05:魔女見習い、馬に乗る
「殿下ー! おはようございます!」
一日の始まりは元気な挨拶から。
そんなことを考えていたメアリはノックをするのを忘れていたが、構わない。
先日の失態から学び、今日はきちんと扉から来ていた。のだが、突然入って来たせいでアベルは服を着替える間もない。彼は威厳も何もない寝間着で彼女を迎えることになった。しかしそんなことはどうでもいい。メアリに恰好を取り繕っても仕方がないのだから。――問題は。
「おい」
「なんですか? こんないい天気にそんなしかめっ面してると皺になっちゃいますよ」
「誰のせいだ誰の! お前な、毎日来いって言っただろ! それがなんだ、たったの二日目から休みやがって」
「いや~、すいません。なんか寝坊したら行くのが面倒になっちゃって」
「適当だな。仮にも俺は殿下だぞ」
「嫌だな殿下、身分を傘にしないでくださいよ。大人げない」
「お前っ――!」
顔を真っ赤にして怒るアベルだが、不意にため息をついてソファをゆったりと座る。まだ少ししかこの魔女見習いと過ごしてないが、それでもその性質は段々と理解してきた。何も考えていないだろう彼女の言動一つ一つに反応していたら、こっちが疲弊してしまう。ここは、自分が大人になるんだ。
「とにかく、これからは毎朝来るんだ。何が起こるかわからないからな。実際、お前が来なかった昨日のうちにとんでもないことが決まってしまった」
「とんでもないこと?」
「隣国の姫がここに来るらしい」
「隣国って、殿下が結婚する予定の?」
「ああ、いわゆる顔合わせだな。一度も顔すら見ないのは当事者に気の毒だと思ったのか、陛下たちが決めたそうだ。全く余計なお世話だ」
「そうですかね?」
「そうだろ。今までこの話は王たちの口約束でしかなかったんだ。なのに今回のことで一気に真実味が増した。一度顔を合わせてしまったらこちらからは断るに断り切れない」
それに、母上は怒らせると怖いからな。
メアリには決して言いたくない言葉を口の中で濁した。こんな格好悪いこと、こいつに絶対言えるか。
「でも、じゃあそこで殿下が醜態を晒せばいいんじゃないですか? 相手の王女様も嫌がるようなことをするとか。性悪な本性を表すとか」
「――今の最後、本音だな? お前俺のこと性悪だって思ってんだな?」
「要するに、相手の方からお断りを入れてくるように差し向ければいいんですよね? なら簡単じゃないですか。意地悪な対応をすればいいだけなんですから。殿下ならお得意ですよね」
「お前俺のこと何だと思ってるんだよ……」
「でもそうなると……わたしの出番無いんじゃないですか? 姫と殿下の顔合わせなので、魔女の私が出る幕無いじゃないですか~。じゃあ帰ります」
「待て」
フードを掴まれた。
「お前の言う作戦はだいたい分かった。俺が姫に意地悪して相手側に断ってもらう、と」
「はいそうです。じゃあわたし――」
「具体的にどんな意地悪すればいいんだ?」
「はあ?」
「意地悪って、そんな急に言われてもな……思いつかん」
「いや、いつも通りでいいんですよ。私にしたように、意地の悪い顔つきで相手が嫌がることをすればいいんです」
「俺お前に意地悪したことあったっけ」
「んなっ、白を切るつもりですか! 今まで散々わたしに意地悪してきたくせに!」
「そんなことした覚えはない」
「へえ~、じゃああれは殿下の無意識なんですか、ほぉ~。そんなこと言うなら王女様にもその無意識な性悪態度で挑めばいいんじゃないですか」
「そんな身も蓋もないこと言うなよ……。俺は具体的な対策をしたいんだよ」
「……そんなの自分で考えてくださいよ」
メアリはなおもぶつぶつと不平を漏らした。聞こえているはずのアベルは、涼しい顔でそれを受け流すので、メアリはムッとしながらも適当な案を考え出した。
