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21:魔女見習い、再会する

 実際のところ、メアリを追いかけていたエリスがすぐに根を上げたので、店からはそんなに離れてはいないだろう、と思っていた。道を曲がった覚えもないし、真っ直ぐ歩いていればすぐに見つかる、筈だった。


「お嬢さんたち、偶然だねぇ」

「…………」


 どうやら、店を見つける前に、厄介な者たちに見つかってしまったようだ。柄の悪そうな男たち数名が、メアリ達の行く先を遮っていた。


「あのー、どなたでしたっけ?」

 向こうはどうやら面識があるようだが、こちらとしては全くない。新手のナンパか?とメアリは首を傾げる。


「アッハッハ、お前覚えられてねーじゃん!」

 声をかけてきた男の後ろにいた軟派風な男が下品に笑った。


「お前、酒しこたま飲んでても忘れられなかったのにな!」

「うるせぇ!」


 恥ずかしいのか頬を赤らめて男は叫んだ。

 酒?とメアリは聞こえてきた単語に思考を飛ばす。酒と言われれば、最近のメアリが思い起こすのはやはりお茶会~夜の部~イン酒場である。そして更に男の顔を見つめる。どこか、見覚えがあるような気がした。――そう、特にその無精髭が。


「――あっ、もしかして髭面……!?」

「そのあだ名止めろ!」


 髭面が頬を赤くして叫ぶ。後ろの男たちも、メアリの反応にドッと笑った。しばらくしてエリスも合点がいったのか、メアリの袖をクイッと引っ張る。


「髭面って……あの髭面?」

「そうです、あの髭面です!」

「髭面だけで会話すんな!」

「まあまあ髭面、ちょっと落ち着けよ」

「お前までその名で呼ぶな!」


 髭面が吠えた。その様子に、更に軟派男が笑い声を上げる。


「どいつもこいつも……。おい、そこのお前ら! お前たちのおかげで俺はあれから随分な目に遭ってなあ!」

 いつの間にか髭面の瞳には涙が浮かんでいた。


「俺はそこらじゅうの奴らから変態呼ばわりだ!」

「事実じゃないですか」

「んなわけあるか!」


 メアリの突っ込みに、素早く反応する。ツボに嵌まったのか、軟派が親しげに髭面の肩に手を置く。


「お前……ロリコンだもんな!」

「違え!」

「だってお前、あの娘の尻の穴に手突っ込みたいって言ったんだろ?」

「酔ってたんだ! 仕方ないだろ!」

「やーいロリコン」

「死ね!!」


 何だか味方同士で喧嘩が発展しそうだ。その間に逃げるか、とエリスと目を合わせる。目の前の一行は、髭面と軟派の口喧嘩を面白そうに見ている。もはや自分たちはすっかり蚊帳の外だった。


「エリス様、このまま逃げちゃいましょうよ」

「そうね。何だか私達、忘れ去られているようだし」


 そーっと、そーっと目の前の男たちから目を逸らさない様に後ずさりし始めた。獰猛な獣から逃げ出すような気分だった。

 しかしそうも上手くいくわけがない。


「おい髭面、ロリちゃん行っちゃうぞ」

「誰がロリだー!!」

 今度はメアリが吠えた。


「ていうかさっきから何ですかロリコンロリコンて! わたしそんなに幼くないですよ!」


 あの髭面を変態呼ばわりするのは構わない。事実、メアリもそう思っている。しかし、ロリコン呼ばわりまでされると、関わったメアリが幼いと言われているようで解せない。


 メアリは叫ぶと、バッとローブを脱ぎ捨てた。確かに、真っ黒なローブを羽織って、小柄な姿だけを見せていたら幼く見えるかもしれない。しかし、顔立ちだって体つきだって――そう思いたいが――それなりに年頃の女の子に見えるはずだ!


