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10:魔女見習い、盛り上がる 下

「……そこまで言うならもう分かってるだろう。俺がどんなに口下手で甲斐性なしか。君ほどの女性ならもっと良い男が見つかる。それに」

 始めはもっと柔らかく伝えようと思っていた。しかしそれももう止めた。何より、デリカシーの欠片もないこの姫に、優しくしようとする気持ちが皆無になっていた。


「俺は君と婚約する気はない」

 ――アベルが言い放った後、しばらく沈黙が続いた。アベルはやってしまったと今更ながら少々緊張し、メアリは珍しく空気を読む。エリスはというと……自分の考えをまとめていた。自国の状況及び、この婚約によって結ばれる契約内容、そして目の前の年若い恋人たちのこと。


「あなたたちには悪いけど……私はあなたと結婚するつもりよ」

 エリスがきっぱりと言い放った。もし彼らが何の柵もないただの恋人だったならば、全力で応援したい。短い間だったが、その合間に熱々な様子を見せつけられて、何度リア充爆発しろと思ったことか。――しかしそれでもこちらは譲れない。アベルは王子で、エリスは王女である。アベルは将来この国を担うという使命を、エリスには国と国とを繋ぐという使命をそれぞれ抱えている。それを蔑ろにしてまで、自分の好きなことをするわけにはいかない。


