02:魔女見習い、脅される
「ちょっと、一人で歩けますから!」
広い閑静な廊下を、メアリは腕を引っ張られながら歩いていた。会場へと料理を運んでいる侍女たちには、先ほどから奇異の目で見つめられ、どうも落ち着かない。無理やり放そうともがいても、彼の腕はびくともしなかった。
そうこうしているうちに、少年はどこか豪華そうな扉の前で立ち止まる。
「な、なんですか、ここは」
「俺の部屋だ」
躊躇もなく部屋に入る様子を見るからに、確かに彼の部屋なのだろうが……。
「な、なんか……豪華すぎません?」
部屋に入ってまず圧倒されるのは、その広さだ。しかも一軒家ほどの。調度品も煌びやかなたくさんの宝石で装飾されている。
「趣味……わる」
「俺の趣味じゃねーよ」
振り返ってじろりと睨まれた。ぼそっと呟いただけなのに、なんて地獄耳だろうか。
「とりあえずそこ、座れ」
少年が顎で示す方向には、これまた豪華そうな椅子があった。メアリは少年がドカッとソファに座るのを見てから自分も恐る恐る腰かける。
「――で、頼み事なんだが」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「何だよ」
「その前に自己紹介しません? えっと……あなた、この王宮に住んでる、んですか?」
「この部屋を見ればわかるだろ。俺はアベル。この国の王子だ」
や、やっぱりー!
言葉にならない声でメアリは叫んだ。我が物顔でこの王宮をドシドシと歩いている時点で気づくべきだった。そしてこの偉そうな態度でも。何年も通っているのに、王宮の主が誰とか、その息子は何歳だとか全く興味が湧かなかった自分を叱咤したい。いや、今更叱咤しても遅いのだが。
「今日は俺の栄えある生誕祭だ。毎年開催されてるんだから普通気づくだろ。一応お前もこの国の一員なんだから、王族の顔くらい覚えとけ」
驚きましたと言わんばかりのメアリの表情に、アベルは呆れたように言った。
「い、いや、興味ないですし。ていうか、自意識過剰? 正直、魔女の村ではあなたのことなんか噂にも上がらないんですからね!」
馬鹿にされたような言葉に、瞬時に言い返す。ついでにビシッと指も突きつけた。対するアベルは、その身分も何も考えないメアリの態度に、呆れたような諦めたようなため息をついた。その心中は、面倒な生き物を拾ったな、という思いでいっぱいだった。
「うん……そうか。じゃあそれでいい。――で、お前は?」
「はい?」
「お前の名前」
「あ、はい。私はメアリです。大魔女ミネルヴァ様の下で修業中の見習い魔女です!」
自信満々に宣言するメアリに、アベルはわずかに眉をよせた。
「見習いだと? 魔女にもそんなものがあるのか」
「もちろんあります! それぞれの師匠の下で修業して、師匠に認められたら晴れて一人前の魔女として旅立てるんです」
「なるほど、なかなか魔女社会も複雑なんだな」
「そうなんですよー。わたしなんか、何年も修業してるのになかなか認めてもらえなくて」
「どうやったら認めてもらえるんだ?」
「それが分からないんです。認めてもらうのはその師匠それぞれの独断なので、判断基準が不明で」
「へえ、それは何とも……」
ふむふむと、なかなか興味深い話に顎に手を置いて感心していたアベルは、ふと自分の状況を思い出し、固まった。
「おい、何か話がすり替わってないか?」
「へ?」
「誰がお前の話を聞きたいと言った! 俺の頼みごとを聞けって言ったんだよ!」
「そんな理不尽なっ!」
自分から魔女について聞いておいてこの怒り様。面倒な生き物に巡り合ってしまった、とは、メアリの心中も一緒のようだ。
「で、話を元に戻す。俺がお前に頼みたいことっていうのは」
そこで一つ、アベルがため息をついた。しばらく沈黙が続いた。
「そんなに勿体ぶらないでください」
メアリがピシャリと言うと、アベルはこれ見よがしに再びため息をついて彼女を見上げた。
「……俺の結婚話を解消してほしい」
……結婚。結婚?