 そう思っての行動だった。にもかかわらず。


「やっぱりロリ娘じゃねえか……」

 一斉に男たちが顔を背けた。


「ちょ、どこ見てるんですか! わたしこれでも十五ですよ!?」

「十五……それでか」

「そっ、それでって何ですか! あんたら失礼にも程がある!!」


 ムキーッとメアリは地団太を踏む。まるでここら一帯コントのような有様に、エリスは呆れたような表情になる。


「メアリ……メアリ」

 そうして怒りが収まらない様子の彼女に声をかける。


「仕方ないわよ」

「何がですか!」

「だって……言いにくいけど、あなたの今の恰好、あまり年相応に見えないというか……」


 みるみる悲しそうになってくるメアリに、エリスの言葉は尻すぼみになっていく。しかしここで止めるわけにはいくまい。正直、男たち相手に怒り狂うより、今は逃げたかった。


「似合ってるんだけど、ね。ヒラヒラのせいで、ちょっと幼く感じるの」

「服を着たら幼くなるって……。それ、似合ってるって言うんですか?」


 静かにメアリが問いかける。確かに、とエリスは冷や汗を流しながら内心で肯定する。


「あ、あの、でもね。その服、似合ってることだけは確かだから。それに、そんなのはもう別にいいじゃない。ウィリスたちもきっと探してるわ。もう行きましょうよ」

 その場限りのほめ言葉を言われても嬉しくない。何だか自分が、こんな服着たくないと駄々を捏ねる子供のような……そんな気分にさせられるからだ。


「う……うわああ! こんな服、脱ぎ捨ててやるー!!」

 メアリは半泣きになって服を脱ごうと裾に手をかける。慌ててエリスはその手を止めた。


「ちょ、こんな所で何してるのよ!」

「だ、だってだって! どうせ似合わないんなら、どうせ子供っぽいんなら脱いだ方がマシですー!!」

「ここ外だから! 自重しなさい!」


 エリスも必死になって阻止するが、なぜかメアリも必死だ。やたらと脱ごうと躍起になっている。脱ぐぐらいならローブを着ろよ、と意見してくれる者はこの場にいなかった。


「ほら……下着見えちゃうから!」


 メアリが着ている服はワンピース型だ。もしも脱ごうとしたら全身露わになってしまうだろう。

 メアリの太ももはすでに衆目に晒されているが、それ以上はさすがのエリスも許すつもりはない。全力を挙げて阻止を図る。


「おい! 早まるな!」

「そんなこと気にすんじゃねえよ!」

 なぜか向こうの男たちまでもがメアリを宥めようとしてきた。


「その服は確かに着ている者を若々しく見せるかもしれない! しかしお前自身に非常に似合っていることは確かだ! 無理に大人っぽい恰好をすることだけが良いという訳じゃない。年相応の、そいつ自身に一番似合う恰好をすることが魅力を最大限に発揮することなんだ!」

 髭面が熱く語る。言っていることは恰好いい。だがしかし。


「おい……鼻血拭いてから言えよ……」

 髭面、その自慢の髭を真っ赤に染めるほど鼻血を噴出していた。指摘され、気づいた髭面が慌てて袖で拭うが、それでも新たな血がどんどん出てくる。そのせいで、恰好をつけた先の台詞がどうも変態臭く聞こえる。


「お前……本物のロリコンじゃねえか」

 先ほどまでニヤニヤからかってばかりだった軟派男が、完全にドン引きしていた。メアリ達も同様だ。一歩一歩と後ずさる。


「うるせぇ……もう遅いんだよ」

 吐き捨てる様に髭面は呟く。それとともに、ゆらりゆらりとこちらに近づいてくる。血に塗れた髭が恐ろしいというか間抜けというか。


「メアリ! 逃げなさい! あいつやる気よ!」

 エリスが前に立ちはだかって叫んだ。


「何言ってんですか! エリス様の方こそ早く逃げてください!」

 負けじとメアリも前に出る。


「エリス様足遅いんだから!」

「メアリだって足短いくせに!」

「ひどっ、それただの悪口ですよ!!」

 やいのやいのメアリ達は口喧嘩をする。もう髭面は目の前だというに、危機感はさっぱりなかった。


「あのぉー!!」

 蚊帳の外だった髭面が声をかける。伸ばせば手を触れられるほどの距離だ。


「お嬢さん達、今の状況わかってる?」

 言いながら髭面はメアリの腕を掴む。叫び声すら上げないが、メアリは振りほどこうと抵抗する。が、男の腕力にはかなわない。


「メアリ!」

 エリスも助けに行こうと叫んだが、いつの間に近づいていたのか、軟派男がその後ろに回り込み、エリスの腕を拘束した。


「――エリス様!」

「おいおい、お前だってやる気じゃねえか。じゃあ俺も気兼ねなく――」


 髭面は軟派を一瞥し、次にメアリを見やった。目が合ったので、メアリは思いっきり睨み返した。


「い……いいんですか。このままだと本物のロリコンになっちゃいますよ」

「いいんだよ、どうせ俺はいつまで経ってもロリコンだ!」


 いつまで経ってもって……。昔も呼ばれたことがあるのか……?