 様々な心中の思いに翻弄されながらも、再び決意を新たにエリスは顔を上げた。どんな反応が返ってこようとも、応戦する気は満々だ。

 しかし、どうも彼女の予想通りにはいかないようだ。


「え、ええ? エリス様、いきなり直球の告白ですか!? 大胆ですね!」

「いや……照れるじゃないか」

 想像していた反応と違う。エリスは一瞬呆気にとられ、そしてすぐに堰を切った様に怒り出した。


「どこをどう聞いたら告白になるのよ! 私はあなたのことちっとも好きじゃないけど、国のために仕方なく結婚するって言ってるの!」

「なんだ……そうなんですか。残念、殿下、振られちゃいましたね」

「告白しておいて振るとは……。いや、最近の若者は非情だな」


 何とも息の合った掛け合い。

 しかしもちろんエリスはそれにイライラさせられる。怒りのあまり、手が震えた。


「あんた達……馬鹿にしてるの?」

 静かな、しかし怒気のこもった声が地を這う。それに気づいたのか、慌ててアベルが手を横に振った。


「いや……冗談じゃないか。ちょっと真面目な雰囲気を吹き飛ばそうと……。な、メアリ。そうだよな?」

「――え? 冗談? そうなんですか?」


 メアリに乗っかって冗談をのたまったアベルだが、当のメアリは冗談のつもりじゃなかったらしい。今にも怒りが爆発しそうなエリスに、アベルはさらに慌てる。


「いや、悪かった。ほんの冗談だ」

 へらへらと笑うアベルに、エリスの怒りは収まるわけもない。むしろ、増長した。


「わ……」

「わ?」

「私はあなたみたいな甘ったれた子供に興味はないから!」

「こどっ……」


 今度はアベルが絶句した。


「私はもっと大人で、包容力があって、いつも笑顔な……そんな感じの人が好きだから!」

「やけに言い切ってますね。好きな人でもいるんですか?」


 突然メアリが横槍を入れた。


「え……ええぇっ!?」

 目に見えてエリスは動揺した。頬も赤くなる。


「な、ななな、何でそう言う話になるの!? 今は婚約についての話でしょう!!」

「相手は誰なんですか? もう恋仲だったりします?」

「ち……ちがっ! そんな、そんなんじゃなくて――」

「じゃあ片思いですか? やりますねーエリス様」

「だから……! 違うって!」


 突然生き生きし出すメアリ、動揺するエリスに、置いてけぼりのアベル。

 女という生き物は、つくづく恋の話が好きなんだな――とアベルは傍らでうんうん頷いた。


「もう、そんなに否定しなくたって……。もしかして庶民の方ですか? だから躊躇してるんですか?」

「別に……庶民では……って、だから違うわ! 好きとかじゃないし!」

「貴族の方だったりします?」

「なっ、なな、だから違うって!」


 身振り手振りを使って全否定するエリスだが、見るからに説得力がない。メアリは笑顔で、しかし追及の手を止めない。


「貴族の方なんですか~。じゃあ絶対に適わないっていうわけでもないんですね! 相手の方とはよくお話しするんですか?」

「お話って……。彼は義務で話しかけてくれるだけで……!」

「えぇ~でも一概にそうとは言えませんよ! 気になるなあ。わたしも一度会ってみたいです」


 メアリがほうっとため息をついた。その様子を、どこかぎこちない笑みで見つめるエリス。その額から冷や汗が流れた。


「え……まさかとは思いますけど、その人、今こちらに来てるんですか?」

 メアリもエリスの表情から勘付いたのか、そのままに問うた。


「えっ? いえ? 来てるわけないでしょう?」

「えっ、来てるんですか!? うわーわたしも会ってみたいです!」

 エリスの否定の言葉は、もはや全く意味をなしていない……。


 メアリがあまりにも自然に、彼女の否定の言葉を肯定と受け止めるので、アベルは苦笑するしかなかった。


「だから……来てないって言ってるでしょう!」

「もしかして……護衛の中にいらっしゃいますか?」

「だっ……ちっ……!」

 面白いほどに、どんどんエリスの顔に熱が集まっていく。


「え、え、そうなんですね! 護衛の中にいらっしゃるんですね!」

「だから……ちがっ……!」

「確か……大人で包容力があって……いつも笑顔っておっしゃってましたね……」


 よく覚えているなとアベルは純粋に感心する。いつも以上に生き生きとしているメアリに、呆れもした。


 そうしてしばらく熟考したメアリの頭に、閃くものがあった。

「ウィリスさん……だったりします?」


 とどめの一撃だとでもいう様に、エリスは一瞬絶句し、そのままへなへなと床にへたり込んだ。逆にメアリは当てずっぽうが正解してしまったと動揺する。エリスの護衛の中で、単にウィリスしか名前を知らなかっただけなのだが、それがまさかの大当たりだとは。


「え……そう、なんですか。ウィリスさんなんですか」

「…………」

 もはや返事をする気力もないようだ。しかし両手に顔を埋めながらも、なおも首を横に振った。否定はもう何の意味も成していないというのに。


「メアリ、ウィリスさんはどんな人なんだ?」

 先ほどまで静かに傍観者に徹していたアベルだが、ツンツンしていたエリスの動揺ぶりに、少しばかり興味を持った。


「えーっと……何だかすごく爽やかな方でした。エリス様のこともすごく心配しておられましたし」

 ぴくっとエリスの肩が動いた。


「あの帽子もウィリスさんが渡してほしいってわたしに頼んだものなんです」

 ぴくぴくっと再び動く。次第にメアリも悪い顔になる。


「ほんのちょっと話しただけですけど、それだけでもわかりますよ。本当にエリス様のことが大切なんだなあってことは」

 観念したように、エリスは張っていた肩を次第におろした。顔を覆っていた両手も外す。


 その様子に、メアリはにっこりと笑い、エリスと同じ目線になるよう座り込んだ。どうやら本格的な恋話をするつもりらしい。アベルもその場に座り込んだ。


「ウィリスさん、エリス様の護衛なんですよね。どんな方なんですか?」

 先ほどはメアリもウィリスの第一印象を語ったが、やはり一番長く接し、一番想っている人に聞くのが最もだとメアリは思ったのである。


 エリスはうっと言葉に詰まっていたが、おずおずと口を開いた。


「ウィリスは……幼い頃から私に仕えてくれていて……とても、優しい人なの」

「幼馴染みたいなものですか?」

「そう……そうね、見方によってはそうなるわ」

「好きになったのはいつ頃なんですか?」

「すっ……!? だ、だから、好きとかじゃ……!」

「好きなんだろ?」

「茶々を入れないで」


 酷い。

 素直になれという意味も込めてアベルは横槍を入れたのだが、エリスに睨まれた。アベルは落ち込み、首を引っ込める。


 そんなアベルを冷たく一瞥し、メアリは優しくエリスに言葉を投げかける。それを傍から見学していた、アベルはハッとする。


 そうか、奥手な女性には壊れ物を扱う様に、恋話を振らなければならないのか……。

 彼の女子力が一上がった瞬間だった。


「ウィリスさんを意識し始めたのはいつからなんですか?」

 言葉を変えた絶妙なメアリの物言いに、目下女子力修業中のアベルは、ふむふむと脳内に書き留めた。


「い、意識……ね。気づいたらもうすでにウィリスに憧れていたからよく覚えていないわ」

「ウィリスさんのどんな所に惹かれたんですか?」

「それは……やっぱり、紳士的で、すごく優しい所……かしら。言葉の一つ一つが優しくて、暖かで……。嫌なことがあった時も、何も聞かずに話を聞いてくれるし、笑った顔も好き。へにゃって眉が下がるの」