魔女とバレてしまったのだから、なんだかとんでもないことを頼まれそうな予感がしていたのだが、実際は拍子抜けする内容であることにメアリはほっとした。
「結婚といいますと?」
「ああ、近々俺は結婚させられるんだ。隣国の姫さんとな」
「――はあ」
「しかし俺はそれが気に食わない。だからお前はそれを魔女の秘術で何とかしてほしい」
しかし聞けば聞くほど、次第にとんでもないことのように思えてきた。一国の王子と姫の結婚話を解消!? 下手したら首が飛ぶのでは……?
メアリは自分の首が言葉通り飛ぶところを想像して身震いした。
「あの……とりあえずお聞きしますけど、どうして結婚が嫌なんですか? 好きな人でもいるとか?」
「――そんなんじゃない。ただ、顔も知らないのに急に結婚とか嫌なだけだ」
表情を曇らせて顔を背けるアベルの様子に、一つの単語が浮かび上がった。
「要するに、マリッジブルーだと」
「ああ? 全然違う! そんな女々しいこと一言も言ってないだろ!」
アベルはテーブルを叩いた。しかしそうだとすれば納得がいく。この少年がやたら気性が激しいのも、いざ婚前になって不安に苛まれているからだろうか。
「結婚が不安なんですよね?」
「いや、それもそうだが、両親に言われるまま決めるのが嫌っていうか、自分のことは自分で決めたいっていうか」
不満げに唇を尖らせるアベルの様子に、再び一つの単語が浮かび上がった。
「なるほど、反抗期ってことですね?」
「違うって言ってるだろ! そんな言葉で解決するな!」
「お言葉が汚くてらっしゃいます。それでは相手の方にも嫌われてしまいますよ?」
「余計なお世話だ! だいたい俺は結婚しないからな! そのためにお前を連れてきたんだから」
「でもでも、そんなよくわからない理由で二国間の婚姻を反故にしてもいいんですか?」
「――っ、いいんだよ。俺の知ったことじゃない」
「でも怒った隣国に攻められるかもしれませんよ?」
「その時はその時だ。なるようになるさ」
メアリはあまり詳しく世の情勢を知っているわけではない。しかし後に国王になるであろう目の前の少年の言動に、一抹の不安を感じたことは確かだ。しかしとりあたま――いや、残念な思考回路をしているメアリは、いつの間にかアベルにまじまじと見つめられていることに気づき、その驚きで真面目な思考は吹っ飛んだ。
「っていうかお前、なんでさっきからフード被ってるんだよ。俺の前で失礼だとか思わないのか?」
「えっ、別にいいじゃないですか」
「駄目だ。さっさと取れ」
そう言いながらアベルが近づいてくる。慌ててメアリは後ろに飛びのいた。
「嫌ですよっ! これは魔女のアイデンティティなんですよ? 外せるわけがないでしょう」
「アイデンティティだと? そもそも俺はこんな小娘が魔女だとは信じられんけどな」
「小娘って、あなたもそうたいして変わらない年齢でしょうが! わたしから見れば、あなたの態度だって結構幼稚ですよ」
「ああ? なんだ、それは! そんなちびっこい体してよく言えるな!」
「小さいのは関係ないです! 問題は言動です」
イーッと二人は睨み合った。どっちもどっちですと突っ込んでくれるような大人な人間は、残念ながらこの場にいなかった。
「ふん、この俺にそんな態度ができるとは驚きだ。犯罪者の身分で、な」
「ううっ」
それを言われたら言い返せない。しかし。
「もしあなたがわたしの身ぐるみ剥がそうものなら痴漢で訴えますからね!」
「はあ?」
「ここで叫んでやる、痴漢ーって」
「お、お前……。仮にも王子の俺に向かって……」
「王子っ……。ふふっ、王子なら王子らしくしたらどうですかー?」
「おまっ、馬鹿にすんなよ!」
「どうします? この国の王子が痴漢野郎だって噂が広まっちゃいますよ?」
「ぐっ……」
何も言えない様子のアベルに、メアリは束の間の優越感を抱いた。そう、束の間だった。
「お前、自分が犯罪者だってこと忘れてるだろ」
「へ?」
「よーし気が変わった。今すぐ衛兵につき出してやる。そうしたらすぐに牢屋行きだ」
「え、ええー!? ちょ、やめ、止めてくださいよ!」
アベルがメアリのフードを掴みながらどんどんとドアの方へ歩き出した。フードが破れないように、取れないようにするには一緒についていくしかない。
「もう! ちょっと!」
次第に主導権を取られていることに怒りが募り、メアリはアベルの膝の関節に蹴りを入れた。