「わたしにしたように、王女様の弱みでも握ればいいんじゃないですか? そして相手から婚約を断るように仕向けるとか」
「お前な……相手は一国の姫だぞ? そんなに簡単に弱みを見せるわけないだろう」
「うっ、じゃあ王女様を押し倒して脅す、とか」
「それこそ外交問題になるぞ! つーか一応王子の俺の醜聞が広まったら大変だろ……」
アベルは頭を抱えた。もとはこの小さな魔女の妖術を当てにして捕まえたというのに、この少女はさっきから見当違いな案ばかり出している。
「俺の外聞を悪くするような計画は駄目だ。お前の妖術でなんとかできないのか? 例えば大雨を降らせて道を封鎖するとか」
「無理ですよー。そんな高等魔術。わたし、見習いですから」
「でもお前、物を飛ばすことができるんだろ?」
「飛ばすだけですよ? それで何かしてほしいことあるんですか?」
「それを考えるのがお前の仕事だろう!」
「ええー、殿下が考えてくださいよ」
わたしに全部丸投げなんて止めてくださいよ……とメアリはぶつぶつ呟きながらも自分が行える魔術に考えを巡らせた。さすがに高等魔術のような真似事はできなくても、その基本は心得ている。メアリの頭にぽつりと浮かぶものがあった。
「そういえば、大雨は無理でも、多少の雨なら降らせることできますよ」
「本当か?」
「はい。でもさすがに遠方に降らすことはできませんよ。対象範囲が近いなら大丈夫なんですけど」
「そうか……じゃあ姫の近くまで行かないといけないってことか。隣国から馬車で来るとなると、あの道か。じゃあどちらにせよこの街道を通るわけだ」
アベルは何やら地図を見ながらぶつぶつ言い始めた。何だか眠くなってきたメアリは大きな欠伸を一つする。
「もう王女様が来るまで休憩でいいんじゃないですか~」
「…………」
「殿下ー?」
「…………」
「わたし帰りますね」
こういう時だけは聴力が仕事をするらしく、メアリはアベルに首根っこを掴まれた。
「よし、行くぞ!」
地図を叩いてアベルは立ち上がった。その目はやる気に満ちている。対するメアリは死んだ魚のような目で見上げた。
「俺たちはこの街道で足止めをする! さっさと行くぞ!」
ダラダラしているメアリの腕を取り、アベルは歩き出した。
「ええ~、止めましょうよ。休憩しましょうよ」
「全ては婚約解消のためだ。仕方ない」
「そんな~」
ただただ全てが面倒なメアリを引っ張りながらアベルは部屋を出、ひたすら廊下を突き進んだ。
姫を迎える準備のためか、そこは侍女やら兵士やら人で溢れかえっており、皆忙しそうに歩き回っていた。そんな中でも目を引くのが、第一王子のアベルと、彼に引きずられる奇妙な恰好をした少女。
「うわ、視線が痛い。みんな注目してるじゃないですか」
メアリが嫌そうに口を開いた。アベルもそれに同意したいところだが、それもこれも、全てメアリのせいだということに腹が立ち、一旦立ち止まった。
「注目してんのはお前の奇異な恰好だろ。いい加減そのローブ脱げ」
「うわっ、公共の場で何しようとしてんですか! 破廉恥な!! 痴漢で訴えますよ」
「別に全部脱げと言ってるわけじゃ……。もういい、やっぱいい」
アベルは諦めたように言った。ここで変に目立っても困る。もうすでに目立っているが。
「とにかく、これが上手くいったら好きなだけ肉おごってやるから。だから今は大人しく――」
「嘘じゃないですよね? 王子に二言はないですよね?」
一瞬の間もなくすぐに食いつくメアリ。その変わり身の早さに呆れたため息が出る。
「ああ、いくらでも奢ってやるよ。なんなら王宮お抱え料理人を貸し出してやってもいい」
「え、ええ~、じゃああのお肉料理が食べ放題……!?」
涎を垂らしてしまいそうなメアリをその場に放っておくわけも行かず、結局アベルは引っ張る力を緩めることができずに廊下を歩き始めた。その顔はうんざりを通り越してもはや無心だった。