 聞きたい。非情に聞きたい。

 しかしこれ以上聞いてしまえば、今以上に状況が悪くなる気がして必死にその疑問を飲みこんだ。


「どうせ俺はロリコンなんだ……。なあそうだろ? じゃあ何してもいいよな?」

「ちょ……気持ち悪いですって!!」


 髭面が近づいてくるので遠慮なく顔を顰めて拒否をする。それにより、繊細な髭面のガラスのハートにひびが入ったが、表面上は無表情を装う。そのままどんどんと顔を近づけてきた。咄嗟のことで頭は回らなかったが、しかし嫌悪感は芽生える。


「止めて――!」

 男の力に適うわけがない。メアリが最後の抵抗として叫んだ時、すぐ傍で一陣の風が吹いた――気がした。


「ぐわっ」


 気づいた時には、腕の拘束は外れ、目の前には髭面が大の字になって伸びている。


「え……」

 メアリが状況を判断する間もなく、黒い影は忙しそうに目の前の男たちをなぎ倒していく。体術、とでもいうのだろうか。剣も武器も使わないその姿は、何者よりも素早かった。


「――エリス様は!?」

 しばし俊敏な姿に見惚れていたが、ハッとしてメアリは振り向いた。が、杞憂だったようだ。


 エリスの側にはウィリスがいた。男たちから守るようにエリスの肩を抱きかかえていた。エリスの方も、無意識なのか、彼の裾を震える手で握っていた。


「あ……わわ」

 思わぬラブシーンに、メアリは顔を赤くして彼らに背を向けた。なぜだか、見てはいけないものを見てしまった気分だ。

 そうして元の場所に視線を戻したメアリだが、どうやら目の前の戦闘はすっかり片が付いたようだ。


 先ほどまで戦場を駆け回っていた彼は、一仕事終えた様に首を回していた。唖然としたまま、その後ろ姿に声をかける。


「え……と、殿下……ですよね?」

「何だよ」

 首を回す作業を一旦止め、アベルは振り返った。その表情は、誇らしげでも自慢げでもない。至って普通の、きょとんとしたものだ。さも、男たちを倒したことが当然のことであるかのように。

   

 だからこそ信じられなかった。


「え……殿下?」

「だから何だよ」

 二度も同じことを繰り返され、些かアベルは面倒そうだ。しかし信じられないものは仕方がない。


「だって……いつものヘタレな殿下とは違いすぎて……」

「そ、そうか?」

 なぜかアベルは照れている。メアリとしては、ヘタレな部分を強調したかっただけのだが。


「だって、本当……いつも撃たれ弱いじゃないですか! すぐにメアリ~助けて~って情けない声を上げるし!」

「よし分かった、よーく分かった。お前が俺のことどう思ってるのかってことがな」


 アベルは怒った様にそっぽを向くが、メアリは未だに信じられない。どうして先ほどの素早い戦闘を行ったのが目の前のアベルだと理解できようか。


「いや、理解できないです……」

 ぶつぶつとメアリは言う。


「だってあの殿下が……? ヘタレで撃たれ弱くて我儘で生意気で憎たらしいあの殿下が……?」

「おい、最後の完全にお前の恨みだよな、俺への」


 メアリのあんまりな物言いに、否定するのも億劫だ。


「というかな、これくらいの体術は当たり前だ。ジェイルに厳しく教えられたからな。ジェイルにはきっとこれからも勝てないが、その辺の荒くれどもには負ける気はしない」

 かっこいい決め台詞、だと思う。しかしメアリの心中は複雑だ。


 最初からジェイルさんに勝つことを諦めてるんですか男らしくない、とか、酒場の時は酔っ払って役に立たなかったくせに、とか、それだけ強くても性格がヘタレじゃ意味ないんじゃないですか、とか様々な思いが身を駆け巡る。