「うわっ!」
メアリの計画通り、アベルはそのまま間抜けな声を上げながら床に前のめりに倒れこんだ。しかし彼はフードを掴んでいたため、メアリも一緒に無様に倒れこむこととなる。
「おっ、おまっ、何してんだ!」
「あなたこそ何わたしまで巻き込んでるんですか!」
「いや、お前のせいだから」
縺れ合った二人はいつの間にやら取っ組み合いの喧嘩にまで発展していた。無言で一方はパンチを入れ、もう一方は腕を掴む。すると一方は蹴りを入れたり頬をつねったり……。女子であるメアリが主に攻撃一方で、男子のアベルが防戦に徹しているこの絵面は、実に模範的だった。しかし、その前に――雌雄の区別の前に、メアリは目の前の少年が王子であるということを理解したほうが良さそうだ。
しかし何でもすぐに忘れる単純な思考をしているメアリにはその情報は遥か彼方にあるようだ。攻撃が全く効いてないのに気付き、メアリはさらに攻撃の回数を増やす。それにうんざりしたのか、アベルはついに本気を出した。メアリの両腕を掴んで床に押し付け、そのまま起き上がる。
――床ドンの完成である。
「これで手も足も出ないだろ」
目の前のアベルが不敵に笑う。
「いや、足は出ますし」
言うや否や、メアリは足だけで暴れようと画策したが、すぐにローブの長い裾を片膝で押さえられ、言葉通り手も足も出ない状況に陥ってしまった。
「くっ……屈辱だ」
「ざまあみろ。お前が反抗するからだ」
しかし実際この状況になってみて、アベルははたとその行動が止まった。――これからどうすればいい?
メアリもきょとんとしている。
「どうしてこんな状況になったんですかね?」
「知らん」
どうやら、メアリだけでなくアベルも鳥あた――いや、残念な思考回路だったようだ。
「つーか話を戻すと、お前が俺の結婚話を解消してほしいっていうのを承諾すればいいんだよ」
「……嫌です」
一瞬の間の後、メアリはそっぽを向いた。
「はあっ?」
「嫌です!」
「このまま罪人として捕まってもいいのか?」
「それも嫌です」
「わがままな奴だな! おとなしく頷けばいいものを」
この少年の思い通りにするもの嫌だし、かといって捕まるのも嫌だ。
そんな矛盾した思いを抱え、頭が知恵熱でくらくらしてきた頃、無意識のうちにメアリは叫んでいた。
「ちっ……!」
「ん?」
「ちーかーん―――!!」
「はあっ!?」
「痴漢です! ここに痴漢が!! 誰か助け――」
更に喚こうとしていたメアリの口をアベルは片手で塞いだ。もごもごとメアリは言葉にならない声を上げる。
「何しやがんだ、お前は! 状況わかってんのか!?」
「~~っ!」
「あーもう何も言うな。これ以上何かしたら本当に衛兵につき出すぞ」
ちらっと扉の方に目を向け、アベルは小さくため息をついた。
よし、人の気配はないな。
しかしそれも早合点であったようである。すぐにどたばたと騒がしい足音をさせながら誰かがやってきた。しかも複数人。
「アベル様! 叫び声が聞こえたのですが何事ですか!?」
一心に心配しているようなその声に、思わず二人して顔を見合わせた。
「お、お前のせいだぞ! どうすんだよ、この状況!」
「状況って、あなたがわたしからすぐに離れればいいだけでしょう!」
「俺がお前を部屋に連れ込んでるこの状況がすでに大問題なんだよ!」
「知りませんよ! ご自分が無理やり連れてきたくせに」
「お前がただ頷けばいいだけの話だったのに、やたらと騒ぐから人が来たんだろうが」
次第に口喧嘩はヒートアップする。鳥頭……うん、もうそれでいい。鳥頭な二人は、すでに扉の外の衛兵たちの存在をすっかり忘れていた。
「元はといえばあなたが連れてくるから――」
「それはこっちの台詞だ! 始めにお前が盗みを働いたから――」
「あなたが見逃せばいい話だったんです!」
「なんか見てるとむかむかしてきたんだよ! 仕方ないだろ!」
「あー! ついに本音吐きましたね! なにがなんとなく~ですか。かっこつけちゃって。結局のところ八つ当たりだったんでしょうが!」
「は、はあ! お前マジで頭に――」
「アベル様、何事ですか! 争っているような声が聞こえるのですが」
突然の第三者の声乱入に、二人ははたと状況を思い出した。
「アベル様、失礼しますよ!」
「い、いや! 入ってこなくていい! というか入ってくるな!」
この体勢はさすがにまずいだろ!