やっとの思いでメアリを外まで連れ出すと、アベルはホッと息をついた。ここまで来れば、もうあまり人の目はない。メアリの腕を放すと、すたすたと目的地へ向かう。躊躇いながらも自分の後をついてくる気配を感じた。
「どこに向かってるんですか~」
「厩舎だ。さすがに姫一行が通る街道まで徒歩で行くのは無謀だからな」
「え、馬で行くんですか?」
アベルの言葉に、メアリはふと疑問を持った。
「当たり前だろ」
「だって王子なら馬車とかあるじゃないですか」
「馬ほど早くないし、何より俺たちは一国の姫の足止めに行くんだぞ? 事が露見したら大事だろ」
確かにそうだ。納得した。でも――。
「わたし、馬に乗れないんですが」
「――乗れないのか?」
さも不思議そうにアベルは尋ねた。呆れたようにメアリはため息をついた。
「皆が皆馬術の経験持ってるわけじゃないんですよ? わたしなんて近くで馬を見ることですら初めてですし」
話しているうちに二人は厩舎にたどり着いた。メアリはアベルから離れ、物珍しそうに一頭の馬に近づいた。鼻先を撫でようとすると、嫌そうに鼻息を吹きかけられる。メアリはしょんぼりとした様子で、先を急ぐアベルの後ろに大人しく付き従った。
アベルが歩みを止めたのは、白い馬の目の前であった。思わずメアリはその口を閉じることも忘れて歓声を上げた。
「うわ、きれいな白馬ですね」
「俺の自慢の馬だからな」
アベルが優しい笑みで白馬の首を撫でる姿は、一枚の美しい絵画のようだ。物語によくあるように、この組み合わせは王子と白馬。まさにメアリが見ている光景はその通りなのだが、どうも納得がいかない。
「まあ肝心な王子が性悪だからね……」
「何か言ったか」
さわやかな笑みを浮かべて振り返られた。
「いいえ、なんでもございません」
聞こえてないわけないのに、嫌味の様に聞いてきた彼に、メアリは同じように返した。アベルは一つため息をつくと、再び馬に向き直った。
「お前、馬に乗れないんだったよな。じゃあ俺の前に乗れ」
「ええ……」
「なんだその嫌そうな声は」
「だって結構密着するじゃないですか。ついこの間押し倒されたばかりの身としては、ちょっと……」
「あれは事故だろ!? 人聞きの悪いこと言うんじゃねえ!」
「こっちは未婚の女性なんですよ?」
「安心しろ。誰がお前なんか相手にするかよ」
「うぐっ……」
アベルのにべもない無い物言いに、語彙力の少ないメアリは言い返すこともできなかった。ただ悔しそうに睨み付けるばかりだ。そんな彼女をアベルは鼻で笑った。
「そんなに言うなら、じゃあ自分で飛べよ。お前、箒に乗って飛べるんだろ」
「……確かに飛べますけど、馬ほど早くは飛べません」
「じゃあもう俺と一緒に乗るしかないな」
アベルが呆れたように呟くと、メアリも軽くため息をつき、その隣に並んだ。
「そうですね。やっぱり殿下の馬に乗せてもらうことにします」
さっぱりと言ってのけるメアリにアベルは脱力した。
「……じゃあ最初から駄々こねるなよ」
「こねてませんよ。自分の身を守るためにちょっと言ってみただけです」
「そうですか……」
何を言うのも面倒になって、アベルはもう何も言うまいと口を結んだ。憮然としたメアリの視線を背中に感じながらも、アベルは黙って鞍やら鐙やらを愛馬に取りつける。姫が来るまで時間もあまりない。準備ができるとアベルはすぐに馬に飛び乗った。
「ほら、お前も乗れ」
照れくさい思いでメアリに手を差し出すと、彼女も躊躇いながら恐る恐る鐙に左足をかけ、アベルの腕に掴まった。そのまま彼に引き上げられる。一気に目線が高くなり、メアリは緊張と共に高揚した気分になった。しかし座ってから気づいた。自分が置かれてる状況に。
「あ、あの……わたし、後ろでもいいですか?」
「はあ? なぜ」
憮然とした口調で言われ、メアリは口ごもった。
スカートが捲れて足が丸出しだから、とは言えない!