 始めは口ごもり気味だったが、次第にエリスは饒舌になっていく。頬を赤くし、目を細めて嬉しそうに語る彼女はまるで――。


「好き、なんですか?」

「ええ、そうね。私は彼が――って、えぇ!?」

 驚愕した瞳でエリスはメアリを振り返った。アベルも当然驚愕して隣を見る。


 今それを聞くのかメアリ! またさっきの二の舞に――!


「い、いや、何を言ってるのかしら。何で急に私が、かっ、彼を好き?とかいう話になるのかしら? 全くもって意味が分からないというか?」


 しかしどうやらアベルの取りこし苦労だったようだ。先ほどのアベルの時とは大違いで、エリスは怒った様に眉を顰めながらも、顔は赤い。


 やはりタイミングか……。

 アベルの女子力が二上がった。


「もういい加減認めたらどうですか? ウィリスさんのことが好きだって」

「いえ、いえいえいえ違うわ? そんな感情抱いてませんし?」

「顔赤いぞ」


 つい言ってしまった。恋愛先生メアリに見習って、囃し立てみようと見たままの状況を述べてみただけなのだが、エリスは気に入らなかったらしく、キッと顔を上げた。


「あんたに言われたくないわよ、この軟派野郎!」

 何て言い草だ。絶対に彼女たちには知られたくないが、生まれてこの方、女性との付き合いなどほとんどしたことがない。そんな恋愛方面には初心ともいえる自分に向かって軟派野郎だとは……。というか、この姫、こんな口調だったか、とずいぶん前のように思える初対面の時をアベルは思い起こす。――違う、もっとおしとやかだったはずだ。それがどうしてこんなことに。


「っていうか、この部屋が暑いから顔赤いだけだし? ほら、私暑がりだから? 窓開けてもいいくらいだし?」

 あー暑い暑いと言いながらエリスは窓を開けた。途端に窓から肌寒い風が入ってきた。思わずエリスは身震いしてしまったが、流れるような動作でそのままストレッチに入り、誤魔化す。


「別に隠すようなことじゃないと思いますけど。わたし、誰かに話したりしませんし」

「いや、だから何のこと言ってるのか分からないのだけど」

「素直になったらどうだ」

「あんたは欲望に素直になりすぎてそのザマなわけね」

「…………」


 酷い。先ほどからエリスの毒舌が酷過ぎる。しかも自分にだけ。

 アベルは心が折れそうになった。


「あの……エリス様はこのままでいいんですか?」

「――何が?」

「ウィリスさんのこと、です。ウィリスさんのことを忘れて、アベル様と婚約してもいいって思ってるんですか?」


 そのまま躊躇いもなく頷くかと思いきや、返答には間があった。今回はさすがにアベルも茶々を入れることなく待つ。エリスはゆっくりと口を開いた。


「そうするしか、ないもの。王の娘に生まれたからには、やるべきことがあるの」

「それが……殿下との結婚だっていうんですか?」

「そうよ。国と国とを繋ぐの」

「でも……でも! 好きなんですよね?」


 堂々巡りだということはわかっている。これでエリスを頷かせたところで二人が上手くいくという保証もない。いずれ政略結婚をするかもしれないエリスの身では、このまま自分の想いを認めないままでいた方が幸せなのかもしれない。分かっている。そんなことはわかっているのだが。


「だから……違う。好きとかじゃ……ない」

 メアリのちょっとした言葉だけで、簡単に崩れ去ってしまう目の前の女性がか弱く見えた。アベルの部屋で初めて出会った時、なんて素敵な女性だろうと思った。所作もマナーも完璧で憧れた。その人が、今はこんなにも、辛そうで、切なそうに崩れている。そんな彼女が、幸せそうには見えなかった。