アベルは冷静に状況を整理し、必死に声を張り上げる。さらには外の衛兵に助けを求めようとしていたメアリの口を抑える。
「本当、何もないから向こうへ行っててくれ」
「んん、んーーーっ!」
言葉は出ないが唸り声は出る。状況を打開するべく、メアリも必死に声を張り上げる。
「ちょ、おい! 静かにしてろ!」
音量を落としてメアリに言ったはずだったが、主君を心配する男の耳にはしっかりと届いたようだ。何やら主君が焦っているようだと。
力になりたい一心で男はバンッと勢いよく扉を開けた。
部屋の奥には誰もおらず、そのまま目線を下げると……主がいた。主と、その下に組み敷かれている女性。……いや、女性というにも満たない少女か。
「お邪魔いたしました!!」
敬礼もつけながら、開けた扉を再び閉める。無駄に力の入った音が響いた。
しばらく、部屋の中も外も沈黙が漂った。この状況下において、扉越しに双方とも相手の気配を伺っているのである。痺れを切らしたのはアベルの方だった。何とか誤解を解こうと必死で口火を切った。
「あ、おい……。誤解、だからな? こいつとはそう言う関係じゃないからな?」
「あっ、いえ……、そのようなことは仰らずとも……。私たちは何も見ておりませんので。な、なあ?」
若い衛兵は自分の周りにいた仲間に同意を求めた。彼らは声もなく全力で頷く。
「あ、あの、生誕祭のことなのですが、主役の殿下がいらっしゃらないこと、陛下は痺れを切らしておいでです。すぐに戻ってくるようにと申しつかっておりますゆえ」
「あ、ああ、大丈夫だ。もうしばらくしたらすぐに――」
「い、いえ! 大丈夫でございます!」
「はあ?」
何が大丈夫なんだ、とアベルは一瞬呆気にとられた。すぐに戻ると言っているのに、それが気に食わないのだろうか。やけに力の入った大丈夫、という言葉に、一抹の不安を抱いた。
幸か不幸か、その不安は当たることとなった。
「アベル様はお取込み中だと……。大人の階段を上っている最中だとお伝えいたしますので!」
あまりの言い様に、驚くも何もない。驚きを通り越して頭が真っ白になる。
「――いや、何が大丈夫だ!! こっちは全然大丈夫じゃねえよ! 問題発言すぎるだろ!」
「いえ、しかし……せっかく殿下が女性に興味をお持ちになられたのに、こんな好機を逃すわけにはまいりません! このことをお伝えしたら、陛下もきっとお喜びになります」
「ならねえよ! なに人の女性事情を心配してんだ、余計なお世話だ!!」
「あの~お話し中申し訳ないんですけど、もう帰っていいですか?」
すっかり蚊帳の外だったメアリが冷めた目でアベルを見上げている。アベルは、こちらの事情も考えずにマイペースに突き進むメアリを、扉の外の衛兵ともども殴りたくなってきた。
「あーもう! お前は盗みを働いたんだろうが! 犯罪者だ! そんなお前がほいほい家に帰れると思うなよ!」
「……犯罪者?」
扉の外から低い声がした。先ほどの若い衛兵ではない。気のせいでなければ……知り合いだ。
アベルは冷や汗が流れた。
「ジェイル隊長! ご苦労様です!」
「ああ。――で、中の様子は?」
「は、はい。殿下、と女性が一人……」
「中には不審者がいるのか?」
「え? ええ……。まあ見たことない方でしたし、ドレスも着ていなかったので、招待客ではないと思います」
「ジェイルか? いい、入ってこなくていい。こいつは俺が何とかす――」
「殿下、失礼します」
アベルは失念していた。近衛隊長、ジェイルの心配性が度が過ぎていることを。一度決めたらとにかく突っ走ることを。自分が未だメアリを押し倒した体勢でいることを。
「で、殿下……」
本日二度目のお披露目。
しかも今回は、幼いころから剣技の師匠として教えを乞うていたジェイルに。
「もう嫌だ……」
絶望したようにアベルが呟くのも、仕方がないと思われる。