 突っ込みたい。ニヤニヤと笑いながら突っ込みたい。

 そんなおちゃらけたことを考えながら、メアリは必死に認めようとはしなかった。というか、認めたくなかった。アベルの戦っている姿が格好良かったなどと。


 メアリが自分の思考に溺れ、固まってしまったので、アベルは拍子抜けする。そうして呆けたメアリをまじまじと見つめていた。すると、当然彼女の様相も目に入る。


「お前、その恰好……」

「……っ!」


 アベルに言われ、メアリはハッと気づく。先ほどの騒動ですっかり忘れていたが、メアリは未だあのヒラヒラの服を纏っている。さすがに今はもう頭は冷えていたので、慌てて辺りを見回し、安心の塊のわたしのローブはどこだ!と探し回った。が、目当てのブツが、切なげに見つめ合っているエリス達の足元にあることに気付くと、泣く泣く諦めた。せめてもの抵抗に、両腕で体を隠すようにした。


「に……似合ってないことくらい分かってますよ」

 どうせ子供っぽいし子供っぽいしと独り言を呟く。


「誰も、そんなことは言ってない」

 思わぬ言葉が聞こえた。


「似合ってる……と思う」

 バッとメアリは顔を上げる。目に、頬を赤くしてそっぽを向くアベルが映った。


 エリスや他の誰に言われても、お世辞にしか聞こえず、頑としてひねくれた返答しか言えなかった。だが今はどうだろう。なぜか、無性に恥ずかしい。嬉しいよりもひねくれた感情よりも先に、羞恥が顔を出す。


「あの……ありが――」

「馬子にも衣裳って感じで」

「…………」


 メアリは無言でアベルの頬を打った。情けない声を上げながらアベルは倒れた。自業自得だった。


*****


 メアリとアベルがくだらない掛け合いを繰り広げている中、エリス達は至極真っ当な再会シーンを描いていた。辺りを見回し、脅威が完全に過ぎ去ったことを見て取ると、ウィリスは感極まった様にエリスを抱き締めたのである。始めは突然の出来事に真っ赤になっていたエリスだが、次第にそれが切なげなものへと変わり、自身もその広い背に腕を回した。


「エリス様……申し訳ありません。あなたのお傍を離れてしまうなんて護衛失格です」

「何でそうなるのよ……。私が勝手に離れたのよ? それに、ちゃんと守ってくれたじゃない」


 エリスが男に乱暴に腕を掴まれているのを見ると、ウィリスはアベルよりも早く動いた。

 まずは男の首に手を回して羽交い絞めにし、そうしてエリスのから男の腕が離れたのを見届けた後は早かった。素早く鳩尾に拳を叩きこみ、一瞬で昏倒させたのだ。後は決してエリスの元を離れず、その華奢な肩を抱き寄せたまま、アベルの戦闘を険しい表情で見つめていた。


「いえ……エリス様をこんな危険な目に遭わせておいて、俺は……!」

 ウィリスの言葉は、切なげだった。言葉だけなら、純粋に嬉しい。しかし、そこに含まれるものは単純な心配だけではないことくらい、エリスも分かっていた。自惚れてはいけなかった。


「ウィリス……私のことを守るのは義務なの?」

 しかしそれでも、聞いてしまうのはなぜだろうか。返ってくる言葉は分かり切っているのに、気付いたらその問いが口を出ていた。


 エリスの小さな声に、ウィリスは頭を下げた。


「エリス様……申し訳ありません」


 その言葉は肯定、なのね。

 ふっと詰めていた息を吐き出した。一方でウィリスは息を吸い込み、その真っ直ぐな瞳でエリスを見据えた。


「私はエルウィン国に仕えている身。ならばエルウィン国を不利にするような行動は慎むべきでありました」

「え……?」


 彼の言っていることが分からない。エリスはそのまま息をつめて耳を傾ける。


「本来ならば、エリス様を安全な所にお連れしたら、私はすぐさまアクロイド国王子殿下を助けに行くべきだったでしょう。しかし、できなかった。万が一エリス様に何かあったらと思うと――」