「わたし、エリス様はもっと自分に素直になっても良いと思うんです。それこそ、殿下を見習ってもいいくらいに」

 メアリはぽつりと呟いた。すると、エリスはええ、と嫌そうにアベルを見上げた。


「何も殿下のなすこと全てを見習えっていうんじゃありませんよ? 多少は我儘になってもいいんじゃないかって思いまして」

 メアリの突然な激白に、エリスは先ほどまでの落ち込んだ気分はどこへやら、一気にまくしたてる様に叫んだ。


「それを言うなら、このへたれ王子ももっと精進したほうがいいんじゃないかしら。私が思うに、あなたは社会のことを知らなすぎよ。それこそ、メアリからいろいろ民衆の暮らしを学んだ方がいいわ」

「俺が社会のことを知らないっていうならメアリはどうなるんだ! 俺よりも遥かに物事を知らないのはお前だ。特にマナーとかな!」

「確かに……マナーについては私も同意だわ。学んでおいて損はないと思う」

「うわっ、エリス様が殿下に同意した! ――じゃなくて、庶民にマナーは必要ないです! 学ぶ時間もお金も使う場所も無いですから」

「お前いつも暇そうにここに来てるくせに、何が学ぶ時間だ」

「それは殿下が強制するからでしょう!」

「暇そうにって、恋する女の子にそんな言い方はないわよ! あなただって会えて嬉しいでしょう?」

「恋する……?」


 メアリが首をかしげた。


 そう言えば、エリスはアベルとメアリのことを恋人だと勘違いしていた。ややこしいことになったとアベルは頭を抱える。しかし、ここはその勘違いに便乗していた方が話も進みやすいだろう。


「お前、恋してるだろ?」

 メアリに問うた。その後、肉に、と声に出さずに唇を動かした。メアリは納得したように頷いた。


「ああ、そうですね! わたし、恋してます!」


 馬鹿でよかった。

 アベルは安堵の吐息を漏らした。


 一方、エリスから見れば先ほどのアベルとメアリの行動、恋人たちのラブラブな意思疎通に見えないわけがなかった。本当妬けちゃうわ、とニヤニヤして笑った。それは、いつの間にか声に出ていたらしい。