随分下の方にある鐙に伸ばした足をかけてしまうと、当然メアリが穿いているぴったりとしたスカートが捲れてしまう。しかしそうはいっても、メアリはローブを着ているので衆目の目にそれが晒されているわけではないし、どうということはないのだが、どうも風が足を撫でる感触が居たたまれない。その上、もしも道中で風によってローブが捲れ、アベルもその事実に気づけば二人とも気まずいことになってしまう。しかしこんな状況を今、アベルに告げるのも気恥ずかしい。せめて自分が後ろであれば、と思ったのだが。
「馬は後ろの方が揺れる。初めて乗るなら前の方がいいぞ」
「は、はあ……。ならやっぱり前でいいです」
撃沈。
経験者にそう諭されてしまったらもう何も言えない。初心者が口答えすることはできない。そうなると……もう諦めるしかないか。
もともと楽観的なメアリは、すぐにそう判断した。別に丸見えなわけではあるまいし、少し我慢すればいいだけだ。そう、すぐに気にならなくなる。
しかし途中で投げ出したことをすぐ後悔する羽目になるとは思ってもいなかった。城を出るまではいい。裏門にいる門番くらいにしか出会わなかった。しかも彼らはアベルを見てビシッと敬礼するばかりで、メアリのことは目に入っていないようだった。
しかし問題は道中だ。丁度日が真上に達しているこの時分、旅人にとったら絶好の旅日和。しかし旅慣れたものは、その変わり映えしない景色に飽き始めている頃でもある。よって、ある者は退屈そうに欠伸をしたり、ある者は雲の数でも数えてみる。そんな彼らの唯一の暇つぶしといえば、時々すれ違う旅人の観察くらいだろう。大ぶりの武器をこさえた屈強な男や、軽い服装の吟遊詩人、時には商人が引き連れている荷馬車も通る。そんな中で女性連れの旅人は一際目を引いた。言わずもがな、アベルたちのことである。女性連れとあれば、いろいろと好奇の目で見られることも多い。
「ヒュ~」
通り過ぎる旅人たちが彼らを見てニヤニヤしながら口笛を吹くことも多々あった。
もともとジロジロ見られることが好きではないアベルは、次第に顔を顰める。
「女との二人乗りがそんなに珍しいのか」
「あ……はは、そうですね、珍しいのかもしれません」
珍しく歯切れが悪いメアリにアベルは疑問を持ったが、その目線が自分ではなくメアリに向いているのに気付いた。さては居眠りでもしているのか、と後ろからそっと覗き込むと――惨状を理解した。先ほどから静かなメアリは、居眠りではなく、少しでもローブがはためかない様に裾を抑えるのに必死になっていた。しかしその必死の行動も、早駆けする馬の前では歯が立たない。
アベルはその無意味な努力と、自分の対応の甘さに舌打ちをした。その音にメアリはビクッとし、恐る恐る振り返ると、なぜか不機嫌なアベルと目が合った。
「手綱、持ってろ」
一言だけ告げられ、メアリは慌てて手綱をがっしりと掴んだ。初めての経験に、メアリは混乱と共に恐怖を抱いた。
「ちょっ……殿下ぁ! 早く、早く手綱持ってくださいよ! わたし馬、馬なんて制御できません!」
「それくらい誰にでもできるだろ。――ほら、よこせ」
「だっ、誰でも!?」
「膝にでも掛けとけ」
手綱から手を離して間もなく、後ろから外套が降ってきた。まだ温かいそれを目の前に、メアリは動揺する。まさに敵に塩を送られたような気分だった。確かにありがたいのだが、どうも素直に礼を言えない。気恥ずかしさや疑心が頭をもたげて口元を強張らせる。しかしここで何も言わなかったらただの礼儀知らずだ。
「……ありがとうございます」
メアリは重々しく口を開いて、小さな声で礼を述べた。