 服飾店でエリスの姿がないと分かった時、背筋が凍った。なぜまたこんな過ちを繰り返すのだと自分を責めた。


 エリスがまだ幼い頃、人さらいに浚われたことがあった。その時のウィリスはまだ騎士見習いの身分で、王女の護衛なんてもってのほかだった。にもかかわらず、きちんとした護衛もつけずにエリスと共に街へと繰り出してしまったのだ。結果、人ごみの中で他に注意をとられている間に、エリスが連れ去られてしまった。気づいた時には、もうすでにはるか遠くまで泣き叫んでいるエリスが連れ去られていた。


 数時間後、金持ちに売られる寸前の、憔悴しきったエリスを見つけた時、安堵と怒りで身が震えた。何より、自分の無力さにどうしようもなく嫌気がさした。そして誓ったはずだった。こんな思いをもう二度としないためにも、決してエリスの側を離れるものか、と。


 それ以後、その誓いを胸に、ウィリスは稽古に励み、同時に今まで以上にエリスに張り付くようになった。もともとは幼いエリスの遊び相手としての立場だった彼だが、その熱心さのおかげか、騎士の叙任を受ける前に、いつの間にか周囲公認の王女付き護衛になっていた。


 しかしそうして護衛としての地位を確立していっても、ウィリスは決して油断しなかった。エリスに過保護過ぎだと呆れられても、決して傍を離れなかった。にもかかわらず、なぜまた同じことを繰り返すんだ――!


 しかも、今回の失態はそれだけではない。


 あの時――エリスの腕を掴んでいた男をウィリスが倒した時、彼女の周りにはもう危険は無いはずだった。言うならば、幾人もの男に囲まれているアベル、メアリの方がよっぽど危険だった。国に仕えている身ならば、隣国の王子を危険に晒すまいとすぐさま助けに行かなければならない立場だ。にもかかわらず、できなかった。


「エルウィン国に仕えている身ならば、すぐさま助太刀に行くべきだったのに、それができなかった。仕事に私情を挟んでしまったからです。申し訳ありませんでした」


 もう一度、ウィリスは深く頭を下げた。その様に、エリスはしばし呆然とする。正直なところ、目の前の彼の言っていることがまだよく分からなかった。


「わ、私を守るのが私情……?」


 しかしそれでも、見落としてはいけない、後悔してしまう、そんな気がした。エリスはゆっくりと自分の中で考えをまとめる。

 確かに、ウィリスがアベルを助けに行かないことが国の不利益になってしまうことは明白だ。怪我をしたアベルが、責任をエルウィン国に追及することだってあり得る。それが分かっていながら、ウィリスはそうしなかった。それはなぜか。彼が言ってくれたではないか。私情を挟んでしまったと。私情……どんな意味だったかしら。


 エリスはだんだん頭が混乱してくる。


 確か、個人的な感情とか、利己的な心……とか。――個人的な感情、を持ってくれているのだろうか、彼は。いつも一番近くにいながら、その心が分からなかった彼は、私に、個人的な感情を。

 分かっている。個人的な感情と言っても、きっとウィリスのそれはエリスと同じものではない。きっと親愛的なものだ。しかしそれでも嬉しい。嬉しくないわけがない。ウィリスが、あの生真面目なウィリスが、国益に背いてまでその個人的な感情に従ってくれたのだから。


 エリスは自分の感情に決着をつけると、吹っ切れた様に笑った。その零れんばかりの笑みに、ウィリスは思わず見とれた。いつも、穏やかに、可憐に笑うばかりだったエリスが、無邪気に、大輪の花の様に笑ったのだ。


 エリスはウィリスを見上げ、彼の大きな手を両手で包み込んだ。


「これからも私情を挟んで、私を守って。私が許すわ」

「――は、はい」


 エリスの言っている意味がいまいち分かってない様子だ。でもそれでもいい。今は分からなくても、いつか、分かってくれれば。


「あ、しかし私はやはり国に仕える身。いつもいつも私情を挟むわけには……」

「生真面目なんだから」


 エリスは呆れた。確かに、早々頷いてくれるわけは無いと思っていたけれども。


「女心としては、そこは大人しく頷いておいて欲しいものだわ」

「……はあ」


 ウィリスはまたもや分かってない様子で頷いた。そんな彼に、エリスはクスリと笑いかける。先は長そうだ、とこれからに思いを馳せながら――。

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