「妬けちゃうわね」

「焼ける? ああ、こんがり焼けたのが一番おいしいですよね!」

「おいしい? アベルが?」

「……?」


 二人は純粋な顔で疑問符を浮かべる。何だか面倒になったアベルは急に大声を出す。


「ああもう、ややこしいんだよ! 一旦静まれ、お前ら!」

「殿下に言われたくないです。殿下が一番大声です」

「そうそう、命令されたくないわね」

「…………」


 そうだった、この女たちは一筋縄ではいかないやつらだった。


「よし、とりあえず整理しよう。今までのことを、だ」

 アベルは落ちついて話をしようと息を吸う。


「まず初めに、俺は婚約はしたくない。しかし姫は俺と結婚するつもりだ、と」

「というか、その姫っていう呼び方止めてくれない?」

「おい話を聞け」


 初っ端から話の腰を折ってくるエリスに、アベルは苦い顔をする。


「何だか馬鹿にされてる気がするの」

「――エリス嬢……でいいだろう」

「エリスでいいわよ。私もアベルって呼んでるし」

「いや、そこからおかしいだろ。様を付けろ様を」


 アベルは憤慨したように言う。しかしエリスはそれを一笑する。


「ごめんなさい、敬うつもりもない人に敬称はつけたくないの」

「あ、それいいですね~。わたしもそれでいきます」

「仲良く結託するな!」


 アベルが全力で突っ込んだ。


 駄目だ……この女たちのペースに呑まれては駄目だ。自分を保つんだ。

 アベルはゴホン、とわざとらしい咳払いをする。


「話を元に戻すぞ」

 そう言いながらもアベルは落ち込む。しかしそれも当然、さっきから全く話が進んでいないのである。


「俺は結婚をしたくない。対するエリスは国のため、俺と結婚するつもりだ。しかし、そういうエリス嬢にも好きな人がいる、と」

「別に好きっていう訳じゃ……!」

「まだ反論するかっ!」


 くわっとアベルが目を見開いた。ここで再び分かり切っている事実を否定されると、話が進まない、本当に。


 気圧されたようにエリスが静かになったので、もう一度話を再開する。

「俺たちの利害が一致しているにもかかわらず、エリス嬢は自分の本心を押し殺してまで義務を果たすつもりだ、と」


 沈黙が流れる。

 アベルとエリス、どちらも相手を窺ったが、その瞳は共に揺るがない。

 話が膠着状態になったのを見越し、メアリはぽつりと呟いた。


「エリス様……やるだけやってみませんか?」

「何を……?」

「ウィリスさんとのことです。このまま諦めたら一生後悔しますよ」


 沈黙が流れる。

「そうね、後悔するわ」


 メアリが瞬時に顔を上げた。


「だったら――!」

「でもそれだけよ。もしもう一度やり直す機会があったとしても、私は同じ道を選ぶわ」


 エリスは真っ直ぐな瞳でメアリを見つめた。メアリは居たたまれなくなってふっと目を逸らした。

 場は再び静かな膠着状態になった。

 永遠に続くかと思われたその時間は、案外早く終わりが訪れる。


「もうすぐ夕餉の時間ね」

 エリスが呟いた。


「私はそろそろお暇するわ。視察も兼ねてるから、この国には一週間ほど滞在するつもりよ。その間、どうぞよろしくね」

 にこっと微笑むとエリスは踵を返し、出て行った。つい先ほどまでの動揺っぷりは、すっかりと鳴りを潜めていた。


 メアリとアベルは、しばらく呆気にとられたように、彼女が出て行ったドアの方を見ていたが、フッと誰からともなく息を吐いた。


「……どうします?」

 メアリがアベルに尋ねた。エリスに好きな人がいるならば、容易に婚約をせずに帰国させることができると思っていたのだが。


「――事はそう簡単には運ばないようだな」

 アベルもため息をついた。想像していたよりも事態は複雑だった。エリスは王女で、その想い人は護衛騎士。身分だけでなく、政治も関わってくるとなると、事は一気に難化する。


「でも、エリス様ご自身はとっても良い方でしたね。わたし、あの修羅場を見られた時、もうお終いかと思いましたもん」

「そういえば衛兵たちはどうやってやり過ごしたんだ?」


 情けなくぶっ倒れていたアベルはその合間の出来事を知らない。メアリは自慢げに胸を逸らした。


「ああ、エリス様が庇ってくれたんですよ、わたし達のこと。虫が飛んできて驚いただけだって」

「――信じたのか? そんな嘘を?」

「ええ、信じたんじゃないですか? おとなしく帰って行かれましたし」

「……しかしなあ……」


 虫。

 全員が全員信じてくれたとは思わないが、現に今、アベルは部屋にいる。もしも彼が仕出かした所業がバレたのならここにはいられないだろう。とりあえずのところは保留でいいだろうと楽観視した。


「とりあえず、この一週間はメアリ、出ずっぱりな」

「えーそんなの酷いですよ! 今日なんてわたし、頑張ったと思いませんか!?」


 数十分もの間、初めての乗馬に揺られていたし、目的地の街道では雨も降らせた。城に帰った後は侍女としてお茶も注いだし、アベルにも多少の会話の助言をした。アベルとエリスがベンチに腰かけていた時は常に気を揉んでいた。その後は池にも落ちたし、アベルに押し倒されもした。エリスに誤解され、しかし衛兵たちをやり過ごし、話が盛り上がって、でもエリスは頑なで――。


「そうは言っても、結局はまだ何も成し遂げていないだろ。大事なのは結果なんだよ、結果」

「あーもう、分かりましたよ! とにかくこの婚約の話を無かったことにすればいいんですよね!?」


 しばらく押し黙っていたと思ったら、すぐに怒りが爆発したようにメアリは口火を切った。驚いたアベルは大人しく頷いた。


「じゃあ……」

 メアリはない頭で考える。


「じゃあ、せっかくエリス様に想い人がいることですし、その想いを成就してしまえばいいんですよ!」

「どうやって?」

 すぐにアベルが切り返す。


「わたしに考えがあるんです」

 珍しく、その瞳はやる気に満ちていた。

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