは、ご機嫌なまま勢いよく立ち上がった。――しかし勢いが良すぎた。
ガンッと大きな音が響き渡る。メアリのすぐ後ろに立っていたアベルがメアリの突然の行動によける間もなく、互いに頭と顎を強打したのである。メアリは頭を抱え、アベルは顎を抑えながら悶え苦しんだ。アベルはふらふらと下がりながら痛みを堪えていたが、立つ途中だったメアリはそうもいかない。ふらふら……と足踏みをしている最中に足を滑らし、ボチャンと盛大な飛沫を上げながら池に落ちた。
「ちょっ……あなた大丈夫!?」
「だっ……大丈夫、ですけど……!」
エリスが慌ててメアリに駆け寄ったが、当の本人は池に落ちたことよりも頭の痛みに泣きそうだった。
「本っ当に殿下といると碌なことがありませんね!」
「それはこっちの台詞だ!」
アベルも負けずに叫び返す、涙目で。しかしこちらは陸地、向こうは水辺。互いの不注意が原因であったとはいえ、少々同情の念を覚えた。その感情のままに、アベルは手を差し出す。
「ほら、掴まれ」
メアリはしばらくその手を睨み付けた。
「王女様、ちょっと離れていてください」
メアリがにこっとエリスに言った。不思議そうにしながらもエリスは数歩下がる。その光景にアベルは嫌な予感がしたが、時すでに遅かった。
差し出された手は、メアリが掴んだ。しかしそれは池から上がるためではない。
「おりゃああ!」
アベルを池に突き落とすためであった。
「あっはっは! いいザマです!」
メアリと同様にずぶ濡れになったアベルを一瞥し、メアリは大笑いした。
「うぜぇ! うぜぇよこいつ! 人が折角引き上げてやろうとしたのによ!」
「わたしだけこんな目に遭うなんて不公平ですから!」
「だからって何もここまでしなくてもいいだろ……」
そう言えば、泥まみれになった時も似たようなことがあったとアベルは薄ら思い出す。メアリはやられたらやり返す性分のようだ。記憶にとどめておかなければ、また似たようなことをやられてしまう。
「大丈夫ですか!?」
騒ぐ二人の後ろで男性の声がかかる。メアリが帽子を渡しに行った後も心配そうにこちらを見つめていたウィリスだった。彼は駆け寄ってそのまま池に跪き、手を差し出した。
「ああ、すまない、ありがとう」
アベルは有り難くその手に掴まった。しかしそれと同時に隣からも手が伸びてウィリスの手に掴まる。アベルとメアリ、二人してウィリスの手に掴まりながら互いを睨み、牽制した。
「レディファーストという言葉を知らないんですか」
「王子という身分を知らないのか」
同時に口を開いた。出てきたのは似たような台詞。
「お前がレディ? はっ、笑わせてくれる」
「こっちの台詞です~。王子はそんなこと言いません~。優しく譲ってくれるはずです~」
「王子が譲るのは可憐でおしとやかなレディにだけだ。間違ってもお前のような者ではないことは確かだな」
「わたしだって格好良くて優しい王子なら喜んで譲りますよ! でも殿下は嫌です」
「俺だってお前には譲らん」
二人してやいやい騒ぐうちに、知らぬ間にその手にも力が入っていた。さすがに片手で二人分の重さを支えることは難しいのか、ウィリスが池の中に引きずられそうになった。慌ててエリスが隣から手を出す。
「ほら、あなたはこっちに掴まって」
王女自らが差し出す手を拒むわけにもいかない。メアリは恐縮しながらその手に掴まった。
「あの、すみません。ありがとうございます」
「いいえ。それよりも体は大丈夫?」
「はい。池に落ちただけですから」
「なら俺まで突き落とすなよ」
アベルが横槍を入れる。
「不公平ですから」
「不公平不公平ってなあ! ならお前も顎に拳を決めてやろうか!? なかなかの痛さだぞ!」
「なら殿下には取って置きの拳骨をお見舞いして差し上げます。さっきよりもきっと倍近くもがき苦しむこと請け合いですよ」
「ああ、じゃあお見舞いしてみろよ。その代りこっちももだえ苦しむほどのアッパーを食らわせてやるからな!」
頭に血が上り、互いに拳を握り合った。まさに一発触発という雰囲気になったその時、冷静な声が耳に入る。
「あの……仲がいいのは結構なのだけど」
すっかり蚊帳の外だったエリスだった。
「早く着替えた方がいいわ。風邪を引いてしまうもの」
至極もっともな意見に、二人はすっかり大人しくなった。